第2103話

「ほう、これが……」


 湖の前で、ダスカーが思わずといった様子で呟く。

 ……とはいえ、その視線が向けられているのは湖ではあるが、それとは別の場所にも視線を向けている。

 一晩経っても未だに燃え続けているスライム。

 スライムの大きさが山や丘といったくらいの大きさがあるので、どうしても人目を惹く。

 巨大なスライムが燃えているのと、ギルムと同等の大きさを持つ湖。

 その二つは、炎と水という点で対照的なものですらあった。


「はい。転移してきた湖です。……正直なところ、一体どこから転移してきたのかは分からないですが、ギルムにとっては大きな利益になるかと。ただ、モンスターが……」


 この場に残っていた騎士の言葉に、ダスカーは燃えているスライムや湖から騎士に目を向け、頷く。


「聞いているし、何よりあのようなものを見せられればな」

「あのスライムは……色々と特殊な例かと。ただ、それ以外のモンスターであっても、色々と特殊なところがありました」

「魔石か」


 領主の館まで報告を持ってきた冒険者からの話を思い出し、そう答える。

 魔石を持たないモンスターというのは、非常に厄介な存在なのは間違いない。

 一匹や二匹程度のモンスターが魔石を持たないのであれば、特殊な例として貴重な存在とも思えるだろう。

 だが、これだけの湖に住んでいる全てのモンスターに魔石がないとなると、非常に厄介なことになるだろう。

 もしモンスターの魔石がないとなれば、この湖にいるモンスターを冒険者が倒すということは少なくなる。

 モンスターの素材で一番高く買い取って貰えるのは、魔石なのだから。

 魔石以外の部分でも、何らかの利用方法があれば買い取って貰えるので、全く金にならないという訳でもないのだが、それでもやはり一番高価な魔石が得られないというのは大きい。


「はい。出来れば、レイが……いえ、セトが倒したモンスターは頭部に魔石を持つような相手だといいのですが」

「それは難しいだろうな」


 騎士として多くのモンスターとも戦った経験のあるダスカーだけに、頭部に魔石があるというモンスターはかなり少ないというのを理解していた。

 だが、異世界からやってきた湖と、魔石を持っていないよりは頭部にあるという方がまだ納得出来ること。そして何より、魔石の存在しないモンスターというのが公になればまた騒動になり、ただでさえ殆ど休む暇がないダスカーの仕事量が更に増えることになってしまう。


(まぁ、無理なんだろうけどな)


 ダスカーもそれはあくまでも希望的な観測であると判断しており、特に突っ込むようなことはせず、話していた騎士ではなく、レイに視線を向ける。


「それにしても、レイ。あの巨大なスライムの丸焼きはいつまで続いてるんだ?」

「いつまでと言われても……それこそ、あのスライムが完全に焼け死ぬまでとしか、言いようがないですけど」

「……それがいつになるのかは分からないか?」

「分かりませんね。正直なところ、俺が使った魔法は極めて強力なものです。それこそ、もしその辺にいるスライムとかなら、一瞬で魔石諸共全てが焼きつくされてしまうかのような。いえ、スライムではなく、大抵のモンスターなら焼け死んでると言い切れるくらいには」

「だが、あのスライムはまだ生き延びている、と?」

「はい。大きさからも分かる通り、あのスライムは多分俺達で言う希少種とか、そういう感じだったんでしょうね。もしくは上位種とか」


 希少種というのは、同じモンスターであっても通常にはない能力を持っているモンスターだ。

 例えば、セトだろう。

 普通のグリフォンはあそこまで多種多様なスキルを使いこなすことは出来ない。……実際には、セトは魔獣術で生み出されたグリフォンである以上、とても普通のグリフォンとは呼べないのだが。

 ともあれ、そんな希少種に対して上位種というのは、通常のオークに対してオークキングのような存在を意味している。

 レイの魔法を食らっても未だに死なず燃え続けているようなスライムは、希少種や上位種であると言われても納得出来るだろう。

 具体的にどちらかと言われれば、迷うしかなかったが。


「あの大きさを見れば、レイの説明にも納得出来るな。……ともあれ、あのスライムは燃やし続けることしか出来ない。そういうことだな?」

「そうなります。幸いにも俺の魔法で燃え続けている間は、あのスライムも身動き出来ませんので、熱い、夜になっても明るい以外の問題はないかと」

「……その夜の明るさに、モンスターが惹かれてこないかどうかが、心配なんだがな。そちらはどうなんだ?」

「うーん、それはどうなんでしょう? 獣は火を怖がるって言いますけど……」


 そう告げるレイだったが、実際に火を全く知らない……今まで人間と関わったことがないような獣で、好奇心が強い獣の場合は自分から火に近づいてくることもある。

 ましてや、モンスターの場合は獣よりも凶暴であることが多い以上、火を見れば獲物がいると判断して近づいてこないとも限らない。

 ……もっとも、近づいてきたからといって、強引にスライムに触れようとした場合、そのモンスターは焼け死ぬことになるのだろうが。


「否定は出来ない、か。……それに動物ではなく人でもここにやってくる者がいるかもしれない以上、今までよりも注意する必要があるだろうな」


 そう言いながらも、ダスカーの目の中には優しい色がある。

 湖の側でリザードマンの子供達が遊んでいる光景を目にして、和んでいるのだろう。

 ガガのような極端に巨大なリザードマンは例外としても、基本的にリザードマンというのは背が高く、がっしりとした身体をしている。

 そのような大人のリザードマンと比べると、現在ダスカーの視線の先にいる子供のリザードマン達は、小さく、愛らしい。

 ダスカーが見ていて和むのは、レイや騎士にも理解出来た。

 ダスカーの場合は、山のような仕事からの現実逃避といった一面もあったのかもしれないが。

 小さな尻尾を振りながら、浅い場所で遊んでいるリザードマンの子供達。

 そんな子供達を見て、ほんわかした気分だったのだが……


『あ』


 ダスカー、レイ、騎士の三人の声が揃う。

 その理由は、リザードマンの子供が不意に屈み込んで手を素早く水中に突っ込んだかと思うと、手を水中から引き抜いた時には、その手に魚を捕まえていたからだ。

 ……いや、それだけであれば、感心はしても驚きはしなかっただろう。

 だが、リザードマンの子供は鷲掴みにした魚の頭部から胴体までを食い千切ったのだ。

 当然食い千切って残った魚の下半身からは、血が水中に落ちる。

 今まではにこやかな様子で眺めていた光景が、一瞬にして凄惨なものに変わってしまったかのような……そんな光景だった。

 特にダメージが大きかったのは、リザードマンの子供達を見て和んでいたダスカーだろう。


「そう言えば、ゾゾは魚が好きでしたね」


 一足早く立ち直ったレイが、そう告げる。

 ゾゾのような魚好きにとって、魚が泳いでいる湖というのは絶好の漁場なのだろう。


「って、ちょっと待て。平気で魚を食べてるけど、あれはいいのか?」


 レイは最初ダスカーが何を言ってるのか分からなかったが、すぐにその理由に思い当たる。

 この湖はグラン・ドラゴニア帝国とは違う第三の世界から転移してきた可能性が高いのだ。

 つまり、外見は魚でも実は魚ではなかったり、もしくはリザードマンの身体に合わない成分を持っている可能性はある。

 それどころか、魚の中にはフグのように毒を持つ魚もいる以上、前知識なしで泳いでいる魚を捕まえ、火も通さずに食い千切るというのは危険すぎた。

 とはいえ、もうこうやって食べてしまっている以上、遅いのだが。


「ゾゾ!」


 それでも一応ということで、ゾゾを呼ぶレイ。

 子供達の側で様子を見ていたゾゾは、レイの言葉を聞くとすぐに近づいてくる。


『レイ様、どうかしましたか?』

「この湖……」


 そう言い、ふとレイは騎士に視線を向ける。

 ダスカーはこの湖がグラン・ドラゴニア帝国とは違う世界から転移してきたと予想していることを匂わせる様子を見せていたが、それを騎士に言ってもいいのかと。そう考えて。

 そんなレイの視線の意味を理解したのか、ダスカーはレイに頷きを返す。

 どうせ異世界からやって来たというのはいずれ知られることになるのだろうし、何よりダスカーに仕えている騎士は皆が信頼に値する存在だ。

 もし騎士がダスカーを裏切ったのであれば、それを大人しく受け入れるだけの思いはある。


「この湖はお前達とは違う世界から転移してきた可能性が高い筈だ。つまり、魚であっても毒を持っている魚とか、そういうのがいる可能性がある。にも関わらず子供達は普通に生で食ってるけど、問題ないのか?」


 違う世界という言葉で騎士が一瞬反応したが、それ以上は何をするでもなく、そして何を言うでもなくレイとゾゾの様子を見守る。


『毒ですか。それは考えてませんでしたが、それで死ぬのならそれも運命だったということでしょう』


 あっさりとそう告げる。

 その答えは完全に予想外だったのか、レイもダスカーも……そして違う世界という言葉を聞いた騎士ですら驚きの表情を浮かべた。


「え? いいのか、それ。場合によっては死ぬぞ?」

『はい』


 レイも魚の毒というのが具体的にどのようなものなのかというのは、知らない。

 それでもフグが鉄砲と言われていたことは日本にいた時にTVで見たことがあり、その理由も知っていた。

 フグを食べた者が死ぬことが多いので、鉄砲。

 つまり、フグは人を殺すのに十分な毒を持っているということになる。

 毒を持つ魚が大量にいるとは思えないが、それでも心配するのは当然だった。

 リザードマンのゾゾより、それ以外のレイ達の方がリザードマンの子供達を心配していたのは間違いない。

 とはいえ、それがリザードマンの風習だと言われれば、レイ達としても納得するしかなかったのだが。

 レイ達の目から見ておかしいと思うことであっても、それを押しつけるような真似は出来ない。

 勿論、その風習がギルムの住人に何らかの被害を与えるのであれば、ギルムの領主たるダスカーも相応の態度を取る必要があったが。


「……ダスカー様、リザードマンは取りあえず置いておくとして、俺達が食べても問題ないかどうかを調べる必要はありますね」

「そうだな。毒の類がなければ、この湖はギルムにとって恵みの場所となるだろう」


 この湖が来た中で一番期待されているのは、やはり新鮮な魚だった。次に水資源や新種のモンスターの素材といったところか。……魔石がないモンスターだと思われるが。

 だからこそ、湖の調査は必須だった。


(問題なのは、どのような者達に頼むかということか)


 未知の場所の調査ともなれば、色々と大変なのは間違いない。

 ましてや、それが山や森、洞窟といったような地上にある場所ならギルムの冒険者にとっても慣れているだろうが、場所は湖だ。

 それもただの湖ではなく、異世界から転移してきたような湖で、その広さは広大と言ってもいい。

 ギルムの中には、そのような場所の調査に慣れている者はいない……訳でもないが、やはり数は少ない。

 ギルムの冒険者と言っても、その経歴は様々だ。

 ギルムで生まれ育って冒険者になった者もいれば、各地で活躍してからギルムにやって来る者もいる。

 後者の場合は、元々活動していた場所によっては川や湖、海といった場所の調査をしたこともあるので、そのような者達の中にはこの湖程の広さではないが、それでも湖の調査をしたことがある者もいるだろう。

 そのような者達に任せれば、この湖の調査も何とかなるのではないか。

 そう、ダスカーは思い……燃えているスライムに視線を向ける。


(幸い、マリーナの調査であのスライムのような巨大な存在は他にはいないって話だったしな。……精霊魔法を使えるマリーナが調査をしてくれれば、大分助かるんだが)


 今は増築工事を行っている者達の怪我の治療を任されており、そこでかなり……いや、もの凄く活躍しているというのも知っている。

 怪我の治療で活躍してるのは理解しているが、今はそれよりも湖の調査の方が優先されるべきだった。

 ……診療所で働くのは、それこそ増築工事が終わるまで数年掛かる予定である以上、言ってみればいつでも出来る。

 だが、湖の調査は可能な限り早く行いたいのも、事実だった。


「あ。凄いですね、あれ」


 ふと、騎士が再び湖の方を見て呟く。

 そこで行われていたのは、リザードマンの子供達が揃って尻尾を水面に叩きつけている光景。

 それによって魚が気絶し……やがて浮かんできた魚を捕まえては、頭から囓る。

 最初に魚を食べていた他の子供が羨ましかったのだろう。

 二度目ということもあり、レイ達はあまりショックを受けずにその光景を眺めるのだった。

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