第2065話

 建物の中から出て来たレイとイエロが見たのは、セトと……二台の馬車だった。

 その馬車から降りているのは、レイにも見覚えのある面々。

 エレーナとマリーナ、アーラ、ゾゾ、そして騎士達。

 ガガがいないのは、何が起こっているのか分からない場所に、グラン・ドラゴニア帝国の第三皇子をやる訳にはいかないと判断したからだろう。

 レイが知っているガガの性格からすると、こういう場合は絶対に自分も行きたいと、そう主張してもおかしくはなかったのだが。


「誰かと思ったら……エレーナ達も来たのか」

「うむ。今夜の件は今までとは明らかに違うからな」


 レイの言葉に、エレーナは城の残骸――という表現は些かオーバーだったが――を見ながら呟く。

 目の前に存在する建物は、明らかに普通とは呼べない。

 今まではリザードマンと緑人が転移してくることは多かったが、今回は建物が転移してきたのだ。

 とてもではないが、普通の様子ではなかった。

 ……もっとも、セトがあれだけの鳴き声を上げていたのを思えば、これくらいのことが起こっていても不思議ではなかったのだが。


「そうね。正直、まさか建物が転移してくるとは思わなかったわ」


 マリーナは、建物を見て……そして次にゾゾを見る。

 ゾゾは呆然とした様子で、それこそ周囲で話している声も全く聞こえた様子がないままに、建物を眺めている。

 昼ではなく、夜。

 太陽ではなく、月明かりに照らされている建物ではあったが、それでもゾゾはじっとその建物を眺めていた。

 そのゾゾの様子を見れば、この建物がゾゾのいた世界からやって来た……それこそ、グラン・ドラゴニア帝国の城の一部ではないかと思うのは、当然だろう。

 もっとも、今までの転移は緑人達がいた森から転移してきたのに対し、今度はグラン・ドラゴニア帝国の城の転移だ。

 その上、今まではトレントの森にリザードマンや緑人達が転移してきても、それはあくまでも生き物だけで、周囲の植物といった類は転移していない。

 にも関わらず、今回に限っては城の一部分とはいえ、建物がそのまま転移してきたのだ。

 転移という現象そのものは同じでも、意味は大きく違う。


「ゾゾ、この建物はお前達の国の城の一部……と、そう俺は思ってるんだが、間違いないか?」


 じっと建物を見ていたゾゾは、そんなレイの声でようやく我に返ったのだろう。

 少し迷いながらも、頷いて口を開く。


『はい、これはグラン・ドラゴニア帝国の首都にある城の一部で間違いありません。それも、生誕の塔です』

「生誕の塔?」

『私達は、卵から生まれてきます。この生誕の塔は、城に関係する者の卵を安置し、孵化するのを待つ場所であり、同時に生まれてきた子供達に教育を施す場でもあります』

「あー……なるほど。やっぱりそういう場所か。この建物の中を見回っていたら、卵と子供とその世話役と思われる女がいる部屋があってな」

『そう、ですか。その……問題はありませんでしたか?』

「特に問題はないな。少し怯えられたが、イエロを見た瞬間に跪かれたくらいだ」

『それは……そう、でしょうね』


 ゾゾも、跪いた者の気持ちは素直に理解出来た。

 そして、同時にリザードマンがレイに攻撃的な真似をしなかったことに安堵しながら、セトと遊んでいるイエロに対して心の底から感謝する。


「ただ、俺が見つけたのは一部屋だけだ。他の場所については、まだ見て回っていない」

『そうですか。では、不安を抱いている者達を安心させる為にも、私が見て回りたいのですが、構わないでしょうか?』

「ああ、そうしてくれ」


 正直なところ、レイとしては出来ればこの建物……生誕の塔といったものについて色々と聞きたいというのが正直なところだ。

 だが、先程自分が見たようなリザードマンの女達が他にもいるのであれば、それを安心させる方が優先されるだろう。

 ましてや、この場でそれが出来るのはゾゾしかいない。

 なら、詳しい話を聞くのは後にした方がいいという判断からの言葉だ。

 レイの言葉にゾゾは優雅に一礼すると、建物の中に入っていく。 


「これでよかったの?」

「まぁ、子守をしているリザードマンの女達が不安を感じてるのなら、それを解消した方が、後々楽だろ」


 マリーナの言葉にそう返すと、それを聞いたマリーナも納得したように頷く。


「そうね。それがいいと思うわ。……レイにしては、少し意外な答えだったけど」

「マリーナが普段俺をどういう目で見ているのかというのは、十分に分かった。この件については、後でゆっくりと話した方がいいのかもしれないな」


 そんなレイの言葉に、マリーナはそっと視線を逸らす。

 痴話喧嘩とも取れるやり取りに、少し離れた場所でそれを見ていた騎士達は微妙な表情となる。

 眠っているところを起こされ、真夜中にこうしてトレントの森までやって来て、目にしたのが痴話喧嘩。

 勿論、見たことのない建物がトレントの森に隣接するように存在しているのに驚きはしたが……寧ろ、そのような状況で何故痴話喧嘩をしているのかとレイを問い詰めたくなる。

 それも、マリーナのような強い女の艶を感じさせるような美女と。

 一体何の為に自分達はここに来たのかと、そう思ってしまっても仕方がない。


「エレーナ様、この建物が転移してきたということは、いずれこの建物と繋がっている場所が転移してくる可能性もあると思いますか?」


 そんな一行の様子は関係ないかのように――エレーナは若干マリーナを羨ましそうに見ていたが――アーラとエレーナは目の前の建物を眺めていた。


「うむ。今までは生きている存在だけが転移してきたのに、今回は城の一部が転移してきた。それを考えれば、建物が転移してくるのが今回だけとは限らないだろう。……いや、寧ろこれが最初で、これからはもっと多くの建物が転移してくる可能性もある」

「それは……出来れば考えたくないですね」


 今回はトレントの森に隣接した場所に建物が転移してきたので、特に大きな問題はなかった。

 だが、もしこの建物と続いている城が転移してきたら……ましてや、城だけではなく帝都そのものが転移してきたらどうなるのか、それは考えるのも恐ろしい。

 トレントの森が消滅するかもしれないというのも、ギルムにとっては大きなダメージだろう。

 とはいえ、それはあくまでもギルムにとっての被害だ。

 エレーナやアーラもギルムに愛着がない訳でもないが、それでも貴族派の者である以上は、そちらの心配もしなければならない。

 自国内に別の国の首都がやって来るかもしれないというのは、非常に大きい出来事だ。

 

「うむ。この件は至急父上に知らせる必要があるな。もし転移してこなくても、この件については知らせておいた方がいいだろうし」

「同感です。貴族派として動くにしても、色々と準備はあるでしょうし」


 現在、貴族派は中立派と友好関係にある。

 ただし、その友好関係はあくまでも上の方だけのものでしかない。

 実際、貴族派の中でも下の方の者達は、中立派と組むのが許せないと判断して増築工事の妨害をしたこともあったのだから。

 もっとも、そのお陰でエレーナはレイのいるギルムに来ることが出来たので、ある意味ではその一件に感謝しているのだが。

 だからといって、その一件を起こした相手の裁きに手心を加えて欲しいとは、思わない。

 そんな風に会話をしていると、マリーナとの痴話喧嘩が終わったのか、レイとマリーナの二人が近づいてくる。


「まさか、マリーナだけじゃなくてエレーナも来るとは思わなかったな。てっきり、ヴィヘラが来るとは思ってたんだけど」

「ヴィヘラは、ビューネの面倒も見る必要がある。……セトの様子を考えれば、来たいという思いはあったかもしれないが」

「あー、なるほど」


 レイはエレーナの言葉に納得する。

 戦いを好むヴィヘラではあるが、それと同時にビューネの保護者でもある。

 基本的に他人と意思疎通が難しいビューネだけに、ヴィヘラの翻訳といってもいい作業は必須だ。

 そういう意味で、ヴィヘラは今回マリーナの家に残ったのだろうと、レイも納得する。


「もっとも、ヴィヘラが来ても結局退屈してたでしょうから、その行動は正解だったと思うけどね」


 マリーナの言葉に、レイ、エレーナ、アーラの三人は納得の表情を浮かべる。

 実際に建物が転移してきたというのは大事ではあったが、その建物の中にいるのはリザードマンの子供や卵、そして世話係だけだ。

 そういう意味では、ヴィヘラの勘は鋭かったということなのだろう。


「そうだな。ヴィヘラが来ても、建物が転移してきたことに驚きはしても、結局最終的には退屈になっただろうし」


 数秒前のマリーナの台詞を肯定するようなレイの言葉に、皆が納得し……ちょうどそのタイミングで、建物の中からゾゾが姿を現す。

 ただし、姿を現したのはゾゾだけではない。

 そのゾゾの後ろには、数匹の大人のリザードマンの女がおり、更には他にも何匹かのリザードマンの子供の姿がある。

 そしてリザードマンの子供達は興味津々といった様子で周囲の様子を見ている者もいれば、眠そうに目をこすっている者もいた。


「これは、また……やっぱり俺が見つけた一部屋だけじゃなかったんだな」


 この生誕の塔と呼ばれている建物は、それなりの広さと高さがあった。

 それを思えば、レイが見つけた一ヶ所だけではないと、そう思ってはいたのだろうが……だが、そんなレイの予想を超えた人数が、どうやら建物の中にいたらしい。


「そうなの? それにしても……小さいと可愛いわね」


 レイの言葉にそう言いながら、マリーナはリザードマンの子供達を見る。

 基本的に、どのような生き物であっても子供の頃は可愛いものが多い。

 そういう意味では、リザードマンもまた変わらないのだろう。


「ふむ。マリーナの言う通り、こうして見るとリザードマンの子供も可愛いものだ」


 エレーナもまた、マリーナの言葉に同意するように頷き、その隣ではアーラもまたリザードマンの子供達を見ていた。

 騎士達も、建物から出て来たゾゾに視線を向けている。


「ゾゾ、一緒に来たのが、建物の中に残っていた全員か?」

『いえ、違います。卵の様子を見る必要があって、どうしても来たくないという者もいたので』


 卵の世話と聞かされたレイは、日本にいた父親が飼っている鶏の卵を孵化させる機械が転卵――文字通り卵を転がす――する装置があるというのを思い出し、もしかしてそれか? とも思う。

 だが、リザードマンの卵で転卵が必要なのかどうかというのは、レイにも分からない。

 そもそも、同じ卵であってもよりリザードマンに近いだろう亀、特にレイが知ってる限りだと海亀は砂浜にやってきて穴を掘り、そこに卵を産むと上から砂で埋める。

 そのようなことをすれば、当然のように転卵といった作業が出来る筈もないので、その辺の事情を考えるとリザードマンの卵に転卵が必要なのかどうかは疑問だった。

 そうなると、リザードマンの女が残った卵の世話というのは、一体何をするのか。

 若干……いや、かなり興味深いと思ったレイだったが、今はそんなことよりも建物の件をどうにかする方が先だ。


「そうか。それならそれで構わない。ただ、問題は……そいつらはどうするんだ? ギルムに連れていくのか?」


 尋ねながらも、それは難しいだろうという思いがレイにはある。

 それは、受け入れる側の問題でもあり、同時に受け入れて貰う側の問題でもあった。

 ダスカーとしては、大量にいたガガの部下を受け入れたという時点で、現状はかなり一杯一杯だ。

 そこに好奇心旺盛で、それこそ場合によっては好き勝手に動き回ったりする子供達が領主の館の中にいるというのは双方にとって危険だろう。


『いえ、卵や子供達の世話を考えると、このままここに残した方がいいかと。生誕の塔は、リザードマンにとって住み心地のいい環境ですし』

「とはいっても、ここはグラン・ドラゴニア帝国のじゃなくてトレントの森だぞ? それでも住み心地がいいのか? 環境とかは随分違うと思うが」


 尋ねるレイだったが、実際には環境云々というのもそうだが、それ以上に見知らぬ場所であるギルムに行くのを怖がっている者もいるのだろうというのは、すぐに予想出来た。


『やはり、慣れている場所がいいとのことで』

「……それは分かったけど、ここは辺境にあるトレントの森だ。夜になれば、どんなモンスターがいるか分からないぞ? ギルムに来れば、街中だから安心なんだが……」

『私もそう言ったのですが、卵を放っておく訳にもいかないと言われると……』


 レイの言葉に、ゾゾはそう告げ……結局、今夜は騎士達が建物を守るということになるのだった。

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