第2106話
「湖、だと? それは冗談か何かか?」
「いえ、本当のことです。この情報を持ってきた者は、今までもこちらに多くの情報を流してくれた者で、それは決して間違っていません」
老人の言葉に、その報告を持ってきた男はそう断言する。
実際に今までに得た情報は正しかったというのもあるが、何よりも大きかったのは昨日見たあの巨大な炎だろう。
「ヴィーン様も知っての通り、昨日ギルムの外に巨大な炎が突然現れました。どうやら、それは湖に関係していることのようで、深紅のレイの仕業だとか」
その報告に、ヴィーンと呼ばれた老人は不愉快そうに眉を顰める。
深紅のレイという名前は、ここ数年で急速に有名になった名前だ。
実力のある冒険者だというのは分かるのだが、老人にとっては下賤な成り上がり者であるという印象しかない。
少なくても、国王派に所属する貴族の一つである自分の家とは比べものにならない程に。
そんな相手が大きな顔をしているのは非常に業腹ではあるのだが、ヴィーンもレイが成り上がりではあるが、それだけの実力を備えているというのは納得せざえるを得ない。……不愉快でしかないが。
「あの炎か。……一体その湖で何が起きたのやら。それはともかくとして、あっちの情報はどうなった?」
急に話を変えるヴィーンに、報告を持ってきた男は少し考えたものの、何について話しているのかをすぐに察する。
「王族の方の手の者がダスカーに接触したのは間違いないらしいですが、詳しい情報はまだ何も」
「……誰の手の者なのか、早急に調べろ」
国王派には、王族全員が所属している。
これは、国王派という名前から考えても当然のことだろう。
そして国王派には、当然のように国王以外にも王妃や子供達、中には愛妾も入っている。
そんな王族の中の一体誰がダスカーに接触したのかというのは、国王派に所属している貴族の多くにとって可能な限り早く知りたいことだった。
王族と一括りにされてはいるが、王族それぞれによって立場は違う。
国王に完全に賛同している者、賛同はしているがそこまで強くはない者、国王派に所属しているのは利益を得られるからで国王には特に何も感じていない者、国王に牙を剥く機会を窺っている者……それ以外にも様々だ。
この問題を複雑にしているのは、国王には男女合わせて多くの子供がいることだろう。
王妃や愛妾が産んだ子供を含め、その数は二十人を超える。
それぞれに後見人となる者達がおり、国王派において自分達の利益となるように動いていた。
ヴィーンもまた、王族の一人と懇意にはしているが、そちらから自分達以外の人員を送ったという報告は受け取っていない。
そうである以上、ダスカーと接触した者が誰なのかというのは調べるのが難しい。
「誰だと思う?」
「今この時にダスカーに接触するとなると……ラムレナ様辺りでしょうか?」
「……可能性としては十分にあるか」
ラムレナというのは、第七王位継承者の王子だ。
二十人以上いる子供達の中では王位継承権は上位と言えるが、本命と言われている本当の上位たる第三王位継承者に比べれば、どうしてもその格は落ちてしまう。
だが、その代わりにという訳ではないだろうが、ラムレナは動きが素早い。
今までにも、何度となくその動きの素早さによって大きな利益を得ている。
「はい。他にも何人か候補者はいますが、可能性としてはやはりそちらの可能性が高いかと」
ヴィーンは、その言葉に苦々しそうに息を吐く。
今回の一件ではギルムという大きな利益に関係する場所が関わっているのだ。
それを思えば、とてもではないが好き勝手に動かす訳にはいかない。
「ともあれ、その湖に対しての情報を出来るだけ集めろ。……そもそも、何だって急に湖が転移してきたんだ?」
「緑人やリザードマンと関係あるのでは?」
「だろうな。緑人をどうにかこちらに引き込むことが出来ればいいんだが。植物の生長を促進するというのは、非常に興味深い」
その言葉に、部下も素直に頷く。
緑人の件に関しては、ギルムにいる国王派の間でもかなり広まっている。
当然植物の生長を促進させるだけの能力があるというのも広まっており、それに目を付けている者も多い。
ダスカーが考えているように、香辛料の類を自分の領地で育てることが出来るようになれば、領地の収入は爆発的に上がる。
香辛料にもよるが、中には同じ重さの砂金と同額で取引されているものや、それ以上に高価な香辛料も多いのだ。
だが、大抵そのような香辛料は、限定された気候でなければ育たないようなものが大半だ。
それを無視出来るというのは、これ以上ない程に美味しい案件だろう。
だからこそ、誰もがどうにかして緑人達を手に入れようとしているのだが……ダスカーも当然のようにその辺りは理解しているので、かなり厳重に守っていた。
実際に何とか領主の館に忍び込もうとした者は、その全てが失敗し、捕らえられている。
捕まった者がどうなったのかは、分からない。分からないが、ダスカーもそこを譲るつもりはないということだけははっきりとしていた。
(一人だけでもいいから、緑人を手に入れることが出来ればいいんだがな)
緑人が植物を生長させる能力を持っているというのは情報として知っているが、それが具体的にどれくらいの能力なのかというのは、分からない。
そうなると、やはり今の状況では一人でいいから緑人を手元に置きたいというのが、正直なところだった。
「ヴィーン様?」
考え込んでいたヴィーンは、部下の声で我に返る。
何でもないと首を横に振りつつ、顎髭を撫でる。
それはヴィーンにとってこれ以上は突っ込まれたくないという時に見せる癖だと知っている部下は、素直にそれ以上は何も言うことはなく、話題を変える。
「そう言えば、国王派の中でも姫将軍と面会している者がそれなりにいるそうですが、ヴィーン様はどうします?」
「会えばいいのは分かるが、あのような小娘にわざわざ自分から会いに行くのは」
エレーナの正式名は、エレーナ・ケレベル。
ケレベル公爵家という、貴族の中でも最高の爵位たる公爵家の家の一人娘だ。
エレーナ本人も姫将軍の異名を持っているだけあって、このまま行けばエレーナが次期公爵となるのは間違いなかった。
それに比べると、ヴィーンの家は伯爵家。
それもヴィーンは伯爵家の当主という訳ではなく、その親族という扱いだ。
普通に考えれば、明らかにエレーナの方が格上なのは間違いないだろう。
それでも、ヴィーンとしては自分からエレーナに挨拶に行くような真似はしたくなかった。
既に老齢に入っている自分が、何故わざわざあの小娘に……と、そう思うのは、ヴィーンの性格上どうしようもない。
部下もそれが分かっているのか、ならばと口にする。
「ですが、エレーナ様に挨拶に行っておいた方がいいのは間違いありません。そこで、ヴィーン様ではなく、誰か使いの者を挨拶に向かわせてはどうでしょう? 勿論、ヴィーン様がギルムにいる以上、問題あると思われるかもしれませんが、そこはヴィーン様には少し病気になって貰って……」
その提案は、ヴィーンとしては面白くはない。面白くはないが、自分にとって利益となることもまた理解出来てしまう。
「しょうがない、か。……では、そうしてくれ。それと湖の調査の方も可能な限り進めてくれ。ただし、背後にいるのが私達だと知られないよう、十分に注意してな」
「スラム街の者を使うことになりますが、構いませんか?」
「こちらの素性が向こうに知られなければ、それで構わん」
部下の言葉に、ヴィーンはそう答える。
例え湖について調べている者が見つかっても、そこから自分達に繋がらないのであれば、全く問題はない。
いや、寧ろそのような存在が見つかって死んだとしても、自分の役に立つのであれば喜んで死ぬべきだろう。
ヴィーンは、心の底からそう思っていた。
スラム街で生きているような者と、貴族の自分。
そのどちらの命が尊いのかというのは、それこそ考えるまでもなく明らかだったのだから。
部下が一礼して部屋を出ていくのを見送ると、ヴィーンは改めてこれから自分が行うべきことを考えるのだった。
「ふーん。……やっぱりあの湖は色々と怪しいのね」
マリーナは領主の館でダスカーの話を聞いて納得したように頷く。
何故ここにマリーナがいるのかと言われれば、湖のことが気になったから、というのが正しいだろう。
また、昨夜は自分の家に帰ってこなかったレイのことを心配して、というのもある。
マリーナにとって、レイの帰るべき場所は既に自分の家という印象が強い。
実際に暫く前からは毎日マリーナの家で夕食を食べていたし、リザードマンや緑人の件が始まってからは、泊まりさえしている。
レイが定宿としている夕暮れの小麦亭でも、部屋はまだとっているが、それでも最近は帰ってすらいない。
だからこそ、昨日レイがマリーナの家に帰ってこなかったのは、マリーナ本人には全く思いも寄らなかったが、それなりに大きなダメージを与えていた。
その為に、こうしてダスカーのいる領主の館までやって来たのだ。
……本来なら、ダスカーに仕える者達はマリーナがダスカーに会いに行くのを止めるべき立場だった。
だが、最近のダスカーの忙しさを見ている者達にしてみれば、出来ればマリーナと会話をすることで気分転換でもして欲しいと、そう思ってマリーナを止めるような真似をせずに通してしまう。
結果として、マリーナは特に誰にも止められることなく執務室までやってきた。
(誰だ、マリーナをここまで通した奴は!)
ダスカーは後で部下達からしっかりと聞き出してやると、そう思いながら口を開く。
「ああ。魔石を持たないモンスター……かもしれない存在なんて、俺は初めて知ったぞ。マリーナはどうだ? そういうモンスターを知らないか?」
「知らないわよ、そんなの。そもそも、モンスターというのは魔石を持ってるでしょ? だとすれば、それはモンスターじゃないって可能性は?」
「レイがモンスターだと言ってる以上、俺はモンスターだと思うがな」
「あのねぇ」
マリーナはダスカーに呆れの視線を向ける。
レイのことを信じているのかと言われれば、間違いなく信じているとマリーナは答えるだろう。
だが、信じるのと盲信とでは、大きく違う。
レイも人である以上、間違えることはあるのだ。
(もっとも、レイを人と言っていいのかどうかは分からないけど)
マリーナは、レイがどこからやって来たのかという秘密を知っている、数少ない一人だ。
レイの今の身体がレイ本来のものではなく、ゼパイル一門の手によって作られたものだというのも、当然知っている。
そんな今のレイの身体を人間と呼ぶべきなのかどうかは、微妙なところだろう。
もっとも、そこにマイナスの要因はない。
そもそもの話、マリーナだって人間ではなくダークエルフだし、エレーナはエンシェントドラゴンの魔石を継承しており、ヴィヘラもアンブリスというモンスターと融合……いや、吸収している。
マリーナの仲間達の中で、純粋な意味での人間となればアーラとビューネの二人くらいだろう。
だからこそ、マリーナもそこまで純粋に人かどうかということには拘っていない。
……あるいは、レイが自分が人間なのかどうかということに拘っているのであれば、マリーナもその辺を若干は気にしたかもしれないが、レイの場合は自分は自分という確固とした自我を持っており、そのようなことで悩んだりはしていない。
だからこそ、マリーナもレイが人かどうかというのは、そこまで気にしていなかった。
「レイの言うことが何でも正しい訳じゃないでしょ? ダスカーも知ってると思うけど、レイはそれなりに間の抜けてるところもあるのよ?」
そこも可愛いんだけど。
そう言いたげに笑みを浮かべるマリーナを見て、ダスカーは何と言えばいいのか迷う。
ここで何かを口にしても、それは恐らく惚気になってしまうだろうと。
「ともあれ、だ。後でレイが魔石のないモンスターの死体をギルドに提出することになってるから、その時に色々と調べれば何か判明するだろ。……もっとも、具体的にどのようなことが判明するのかってのは、俺には分からないが」
「ダスカーは別にそういうのを調べる人じゃないんだから、それは構わないんじゃない?」
何らかの学者であれば、見たことのないモンスターで、更に魔石を持っていないとなれば調べることに本気になる必要があるだろう。
だが、ダスカーはあくまでもこの地の領主であり、そのような学者に指示を与える立場だ。
(そう言えば、何人か湖に向かわせた学者達……もう到着してるころか?)
ダスカーから話を聞くや否や、即座に湖に向かった数人の学者を思い出しながら、マリーナとの会話を続けるのだった。
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