第2040話
ゾゾが倒した猪は、今日の昼食で食べるということになった。
これだけの人数がいれば、料理の出来る者もそれなりにいる。
……もっとも、しっかりとした調理器具の類がある訳でもないので、レイがミスティリングから取り出した鍋を使って簡単な煮込み料理を作ったり、焚き火で串焼きにして食べたりといったことになったのだが。
マジックアイテムの窯を使えば、もしかしたらそれなりの料理を作れたかもしれない。
だが、昼の休憩は一時間程度しかない以上、そこまで凝った料理が出来る訳もない。
煮込み料理を任された者も、少し早めに仕事を終えて、昼食の準備に取りかかるということになったのだから。
「レイ、解体は終わったぞ。……本当なら川とかに入れておいた方がいいんだけどな」
川に入れておけば、肉を冷やすことが出来、身体に残った血もしっかりと流すことが出来る。
だが、肉の味が落ちるというデメリットもあり、その辺をどうするのかは人ぞれぞれだろう。
今回はトレントの森に川がないということもあり、そのような選択をする必要はなかったが。
「分かった。食材になる部分は俺が預かっておくから、必要ない部分は適当にその辺に埋めでもしてくれ」
レイの言葉に冒険者が頷き、いらない部分……内臓の食べられない部分や、毛皮の一部や蹄、尻尾、頭部……といった物を、穴に埋めていく。
なお、猪の毛皮や牙は欲しがった者が何人かいたので、そのような者達でそれぞれ交渉していた。
(猪の毛皮とか、何に使うんだろうな?)
毛皮と言えば、普通なら服や防具といったものにするだろう。
だが、ゾゾが倒した猪は、あくまでもモンスターではなく普通の動物だ。
かなり巨大ではあったが、動物である以上はモンスターの革を使ったレザーアーマーの類に比べれば、どうしても劣ってしまう。
戦闘で使うのではなく、普段着として使うのか? とも思ったが、それなら普通に布の服でも構わない。
(もしかして、防寒用か? ……まだ、春だけど)
とはいえ、いずれは冬になる以上はどうしても防寒具の類は必要となる。
猪の毛皮で作った防寒具が、具体的にはどのくらい暖かいのかレイには分からなかったが、それでももしかしたらという可能性は十分にあった。
もっとも、レイの場合はドラゴンローブを着ているので、その時点で防寒具の類は必要なくなるのだが。
「ゾゾ、お前が獲った猪だから、昼はしっかりと食べろよ」
自分の近くに控えているゾゾに声を掛けるレイ。
ゾゾはそんなレイの言葉を理解した訳ではなかったのだろうが、それでも褒められたというのは分かったのだろう。深々とレイに向かって一礼する。
そんなやり取りをしていると時間が経過し、やがて昼近くになる。
早めに午前中の仕事を終えていた冒険者は、レイの渡した食材を使って猪の肉をたっぷりと使った煮込み……いや、スープを作っており、周囲には食欲を刺激する香りが漂っていた。
何人かの腹からは空腹を訴えるような音が響き……
「レイ、ちょっと早いが、昼にしようぜ。こうもいい匂いがあると、腹が減って仕方がねえや」
樵の一人が、レイに向かってそう告げる。
どこかの商会の類に務めているのであれば、食事の時間というのもしっかりと決まっているのだろう。
だが、ここにいるのは大半が冒険者と樵だ。……規律がある騎士や兵士もいるが。
もっとも、騎士や兵士も戦場に行けば規則正しい生活などというものは基本的に出来ないのだが。
そういう訳で、猪料理の誘惑に負けたレイや他の者達は、いつもより少し早い昼休憩の時間となる。
とはいえ、既に午前中のノルマと呼べる分の仕事は終わっているのだが。
それでも増築工事をしている現場では、少しでも早く、少しでも多くの建築資材を欲しており、だからこそ出来るだけ仕事を迅速に行って欲しいというのが本音だったが。
樵達もそんなことは分かっていたが、連日の仕事で疲れてもいる。
特に何故かこのトレントの森の範囲だけに、緑人とリザードマンが何度となく転移してくるのだから、精神的な消耗も大きい。
木を伐採しながら、もし何かあったらすぐに行動出来るように注意する。
護衛が付いているのは分かっているのが、それで完全に安心出来るかと言われれば、答えは否だ。
転移してきたのが緑人なら、問題はないと樵も知っている。
大人しいその存在は、リザードマンとの対比からか好印象を受けてすらいる。
だが、リザードマンとなれば話は別だ。
樵の中の何人かは、転移してきたリザードマンに襲われそうになったこともある。
樵として力には自信があるが、それはあくまでも普通に生活する上での力であって、喧嘩程度ならまだしも命懸けの戦いともなれば、リザードマンを相手に生き残る自信はなかった。
ましてや、レイが従えているゾゾという、リザードマンの中では上位種か希少種と思しき存在も見ているからか、余計にそう思ってしまう。
そのようなストレスを抱えながら仕事をしている以上、たまには今回のように少し珍しいことをして、ストレスの解消をする必要もあった。
樵達は本能的にそのことを知っているのだろうし、レイもまたその辺りを予想出来たので、ちょうどゾゾが猪を倒したということもあって、少し豪華な食事を取ることにしたのだ。
「うおっ、美味いなこれ。猪の肉ってこんなに美味かったか? もっと臭みがあると思ってたんだけど」
「それは、レイが提供してくれた香辛料のおかげだな。本来ならお前が言うように、猪の肉ってのは臭みが強いんだ。……俺よりも腕のいい料理人なら、その臭みを旨みに変えるような調理とかも出来るんだろうけど」
料理を作った男が、そう告げる。
何人かは謙遜してそんな風に言ってるのだろうと思ったが、実際にレイの持っていた香辛料によって料理の味が一段上のものになったのは間違いないのだ。
それが分かっているからこそ、料理をした男が何かを言おうとしたが、レイは首を横に振ってその男に何も言わないように態度で示す。
今回はストレス解消の為にと思って調味料を出したが、ここで種明かしをされたら、明日以降も料理を……食材や香辛料を出して欲しいと言われる可能性がある。
それはごめんだということで、レイは首を横に振ったのだ。
「これだけ美味い料理を食ったら、午後からの仕事も頑張らないといけねえな」
「ああ。……ただ、もっと木を切れって言うんなら、樵の数を増やした方がいいんじゃないか? ……ほら、俺達もレイが迎えに来てくれてギルムに出稼ぎに来たんだし」
「一応、樵は追加で集めているらしい。……もっともレイを向かわせる訳にはいかないから、馬車で現在ギルムに向かってる筈だが」
樵の会話に、騎士がそう口を挟む。
「セトがいればセト籠で素早く大量に運ぶことが出来るのだが、緑人やリザードマン達が転移してくるのを察知出来るのは、今のところセトだけだからな。そんな真似をする訳にもいかないんだよ」
その言葉には強い説得力があり、反論する者はいない。
樵達も、もっと人数がいれば仕事が楽になるのは間違いないのだが、それでもレイとセトがいなくなるというのは、安全という意味で危なくなる以上、どちらを優先させるべきなのかは明らかだ。
「そういうことなら、納得するしかねえか。……いっそ、レイが木の伐採をしてもいいんじゃないか?」
「馬鹿。そうしたら、俺達の仕事がなくなるだろ」
「あー……それはほら。レイは木を伐採して、俺達が枝とかを切るとか」
その樵の言葉を聞いていた他の樵達は、微妙な表情を浮かべて何かを言い掛けるも、結局喋ることなく口を閉じる。
樵という仕事に誇りを持っているからこそ、その話はあまり面白くないのだろう。
……もっとも、純粋に伐採をするという意味では、レイの方が綺麗に切ることが出来るのだが。
何度も繰り返し木の幹に斧を振り下ろすのと、デスサイズを一閃するだけのどちらが綺麗な切り口なのかというのは、考えるまでもないだろう。
言い淀んだ樵も、それが分かっているからこそ微妙な表情を浮かべたのだろう。
とはいえ、最初にレイが木を伐採した方がいいんじゃないかと言った樵の言葉も、決して間違っている訳ではないのだ。
ギルムの増築工事が本格的に進んでいる以上、錬金術師達が魔法的な処理を施した木材というのは、それこそ幾らあっても足りない程なのだから。
建築資材が大量にあるのなら問題ははないのだが、今はある分をすぐに使ってしまい、需要に供給が追いつくかどうかといった具合になっている。
そんな状況で今回の転移の問題が起きたのだから、完全に供給が需要に追いつかなくなってしまっていた。
「取りあえず、新たな樵がギルムに到着するまでは今の状況で何とかやるしかないだろ。本当にどうしようもなくなったら、俺が木を伐採するから」
「助かるよ。けど、新しくギルムに樵が来ても、すぐに使い物にはならないからな。まずはトレントの森に生えている木に慣れて、それ以外にも緑人やリザードマン達が転移してくるのに慣れる必要があるし。……もっとも、後者はまだ俺達も慣れてないんだが」
違いねえ。
周囲で猪肉のスープを飲んでいた他の樵達も、そう言って笑う。
実際にトレントの森でそれなりに仕事をしてきた自分達ですら、転移の件には神経質になっているのだから、新しく樵がやって来た場合であってもすぐに慣れるとは思えなかったのだろう。
(その辺は、人によると思うんだけどな)
実際に口には出さなかったが、レイは猪の肉を食べながらそう思う。
樵として、トレントの森に慣れるのが早い者もいれば、なかなか慣れないといった者がいてもおかしくはない。
中には、それこそ緑人やリザードマンが転移してくると言われても、全く関係なく樵としての仕事に集中する者がいても、おかしくはなかった。
出来れば、レイとしてはそのような者達が多くギルムにやって来て欲しいが、腕の立つ樵で住んでいる場所に仕事があるという者は、わざわざギルムに来ることはないだろう。
もっとも、中には有名なギルムを直接自分の目で見てみたいという、ミーハーな気持ちからやって来る者がいないとも考えられないが。
「緑人達の言葉の勉強が終われば、多分その中の幾らかはこのトレントの森に来ることになる。……リザードマンが転移してくるかもしれない以上、住むって訳にはいかないだろうけど。それでも、俺達と一緒にやってきて、日中はトレントの森にいて植物を生長させるといった風になってもおかしくはない」
「あー……うん。だろうな」
緑人に植物を生長させる能力があるというのは、今やこの場にいる者はほぼ全員が知っていることだ。
そしてトレントの森の木材の有用性を考えれば、それを生長させるという緑人の能力は間違いなく有用だった。
……もっとも、そうなるとトレントの森はずっとここにあり続けるということになるのだが。
とはいえ、街道から外れた場所にある以上、それで誰が困るという訳でもないのだが。
寧ろ、レイ達が食べている猪を思えば、狩人にとっては良い狩り場となってもおかしくはない。
モンスターがやってくるという可能性も、決して否定は出来ないのだが。
「うーん、取りあえず今は難しいことを考えてもしょうがないし、折角の料理なんだから、このスープを食べないか?」
冒険者の一人がそう告げると、他の皆も今は食事に集中した方がいいだろうということで、スープやついでに作られた串焼きに舌鼓を打つ。
「こういうのが毎日食べられるのなら、この仕事も楽しみが増えるんだけどよ」
「これだけ大きな猪を毎日獲るのは無理だろ。ああ、でも鹿とかそういうのは結構見るよな」
「え? 鹿? いるか?」
「いるって。他にも狐とか狸とか兎とか。何気に結構動物は多くなってるぜ?」
聞こえてくるそんな声に、レイも納得した様子で頷く。
実際にレイも何度か動物の類は見ているし、鳥の類もそれなりに見ている。
去年までは、トレントの森にはそこまで動物や鳥の数が多くなかったことを考えれば、これは恵まれていると言ってもいいだろう。
とはいえ、その動物を狙ってモンスターの類が増えてくるというのは、若干困るのだが。
(最善なのは、ここに緑人達が住んで、リザードマン達がその護衛をすることなんだけどな。緑人達は食料がいらないし、リザードマン達の食料なら、それこそ増えている動物とかでどうにか出来るだろうし。……ああ、でも魚は無理か)
ゾゾが魚についてかなりの執着を見せていたことを考えると、このトレントの森に魚がいないのは残念だった。
恐らく、もし川があって魚がいれば、リザードマンは喜んで住みつくと予想出来たのだから。
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