第2101話

 魔石がない。

 アメンボのモンスターを解体していた冒険者のその言葉に、聞いていた者達は当然騒ぎになる。

 当然だろう。

 この場にいる冒険者は、冒険者の中でも高い能力を持つ者達だ。

 つまり、それだけ多くのモンスターと戦ってきたということを意味している。……もっとも、冒険者の中には戦いをせずにランクを上げるような者もいるのだが。

 少なくても、ここにいる冒険者は辺境の野外にある生誕の塔を護衛する為に雇われた者達である以上、モンスターとの戦いに慣れている者が選ばれるのは当然だった。

 そんな者達だからこそ、モンスターの体内には魔石が存在するのは常識だった。

 だというのに、アメンボの体内に魔石はない。

 アメンボの魔石を探していた者に代わって、他の冒険者がアメンボの体内を探るが……


「ない、な」


 最初に探した冒険者同様に、小さく呟く。


「どうなってる? モンスターに魔石が存在しないなんてことは有り得ないだろ」

「考えられる可能性としては、幾つかあるな。まず第一に、実はこのアメンボはモンスターではなく動物だった」

「モンスターになっていない動物が、あんな酸の攻撃をしてくるか?」

「可能性としては、ないとは言えないだろ。ただまぁ、俺もないと思う。……そんな訳で、第二に魔石を体内で移動させることが出来る」


 基本的に魔石は心臓に埋まっているものだったが、モンスターの中には魔石を体内で自由に動かせるようなものもいる。

 代表的な例としてはスライムで、この湖には巨大なスライムがいた以上、その推測はある程度の説得力を持っていた。


「そうなると……」


 話を聞いていた者達の視線が、アメンボの頭部に集まる。

 正確には、頭部のあった場所だが。

 セトの一撃により頭部は爆散し、破片は湖に沈んでしまった。

 今頃は恐らく魚の餌にでもなっているだろう頭部に。


「グルゥ」


 そんな周囲の者達の様子を見て、セトは申し訳なさそうに鳴き声を上げる。

 だが、頭部に魔石があったかもしれないと口にした冒険者が、そんなセトを慰めるように口を開く。


「絶対とは言わないが、多分このモンスターは自由に魔石を動かせる奴じゃないと思う。基本的に魔石を自由に動かせるモンスターってのは、体内にしっかりとした内臓とかがない奴が多いし」


 その言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らして尻尾を鳴らす。

 胴体は獅子で猫科の動物の筈なのだが、今のセトは完全に犬科の動物のように見えていた。


「じゃあ、第一も第二も外れとして……第三は?」

「何らかの突然変異で、魔石を持たないモンスターとか」

「それは……さすがにちょっとどうかと思うぞ。魔石を持っていないモンスターなんて有り得ないし」

「だから、そこはやっぱり突然変異だからであってな」


 言い争いをしている冒険者達を見ていたレイだったが、ふと気が付く。

 自分はこの湖を、この世界でも、グラン・ドラゴニア帝国がある世界でもない、第三の世界から転移してきたと予想していたのではなかったのか、と。

 であれば、魔石を持っていないモンスターが存在する世界であっても、おかしくはない。


「ゾゾ」

『はい、なんでしょう?』


 いきなり声を掛けられたにも関わらず、ゾゾはすぐにレイに向かって返事をする。

 ゾゾにしてみれば、レイに仕えている以上は当然のことだった。

 そんなゾゾに、レイはアメンボを見ながら議論している冒険者達を見回してから、ついてくるように示し、少しこの場から離れる。

 何人かはそんなレイとゾゾに気が付いた様子を見せていたが、特に気にした様子もなく議論を続けていた。

 当然だろう。魔石を持たないモンスターというのは、生誕の塔の護衛を任されるような腕利きの冒険者達にとってさえ、初めての体験だったのだから。

 そんな中でレイとゾゾが少しその場を離れたとしても、それは何か用事があってのことだろうという思いがあってもおかしくはない。


「取りあえずここまで離れれば、あの連中には声は聞こえないだろ。……さて、それでだ。まどろっこしいのは面倒だから単刀直入に聞くけど、ゾゾ達の世界のモンスター……お前達リザードマンも含めてだが、魔石を持っているか?」

『は? 魔石ですか? ええ、勿論持ってますが』


 あっさりとそう告げてくるゾゾ。

 レイとしては、モンスターというのは魔石を持っているのが当然だと思っていたので、今までは特に聞くようなことはなかった。

 だが、あのアメンボのモンスターの一件もあって、こうして改めて聞いたのだが……


「そうか」


 ゾゾのその言葉で、レイが前々から考えていたこと……あの湖が、この世界でもゾゾの世界でもない、第三の世界から転移してきたということがはっきりとする。

 もしかしたら……本当にもしかしたらだが、この世界やゾゾの世界でも魔石を持たないモンスターが存在するという可能性はある。

 だが、レイとしてはやはり魔石を持たないモンスターがこの世界やゾゾの世界にいるよりも、第三の世界から転移してきたと考える方が納得出来たのも事実だ。


(やっぱり第三の世界か。……これはダスカー様に知らせた方がいいな。幸い、今日の午前中にはダスカー様がここに来るって言ってたし)


 タイミングが合った、と言うべきだろう。

 そのことに幸運を覚えながらも、レイは口を開く。


「取りあえず、ゾゾ達の世界のことは分かった。ただ、こうなると……ゾゾ達はともかく、この湖が異世界から転移してきたと思いつくような奴も、出て来るかもしれないな」


 異世界という概念を持っている者は、そう多くはない。

 だが、それでも全くいない訳ではないのだ。

 そのような人物が、もし魔石の存在しないモンスターのことを知れば、あるいは異世界の存在に思い至ってもおかしくはなかった。

 その辺りのこともダスカーと考える必要があると判断しながら、レイはアメンボの周囲に集まっていた冒険者や騎士、リザードマン達の下に戻る。


「アメンボの件については、今日ダスカー様が来るって話だったし、その時に報告すればいいだろ。その死体は取りあえず俺が預かっておくけど、構わないか?」


 アメンボの死体の所有権は、最初の話し合いでレイにあると皆が認識していた。

 だが、それはあくまでもアメンボが普通のモンスターだと思っていたからだ。

 魔石を持たないモンスターという、この世界の常識では有り得ない存在となると、その価値は計り知れない。

 レイとしては、この死体を売るだけでそれなりの儲けになるのではという思いもあったが、これを下手な場所に売れば間違いなく面倒に巻き込まれる。

 商人や錬金術師達に纏わり付かれることが多いレイとしては、それよりはこの死体をダスカーに渡して、その分の報酬を貰った方が得だと判断したのだ。

 また、レイは身内以外ではダスカーにだけ生誕の塔が異世界から来た可能性が高いと話している。

 だからこそ、この湖も第三の世界から転移してきたという予想を伝えることが出来るのも大きい。


(問題なのは、このアメンボのモンスターがどれだけいるかだろうな)


 レイの言葉に皆が頷いたのを確認すると、死体をミスティリングに収納しながら、レイはそう考える。

 あくまでもレイの知ってる限りではあるが、アメンボというのはそれなりに纏まった数でいることが多い。

 少なくても、レイが日本にいる時に見たアメンボは、大抵がある程度の数で纏まっていることが多かった。

 世界が違う上に、モンスターとなっている以上、このアメンボがレイの知っているアメンボと同じような習性があるかどうかは分からない。

 だが、酸のウォーターカッターとも言うべき危険な攻撃方法を持っている以上、そのようなモンスターが複数……それこそ十数匹も一緒に行動しており、一斉に攻撃してくるということになれば被害が大きくなるのは確実だろう。

 せめてもの救いは、アメンボは非常に高い攻撃力を持ってはいるが、防御力は弱いといったことか。

 これは、セトの一撃だけではなく冒険者達が死体を解体した結果判明したことだった。


「なぁ、もしダスカー様が来た時に、このアメンボが大量に出て来たりしたら……どうなると思う?」


 そう呟いたのは、冒険者の一人。

 ダスカーがかなりの実力者……それこそ、その辺の冒険者程度なら余裕であしらえるくらいの技量を持っているのは知られているが、だからといってこのような危険がある場所にダスカーが来るというのは、危険でしかない。


「とはいえ、ダスカー様がこの湖を自分の目でしっかりと見ることが必要だと判断したんだ。確実に危険ならともかく、そうでない以上はダスカー様に来ないように言うようなことは出来ないぞ」


 冒険者の言葉に、騎士がそう告げる。

 レイは、そうだよなと納得していた。

 ダスカーの性格を考えれば、今回のアメンボの一件で湖の視察を止めるとは思えない。

 また、自分やセトがここにいる以上は、危険があってもどうとでもなると、そう判断してもおかしくはなかった。


「ダスカー様のことだから、多分予定は変えないだろうけど、それでもこのアメンボの件は知らせておいた方がいいんじゃないか?」


 レイの言葉に、騎士は少し考えた後で頷く。


「そうだな。誰かこの件をダスカー様に知らせてきて欲しいのだが……」


 騎士の言葉に、話を聞いていた冒険者達はそっと視線を逸らす。

 まだ起きたばかりというのもあるが、何よりこれから朝食なのだ。

 レイがいない時はギルムから運んできた食料を食べていたが、レイがいる今は出来たての料理を……それもレイが美味いと思える店で作られた料理を食べることが出来る。

 パンにしても、普通なら食べるのが――タイミング的な意味で――難しい、焼きたてのパンを食べることも出来る。

 それを考えれば、たかが朝食といった風には判断出来ないだろう。

 あるいは、ここにいるのは冒険者一人であれば、自分が知らせに行かなければダスカーが危険だと判断し、すぐにギルムに向かったかもしれないが。

 相応に人数が多いからこそ、自分が行かなくてもと考える者も多かった。

 騎士もそんな冒険者達の様子に気が付いたのだろう。

 小さく頭を掻いてから、再度口を開く。


「俺からの頼みを聞いてくれた奴には、ダスカー様に事情を知らせた後で好きな店で食事をしてきてもいい」


 そう告げると、冒険者達の目の色が変わる。

 ……ここにいる冒険者は、全員がある程度以上の実力の持ち主で金に困っている訳ではない。

 だがそれでも、奢ってくれるというのであればそれに惹かれない訳がなかった。

 もっとも、今はまだ早朝と言ってもいい時間だ。

 ダスカーに報告を持っていった後で食事をするとしても、冒険者達が期待しているような高級店は開いておらず、屋台の類が殆どだろうが。

 もしくは、少し気の早い場所なら食堂が開いている可能性もある。


「じゃあ、お前に頼む」

「分かった」


 騎士に指名された冒険者は、自分が選ばれた幸運に喜び、すぐ生誕の塔の近くに繋がれている馬に向かう。

 具体的に何を知らせればいいのかというのは、騎士からまだ聞いてないのだが、今までの会話の流れから、その辺は十分に理解出来た。

 魔石を持っていないモンスターがおり、それはアメンボの形をしている。

 そして、酸を鋭く吐き出せる。

 アメンボの形をしている為に、他にも同じようなモンスターが多数いる可能性がある。

 ……ついでに、レイが魔法で燃やしたスライムは今もまだ燃え続けている。

 それらのことを素早く判断出来るのは、生誕の塔の護衛を任された腕利きの冒険者らしいと言えるだろう。


「飯の代金は、戻ってきてから払って貰うぞ!」

「分かってる。だから早く行け」


 最後に確認を取ると、冒険者は馬に乗って素早くその馬を走り去る。

 他の冒険者達は、一人だけ抜け駆けした相手に羨ましそうにしていたが、そんな冒険者達の前でレイは手を叩く。


「全員起きてきたことだし、朝食にするか。ギルムの屋台に負けないような……いや、それ以上に美味い料理を出すぞ」


 屋台に負けない。

 レイの口から出たその言葉に、何人かは何となく事情を把握した様子を見せる。

 考えてみれば、こんな朝早くから高級な店がやっている筈がないのだと。

 それを考えると、寧ろレイが選んだ料理を食べられることの方が得だったと思う者もいる。……とはいえ、屋台はそれこそ日によって大きく変わる。

 場合によっては、一流の店にも負けない料理を出す屋台があったりもするのだ。

 そのような屋台を見つけることが出来れば、それは当たりだと言えるだろう。

 そこまで美味い料理を出す屋台がそう簡単に見つかる筈もないのだが。


「さて、じゃあ今日の朝食は焼きたての白パンに魚と季節の野菜がたっぷりはいったスープ。それとオークのベーコンと秋の果実だ。……解体を手伝ってくれた三人には、俺が現在ギルムで一番美味いと思っている焼きうどんもおまけでつけるぞ」


 レイの言葉に、冒険者達は歓声を上げるのだった。

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