第2096話

 いつまでも湖を見ている訳にはいかず、レイ達は取りあえずその場から生誕の塔のある方に移動することになった。

 ……未だに湖の側ではレイの魔法によってスライムが燃え続けているのだが、魔法の効果によってその熱が周囲に殆ど影響しないのは、幸運だろう。

 最大の問題としては、スライムを燃やしている炎がいつまで燃え続けているのかということなのだが。

 少なくても、今の状況では全く燃えつきる様子はない。


「あの燃えているスライム、夜になれば明かりとして丁度いいかもしれないな」


 はぁ、と。

 レイの口から出た呟きを聞いた他の者達から、呆れの視線が向けられる。

 スライムが燃えている……燃え続けている光景を作り、そして見て、出て来る言葉がそれなのかと。


「レイ、もっと他に言うべきこと、心配すべきことがあるのではないか?」

「そうか? うーん、特に何かそういうのがあるとも思えないけど」


 エレーナの言葉に、レイはそう返す。

 レイにしてみれば、あれだけの莫大な魔力を込めた魔法だ。

 それこそ、小山やちょっとした丘程度の大きさを持つスライムであっても、その炎から脱出されるという心配は全くしていなかった。

 それなら寧ろ炎を有効利用すればいいのでは? という思いが、レイの中にはあった。

 有効利用といっても、それこそ明かりくらいにしか使えないのだが。

 熱を遮断している一定距離よりも近づけば、普通に炎としても使えないことはないだろうが……


(スライムを燃やしている炎で、肉とかを焼いてみたいとは……思わないしな)


 少なくても、レイはそのようにして調理した料理を食べたいとは、思えなかった。


「レイらしいわね」


 レイとエレーナの会話を聞いていたマリーナが、笑みを浮かべてそう告げる。

 とはいえ、マリーナにとっても炎をどうするかと言われれば、すぐにどうこう出来ないのは事実だ。

 精霊魔法でどうにか出来るかと言われれば、それも難しい。


『あの明かりは、リザードマンにとっては厭わしいものではありません』


 気を遣ったのか、それとも本当にそう思っているのか、ゾゾがそう告げる。

 レイはそんなゾゾに何と言えばいいのか迷い、結局軽く感謝の言葉だけを口にして生誕の塔に向かう。

 生誕の塔の周辺では、冒険者や騎士、そして何よりもリザードマン達が、レイ達を歓迎する。

 それこそ、凱旋と呼ぶべきような……そんな光景。

 だが、それも当然だろう。何しろ、あのような巨大なスライムがいきなり現れたのだから。

 あのスライムがレイやセトを追っていったからよかったものの、もし生誕の塔の方に向かっていれば、リザードマン達も逃げ出すしかなかった。

 持ち出せる限りの卵を持ち、持てない卵はスライムに喰われるのを覚悟の上で。

 ……実際には、レイもまだ気が付いていないが、あのスライムは魔力によって捕食すべき相手を探していた。

 新月の指輪で魔力の大部分を隠しているレイはともかく、セトが持つグリフォンとしての魔力に、スライムは執着したのだ。

 あるいは、セトがただのグリフォンではなく、レイの魔力を大量に使用して生み出されたグリフォンだったことも、スライムにあそこまで執着された理由なのかもしれないが。


「レイ、お前……よくあんな化け物と戦う気になったな」


 冒険者の一人が、心の底から驚いたといった様子で声を掛けてくる。

 そんな感想を抱いているのはその冒険者だけではなく、他の冒険者や騎士も同様だった。

 少し離れた場所では、こちらもスライムと曲がりなりにも戦ったガガが他のリザードマン達に感嘆の声を向けられていたが、本人はスライムとの戦いで自分があまり役に立ったとも思えず、微妙な表情を浮かべるだけだ。


「マリーナに調べて貰ったけど、あのスライムみたいに巨大なモンスターは、湖の中には他にいないらしい。……ただ、それはあくまでもあのスライムのような巨大な存在ってだけで、それ以外のモンスターとかはいる可能性が十分にあるけど」


 レイの言葉に、冒険者達は驚きつつも納得の表情を浮かべる。

 これだけの大きさの湖なのだからモンスターくらいは当然いると思って納得したのか、それともあのスライムと同じような大きさのモンスターが他にいないと聞いて当然だろうと納得したのか。

 その辺りはレイにも分からなかったが、ともあれ湖が近くにあるというには、いいこともあるが悪いことも多くなる。

 例えば、生きる上で必須の水の補給が容易に出来るようにはなるだろうが、この湖を水場として使う野生の動物やモンスターといった存在は、生誕の塔にいるリザードマン達に襲いかかる可能性は十分にあるといったように。

 ガガのように際立った強者がいるし、ゾゾもリザードマンの中では相応の強さを持つ。

 それ以外のリザードマンも、基本的には軍人がこの世界に転移してきたのだから、相応の強さを持つ。

 それでもガガは夜はギルムにあるマリーナの家に戻るし、何よりもここは辺境だ。

 どこからともなく高ランクモンスターが現れないとも限らないのだ。


(あれ? リザードマンにしてみれば、この湖ってメリットよりもデメリットの方が多くないか?)


 勿論水場が近いというのは、非常に大きなメリットだし、魚の類を獲って食料にすることが出来るのもメリットだが、享受出来るメリットに対してデメリットの方が多いようにレイには感じられた。

 戦いを好むガガにしてみれば、高ランクモンスターとの戦いというのは嬉しいかもしれないが。

 とはいえ、リザードマン達にとって生誕の塔は子供達や卵を守るべき場所であり、同時に現在は自分達の世界に繋がる唯一の場所でもある。

 そのような場所から離れろと言っても、多くのリザードマンはそれを拒否するだろう。

 レイに強い忠誠心を抱いているゾゾであっても、それを許容出来るかどうか難しいというのはレイにも容易に予想出来た。

 そうなると、やはりこの湖と共存していくしかないのだ。


「まぁ、この湖をどうするのかは俺が考えてどうにかなる問題じゃないし、ダスカー様に任せるしかないか」

「そうね。ダスカーに任せておけば、取りあえず問題はないでしょ」

「二人とも……幾ら何でも、ダスカー殿に丸投げしすぎではないか? ただでさえギルムの増築があるのだから、これ以上仕事を押しつけるのはダスカー殿の健康面にも問題が出てきかねん」


 レイとマリーナの会話を聞いていたエレーナがそう告げるが、実際問題ダスカーに任せるしかないのは事実であり……


「あ」


 ふと、レイが声を上げる。

 それを聞いたエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、アーラといったレイと付き合いの深い者達は、微妙な表情を浮かべる。

 こういう時にレイがこのような声を上げる時は、大抵が自分達では思いもよらないことを口にする為だ。

 とはいえ、それを聞かないという選択肢もない。

 マリーナは若干躊躇いながらも、レイに声を掛ける。


「どうしたの?」

「あー……いや。ゾゾ達リザードマンの件で、国王派の貴族が動き出してるってのを忘れてた。元々グラン・ドラゴニア帝国の国民が転移してきたんだから、それこそ国王が率いる国王派に任せれば、ダスカー様も楽になるんじゃないかと思って」

「国王派、ね。……それが何でレイに接触してきたの?」

「さぁ? 取りあえず俺は高級店で料理を奢って貰ったから、印象は悪くないけど」


 おい、と。

 そう突っ込みたくなったのは、マリーナだけではない。


「あのね、レイ。そのうち料理で騙されるわよ。……まぁ、いいわ。それにしても、よく国王派の貴族を信用したわね。あれだけ迷惑を掛けられたのに」

「そう言ってもな。……ああ、そう言えば俺に接触してきた相手は国王派の者だけど貴族じゃなかったな。ただ、後ろに王族がいるとかなんとか言ってたけど」


 王族。

 その言葉に、レイ以外の者……それこそ、聞くとはなしに話を聞いていた近くの冒険者までもが動きを止める。

 ミレアーナ王国において、王族というのはそれだけの影響力を持つ存在なのだ。

 それこそ、国王派と敵対とまではいかないが、対立している貴族派に属するエレーナやアーラ、ギルムに住み、ダスカーとの関係から分類的には中立派となるマリーナ、隣国の元皇女たるヴィヘラといった面々の動きを止めるくらいには。

 唯一ビューネのみは特に王族ということに興味はないのか、セトやイエロと遊んでいたが。


「それは事実なの?」

「ああ。少なくても本人がそう言っていたのは間違いない。ダスカー様のところにも、恐らく話は通ってると思うし」

「……正直、微妙なところね。王族が出て来たとなると、国王派も動くわ。それも今までちょっかいを出してきたような有象無象じゃなくて、本物の国王派。主流と言ってもいい国王派がね」

「そういうものなのか? 取りあえずその国王派が動いてダスカー様の負担が軽くなるんなら、それでいいと思うけど」

「あのねぇ、そういう訳にはいかないわよ。今まではダスカーが一人で処理して大変だったけど、同時に得られる利益も独り占め……とまではいかないかもしれないけど、大半を得ることができたわ。けど、国王派が……それも王族が出て来るとなると、そう簡単にはいかないわ」


 マリーナの説明に、他の面々も同意するように頷く。

 レイも別にその辺りのことを考えなかった訳ではない。

 だがしかし、今のままの仕事量でダスカーが頑張り続けた場合、それは間違いなくダスカーの健康に関わってくる。

 あるいは、緑人とリザードマンの件だけであれば、どうにかなったかもしれないが……このような湖まで転移してきたとなると、完全にダスカーの許容範囲を超えるだろう。


「その辺も、ダスカー様なら何とかしてくれると思うけどな」

「レイって、妙にダスカーのことを信頼してるのよね。何でかしら?」

「今まで色々と世話になってきたしな」


 実際にはレイもまたダスカーからの依頼で、色々と動いている。

 それこそ現在行われているギルムの増築工事に関しても、レイがいなければここまでスムーズに行われなかったのは間違いない。

 そう考えると、どっちもどっちといったところなのだが。


「ふーん。……まぁ、レイがそう言うのならいいけど。それよりも、今はこの湖をどうするのかを考えないといけないわね。今はともかく、時間が経てばレイの炎を見た人達が絶対に様子を見に来るわよ?」

「そうだな。どうにかして、人が来るのを規制出来ないか?」


 マリーナの指摘に、レイが視線を向けて尋ねたのは騎士。

 ダスカーの部下という一面があり、ギルムが抱える戦力の中でも大きな影響力を持っているからこそ、この湖に人が近寄らないように出来ないかと期待をしたのだが……


「無理だな」


 騎士は少しも考えるようなことがないままに、そう告げる。


「いや、少しは考えてもいんじゃないか?」

「考えるまでもなく、無理なんだよ。これだけ広い場所だぞ? それこそ、その気になれば、どこからでもここに入ることは可能だ。であれば、それを完全に防ぐような真似は出来ない。……それこそ、レイが冬にコボルトが入らなくしたように、土の魔法を使って湖とトレントの森に入れないようにしてしまえばいんじゃないか?」


 何気ない騎士の言葉ではあったが、それは決して出来ないことではない。

 また、地形操作で壁を作れば、ゴブリンのような小さなモンスターも入ってこられなくなるということを意味している。

 ……同時に鹿や猪といった動物の類も土壁を突破出来なくなる以上、リザードマン達がトレントの森で獲ることが出来る獲物も大幅に減るということになるが。

 もっとも、鳥の類は土壁関係なくやって来ることが出来るし、何よりも湖が出来た以上、魚を獲るという手段もあるし、基本的に食料の類がギルムから運んでいるので、致命的に飢えることはないだろう。


「うーん……やろうと思えば出来るだろうけど……時間がな」


 トレントの森と湖……どちらも、相当に広い。

 そして入ってこられないようにするとなると、可能なら離れた場所からも湖やトレントの森が見えないくらいの距離に土壁を作る必要がある。

 そうなると、かなりの広範囲に土壁を作る必要があり、そしてレイの地形操作はレベル四で、効果があるのは自分と中心にして半径七十mだけだ。

 今のレイの実力でトレントの森や湖を覆うような土壁を作るとなると、とてもではないが時間が足りない。

 ダスカー程ではないにしろ、現在のレイもかなり忙しいのは間違いない。

 そうである以上、そのようなことをしている暇はないというのが、正直なところだった。

 地形操作を使って壁でこの周辺を覆うとなると、それこそどれくらいの時間が掛かるか分からない。

 増築工事やそれ以外にも様々な仕事をしながらとなると、それこそ本気で年単位の時間が掛かってもおかしくはないだろう。

 そう告げると、騎士も納得の表情を浮かべるのだった。

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