第2102話
「……何? 魔石を持たないモンスター?」
今日は午前中に湖に行くので、それに合わせて昨日は少し早めに眠った為に、少し早めに起きたダスカーは、朝食前に軽く書類の整理を行っていたところで生誕の塔から冒険者がやって来たということで、食事をしながら話を聞いていた。
美味い店で朝食を食べてくるつもりだった冒険者としては当てが外れた形だったが、ダスカーの雇っている料理人は一流の技量を持っている以上、恐らくこれが最善の形だったのは間違いない。
もっとも、本人はそのことには全く気が付いている様子はなかったが。
自分で選んだ店や屋台で食べるということだけに、完全に意識が向いていたのだろう。
とはいえ、朝食に出された料理を一口、二口と食べると、その美味さに手が止まらなくなる。
腕利きの冒険者だけあって金には困っておらず、接待の類を受けることもあるのだが、それでもこの料理程に美味い料理は滅多にない。
料理にがっつきたいのを我慢しながら、冒険者はダスカーの言葉に頷く。
「はい。まだ確実とは言えないと思いますが」
「何故だ?」
「その、アメンボのモンスターを倒す時に、セトが水上を移動中の相手の頭部を砕いたので。もしそのアメンボが頭に魔石を持つモンスターだとすれば、魔石はその一撃で砕けたか、もしくは水中に沈んだだけかもしれません」
「……だが、魔石というのは心臓にあるのが普通だろう?」
「そうですね。ですが、魔石がないよりは頭部にあると考えた方が、まだ分かりやすいですし」
そう言い、冒険者はアメンボがどのようなモンスターだったのかを報告していく。
そんな中で、ダスカーの興味を惹いたのは当然のように酸による攻撃だった。
防御力そのものは脆いが、非常に高い攻撃力を持つ酸を放つアメンボは、かなり厄介な相手と言えるだろう。
何よりも、水上を滑るように移動するというのが最も厄介なところだ。
これが陸上なら走って近づくといった真似も出来るのだが、水上にいるのであれば、それも出来ない。
「弓を用意する必要があるな」
若干忌々しそうにダスカーが呟く。
水上を自由に移動出来る者を相手にする場合、やはり一番手っ取り早い攻撃手段として選ばれるのは弓だろう。
空を飛ぶ手段を持っている者は非常に少ないし、魔法使いもいるが、その数は多くはない。
そうなれば、やはり一番手軽に水上にいる敵を攻撃する手段としては、弓が選ばれる。
何よりも大きいのは、やはりその数だ。
極論を言えば、数十人、数百人といった者達が纏まって矢を射れば、幾ら自由に湖の上を移動出来るアメンボであっても、回避する場所がない以上、倒すのは難しくはない。
……とはいえ、そうなると死体が水中に沈んでしまうので、それを回収するのは非常に難しいのだが。
特にアメンボは未知のモンスターである以上、どの部位がどのような素材に使えるのかは分からない。
(ギルドに調べて貰うか? ……いや、だが湖が異世界から来たのだとすれば、その情報がある可能性は少ないか。リザードマンの例もある以上、絶対とは言えないが)
折角の美味い朝食も、朝っぱらから起きた問題で十分にその味を堪能出来ない。
「それで、どうします? 今日は午前中に湖に行くと聞いてたんですが」
「予定は変わらん。一度湖は自分の目で見ておきたいからな。書類仕事は馬車の中でも出来るし」
うわぁ、といった表情を浮かべる冒険者。
冒険者というのは、基本的に身体を動かすことは得意だが、書類仕事などというものとは縁のない者が多い。
この男もその手の冒険者である以上、馬車の中でまで書類仕事をすると言われれば、嫌そうにするのは当然だった。
(というか、馬車の揺れの中で書類を読むのはともかく、サインをしたり出来るのか? ……こうして言うってことは、出来るんだろうな)
冒険者の男は、少なくても自分はそのような真似はしたくないと思い、まだ温かいパンに手を伸ばす。
「ともあれ、レイが一匹分の死体を確保しているのはありがたいが、出来れば頭もある死体が欲しいな。本当に魔石がないのかどうかを確認したいし」
「うーん、それはちょっと難しいかと。実際に朝に出て来たアメンボは、それ一匹だけでしたし。湖は広いので、もっとしっかりと探せばもしかしたらいるかもしれませんが」
そう言いながらも、冒険者は恐らく見つからないだろうなと予想してしまう。
朝になって、湖を見回すといった行為をしたのは自分だけではなく、他の者もそうしている筈だ。
にも関わらず、他のアメンボを見つけることは出来なかったのだ。
その辺りの事情を考えると、やはりすぐにアメンボの死体を他にも得るというのは非常に難しい。
(あ、でもセトは空を飛べるんだし、湖の上空から探せばもしかしたら……もっとも、あのアメンボが普段は水中にいるとかじゃなければの話だけど)
水の上を滑るように移動するという能力を持つが、そのような真似をしていれば、空を飛ぶモンスターからは絶好の餌と見なされてもおかしくはない。
であれば、普段は水中にいたとしてもおかしくはない。
……もっとも、それはあくまでも男の予想でしかなく、実際にどのような生態を持っているのかは分からない。
「探すか。マリーナからは取りあえず問題はないと判断されたと聞いているが……」
「ああ、ギルドマスターですか」
正確には前ギルドマスターなのだが、ギルムで長いこと冒険者をやっている男としては、どうしてもギルドマスターと言えばマリーナのことを思い浮かべる。
とはいえ、既にマリーナがギルドマスターを辞めてからそれなりに時間も経つのだから、そろそろギルドマスターと言えばワーカーを思い浮かべるようになって欲しいというのが、ダスカーの正直なところなのだが。
ダスカーにしてみれば、マリーナは非常に頼れる相手であると同時に自分の黒歴史とでも呼ぶべき小さい頃のことを知っている相手でもある。
別に嫌っている訳でも、憎んでいる訳でもないが、苦手というかやりづらい相手なのは間違いのない事実だ。
「ギルドマスターじゃなくて、マリーナだな」
「そうでしたね。……ただ、ずっとギルドマスターと呼んできたので、まだあまり慣れなくて」
普通の冒険者であれば、マリーナと会う機会そのものが少ない。
たまに何らかの理由で執務室から出てギルドの一階にやってきた時に、偶然遭遇するといった程度だろう。
だが、優秀な冒険者となれば、ギルドマスターから直接指示をしたり、依頼の内容を説明したりといったことも行われる。
そうなると、数人でマリーナと会うのならいいのだが、一人でマリーナに会うとなると、一種の試練に近い。
強烈なまでの女の艶を発し、男好きのする肉感的な身体を胸元が開いているパーティドレスで包むといった真似をしているのだ。
まさに拷問……というのは若干言いすぎかもしれないが、本人としては冗談でも何でもなくそのように思ったことも多かった。
そういう意味では、レイという男を作った――客観的にはそう見えている――今は、そんなマリーナの女の艶はレイに向けられている為か、そこまで苦労するようなことはなくなった。
おかげで、娼婦に金を使うことも……全くなくなったという訳ではないが、相応に少なくなったのは間違いない。
「そうか。まぁ、その辺はおいおい慣れていけ。ともあれ、そのマリーナが調べた限りだと、そこまで危険がないということだった筈だが?」
「詳しいことは分かりませんが、レイが倒したスライムと同じ大きさのモンスターはいなかったと聞いてます。湖にいる水の精霊が、少し気難しいらしくて」
「……なるほど」
冒険者の言葉に、ダスカーはやはりその湖も異世界からやってきたのだろうと考え……
(待て)
ふと、異世界とアメンボの一件が繋がる。……いや、繋がらなくなったというのが正しいか。
(緑人は魔石があるのかどうか分からないが、リザードマンは間違いなくモンスターだ。そうである以上、魔石を持っている可能性は高い。高いが……もしかして、魔石を持っていたりしないのか? この件はかなり重要だから、緑人達に聞くのはちょっと不味い)
湖に行ってから、レイか……もしくはゾゾから聞き出すことにする。
ダスカーにしてみれば、今回の一件はかなり面倒なことになっているのだ。
そこに、もし魔石が……アメンボの体内に魔石がないとなり、それていでリザードマン達には魔石があるとなれば……
(つまり、あの湖はこの世界でもグラン・ドラゴニア帝国がある世界でもなく、第三の世界からやって来たということになるのか?)
レイが色々と特殊な素性故に予想した内容だったが、ダスカーはほぼ自分だけでその結論に辿り着く。
同時に、本当に心の底から非常に面倒なことになったと、そう理解する。
(国王派からのちょっかいは、こうなると助かるのかもしれないな)
ダスカーにとって、国王派のちょっかいは非常に面倒なものだった。
特に王族が直々に――正確にはその手の者だが――が出てきたとなれば、面倒なことだという以外に言いようがない。
だが、今のような状況ではどうせなら国王派にもこの面倒な状況を任せてしまえばいいだろうという思いが、ない訳でもなかった。
「ダスカー様? どうしました?」
朝食の途中で自らの考えに耽ってしまったダスカーに、冒険者が声を掛ける。
ダスカーはそれに何でもないと首を横に振ると、再び朝食に戻るのだった。
「本当にいいのか? お前もこの馬車で湖に連れていってもいいんだぞ?」
朝食後、早速準備を整えたダスカーは湖に向かおうとしたのだが、報告を持ってきた冒険者はそれを遠慮すると言ったのだ。
領主のダスカーが乗るような馬車だけに、非常に乗り心地がいい馬車なのだが……それだけに、何故一緒にいかない? と疑問に思う。
だが、冒険者はそんなダスカーの言葉に首を横に振る。
「いえ、まだやるべきことがあるので。ギルドに報告もしないといけないですし。特にあのアメンボに関してはしっかりと調べる必要があります」
「そうか? ……モンスターのことだし、そうか。なら、頑張れ」
そう言い、ダスカーの乗った馬車は領主の館から出発する。
「ふぅ」
それを見送った冒険者の男は、そこでようやく息を吐く。
ギルドに報告に行く必要があるのは間違いなかったが、もし報告に行くのであれば、それこそレイの持つアメンボの死体を持っていた方がより正確に事実を伝えることが出来るだろう。
それをしなかったのは、単純に冒険者の男がダスカーと一緒の馬車に乗りたくなかったからというのが理由だった。
勿論、それはダスカーを嫌っているからではない。
ギルムを立派に運営しているダスカーを、尊敬こそすれ嫌うといった感情はない。
それでも一緒の馬車に乗らなかったのは、ダスカーの命令によって馬車に大量の書類が運び込まれたからだろう。
ここからトレントの森まで移動している間、延々と書類仕事をしているダスカーを見続けなければならないというのは、冒険者にとっても非常に息苦しく、とてもではないが快適な気分での移動とならないのは確実だった。
そんな気まずい空気の中にいるのと、自分で移動するのとどちらを希望するのかと言われれば、後者を選ぶのは当然だった。
「さて、何か軽く腹に入るものでも買っていくか」
朝食を食べたばかりではあるが、もう食べられなくなる程に腹一杯食べた訳ではない。
ダスカーの雇っている料理人の料理は美味かったが、それでもやはりダスカーのような偉い相手と一緒に食事をするというのは、気疲れする部分もある。
それを感じているのか、冒険者の男は何か気楽に食べられるものでも買おうとして、街中に繰り出す。
……門番には同情と驚きが混ざったような妙な視線を向けられたが、同情は書類仕事に巻き込まれそうになったことで、驚きは……
(さて、何だろうな。まぁ、俺が領主の館に来たことなんて数える程度なんだから、そんな風に思ってもおかしくはないけど)
これ以上考えても意味はないと理解し、男は街中に繰り出す。
まだ朝であるのだが……いや、朝だからこそか、多くの者が活発に動き回っている。
そんな多くの人の中を進みながら、耳を周囲に向けて情報収集を行う。
これは別に何か目的があってやってるのではなく、半ば癖のような代物だ。
腕利きの冒険者としてやっていくには、やはり情報が大事だと理解しているからだろう。
ソロでなくパーティで行動していても、情報を集めるのは誰かに任せるのではなく自分でも率先して集める必要があった。
そう思いながらの行動だったのだが、耳に入ってくるのはやはりと言うべきか昨日レイが使った炎の魔法のことが多い。
辺境のギルムの住人にとっても、それだけあの巨大な炎は驚くべき光景だったのだろう。
もっとも、現在のギルムには元々のギルムの住人だけではなく、増築工事の件で仕事を求めてやってきている者も多かったのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます