第2099話

「あー……何だかこうして野営をするのも久しぶりだな」


 夜、焚き火をしている中で寝転がっているセトの背に体重を預けながら、夜空に瞬く星を見上げる。

 空には雲一つ存在せず、煌々と月明かりが降り注ぐ。

 夜に外に出るというのは、レイにとってもそこまで珍しいことではない。

 毎晩のように、マリーナの家の中庭で食事をしているのだから。

 それでも、やはり焚き火をしてセトに寄り掛かりながら夜空を見上げるという経験は、マリーナの家では出来ない。

 ……また、マリーナの家にいるのは自分以外は基本的に女だけだ。

 最近ではゾゾやガガがいたりすることもあったので、必ずしも女だけではなくなっていたのだが。

 とはいえ、レイも別に周囲が女だけなのが気になるという訳ではない。

 ただ、それでもやはりたまにはこのような日があってもいいのではないかと、そう思うのだ。


(グリムに、生誕の塔や湖が転移してきたことを聞きたかったんだけどな。……それはまた今度でいいか)


 リザードマンや緑人が転移してきた時は急いで聞く必要があったが、これがグリムの仕業ではないというのは既に知っている為、今は急いで聞く必要はない。

 もっとも、湖がゾゾ達のいる世界とはまた別の異世界から転移してきたという可能性が高いことを考えると、出来るだけ早くグリムに話を聞いた方がいいのかもしれないが。


『レイ様、どうかしましたか? あれだけの魔法を使ったのです。体調の方は大丈夫でしょうか?』


 空を見上げていたレイに、ゾゾがそう話し掛ける。

 ゾゾにしてみれば、自分の仕えるレイがセトに寄り掛かりながらぼうっと空を見上げていたのが気になったのだろう。

 もしかして、身体の具合でも悪いのでは? と、そう心配してしまうのは、レイが日中に巨大な炎を生み出す光景を見たからか。

 ゾゾにとって、レイという存在は自分に勝った戦士という存在だった。

 だというのに、まさかあれだけの……それこそグラン・ドラゴニア帝国の宮廷魔法使いでさえ使えないだろう強大な魔法を使うというのは、自分の目で見た今であってもまだ完全には信じられない。

 あのような強大な魔法を使った以上、レイが無理をして体調を崩したのではないか。

 ゾゾはそう心配したのだ。


「ああ、心配ない。確かに今回使った魔法はかなり大規模だったけど、構成そのものはかなり単純な奴だったしな。ああして動きを止めているような奴が相手じゃないと、当てるのは難しいし」


 レイの放った魔法は、巨大な炎の塊を相手に叩きつけるといったものだ。

 その炎もかなりの高さに生み出した炎を相手に叩きつけるといった代物である以上、素早く動ける相手であれば、それに命中させるのは難しい。

 あれは、あくまでもスライムの動きが鈍く、またレイの思惑でコントロール出来たからこそ命中させることが出来た、言ってみれば欠陥魔法と言ってもいいような魔法。

 ……もっとも、使用された魔力が莫大なもので、到底一人で使うことが出来ないという点でも、十分に欠陥魔法と言っても間違いはなかったが。

 だが、ゾゾは本人が魔法を使えないということもあって、魔法にはそこまで詳しくはない。

 それだけに、あのような巨大な炎を生み出す魔法を使っておきながら、何でもないような態度を取るレイというのは、信じられないようなことだった。


『凄いですね、レイ様』

「そう言われると、少しは嬉しいけどな。なぁ?」

「グルゥ」


 レイの声に、セトは少し眠そうな様子で喉を鳴らす。

 リザードマンや冒険者、騎士。

 それらの者達が、焚き火の周囲に集まっては、食事をしたり軽く酒を飲んだりといったことをしている。

 今日の夕食はレイが少し奮発し、ミスティリングの中にある料理の中でも美味いものを幾つか出した。

 だからこそ、いきなり湖が転移してきたなどということがあっても、皆が特にそこまで神経質にならずに、この時間を楽しんでいるのだ。

 酒に関しては、見張りの件もあるので深酒という訳ではなく、軽く嗜む程度だったが。

 この湖の転移を始めとして、明らかに異常な出来事が起こっている。

 そうである以上、本来ならもっと緊張感を持って周囲を警戒するべきなのだろうが、人の集中力というのはそんなに長くは続かない。

 適度な場所で息抜きをする必要がある。

 レイが豪華な夕食や酒を出したのも、あまり緊張しないようにするという気遣いも幾らかはあった。

 そのおかげもあり、今のところは冒険者やリザードマン達は相応にリラックス出来ている。

 ……離れた場所では、夜になっても未だに燃え続けているスライムが存在したのだが。


「ともあれ、今日が無事に終わって良かったな」

『そうですね。正直なところ、このような巨大な湖が転移してきたのを見た時はかなり……いえ、もの凄く驚きましたが』


 レイの言葉にゾゾは同意するように頷きつつも、その言葉の中には悔しさも存在する。

 ゾゾも自分の強さには相応の自信がある。……だがそれでも、湖から出て来た巨大なスライムを相手にする時に、ゾゾの出番はなかった。

 ゾゾの兄たるガガは、レイと共に巨大なスライムに立ち向かっていたにも関わらず、だ。

 自分がガガよりは弱いというのは分かるが、レイに仕えているのは、ガガではなく自分なのだ。

 だからこそ、ゾゾは自分がレイの力になれなかったことが悔しい。

 もっとも、レイはそんなゾゾの思いに気が付いている様子もなかったが。

 これはレイが鈍感なのではなく、第十三皇子ということで自分の感情を表に出さないようにしていたゾゾの取り繕い方が上手かったのだろう。


「湖の転移か。……あの湖がゾゾ達の世界以外からの転移だとすれば、一体これからどうなるんだろうな」


 ゾゾ達の世界だけから転移してくるのであれば、まだ納得も出来る。

 例えば、世界同士が何らかの理由で繋がったのではないか、と。

 だがゾゾ達の世界以外からも転移してくるとなれば、その理由はこの世界にあるのではないかと、そう思ってしまう。

 そうなると、第二、第三の湖が転移してこないとも限らないのだ。

 今回はレイが何とか出来る相手だった。

 だが、異世界からやって来た相手となると、それこそどのような存在が転移してくるか分からないのだ。

 例えば魔法が全く効果のない存在が転移してくるという可能性も十分にある。

 もっとも、そんな不安とは逆にギルムにとって大きな利益となる存在が転移してくるという期待もある。

 今回の湖もギルムにとって水産資源という意味では、大きな利益となるのは間違いないのだから。


『どうなるのかは分かりません。ですが、今回の一件を考えると今後も多くが転移してきてもおかしくはないと思っています』

「だろうな。俺達が出来るとすれば、何が起きてもいいよう、すぐに対応出来る準備をしておくことか。……増築工事が行われていなければ、ギルムとしても相応に余裕があるんだろうけど」


 増築工事が行われていなければギルムで働こうと思ってやって来る者はいなかっただろうが、それでもギルムに住む冒険者の多くをこちらに振り向けることが出来れば、今よりは楽になるのは間違いなかった。

 そうなればそうなったで、また今とは別の騒動が起きていた可能性もあるのだが。


「とにかく、今夜はしっかりと見張りをしておく必要があるだろうな。昨日までは、それぞれ順番にやっていたんだろう?」

『はい』


 あっさりと頷くゾゾだったが、レイとしてはどうやってその見張りの時間を決めていたのかと、疑問に思う。

 これが日中であれば、ギルムから鐘の音が聞こえてきてもおかしくはない。

 だが、夜になれば鐘はならず、時間を知ることは出来ない。


(あ、でもここの護衛を任されていてる冒険者は腕利きで、ギルドからの評判も高い連中なのか。だとすれば、時計の類を持っている者がいてもおかしくはないか)


 この世界にも時計は存在するが、それは非常に高価なマジックアイテムだ。

 レイもミスリルの懐中時計を持っているが、これは自分で買ったのではなく、盗賊から奪った代物だ。

 それこそミスリルで出来ている懐中時計ともなれば、それは普通なら実用品ではなく芸術品の類と見なされてもおかしくはない。……レイは普通に実用品として使っているが。

 時間の流れが止まっているミスティリングに入れていても、それを出した瞬間にマジックアイテムの効果として瞬時に時間を合わせるという効果がある以上、実用品として使うには十分な性能があった。

 ……それどころか、レイが日本にいた時に使っていた腕時計や目覚まし時計の類は、毎日少しずつではあるがずれていったりもしていた。

 それを考えれば、このミスリルの懐中時計の方が圧倒的に性能が上だと言ってもいいだろう。

 とはいえ、レイが日本で使っていた腕時計や目覚まし時計は、一つ数千円程度の代物でしかない。

 それに比べると、ミスリルの懐中時計とは価格的に比べものにならないのは間違いなかった。


「ともあれ、今まで以上にしっかりと見張りをする必要があるだろうな。この湖があった世界ではどうか分からないけど、俺が知ってる限りでは夜行性の魚とか動物とか、そういうのは結構いるし。この湖の中にそういうのがいても、全くおかしくない」

『それは……そうですね。今までよりもしっかりと見張るように言っておきます。ガガ兄上の場合は、戦う相手がいれば喜びそうですが』


 ガガを庇おうかと思ったレイだったが、ヴィヘラとの戦いや巨大なスライムに戦いを挑んだことを思えば、それは否定出来ない事実だ。


「ガガの実力なら並大抵の相手は問題ではないだろうけど、何かあった時のことを考えれば慎重に行動するように言っておいた方がいいのか」

『お願いします』


 レイに仕えているゾゾだったが、第十三皇子という立場にあって兄や姉、場合によっては弟や妹にまで白眼視されてきた中で、ガガだけはまともに扱ってくれたのだ。

 それだけに、ゾゾとしてもガガが大きな怪我や……場合によっては死ぬようなことには、絶対になってほしくはなかった。……ザザが死ぬのなら、特に何も感じないのだが。


「じゃあ、早速といきたいところだが……そのガガはどこに行った?」


 ゾゾに言われたからというのが大きいが、取りあえずガガに注意しておこうと思いつつ寄り掛かっていたセトから立ち上がって周囲を見回すが、焚き火の周囲にガガの姿はない。

 焚き火の明かりだけで全ての者達を判別出来る訳ではないが、それでも身長三mというガガの大きさは、それだけで特定するのは難しい話ではなかった。

 だからこそ、ガガが焚き火の近くにいればすぐに分かる筈なのだが、周囲を見回してもガガの姿はどこにも存在しない。

 もしかして生誕の塔に戻ったのか? と思わないでもなかったが、ガガの性格を考えれば皆が騒いでいる中で自分だけが塔に戻るといった真似をするとは思えなかった。

 そうして周囲を見回していたレイだったが、やがて少し離れた場所にある湖の近くに巨大な人影を発見する。


(あれ? リザードマンだから、リザードマン影? 面倒だし、人影でいいか)


 若干慌てた様子で周囲を見ているゾゾに、湖の方を指さす。

 それを見たゾゾは、そこに三m程の人影があることに気が付き、安堵する。

 現在ここにいる者の中で三m程の身長を持っているのはガガしかいない以上、見間違うことは絶対にない。


「何をしてるんだ? ……ちょっと行ってみるか?」

『はい』

「グルゥ」


 レイの言葉に、ゾゾとセトがそれぞれ答える。

 それを見て、レイはゾゾとセトを引き連れ、湖の方に向かう。

 途中で何人かの冒険者に声を掛けられたが、レイはそれに適当に応えるだけだ。

 声を掛けた方も、何となく声を掛けただけである以上、明確な返事がなくても特に気にしない。

 そうして湖に近づくと、そこではガガが湖の中に入っては水から出るといった行為をしているのに気が付く。


(春とはいえ、夜の水ともなれば冷たいだろうに。……何をしてるんだ?)


 レイから見ても、特に遊んでいる訳ではなく、真剣に行動しているように見える。

 そうである以上、何らかの理由があるのだろうというのはレイにも理解出来たが、それでも何をやっているのかは分からない。


「ガガ」


 レイの声が聞こえたのか、ガガは湖の中に入るという行為を止め、レイの方を見て口を開く。


『この湖がどういうものなのか、しっかりと確認しておきたいとのことです』


 ガガの台詞をゾゾが通訳し、そう告げてくる。

 レイはまだ何も聞いてはいないのだが、レイが何を聞いてくるのかを予想したように、そう告げてくる。

 

「湖か。……一応、マリーナの精霊魔法であのスライムのようなのはいないらしいが……それより小さくて危険なのはいるかもしれないから、気をつけろよ?」


 レイの言葉を通訳して聞いたガガは、大丈夫だと頷くのだった。

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