第2100話

 まだ、朝日が完全に昇り切ってはいない頃、レイはセトに寄り掛かりながら焚き火の前で見張りをしていた。

 当然レイだけではなく、冒険者も何人かレイと一緒にいる。

 それでも、レイと一緒に見張りをする者の人数は少ない。

 セトがいるだけでも護衛は少数ですむのだが、それだけではなくレイもいるのだから当然だろう。

 そんな中……コップでお茶を飲んでいたレイは自分が寄り掛かっているセトが、不意に喉を鳴らす。

 セトに寄り掛かっている分、喉を鳴らした時の衝撃が背中に伝わってきたレイは、それが何らかの敵が接近してのものだろうと判断し、コップをすぐに地面に置き、レイより若干遅れて周囲を警戒している冒険者達に声を掛ける。


「俺達の番までは敵が出なかったのに、運が悪いのは誰なんだろうな」

『レイ』


 三人の冒険者達が、揃ってレイの名前を上げる。

 それも、完全に同時に。

 実際にはレイが来る前から辺境にあったギルムは色々な騒動が起きていたのだが、レイがきてから騒動の規模が大きくなったり、騒動の起きる頻度が増えたのも事実だった。

 この冒険者達はそれが分かっているから、こうして断言したのだろう。


「ぐ」


 レイもまた、思い当たる節がある……ありすぎる為に、言葉に詰まる。

 それでも何かを言い返そうとしたレイだったが、やがて朝日に煌めく湖の上を滑るように移動してくる存在を見つけ、セトが警戒した理由を悟る。

 それは、言ってみれば巨大なアメンボとでも呼ぶべき代物だ。

 全長そのものは一m程度と、虫としては規格外に大きい。

 だが、山や丘と呼べるくらいの巨大なスライムを見ているレイにしてみれば、寧ろ小さく見えると言ってもいい。

 ……尚、レイの魔法で燃やされたスライムは、未だに燃えつきておらず、現在進行形で燃え続けている。

 今はもう太陽が姿を現したので、そこまで気になる程ではないが。


「とにかく、あの虫をどうするかだな。こっちに近づいてこないように祈るか、妙な行動をされるまえに攻撃するか。……ちなみに、俺は攻撃をする方に賛成だ」


 当然のように、レイがそちらに賛成した理由は魔石を求めてのことだ。

 魔獣術で成長する為には、未知のモンスターの魔石が必須となるのだから。

 唯一の難点としては、この湖がどこから来たのかが分からないことで、そもそもこの世界のモンスターでない可能性が高い以上、魔石を持っていないかもしれないといったところか。


(モンスターだから魔石を持っているということは、あくまでもこの世界の常識だし)


 こちらに近づいてくるアメンボのモンスターを見ながら、レイはそう考え、叫ぶ。


「敵襲! モンスターと思しき存在が現れた!」


 現れたモンスターは一匹なので、自分達だけで倒せるという可能性は非常に高い。

 だがそれでも、もしかしたら湖の上を滑るように移動してくるアメンボは、最初の一匹でしかない可能性もあるのだ。

 そうである以上、見張りとしては皆に警戒の声を上げざるを得なかった。……もうそろそろ起きる時間だった、というのも起きるように促した理由の一つだったかもしれないが。

 案の定、生誕の塔からはレイの声によって起こされたのだろう者達が動く気配が伝わってくる。

 これが街中であれば、起きてからすぐに行動するというのは難しい。

 だが、野営――生誕の塔の中で寝ているので、正確には野営とは呼ばないのかもしれないが――をしている間は、眠ってはいても危険が近づけばすぐにでも反応するのが、腕利きの冒険者だ。

 そして、この生誕の塔に集められているのはその全てが腕利きの冒険者達だった。

 リザードマンの方も、軍人として鍛えられている以上、ある程度はすぐに対応出来るだろう。

 何よりガガの性格を考えれば、レイの声の意味を理解出来なくてもすぐに戦いの気配を察して出て来てもおかしくはなかった。


「来るぞ!」


 冒険者の一人が、湖の上を滑るように移動していたアメンボが自分達の方に向かって近づいてきたのに気が付き、鋭く叫ぶ。


「攻撃するが、構わないな!?」


 弓を持つ冒険者の叫びに、レイもミスティリングから取り出したデスサイズと黄昏の槍を構えながら頷く。


「ああ、やれ! 飛斬!」


 弓を持つ冒険者にそう指示しながら、レイもまた飛斬によって斬撃を飛ばす。

 真っ直ぐ飛んでいった斬撃は、しかしアメンボが見せた予想外の動き……滑るように斜め後ろに後退したことにより、あっさりと回避される。

 冒険者が射った矢も、まるでそれが回避されるのが当然のように回避された。


「厄介な!」


 長剣を持っていた冒険者が、アメンボの動きを見て忌々しげに吐き捨てる。

 レイも口には出さなかったが、まるで挑発するかのごとく水面を滑るように移動しているアメンボを見て、忌々しそうな視線を向ける。

 普通、どんな者でも移動する時は何らかの前兆があるのだが、あのアメンボは全く……それこそ、一切何の前動作もないままに水面を滑って移動するのだ。

 移動する方向に体重を掛けるといったような真似をすれば、その移動先の予想も可能なのだが。

 何の予兆もなく、どうやって移動しているのか。

 それは分からなかったが、厄介な相手であることは間違いない。


「なら、どうする?」


 冒険者の一人が、レイに向かって尋ねる。

 この場で一番強いのがレイだと知っているからこその行動であり……それは、間違っていない。

 水面に浮かんでいるアメンボをどうにかする方法があるのかと言われれば、レイは即座にあると答える。

 実際にセトに乗って空から攻撃をするのであれば、例え水面を自由自在に移動していても倒すことは可能だ。


「セト!」

「グルルルゥ!」


 レイの声に、セトは特に何も指示しなくても、何を望まれているのかを知っているかのように数歩の助走の後に翼を羽ばたかせて空に駆け上がっていく。

 巨大なアメンボは、そんなセトの様子に少しだけ視線を向けたものの、すぐに湖岸にいるレイ達に視線を向け……


「マジックシールド!」


 半ば反射的に、レイはスキルを発動する。

 一度だけではあるが攻撃を防ぐ、強力な光の盾。

 スキルを発動したことにより、それが姿を現す。

 そしてマジックシールドを展開したレイが前に出た瞬間、アメンボの口からは圧縮された酸性の液体が放たれる。

 普通のアメンボも、虫の死体に消化液を流し込み、それで体内を溶かしてからそれを啜るという食性を持っている。

 勿論、その消化液はそこまで強力な酸性でもなければ、同時に今回のように遠くにいる相手に放つといった真似も出来ないが。

 放たれた代物はまさに酸のウォーターカッターとでも呼ぶべき代物だったが、それはレイのマジックシールドに防がれ……


「グルルルルルゥ!」


 レイが攻撃を防ぐのと同時に、上空から降ってきたセトが前足の一撃をアメンボの頭部に放つ。

 落下速度とセト本来の膂力、そして力を増すマジックアイテムの剛力の腕輪。

 この三つが揃ったことにより、アメンボの頭部は爆散し……そのままバランスを崩して湖に沈んでいこうとしたアメンボの身体を、セトはクチバシで咥える。

 上空から落下してきたにも関わらず、湖の中に突っ込むようなことがなかったのは、セトの驚異的な飛行能力を示していた。


「よし!」

「うおっ!」

「凄ぇ……」

「うわぁ」


 レイと三人の冒険者達は、それぞれが目の前で広がった光景に呟く。

 実際、今のセトの一連の行動は、感嘆の声が出てもおかしくはないような見事な動きだった。


「レイ、どうした!」


 ちょうどそのタイミングで、騎士が塔から飛び出してくる。

 いつもは鎧を身に着けている騎士だったが、起き抜けの今はそのようなことはないらしく、服のままだ。


「ちょっと遅かったな」


 酸のウォーターカッターを防いだマジックシールドが消えていくのを眺めつつ、レイは騎士にそう告げる。

 そんなレイの言葉に、若干申し訳なさそうにする騎士。


「悪いな。……それで、何があったんだ?」

「モンスターの襲撃だよ。ほら、セトの側にある死体を見れば明らかだろ」


 レイの言葉に、騎士はその視線を追ってセトの様子を見る。

 そこには体長一m程――頭部が爆散したので、元々の大きさよりは少し小さくなっているが――のアメンボの死体を地面に下ろしたセトの姿があった。


「これは……頭部がないのか? どのようなモンスターだった?」

「アメンボのモンスターだな。もっとも、モンスターだけあって元々の姿からはそれなりに変わっていたけど。特に口の辺りがかなり進化……進化か? ともあれ、変わっていた」


 酸のウォーターカッターなどという凶悪な攻撃をしてきたのは、レイ以外に他の冒険者達も見ていたので、騎士に詳しく説明する。

 当然のように、このようなモンスターは全員が見たことがなく、恐らくは新種だろうと判断される。

 もっとも、辺境にあるギルムにおいて、新種のモンスターというのは特に珍しいものではない。

 これが辺境以外の他の場所であれば、ある程度珍しく思えもするのだろうが。


「ふむ、この新種の数は、これ一匹だけなのか? 他には?」

「こうして見る限りでは、他にいないな。勿論、この湖の広さを考えれば他にも同じモンスターがいる可能性は十分にあるけど」


 レイの言葉に、騎士は少しだけ安心する。

 今日は午前中にダスカーがこの湖を見る為にやって来るのだ。

 そうである以上、もしこの湖でモンスターに襲われるようなことになれば、それは騎士にとっての失点となる。

 実際には外でのことであり、何よりも辺境である以上は、いつモンスターに襲われてもおかしくはないのだが。


「そうか。取りあえず今は……このモンスターの解体をした方がいいか。それとも、レイがアイテムボックスに収納しておくか?」


 アメンボのモンスターを倒したのはセトだし、その攻撃を防いだのはレイだ。

 他の三人の冒険者もそれは理解している以上、レイに分け前を寄越せといったことは言わない。

 この辺りが、ギルドから信頼されてこのような依頼を任されている理由なのだろう。

 もしこれが礼儀も何も弁えず、これ幸いと自分にも何らかの分け前を要求するような相手であれば、それこそ騎士が上に訴えてでもこの依頼から外すだろう。


「そうだな、取りあえずそこまで大きなモンスターじゃないし、ここで解体してしまうか。ただ、新種のモンスターとなるとどの部位がどれくらいの値段で売れるのか分からないから、迂闊な真似も出来ないんだよな」


 自分だけで適当に解体していらないと判断された部位が、実は有用な場所だったと判断されれば、レイとしては面白くない。

 特にレイは元々そこまで解体が得意ではない以上、迂闊に貴重な部位を傷つけてしまうという可能性もあった。

 それを思えば、この場にいる冒険者達は皆が腕利きの冒険者である以上、解体についてもレイより上なのは間違いなかった。


「そうだな。じゃあ、ここで解体してみる。……ギルドの方に行けば、もしかしたら何らかの情報があるかもしれないけど」


 レイを含めてこの場にいる全員が知らなくても、ギルドには様々な情報がある。

 もしかしたら、新種であると思われるこのアメンボのモンスターも、実は新種ではないという可能性は十分にあった。

 なら、ギルドで解体して貰った方がいいのでは? と思わないでもなかったが、現在のギルムはそれこそ毎日が戦場の如き有様で忙しい。

 そんな中でアメンボについて調べて貰うと、時間を取らせることになる。

 何よりも、レイが欲しいのは素材もそうだが、魔石だ。

 魔獣術で必須な魔石を入手出来るのなら、この際、モンスターの素材を多少手に入れられなくても構わないと思うくらいには魔石を欲していた。

 魔獣術について秘密にしている以上、魔石を集める理由としては、レイが魔石コレクターだということになるのだが。

 コレクターというのは色々な物を集めるので、レイが魔石を集めていても特におかしなことはない。

 ……もっとも、魔石を集める趣味を持つとなれば、冒険者に依頼して集めるか、自分で倒すかといったどちらかになる以上、魔石を集める趣味を持つという時点でハードルはかなり高くなるのだが。

 レイとしてもあくまでも魔獣術の建前として使っているだけである以上、実際に魔石を集めているなら見せて欲しいと言われれば、非常に困るのだが。

 ともあれ、まずは解体を始めようということで、三人の冒険者達が準備をする。

 尚、その三人にはレイが解体を依頼したということで、他の者達よりも豪華な朝食を報酬として約束していた。

 解体の様子を見る為に、レイ以外にも先程の騒ぎで起きてきた冒険者達が興味本位で寄ってくる。

 皆、新種のモンスターに興味津々なのだろう。

 そして、解体を始めたのだが……


「ん? このモンスター、魔石がないぞ?」


 冒険者の一人が、そう告げるのだった。

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