第2097話

「これは……また……」


 様子を見に来たダスカーの部下は、目の前に広がる光景にただ唖然とするだけだ。

 それはもう何度か見た光景だったので、レイはまたか、と思うだけだ。

 ……実際に目の前にこれだけの湖が広がっていれば、それで驚くなという方が無理だろう。


「大きいとは聞いていたが、これ程の湖とは。……それで、あの燃えているのが?」


 湖を見ていたその人物は、目の前に広がる光景から強引に視線を逸らし、もう一つの人目を引く存在に視線を向けて尋ねる。

 その視線の先にあるのは、巨大なスライムが燃え続けている光景だ。

 レイが魔法を使ってから数時間は経っているが、それでも未だに燃えている炎が衰える様子はない。

 本当にいつまで燃え続けているのかと、魔法を使ったレイでさえ疑問に思ってしまう程だ。


(でも、燃え続けているってことは、燃えているスライムはまだ死んでないってことなんだよな。正直、俺の魔法を受けてここまで生きてられるというのは……洒落にならない)


 今は燃えていて身動きが取れなくなっているスライムだったが、それでもまともに――レイの魔法を抜きで――戦っていれば、一体どれだけの被害が周囲に出たのか分からない。

 そう思えるくらいのタフネスぶりなのは間違いなかった。


「あっちの炎に関しては、俺からは何も言えない。それこそ、スライムが死ぬまであのままだな」

「ちょっと待ってくれ」


 レイの言葉に、ダスカーの部下は予想外といった視線を向ける。

 まるで、レイの言葉が信じられないといったように。


「燃えているのはスライムだったか。そのスライムはまだ生きているのか!?」

「そうなる。もっとも、燃えている間は何も出来ないし、スライムが死ぬまで燃え続けているから、心配はいらないだろうけど」


 レイの言葉に、聞いた人物は何を言うべきなのか迷う。

 スライムがいるのは厄介だが、倒すべき相手が燃え続けているのならそこまで気にする必要はないのではないか。


「燃え続けている間は完全には安心出来ないといったところか」

「そうなるな。もっとも、この状況で何か出来るとも思わないけど」


 レイが大丈夫だと保証したことにより、ようやく少しだけではあるが安心した様子を見せる。


「とにかく、色々とダスカー様に知らせる必要がある。場合によっては、ダスカー様がここまで直接来る可能性もあるな」

「だろうな」


 生誕の塔が転移してきた時も、ダスカーはここまで直接は来なかった。

 それは、生誕の塔を見た冒険者や騎士、それ以外の部下からの報告で大体理解出来たというのが大きいが、それ以上に仕事が忙しかったという問題がある。

 今のダスカーは、それこそ毎日のように、それこそ寝る時と食事をする時くらいしかゆっくり出来ないような生活をしている。

 レイがそれを聞いた時は『二十四時間働けますか』という何かで見たキャッチフレーズを思い出したくらいだ。

 ……それこそ、今のままでは身体を壊しかねないと、部下達が何とか十分な睡眠時間を作ったり、食事の時は仕事を持ち込ませないようにしているらしい。

 それだけに、自分の屋敷にいる緑人やリザードマンの様子を見るだけならともかく、ギルムからそれなりに近いとはいえ、相応の距離があるトレントの森まではやってくるような余裕はなかった。

 だが、このような湖が出来たとなれば、話は違ってくる。

 それこそ、この湖はギルムの生活に多大な影響を及ぼしかねないのだから。

 そのような場所である以上、ダスカーとしても自分の目で直接確認する必要があるのは間違いなかった。

 自分の目で直接湖を見て、ついでになるだろうが生誕の塔を見て、これからどうしていくのかということを決めるのだ。


(いっそ、セト籠で送迎した方がいいんじゃないのか?)


 ふと、レイはそう思う。

 セト籠を使えば、それこそギルムからトレントの森までは一分も掛からないで到着する。

 まさに、すぐだ。

 ……とはいえ、ダスカーの身分を考えるとそれは出来ないのだろうが。

 ダスカーは、ギルムの中でも最重要人物の一人だ。

 それだけに、万が一にも空から落ちた場合のことを考えれば、セト籠に乗せて移動することは出来ないと止められるのは間違いなかった。

 実際には大抵のことがあっても、セトがいればどうとでもなるという思いがレイにはあったのだが。


「じゃあ、俺は今日ダスカー様が来るまでここで待ってればいいのか? それとも、時間になったらいつも通りに仕事を終わっても?」

「一応、普段通りで頼む。もし何かあったら、その時は改めて連絡するから。ただ、ダスカー様の仕事を考えれば、今日すぐにというのは難しいと思う」

「分かった。ただ、あまり時間がかかると、スライムが死んで炎が消えてしまう可能性があるぞ」


 スライムが死んだというのは、それこそ本来なら喜ぶべきことだろう。

 だが、ダスカーの性格を知っているレイとしては、恐らくダスカーならスライムが燃えている光景を見たいと思っても不思議ではないだろうと考える。

 そもそも、スライムの大きさは巨大という言葉でも足りないような代物なのは間違いない。

 そのような大きさの存在が延々と燃えつきることなく、燃え続けているのだ。

 もしこれがどのような理由で燃えているのかを知らないのなら、一種の観光名所になってもおかしくはない。

 それを喜んで見に来る者がいるかどうかは、別として。


(そもそも、ギルムは辺境だ。そこに観光旅行に来ようなんて奴は……いない訳じゃないだろうけど、かなり少ないのは間違いない。観光名所ってのは、まず無理だな)


 すぐに頭を切り替えると、レイは生誕の塔の方に戻っていく。

 ダスカーの部下もレイが移動したのを見ると、他の者達から必要な情報を……湖が転移してきた時の状況や、それからどのように話が進んだのかといったことを調べていく。


『レイ様、子供達が湖で遊びたいと言ってるのですが、どうしましょうか?』


 生誕の塔まで戻ってきたレイだったが、ゾゾがそう尋ねてくる。

 子供達にしてみれば、実際に巨大なスライムをその目で見た訳でもないだけに、すぐにその怖さを忘れてしまうのだろう。


「あの湖はまだしっかりと調べ終わった訳じゃないから、危険だぞ?」

『私もそう思いますが、子供達は先程の騒動の前までは湖で遊んでましたから』


 ゾゾの言葉に、レイはなるほどと頷く。

 子供達にしてみれば、一度自分達が遊んでいた場所だけに、またそこで遊びたいと思うのは当然だろう。

 幾ら湖に危険なモンスターがいるかもしれないと言っても、子供というのは非常に大胆なのだ。


(ここで下手に禁止するような真似をすれば、それこそ大人達の目の届かないところで勝手に遊ぶかもしれない、か)


 転移してきた湖の広さを考えると、子供達がそのような行動に出るという可能性は十分にある。

 そんな状況で、レイ達を襲ってきたスライム程ではないにしろ厄介なモンスターや、モンスターではなくても危険な――レイが上空から見た、濡れない毛を持つような――動物に襲われるという可能性は十分にある。

 そうならない為には……


「取りあえず、大人のリザードマン達が近くにいるところで遊ばせてやったらいいんじゃないか? 勝手に動かれるよりは、まだ目の届く場所にいてもらった方がいいし」


 結局そのように妥協するしかなかった。

 ゾゾもレイの言葉には納得したのか、小さく頷いてからその場を去っていく。


「責任者も大変ね」

「……そうだな。でも、別に俺が責任者って訳じゃないと思うんだけど」


 からかうようなヴィヘラの言葉に、レイはそう返す。

 何故か自分が仕切ることになっている現状に、若干の疑問を覚えるレイだったが、すぐにそれも仕方がないと思い直す。

 そもそもの話、翻訳用の石版を持っているゾゾが忠誠を誓っている相手がレイなのだ。

 そうなれば当然のようにゾゾが話しかけるのはレイとなり、レイが相手をするのは当然の話だった。

 また、この場所にいた者の中で最も強い人物だったというのも、この場合は影響しているだろう。


「じゃあ、私とビューネもそろそろ戻るわね。一応休憩時間にやって来たけど、その休憩時間もそろそろ終わってるでしょうし」

「何なら、セトで送っていくか?」

「別にいらないわよ。それに今は、レイがここにいるというのが、一番大事なことでしょう? もしレイがいない時に何か起こったら、色々と危ないでしょうし」

「それは……否定出来ないな」


 エレーナとマリーナもここにはいるが、普通のモンスターならともかく燃えているスライムが何か妙なことになった時、対処出来る人物は必須だった。


(あれ? そうなると、もしかして俺は暫くここに泊まりになるのか?)


 レイはその事実に気が付く。

 燃えているスライムがどうにかなるまでは、自分がここにいなければならないのか、と。

 ギルムには他にも異名持ちの冒険者がおり、そのような者達であればあのスライムを倒すことが出来る者もいるだろう。

 それこそ、エレーナやマリーナもスライムと戦って勝てる人材なのは間違いない。……ヴィヘラだけは、相性の問題で難しいだろうが。


(浸魔掌を使えば倒せるかもしれないけど、スライムが大きすぎるしな)


 ともあれ、あのスライムを倒せる、もしくは戦える者はいるのだが、そのスライムが燃えてるとなると話は変わってくる。

 それでもどうにか出来る者はいるかもしれないが、やはり燃やしてしまったレイがやるべき……という風に言われるだろう。

 レイとしても適当な誰かに任せた結果、生誕の塔やリザードマン達に被害が出るのは、後味が悪い。

 そうである以上、ここは自分が残ってどうにかするべきだと、そう判断する。


「あー……マリーナ、悪いけど俺は今日から暫くここで生活しないといけないらしい」


 ヴィヘラとビューネがマリーナの乗ってきた馬車でギルムに向かったのを見送ると、少し離れた場所でエレーナと話していたマリーナにそう告げる。


「え? ……ああ、なるほど。そう言えばそうよね。あのスライムの件を考えると、レイはここに残る必要がある、か。……それはちょっと残念ね」


 そんなレイとマリーナの会話が聞こえた者の何人かが驚きの表情を浮かべる。

 現在レイがマリーナの家に住んでいるということを、知らなかった者達だろう。

 ゾゾやガガの一件でレイがマリーナの家に泊まっているのは、隠している訳ではないが、別に公言している訳でもない。

 だからこそ知っている者は知っているが、知らない者は知らないのだ。

 ましてや、マリーナ程の美女の家で寝泊まりしていると聞けば、そこには当然のように艶めいたものを感じてしまう。

 そんな嫉妬とも尊敬とも憧れともつかない視線を向けられているレイは、その視線にも気が付かず、マリーナと会話を続ける。


「まさか、あの燃えてるのをそのままにもしておけないしな。……正直、ここまで面倒なことになるとは思ってなかったけど」


 面倒そうな視線を向けるも、そのような視線でスライムを燃やしている炎が消える訳でない。

 こうしている今もスライムは燃え続けているのだが、それでも未だに燃えつきる様子はなかった。

 厄介な……それこそ、非常に厄介な相手だと言ってもいいだろう。


「ふふふ、でもあの炎から脱出することは出来ないんでしょ?」

「そうだな」

「なら、私の精霊で見張っておいて、何かあったら知らせる……いえ、それも駄目ね。ギルムからここまで来るのに、どうしても時間が掛かるし」


 セトに乗っていればすぐではあるが、そうなると生誕の塔が転移してきた時のように、ギルムの結界を突き破る必要が出てくる。

 だが、そのような真似をすれば毎回結界を張っている者に迷惑を掛けることになってしまうだろう。

 そうならない為には、やはりここで野営をするのが最善であった。

 生誕の塔という建物がある以上、普通に野営をするよりも随分とすごしやすいのは間違いないし、マジックテントを使ってもいい。

 中が普通の部屋になっているマジックテントは、それこそ生誕の塔の中で寝るよりずっと快適に野営をすることが出来る。

 ……マジックテントを使っている時点で、野営と表現するのは間違っているのかもしれないが。


(食料は、今度ギルムにトレントの森の木を持っていった時、いつもよりも多く買ってくればいいだろうし)


 そう考えるレイだったが、実際には今でもレイのミスティリングの中には大量の食料……食材ではなく料理が入っている以上、本来ならそこまで多くの料理を購入する必要はなかった。

 それでも料理を購入しようというのは、純粋にレイの趣味の一面が大きかったのだろう。

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