第2039話

 緑人やリザードマンをダスカーに引き渡した後、レイはすぐにまたトレントの森に向かった。

 既にダスカーに保護されていた緑人やリザードマンの顔を見て、先程領主の館に到着したばかりの者達も安心したようだった。

 とはいえ、緑人の方はともかくとして、ここで問題になったのはリザードマンの方だ。

 本来なら、ゾゾがリザードマン達を率いればいいのかもしれない。

 だが、ゾゾはレイに従っており、領主の館に残ってリザードマンを率いるといった真似はする筈もなかった。

 そうなると残っているのは、ゾゾに倒されたリザードマンのみ。

 とはいえ、そのリザードマンはとてもではないが緑人やギルムの住人に友好的な性格ではない。

 結果として、縛られたリザードマンは武装を解除した状態で地下牢に閉じ込めておくことになった。


「ふーん。まぁ、結果としてはそれでよかったんじゃないか?」


 トレントの森に残っていた冒険者が、レイの説明を聞くとそう返す。

 自分達がいない間にトレントの森で新たに緑人とリザードマンが出てこないかどうかを心配していたレイだったが、幸いにも新たに転移してくることはなかったらしい。

 もっとも、セトでなければ転移の兆候を察することが出来ない以上、もしかしたらトレントの森のどこかに転移してきており、昨日のようにまだ自分達と出会っていないだけという可能性は十分にあるのだが。


「そうか? 正直なところ、あの縛られたリザードマンは、この先色々と面倒を引き起こしそうな気がするんだけどな。……ゾゾに負けても従う様子はなかったし」


 ゾゾは、自分に勝ったレイに従っている。

 であれば、もしかしたらあのリザードマンもゾゾに従うのではないかと、そんな風に思っていたのだが……残念ながら、そのような様子は一切なかった。

 これは、ゾゾだけが持っていた特徴だったのか、それとも自分と同種の存在には負けても構わないのか、はたまたそれ以外の理由なのか。

 その辺りはレイにも分からなかったが、それでもあのリザードマンが厄介な存在なのは間違いのない事実だ。


「ゾゾがあいつを従えることが出来れば、最善だったんだけどな」


 レイの呟きに、近くで周囲の様子を眺めつつ警戒していたゾゾが、視線を向ける。

 それに何でもないと首を横に振ったレイは、改めて現在のギルムの状況を考えた。

 今はまだ何とかなっている。

 だが、それはあくまでも今はの話だ。

 そして、何とかなっている最大の理由としては、やはりレイとセトの存在が上げられるだろう。

 であれば、もしレイがいなくなればどうなるのか。

 勿論、強さだけならギルムにはかなり強い者が揃っている。

 だが、緑人達と友好的に接することが出来たのは、あくまでもレイだからだ。

 ……レイでなければ絶対にロロルノーラ達と友好的な関係を築けなかったのかと言われれば、その答えは否だろう。

 それでも、レイの場合は実際にロロルノーラ達と友好的に接し、リザードマンの中でも上位種か希少種として、恐らくはそれなりに高位の存在であるゾゾを従えたのだ。

 同じようなことを他の者にも出来るかと言われれば、出来るかもしれないという答えが大半だろう。

 だからこそ、レイの代わりはそう簡単に見つからず、このまま緑人やリザードマンが延々と転移し続けるといった場合にはレイがここから離れることは出来ない。


(やっぱり、ギルムだけでこの件をどうにかするのは無理じゃないか? 敵対している国王派はともかく、せっかくエレーナがいるんだから、友好関係にある貴族派に……いや、それが無理でも、せめてダスカー様と同じ中立派の助けを借りるとか)


 そう思いつつ、レイは構ってと身体を擦りつけてきたセトの頭を撫でる。

 そんな光景を間近で見ていた冒険者は、レイの見掛けによらない身体能力に改めて驚く。

 体長三mを超えるセトが身体を擦りつけているのに、レイは全く小揺るぎもしないのだ。

 レイにしてみれば、慣れているからというのが大きい理由なのだが。


「グルルルゥ」

「ほら、分かったから。それよりも、何か妙なことはないか?」

「グルゥ!」


 大丈夫! と、レイの言葉に鳴き声を上げるセト。

 そんな一人と一匹を見ながら、冒険者は感心したように頷く。


「いや、改めて見ると、凄いなお前達」

「そうか? 俺にとってはこれが普通だしな」


 これが普通というレイの言葉は、本心からのものだ。

 だが、だからこそ、それを理解した冒険者は感心と呆れの混ざった視線を向ける。


「それが普通ってのは、その時点で色々とおかしいと思うんだけどな。……まぁ、いい。仕事はしっかりとしてくれてるんだから、こちらとしては文句はないよ」

「そうしてくれると、助かる」


 ギルムではもう少なくなったが、未だにレイのことを外見だけで判断する者はいる。

 ギルム以外……それこそレイのことを知らないような場所に行けば、特にその傾向が顕著だ。

 セトがいればそのような者は少ない――多少はいる――のだが、レイだけになれば必ずそのような視線で見られてしまう。

 だからこそ、目の前の冒険者のようなことを言ってくれる相手は自然と好感を抱く。……レイをレイだと知っているからこそ、このように言ってるというのは分かるのだが。


「おーい、レイ! 切った木が結構増えたから、一度集めてくれ!」


 樵の一人がレイに向かってそう叫ぶと、レイは話していた冒険者に悪いと小さく言って、その場を後にする。


「セトはこの辺で適当に遊んでいてくれ。何かまた転移してくるようなことがあったら、すぐに教えてくれればいいから」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、セトは少しだけ残念そうに喉を鳴らす。

 レイとしてはセトがついてきてもよかったのだが、少しでも……それこそ数秒程度であっても、転移してくるのを察するのは早ければ早い程にいい。

 ほんの数秒が、命に関わることがあるのが、実戦というものなのだから。


「悪いな、セト。あー……今度また焼きうどんを食べさせてやるから」

「グルゥ」


 完全に納得してはいないものの、それでもセトはレイにそう返事をする。

 木を持っていく場所の近くにある屋台で売っている焼きうどんは、それだけセトの好みにあったのだろう。

 麺だけを焼くという一手間で、普通に作るよりも数段上の味になるのだから当然だろうが。


(焼きうどんって、鰹節とか青ノリとかをトッピングしてなかったっけ? 紅ショウガもあったな)


 本来なら、紅ショウガは焼きそばの付け合わせとして有名だろう。

 だが、レイの家で作る焼きうどんでは、紅ショウガが付け合わせとしてついていた。

 とはいえ……と自分についてくるゾゾと共にトレントの森を歩きながら、それらをどうやって用意すればいいのかに悩む。


(鰹節ってのは、鰹を使うんだよな? 日本にいる時にちょっとTVで見た感じだと、鰹を煮て干してたような……取りあえずこれはやってみれば出来そうだな。……かなり鰹を無駄にしそうだけど。あ、でもそれ以前に鰹ってこの世界にあるのか? ……まぁ、鰹がなければ他の魚でも出来る、か?)


 実際には鰹節にはカビを付けたりといったような手間も必要になるのだが、レイはその辺を全く理解していなかった。

 ともあれ、それでも何となくだが作り方を覚えているだけ良い方なのだろう。

 少なくても、青ノリはノリというくらいだから海藻の一種だというくらいしか分からないのだから。


(紅ショウガは、生姜を千切りにして酢に漬ければいいのか? いや、けど紅ショウガってくらいだから酢は赤かったよな。そうなると、何か特殊な酢なのか?)


 そんな風に考えつつ歩いているレイに、ゾゾは不思議そうな視線を向ける。

 レイが何を考えているのか、分からなかったのだろう。

 もっとも、まさかレイが鰹節や青ノリ、紅ショウガについて考えているとは思いも寄らなかっただろうが。


「こっちだ、レイ! 悪いけど、ちょっと手伝ってくれ! 伐採失敗した!」


 レイを呼んでいた樵の言葉に我に返ると、何故自分が急いで呼ばれたのかを理解する。

 伐採して倒れた木が、近くにある他の木に寄り掛かっている状態になっているのだ。

 この状況では、いつ寄り掛かっている木がバランスを崩して倒れるか分からない。

 それを考えれば、安全の為にも早めに木をどうにかして欲しいと思うのは当然だろう。


「失敗したな」


 レイの言葉に、その樵は苦々しげな様子で頷く。

 この樵は、レイによって他の村から連れてこられた樵の一人だ。

 樵としての技量が高いからこそ、こうしてギルムまで出稼ぎにやって来ているのに、このような……言ってみれば伐採に失敗したことに、思うところがあったのだろう。

 とはいえ、樵達にしてみれば自分達が慣れている場所で木を伐採するのではないのだから、まだそこまで完全に慣れていないというのも仕方がない。

 レイが樵達から聞いた話によると、このトレントの森に生えている木は普通の木とはかなり違った特徴を持っているらしいのだから。

 そういう意味では、トレントの森の木であろうとなんだろうと、デスサイズを使ってあっさりと切断してしまう辺り、レイが色々と特殊なのだろう。


「すまない。周囲に問題ないようにこの木を地面に倒してくれ。そうすれば枝とかの処理をこっちでやるから」


 そんな樵の指示に従い、レイは伐採された木をミスティリングに収納し、そこから地面に寝かせる形で取り出す。

 レイにしてみれば、別にミスティリングに収納しなくても、それこそ押すなり蹴るなりして木を地面に倒すといった真似も出来たのだが。

 ただ、周囲に樵や護衛の冒険者達がいるとなると、万が一を考えてそのような真似はしない方がいいだろうと判断したのだ。

 そうして地面に寝かされた木には、すぐ冒険者や樵が取り付き、枝を落としていく。

 レイとゾゾはそんな光景を眺めている。

 別に枝を落とす作業を面倒がって何もしていない訳ではなく、モンスターが襲ってこないか……そして何より、緑人やリザードマン達が転移してこないのかというのを警戒していたのだ。

 樵や冒険者達はある程度枝を落とすのにも慣れている為か、作業そのものはそう時間が掛かることもなく終わる。


「レイ、終わったから木を……どうした? おい、まさか……」


 樵がレイに話し掛けると、最初は素直にそれを聞いていたレイだったが、不意にその視線を森の奥の方に向ける。

 そんなレイの視線を追った樵は、もしかしてと思い、冒険者達はすぐに樵を守るような位置に移動した。


「安心しろ」


 だが、レイの口から出たのはそんな言葉。

 この状況で何を安心しろと?

 樵はそう思ったが、レイの言葉の意味は次の瞬間、判明する。


「ブモオオォォ!」


 雄叫びのような鳴き声を上げながら、不意にトレントの森の奥から一匹の猪が走ってきたのだ。

 レイはそんな猪の姿に、安堵する。

 勿論、猪だからといって侮っていいような相手ではない。

 樵や狩人のように森の中で活動をする者にとって、猪というのは出来れば遭遇したくない相手なのだから。

 ましてや、今回姿を見せた猪は、体高一m以上というかなり大きめの猪だ。

 その上、その猪の口には鋭い牙が生えており、その辺のゴブリンが使っているような錆びた短剣とは比べものにならない鋭さを持っている。

 もし素人がこの猪に遭遇すれば、致命傷を負ってもおかしくはない。

 それだけの危険性を持った猪なのは間違いなかった。


「レイ●●、●●●●」


 レイがミスティリングから槍を……黄昏の槍ではなく、それこそいつ壊れてもおかしくはない使い捨ての槍を取り出そうとした時、そんなレイの前にゾゾが出る。

 何を言っているのかというのは、相変わらず分からない。分からないが、それでもゾゾが鞘から抜いた長剣を構えているのを見れば、何をしたいのかということは容易に想像出来る。


「分かった、任せる」


 ゾゾもレイの言葉は理解出来なかったが、それでもニュアンスで何となく理解したのか、嬉しそうに前に出た。

 そんなゾゾの姿を見た猪は、牙を突き立てんと真っ直ぐに……それこそ、今まで走っていたより速度を上げて走り出す。

 レイも日本にいる時に何度か山の中で猪を見たことはあったが、現在レイに視線の先にいる猪は、レイが見たことのある猪よりも明らかに大きい。

 ましてや、その身体能力もまたレイが知っているよりも上で、もし日本であれば猟師を呼んで山狩りをしてもおかしくないような、そんな存在だ。

 だが、長剣を手にしたゾゾは、全く恐れる様子もなくレイの前に出て……猪に向かって駆け出す。

 ゾゾの走る速度は、明らかに以前よりも増している。

 そうして猪との間合いを詰めたゾゾはすれ違い様に長剣を一閃し……やがて猪はそのままの速度で地面を転がり、木にぶつかって止まるのだった。

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