第2105話
「おい、レイ! これ食ってみろよ! 美味いぜ!」
「……あー、うん」
湖の形を紙に描き終わったレイがセトと共に地上に降りてくると、そこでは焚き火が行われていた。
いや、焚き火程度なら夜にもやってるので特に問題はない。問題なのは、その焚き火で木の枝に刺した魚が焼かれているということか。
その魚がどこからやってきたのかというのは、それこそ考えるまでもなく明らかだろう。
先程まで湖の調査をしていた冒険者達の何人かが、期待の視線を焼かれている魚に向けているのだから。
レイも、その気持ちは分かる。
日本にいた時には、夏になれば銛を持って川に行き、鮎やヤマメ、イワナといった魚を捕っては、焚き火で焼いて、昼食に持ってきたおにぎりのおかずとして食べたのだから。
塩を振っただけの焼き魚なのだが、家で食べる……母親がスーパーで買ってきた魚を焼いたのに比べても、何故かこっちの方が美味いのだ。
自然の中で食べているというのもあるし、鮎を始めとした魚が単純に美味い魚だというのもある。
だから、湖で獲った魚を美味いと食べるのは分かる。分かるのだが……それでも、あの湖で獲った魚をそのまま食べるのは、大丈夫なのか? と思わないでもない。
何より大きいのは、本当にその湖で獲れた魚は食べても問題がないのかというのがある。
リザードマンの子供達が自分達で捕らえた魚を食べても、特に問題がなかったのは事実だ。
そう考えれば、冒険者達が魚を焼いていてもおかしくはないのだろう。
(それに、結局誰かが食べないと毒があるかどうかというのは分からないしな。そういう意味では、この連中は自分で身体を張って魚に毒があるかどうかを調べているということになる訳だ。……なら、別に俺が止める必要もないか?)
自分の中で折り合いを付けると、レイは焚き火で魚を焼いている冒険者達に向かって口を開く。
「その魚を食べるのはいいけど、どういう魚か分からない以上、気をつけて食べろよ」
「分かってる。一応ポーションや毒消しの類は用意してるから、そう問題にはならない筈だ」
「……そこまでして、焼き魚を食べたいのか?」
ポーションや毒消しまで用意しているというその言葉に、レイの口から呆れの言葉が出たのは、そうおかしな話ではないだろう。
何故そこまで? と思ってしまうのは当然だった。
勿論、レイも食べるという行為は好きだ。
それでもレイが食べるのは、あくまでも安全なものだけであり、毒があるかもしれない未知の魚を食べたいかと言われれば……餓死寸前という訳でもなければ、遠慮したいというのが正直なところだった。
「分かる! レイの気持ちは分かるし、言いたいことも分かる。けどな、男にはやらなければならないことってのがあるんだよ」
「いや、そういうのがあるのは分かるけど、だからってこれがそうかと言われれば素直に頷けないぞ?」
「グルゥ?」
意外なことに、レイの言葉を聞いてそう? と疑問を示したのはセトだった。
レイ以外の者にはセトが何を思ったのかは理解出来なかっただろうが。
「セト?」
「グルゥ! グルルルルルゥ、グルルルゥ!」
男だけではなく、グリフォンにもやらないといけないことがある! と、そう喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトの様子を見て……ふと気が付く。
レイの顔を見ながらも、何度か焚き火で焼かれている魚の方に視線を向けているのを。
それを見れば、レイもセトが何を希望しているのかが理解出来た。
つまり、セトは魚を焼いている冒険者達と同様に、自分も魚を食べたいと。そう思ったのだろう。
その気持ちは理解出来ないでもなかったが、だからといってセトにも食べさせるのは……と、思う。
「グルゥ?」
だが、レイのそんな考えを読んだかのように、セトは円らな瞳をレイに向ける。
食べちゃ駄目? と。
もしこの光景を、ミレイヌやヨハンナといったようなセトを好きな者が見れば、一発でその威力に負けてしまっただろう。
しかし、レイはセトとずっと一緒にいるのだ。
今のような状況であっても、セトのお願いを素直に聞くような真似は……
「セトはグリフォンなんだから、人間よりも毒とかそういうのには強いか」
素直にではないが、セトのお願いを認める。
表情にこそ出さないが、レイもまたセトという存在には弱い。
いや、それは寧ろセトといつも一緒にいるレイだからこそ、強く情が移ってしまっているのだろう。
とはいえ、これが本当に危険なのであれば、レイもこうも簡単に許すような真似はしない。
それでも許したのは、セトなら本当に大丈夫だろうというのもあったのだが、同時にレイのミスティリングの中には非常に効果の高い――同時に料金的にも高額な――ポーションや毒消しの類が入っているからだろう。
「グルルルルゥ!」
わーい! と、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。
……そんなセトの鳴き声を聞き、水面には幾つもの波紋が浮かんだのだが、残念ながらそれに気が付くような者はいなかった。
「●●●、●●?」
セトの相手をしていたレイに、ふとそんな声が掛けられる。
声のした方に視線を向けると、そこにいるのはガガ。
レイの倍近い高さを持つ身長を屈めるようにしながら尋ねてくるその様子は、場合によってはレイを脅しているように見えなくもない。
実際には、ガガよりもレイの方が力では上なので、脅すといった真似は当て嵌まらないのだが。
ともあれ、ガガが何を言いたいのかというのは、焚き火で焼かれている魚を指さしているのを見れば、明らかだった。
もう食べてもいいのかと、そうレイに尋ねているのだろう。
言葉はまだ正確には分からないが、それでもガガの性格を考えればそこまで間違ってはいない筈だ。
そんなガガの様子に、レイは魚に視線を向ける。
するとそこでは、ガガが魚を食べたいと思うような、丁度いい焼け具合となっていた。
誰がやったのかはレイにも分からなかったが、魚の表面に何本か切れ目が入れられており、そこから見える魚の白い身が余計に食欲を刺激する。
ごくり、と。
魚の塩焼きを見ていたレイは、思わず口の中の唾を飲み込む。
「そうだな。見た限りではそろそろ食べても良さそうだ。しっかり火も通ってるみたいだし」
川の魚で怖いのは、何と言っても寄生虫だ。……ここは湖だが。
だが、こうしてしっかりと火が通っているのであれば、その心配もいらない。
もっとも、寄生虫を持っている魚だと知っていれば、レイも食べたいとは思わないが。
「よっしゃぁっ! じゃあ、まずは最初に俺が食うぜ!」
冒険者の一人が叫ぶと、焚き火の側に突き刺さっている魚の串を引き抜くと、一気に齧り付く。
「熱っ! ……お、けどこれ美味いな。いや、本気で美味い」
魚の塩焼きを一口、二口と食べながら、冒険者の男はそう断言する。
(湖の魚は食べたことがないけど、基本的には川魚とそう変わらない筈……だよな? だとすれば、美味いことは美味いだろうけど、あそこまで絶賛する程か?)
この辺、レイは田舎で住んでいたが故だろう。
それこそ小さい頃から鮎のような、一般的には高級魚に分類される魚を普通に食べていた。
だからこそ、それが味の基準になってしまっているのだ。
若干例えが違うが、世界遺産になるような素晴らしい自然があったとしても、そこに住んでいる者にすれば、その自然はそこにあって当たり前のものであって、特に感激すべきものではないのと似たようなものか。
だからこそレイは、冒険者の男がそこまで美味い美味いと繰り返しているのが分からなかった。
勿論、不味いとは言わないが……
(あ、でもギルムだと普通なら新鮮な魚を食う機会ってのは、あまりないんだよな。それを考えれば、そこまでおかしな話じゃないのか?)
一応ギルムの近くにも川はあるので、川魚は捕れないこともない。
だが、漁獲量に対してギルムに住んでいる住人の数を考えれば……ましてや、現在は増築工事の影響で更に例年よりも多くの人がいる以上、新鮮な川魚を食べられる機会は多くはない。
よって、食べる魚となれば、海から運んできた塩漬けのような保存食となっているものが大半だった。
レイの場合は、海で獲った魚が大量にミスティリングの中に入っているので、それこそいつでも刺身で食べられるような新鮮な魚を用意出来るのだが。
「取りあえず美味いんだな? 身体に異常は? どこかが痺れるとか、吐き気がしてくるとか、寒いとか」
「いや、そういうのは全くないな。普通に美味い魚だ」
焼きたてで熱いのか、はふはふとしながら魚を食っていた冒険者が、レイにそう答える。
しっかりと冒険者を確認するレイだったが、その言葉通り特に何か妙な様子は見えない。
どうやら正真正銘毒の類がない魚と知り、安堵する。
……もっとも、毒の中には遅効性のものもあるので、完全に安心は出来ないのだが。
「取りあえずこうして見る限りは安全だから、食いたい奴は食ってもいいぞ。……ただし、安全なのはあくまでも今見た限りはの話で、もしかしたら後で何らかの症状が出て来るかもしれないから気をつけろよ」
レイの言葉に、周囲で様子を見ていた冒険者達が魚に手を伸ばし、それに若干遅れてリザードマン達も魚に手を伸ばす。
レイもまた、焼き魚の串を一本奪う。
もっとも、これはレイが食べる為ではなく、レイの側で食べたいと円らな瞳をしているセトに食べさせる為のものだ。
「ほら、セト。ただし、この魚を食べて妙な感じがしたら、すぐに吐き出すんだぞ」
「グルゥ」
大丈夫! とレイの言葉に返事をするセトだったが、セトがどれだけ食べることが好きなのかを知っているレイとしては、完全に信じることは出来ない。
レイも自分が食べるのが好きなので、美味い料理を食べたいというセトの気持ちは十分に分かるのだが。
「くれぐれも気をつけろよ?」
「おいおい、レイ。お前がセトの心配をするのは分かるけど、それはちょっと心配しすぎじゃないか? セトはグリフォンなんだから、そこまで心配しなくてもいいだろ」
魚を食べながら、呆れと共にそう告げてくる冒険者。
その冒険者だけではなく、他の冒険者達もレイは心配しすぎだと、そう表情で告げていた。
実際に自分達が湖の魚を食べているからこそ、レイの行動を疑問に思うのだろう。
(うーん、これってやっぱりこの湖が異世界から転移してきたって言った方がいいのか?)
冒険者達が全く危険を感じずに魚を食べているのは、湖がこの世界のどこかから転移してきたのだと思っているからだ。
つまり、この湖もこの世界に存在していたものなので、この魚を食べても問題はないと判断したのだろう。
……実際には、同じ世界の魚であっても安全だという保証はどこにも存在しないのだが。
どうするべきかと迷っていたレイは、この場で唯一ある程度ではあっても事情を知っている騎士に視線を向ける。
どうする? という意味を込めた視線を受け、騎士は首を横に振る。
(いいのか?)
そう思ったものの、取りあえずこの場で指揮権を持っているのは騎士である以上、レイも黙っておくことにした。
「ゾゾ、リザードマン達の方は……いや、聞かなくても分かるか」
『はい。皆が美味いと言って食べてます』
そう言うゾゾだったが、他のリザードマンやガガとは違い、ゾゾは魚を食べていない。
レイが知ってる限りでは、ゾゾは魚が好物だった筈だ。
だというのに、何故ゾゾは魚を食わないのか疑問に思い、尋ねる。
「ゾゾはどうして食わないんだ?」
『レイ様が食べていないのに、私が食べる訳にはいきません』
「……なるほど」
そう言えばゾゾの忠誠心は高かったなと思い出す。
とはいえ、別にレイとしてはそこまで……自分が食べるまではゾゾも食べないようにするといったようなことは求めていない。
「取りあえず、食べたいのなら食べてもいいぞ。けど、見知らぬ魚である以上、もしかしたら毒の類が全くないとは言い切れないんだから、その辺は気をつけろよ」
『いいのですか?』
「ああ、構わない。というか、その辺はあまり気にしなくてもいいんだけどな」
レイの言葉に、ゾゾは少しだけ申し訳なさそうにしながら……それでも、魚に強い興味はあったのか、まだ何本か残っていた焼き魚に手を伸ばす。
(けど、結構な数が焼き魚を食ってるけど、また随分な量を獲ったんだな)
レイがセトに乗って空中で湖の形を描いていたのは、二十分程。
その間に獲られた魚の数は、数十匹に及んでいる。
釣り竿や網の類を持っていなかったことを考えると、一体この短時間の間にどれだけの魚を捕ってきたんだと、素直に驚くしか出来ない。
人がいなかったから魚の警戒心が薄かったのか? と思いつつも、実際にはモンスターがいたのだから、恐らくそういうこともないのだろうと考えるのだった。
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