第2066話

 グラン・ドラゴニア帝国の帝都にある城の一部が転移してきたという報告は、すぐに馬に乗った騎士の一人がギルムまで届けた。

 本来なら、夜になったら正門は開けないというのが大前提なのだが、今回に限ってはそれどころではないということで、ダスカーが特別に許可を出しており、騎士は特に待つこともなくギルムの中に入る。

 正門の担当をしている警備兵達は、一体何があったのかといったことを話していたのだが、まさか異世界の城の一部が転移してきた……などということに、思い当たる筈もない。


「本当に、何があったんだろうな?」

「さぁ? ただ、さっき大量に出て行って、すぐに戻ってきたんだから、向かったのはそう遠い場所じゃないんだろうけど」

「気になるけど、妙なことに首を突っ込むと、色々と不味いこといなりそうだしな」

「だろうな。迂闊なことに首を突っ込むようなことはしない方がいいだろ」


 警備兵達は、そんな風に言葉を交わす。

 そんな中、馬に乗った騎士は真夜中の街中を走り、領主の館に向かう。

 こちらも当然のように門番がいたのだが、やってくる騎士に見覚えがあったことや、何より今回の一件で報告を持ってきた者がいたら、すぐにでも通すようにと言われていたこともあり、軽く本人確認をした後で、扉を開く。

 騎士は、そんな門番達に感謝の言葉を述べると、そのままダスカーに報告するべく乗ってきた馬を預け、領主の館の中に入っていく。


「ダスカー様、グレーズです。トレントの森の件の報告を持ってきました」

「おう、来たか。一体何があった? もしかして、またリザードマンや緑人達が転移してきたというんじゃないだろうな?」

「リザードマンはやって来てましたが……その、城の一部が転移していました」

「……は?」


 ダスカーは、一瞬グレーズが何を言っているのか分からなかった。

 もしかして魔法やマジックアイテムか何かで幻影でも見せられたのか、もしくは精神的に操られているのかとすら思ってしまう。

 だが、グレーズの様子を見る限りでは、とてもではないが騙されたり、洗脳されているようには思えない。


「もう一度聞く。何があったって?」

「はい。城の一部が転移しています。レイがゾゾから聞き出したことによると、生誕の塔と呼ばれる……卵の孵化や、そこで生まれた子供達を教育するような場所らしいです」

「レイとゾゾがそう言ってるということは、幻影でも何でもなくそこに存在しているということだな」

「は? あ、えっと、その勿論です」


 まさか自分の報告が疑われているとは思っていなかったグレーズは、若干動揺した様子を見せながらも、そう頷きを返す。


「この報告は嘘でも何でもなく、実際に城の一部が転移してきたのです。私は直接この手で壁に触ってみたので、幻影の類でもありません」

「そうか、いや、だが……そうなると、何故城が? という疑問があるのだがな」


 今までは緑人達の住んでいた森から転移してきたのに、グラン・ドラゴニア帝国の帝都にある城が何故? と、そう疑問に思ってしまうのは当然だろう。

 明らかに、今までの転移とは違う。

 もっとも今までの転移と違うという意味では、それこそギルムにいるセトが異変を感じられるという時点で、今までと違うのだが。


「取りあえず、生誕の塔と呼ばれる城が転移してきたのは理解した。だが……そうなると厄介だな」


 今回は城の一部だけだったが、次の転移は、もしかしたら城そのものが転移してくるかもしれない。

 だとすれば、それは色々と不味いことになる。


「ダスカー様、それとこちらは報告が遅れましたが、今回転移してきたのはトレントの森の中にではなく、トレントの森の外側、ちょうど隣接する場所に転移してきました」


 その報告は、一応ダスカーにとっては悪いものではなかった。

 少なくても、トレントの森が無闇に潰されるようなことはなかったのだから。

 もっとも、それはあくまでも今のところはという言葉がつくのだが。

 ダスカーが心配したとおり、生誕の塔と隣接している部分がトレントの森に転移してくるようなことになれば、間違いなく大きな騒動となる。

 何よりもトレントの森の木の伐採が出来なくなるという可能性の方が痛かった。


「そうか。それは取りあえず安心だな」


 だからこそ、ダスカーの口から出た言葉は、若干憂鬱そうな色があったのだろう。

 それでも、ギルムの領主の自分がいつまでもこんな様子では周囲も不安に思うと判断し、改めて口を開く。


「それで、生誕の塔はともかくとして、やって来たリザードマンの数はどれくらいになる?」

「正確には分かりませんが、塔の外に出て来たのを見た限りでも、二十匹は超えてたかと」

「数え方は、取りあえず匹じゃなくて人にしろ。モンスターではあるが、こちらと友好的な存在である以上、向こうの機嫌を悪くする必要はない」

「は、はぁ、分かりました」


 ゾゾやガガの様子を見る限り、その辺は特に気にしないのでは? とグレーズは思ったのだが、主君たるダスカーがそう言うのであれば、と納得する。


「それで、二十人くらいか?」

「いえ、あくまでも外に出て来た数がそれで、レイがゾゾから聞いた話によると、怖がって外に出てこない子供達もいたそうです。それに、卵の数も結構な量があるので、長期間生誕の塔があそこにあるとなると……」

「不味い、な。モンスターの件が特に」


 ギルムの中ではなく、外。

 その上、生誕の塔にいるのは女子供と卵。

 とてもではないが、辺境に出没するモンスターを相手にどうにか出来るとは思えない。


「はい。取りあえず今日は騎士達が守るということになりましたが、それでも毎日という訳には……」


 出来ません。

 そう告げるグレーズの言葉は、ダスカーにも十分理解出来る。

 かといって、冒険者に頼むにも夜にギルムの外に出るというのは、余程のことでもない限り行うことはない。

 冒険者の中には好んで危険な場所に向かう物好きがいるので、そのような者達であれば、話は別だったが。

 とはいえ、そのような者達でも毎日同じ場所で警護をしろと言われても困るだろう。


(どうする? 騎士を毎日やる訳にも……いや、リザードマンを守るのなら、やはりリザードマンが一番か?)


 どうするべきか考えたダスカーが思い浮かんだのは、この屋敷の中に大量にいるリザードマン達。

 守られるのがリザードマンである以上、当然のように守るのもリザードマンの方がいいだろう。

 何より、リザードマン達も自分の一族は自分達で守ろうと考えてもおかしくはなかった。


「リザードマン達に守って貰う、というのはどうだ? 出来れば、生誕の塔という場所で寝泊まりして欲しいところだが……その辺は難しいか?」

「それは……どうでしょう。ただ、リザードマンの中にも周囲にリザードマン以外の者がいると落ち着かないという者もいるでしょうし、そういう意味ではちょうどいいかもしれませんね」

「ああ。ただ、問題は……ゾゾがいないと意思疎通出来ないということか」


 もし生誕の塔でリザードマン達が暮らすようになっても、当然のように食料を始めとした生活をする上で必要な物資の類はダスカーが提供する必要がある。

 そのような物資を生誕の塔まで持っていくことや、どのような物資が欲しいのかを聞くとなると、当然のように意思疎通は必須だ。

 少なくても、レイがやってるような身振り手振りで……というのは、難しいだろう。

 そういう意味でも、ゾゾのように自分達と意思疎通出来る相手が必須なのだが、ゾゾの性格から考えると、絶対にレイから離れるような真似はしないと思えた。

 そうなると、結局は意思疎通の問題が出て来てしまう。

 一応、以前から言葉や文字の勉強をしているリザードマンの中には、ある程度覚えてきている者もいるのだが……まだまだ、拙い。

 それでもある程度、本当にある程度は意思疎通の出来る者がいる以上、ゾゾの代わりにしようと思えば出来るのだ。


「文字と言葉を習っている中で、一番優秀な奴を使えば、ある程度はどうにかなるか?」


 ダスカーは、生誕の塔でリザードマンが暮らせるように悩むのだった。






 ダスカーが悩んでいる頃、レイ達は生誕の塔の前でそれぞれが寛いでいた。

 もう夜中で、それも眠っているところを起こされた以上、眠くなってもおかしくはない。

 だが、生誕の塔が転移してきたという驚きや、何よりもそこから出て来たリザードマンの子供達が愛らしいということもあって、眠気を覚える者は殆どおらず、リザードマンの子供達に構う。

 レイもまた、ミスティリングの中から干した果実を取り出してリザードマンの子供達の気を引いていた。

 ……こういう時、時間が止まっているレイのミスティリングというのは非常に有利だ。

 本来なら食べられない季節外れの食べ物でも、最も美味い旬の味のままで収納されているのだから。

 そんなレイの餌付けとも取れる行為だったが、リザードマンの子供達には概ね好評だった。

 今まで食べたこともいない食べ物を味わうことが出来たのだから、当然だろう。

 また、生誕の塔の外に出るのもこれが初めてだというのも大きい。

 世話役のリザードマンの女は、グラン・ドラゴニア帝国の帝都にいた自分達が何故かこんな森の中にいるということで戸惑っている様子を見せていたが、それでも事情を知っているゾゾが来たことによってその不安は幾らか解消されている。


「うーん、リザードマンもガガみたいな大きさだとかなりの迫力だけど、子供だとやっぱり可愛いな」

「それは否定出来ない事実ね」


 レイの言葉にマリーナが頷き、水の精霊魔法を使って空中で犬や猫の形を作った水を動き回らせる。

 月明かりの下で空中を移動する水の動物達は、リザードマンの子供達の興味を引き付けてやまない。

 また、何気にまだ肌寒い春の夜ではあるが、精霊魔法によってその寒さを軽減してリザードマンにとってもすごしやすい環境を一時的に作っていた。

 これは、ギルムにあるマリーナの家の中庭と同じような環境でもある。

 この環境のおかげで、リザードマンの子供達も問題なく動き回れていた。

 リザードマンが、そのことについてどこまで理解しているのかは、レイにも分からなかったが。


「ちなみに、精霊魔法で現在の状況がどうなっているのか……何で生誕の塔が転移してきたのかっては、分からないのか?」


 尋ねるレイの言葉に、近くで話を聞いていたエレーナやアーラ、何人かの騎士達も、もしかして精霊魔法でそのようなことが分かるのか? といった期待の視線をマリーナに向ける。

 だが、そんなレイの問いに、マリーナは呆れの視線を向けるだけだ。


「あのねぇ、精霊魔法で何でも出来ると思ってない?」


 そう言うマリーナだったが、レイから見た場合は本当に何でも出来るように思えてしまう。

 それ程に、マリーナの精霊魔法は万能なように思えたのだから。


「マリーナのやってることを考えると、普通にそれが出来そうなんだけどな」

「精霊魔法で出来るのは、あくまでも精霊魔法の範囲内よ。それ以上のことは出来ないわ」

「その範囲内ってのが、かなり広いんだと思うんだけどな。……まぁ、取りあえずリザードマンの子供が寒そうにしてなくてよかったよ」


 マリーナに言葉を返しながら、ふとレイはリザードマンも寒さに弱いのか? と考える。

 もっとも、レイが知っている限りでは雪の中で活動するリザードマンというのもいるのだから、それを考えればリザードマンをトカゲと一緒にするのはどうかと思わないでもなかたったが。


「ともあれ、だ。今夜はそろそろ寝た方がよくないか? 明日は絶対に忙しくなるだろうし」

「……だろうな」


 レイの言葉に、ここの防衛の為に残る騎士が心の底から同意する。

 トレントの森の横に、いきなりこのような生誕の塔のような建造物が現れたのだ。

 それで、騒ぎにならない方がどうかしている。

 不幸中の幸いなのは、生誕の塔が現れたのがトレントの森の隣であり、塔という名前がついていても実際にはそこまで大きな建物ではないということか。

 そしてトレントの森があるのは街道からそれなりに離れている場所である以上、街道を進んでいる者には生誕の塔は分からないということだ。

 もっとも、トレントの森に樵や冒険者がやって来る以上、隠し通すのはまず無理だろうが。


「ゾゾ、そろそろリザードマン達に寝るように言ってくれ。俺達は……どうする?」

「ここで眠ってもよいのではないか? 何かあった時、即座に対応出来るという人材は必要だろうし」

「エレーナ様の言いたいことは分かりますが、エレーナ様には帰って貰いますよ。エレーナ様を野宿させる訳にはいきませんし」


 エレーナの言葉に同意しながらも、アーラはエレーナをギルムに連れて帰ろうとする。

 エレーナもここに残りたい気持ちはあったが、何らかの軍事行動中ならともかく、今の状況を考えるとそれは許容出来ないだろうという思いはあったので、そのまま大人しく馬車に乗って帰るのだった。

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