第2036話

 ゾゾ達が転移してきてから、二日目。

 その日は、レイ以外の面々はそれぞれ自分の仕事に戻っており、レイとセト、ゾゾだけがトレントの森に向かった。

 勿論、それ以外にも腕利きの冒険者や騎士、兵士といった面々もいるのだが。

 そう、今日は珍しくレイは朝からトレントの森に向かったのだ。

 今までであれば、ある程度街中での仕事を終えた後で、伐採された木をミスティリングに収納する為にトレントの森に向かったのだが、今日はトレントの森で何かあった時、すぐに対応出来るようにということで樵達と共にやってきたのだが……


「グルゥっ!」


 トレントの森が見えてきたところで、不意にセトが喉を鳴らす。

 そんなセトの態度に、セトの背に乗って――ゾゾがいる影響で馬車に乗りにくかった――いたレイは、不意に嫌な予感を抱く。

 セトの視線が向けられているのは、トレントの森。

 そちらをじっと見つめているセトを見れば……そして昨日、一昨日とトレントの森でどのような事態があったのかが分かっていれば、そこでどのようなことが起きているのかは、容易に予想出来る。


「悪いが、ちょっと先に行く! トレントの森で恐らく問題発生だ! 気をつけてくれ!」


 近くにいた冒険者にそう叫ぶと、レイはセトに急いでくれと頼む。

 そんなセトの姿に、少し離れた場所を歩いていたゾゾは急いでセトの背の上、レイの後ろに跳び乗る。

 言葉は分からなくても、レイとセトの様子からトレントの森に急ぐというのは理解出来たのだろう。

 そんなゾゾの判断力の高さに、レイは少しだけ感心した様子を見せる。

 が、今はそれより少しでも早くトレントの森に向かうことを最優先にするべきだだと判断し、セトの首の後ろを頼むという意味も込めて軽く叩く。

 そんなレイの態度に、セトはすぐに走り出す。

 既にトレントの森が見えている状況だったからか、見る間に近づいていく。

 そうしてトレントの森まで近づけば、次第に何故セトがトレントの森を気にしていたのかを理解する。


(血の臭い)


 セトよりは劣るが、それでも普通の人間よりも遙かに鋭い五感を持っているレイは、トレントの森から漂ってくる血の臭いに気が付く。


(誰が襲われている? 普通に考えれば、不用意にトレントの森に入った奴がモンスターに襲われているとか、そういう感じなんだろうけど……ゾゾ達の件があるからな)


 そう考えている間にも、セトはトレントの森に向かって走る。

 やがて、トレントの森の中に入り、そこでレイが見たのは……


「厄介な!」


 レイが舌打ちをしたのは、そこに予想通りの光景が広がっていた為だ。

 二十人近い緑の亜人達が一ヶ所に集まり、その周囲には当然のようにリザードマンの姿がある。

 漂ってくる濃厚な血の臭いは、当然のように緑の亜人達からのものだ。

 今までにも似たような光景は見ているので、事情はすぐに理解出来た。

 そんな中で唯一違っていたのは……


「なるほどな」


 レイの視線の先にいたのは、他のリザードマンよりも大きな身体を持つ存在。

 つまり、ゾゾと同じようなリザードマンで、明らかに普通のリザードマンとは違っており、希少種や上位種と思われる存在なのだ。


「レイ●●、●●●●●●?」


 レイの後ろにいたゾゾが、自分の同類と思われる存在を目にすると、レイに向かって話し掛ける。

 そんなゾゾの声が聞こえた……のではなく、単純にセトが近づいてきたことに気が付いたのか、緑の亜人やリザードマン達はレイ達に視線を向け、驚く。

 それは、体長三mのセトがいたからなのか、それともゾゾがいたからなのか。

 ともあれ、リザードマン達は新たに現れた、明らかに見知らぬ存在のレイとセトに対して警戒を露わにする。


「●●●●●!」



 と、そんな中でゾゾと同じ種類と思われるリザードマンが何かを叫ぶ。

 その言葉の意味は理解出来なかったが、周囲のリザードマン達が動揺から立ち直ったのを見れば、今のが叱咤の言葉だったのは間違いない。


(取りあえず、この様子を見る限りではこのリザードマン達はこっちに対して好戦的なのは間違いない、と。それも、ゾゾと同ランクの存在のリザードマンがいるとなると、厄介なことになりそうだな)


 視線の先にいる新たなリザードマン達の様子に、レイは面倒なことにならなければいいのにと考えつつも、それが決して叶わない願いなのだということを理解する。

 ゾゾと同じリザードマンが、自分の方に向かってきた為だ。

 まるで、どこかで見たような成り行き。

 だが、レイは自分達の方に近づいてくるリザードマンを相手に、攻撃をしてもいいのかどうか迷う。

 攻撃することそのものは、そこまでおかしな話ではない。

 だが、もしここで新たなリザードマンを倒した場合。そのリザードマンもゾゾと同様に臣従すると言い出さない――言葉は通じないので、態度で示すのだが――とは限らない。

 そうならないようにする為には、この状況でどうすればいいのか。

 それを迷っていると、そんなレイの迷いを感じたのか、ゾゾが一歩前に出る。

 それこそ、レイと近づいてくるリザードマンとの間を遮るように。


「●●●? ●●●●●●!」

「●●、●●●●!?」


 何かを問い掛けられたゾゾは、一瞬の躊躇いもなく頷き、言葉を返す。

 そんなゾゾの様子に、相手のリザードマンは大きく、息を吐く。

 それこそ、まるでお前の考えが理解出来ないとでも言ってるように。


(いや、多分本当にそんな感じで理解しているんだろうけど)


 レイから見ても、相手のリザードマンは自分を侮りの目で見ている。

 それこそ、まるで初めてレイがゾゾに会った時の焼き直しでもあるかのように。

 そしてレイが分かるということは、当然のようにゾゾも目の前のリザードマンがどのような態度を取っているのかを理解出来た。


「●●●●!」


 怒りの籠もった声を上げながら、ゾゾは目の前のリザードマンに向かって殴りかかる。

 腰の長剣を抜かなかったのは、目の前にいるリザードマンが自分の仲間であると理解していたからだろう。

 ゾゾの放った拳は、呆気なく相手のリザードマンの顔に当たり、吹き飛ばす。

 ……レイが見る限り、明らかにゾゾの相手を殴る動きは昨日よりも上達していた。

 それは、昨日、そして今朝も行われた、ヴィヘラとの模擬戦の成果か。

 ヴィヘラとの模擬戦では、実力差もあって一方的にやられていたゾゾだったが、それでも得るものがあり、それが今の一撃なのだろう。

 実際にその一撃は鋭く、殴られたリザードマンは回避することが出来ずに吹き飛ばされたのだから。

 とはいえ、今の一撃で相手の戦闘力を奪う……気絶させたり、戦闘意欲を奪う程に強力な一撃を与えたりといったことは出来ない。


「●●●●●●!」


 殴られたリザードマンは、苛立ちと怒りを込めた叫びと共に尻尾の力を使って地面に倒れた状態から一瞬にして起き上がると、そのままゾゾに向かって殴り掛かる。

 ゾゾが武器を手にしなかったからか、そのリザードマンも武器を手にするのではなく、素手での勝負を挑んだ。

 そこから始まったのは、純粋な殴り合い。

 とはいえ、その戦いは始終ゾゾが有利に進む。

 最初に一発殴ったのが効いていたというのもあるし、それ以外にもほんの数日であっても、ゾゾはレイやヴィヘラといった強者との模擬戦を行っている。

 たったそれだけの違いではあっても、ゾゾよりも圧倒的な強者たる存在である者達との模擬戦は、ゾゾの実力を確実に伸ばしていた。

 また、レイに臣従したというのも、ゾゾにとっては大きな自信になっているのは事実だろう。

 結局そのまま数分の殴り合いの後で立っていたのはゾゾで、地面に倒れたのは相手のリザードマンだった。

 ゾゾもある程度は殴られて怪我をしているが、結果としては圧勝と呼ぶに相応しい勝ちっぷりだった。


「ゾゾ、よくやった。ロロルノーラの仲間を治療したいから、他の奴を押さえておいてくれ」


 レイの言葉を全ては分からなかったみたいだが、それでもゾゾはレイの性格から何をしようとしているのか理解して頷き、周囲にいるリザードマン達に牽制の視線を向ける。


(まぁ、このリザードマン達が妙な行動をとっても、すぐに他の連中が来るだろ。それに、セトもいるし)


 ゾゾがリザードマンと戦っていたのは数分だったが、それだけの時間があれば馬車でトレントの森に向かっていた面々が到着してもおかしくはない。

 ……いや、寧ろ到着していなければおかしい、と言うべきか。

 実はレイの様子を見てトレントの森で何か危険なことが起こってるのだろうと判断し、樵と護衛の冒険者達を下ろしてからトレントの森まで向かっているので、まだ到着していなかったのだが。

 ともあれ、ゾゾがリザードマン達を率いていた同格の相手を倒したおかげで、レイが緑の亜人達に近づいても特に何かをされるようなことはない。

 ゾゾがレイに従っているというのは態度を見れば明らかだったし、何よりもレイの側にセトがいたというのも大きいだろう。

 そして緑の亜人達は、自分達に近づいてくるレイをじっと見つめる。

 その視線の中に恐怖の色が存在しないのは、先程レイの口からロロルノーラという、自分達の仲間の名前が出たからか。

 緑の亜人達に近づくと、トレントの森の外まで漂ってきていた鉄錆臭がより濃くなる。

 致命傷とまでの傷を負っている者はいなかったが、それでも多くの者がかなり深い傷を負い、緑の血を流している。


(緑の血でも、血の臭いは同じなんだな)


 この前も感じた疑問を改めて感じながら、レイはミスティリングの中からポーションを取り出す。

 騎士達が来るまで待っていてもよかったのだが、今はこの緑の亜人達に自分が味方だと、そう示す方が先だった。

 何しろ、先程までこの緑の亜人達を攻撃していたリザードマンと同じゾゾを引き連れているのだから、緑の亜人達がレイを敵だと思いかねない。

 ……ゾゾが戦ったことで、もしかしたら味方だと考える可能性もあったが、とにかく今は明確に自分が味方だと示す必要があった。


「●●●?」


 レイの出したポーションを見て、不思議そうに呟く緑の亜人。

 ロロルノーラ達もそうだったが、やはりポーションというものを知らないのだろう。

 疑問を持って自分の方を見ている緑の亜人達に見せつけるように、近くにいた緑の亜人の腕を掴む。

 突然腕を掴まれたことで驚いた緑の亜人だったが、その亜人がそれ以上の反応……無理矢理手を振りほどくといったことをするよりも前に、レイはポーションを緑の亜人の傷口……恐らく長剣によって出来た傷と思しき場所に掛ける。


「っ!?」


 レイの行動に悲鳴を上げる緑の亜人。

 自分の傷口に、いきなり得体の知れない液体を掛けられれば驚くなという方が無理だろう。

 周囲で様子を見ていた他の緑の亜人達も、仲間の声に何か行動を起こそうとする。

 基本的に戦うということをしない緑の亜人達だが、だからといって仲間がどうなってもいいと思っている訳ではない。

 レイを攻撃するような真似はしなくても、仲間に妙な真似をしないようにと止めるくらいであれば普通に出来る。

 ……もっとも、自分達を襲っていたリザードマンを率いていた存在を倒したリザードマンを従えている相手ということで、本来ならとてもではないが逆らおうと思える相手ではないのだが。

 ただ、実際に行動を起こすよりも前に、ポーションを使われた緑の亜人が自分の傷の異常に気が付く。

 傷が、みるみる治っていくのだ。

 それは、ポーションという存在を知らない緑の亜人にとって異様な感覚と言ってもいい。

 それでも痛みが薄れていくのだから、ポーションを使われた緑の亜人が驚きで声も出なくなるのは当然だろう。

 そんな亜人の様子は、当然のように周囲にいる他の緑の亜人達も気が付く。

 レイを止めようとしていた緑の亜人達は、ポーションを使われた緑の亜人の様子に気が付き、動きを止める。

 そして傷が見るからに治っていくのを見て、レイに唖然とした表情を向けた。

 レイは相手が動きを止めたのをいいことに、他の緑の亜人達の傷口にもポーションを使用していく。

 当然ここまで効果が顕著に出るのは、このポーションが結構な高級品だからだ。


(まぁ、緑の亜人達を助けたということで、後でダスカー様からポーションを貰えばいいしな)


 レイがこう思っているのは、実際に最初に接触したロロルノーラ達に使ったポーションの一件で、ダスカーから代わりのポーションを貰った為だ。

 それも、ギルムの領主としてのプライドから……そして何より緑の亜人達に適切に対処してくれた感謝の気持ちから、ロロルノーラ達に使った物より数段上の効果を持つポーションを。

 そういう意味では、ここでポーションの使用を躊躇う必要もなく……結果として、後から来た騎士や冒険者達が到着する頃には緑の亜人達の怪我は殆ど治療を終えていたのだった。

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