第2037話
「いや、うーん……まさか、朝っぱらからいきなりこんなことになるとは、思ってもいなかったな」
周囲の様子を見回しながら、騎士が溜息交じりに呟く。
騎士にしてみれば、完全に予想外の事態だったのだろう。
とはいえ、だからといって今の状況でそのままにしておくといったことが出来る筈もない。
現在はポーションを使い、緑の亜人達の怪我の治療を行っていた。
レイがポーションを使ったところを見ていた為か、緑の亜人達は自分達にポーションを使われても、特に驚くといった様子はない。
レイが持っていたポーションで回復したのは、怪我の程度が酷い者達だったので、現在騎士や兵士、冒険者といった面々が治療をしているのは、怪我人の中でもそこまで酷くない者達だ。
「正直、俺もそう思っていたよ。……とはいえ、緑の亜人達は以前までと同様に友好的だからいいけど、問題なのはリザードマン達だな」
騎士に言葉を返しながら、レイは気絶している……ゾゾに負けたリザードマンを見る。
ゾゾの一撃が余程に強力だった為か、そのリザードマンは未だに目を覚ます様子はない。
モンスターランクとしては、恐らくゾゾと同じで、種類としても同じような存在と思われるリザードマンだったが、ゾゾはほんの数日の訓練によって実力は大きく上昇した。
とはいえ、それは急激に力が強くなったり、足が速くなったりしたといった訳ではなく、強敵との戦いを模擬戦であっても経験したというのが大きいのだろう。
それだけではあるが、今回の戦闘においてはその差が顕著に出た形となった。
「取りあえず、今はゾゾに従う様子を見せているから、そこまで心配する様子はないんじゃないか?」
「今は、な」
騎士の言葉に、レイは改めて気絶しているリザードマンに視線を向け、口を開く。
「ただ、元々はこのリザードマンに従っていた連中だ。こいつが意識を失っている今はゾゾの命令に従っているが、こいつが目を覚ました後も同じようになるかと言われると……少し難しいと思う」
「それは……」
レイの視線を追うように、騎士が気絶しているリザードマンとゾゾの双方を順番に見る。
もしこのリザードマンが目覚めれば、一体どうなるのか。
その辺は、レイにも騎士にも分からない。
分かるとすればゾゾだけだろうが、そのゾゾはまだ言葉を喋ることは出来ない。
「いっそ、このリザードマンを殺してしまうか?」
騎士のその言葉は冗談のように言っているが、目の中にある感情の中には幾らかの本気が見て取れる。
レイとしても、このリザードマンが生きている状況では面倒なことになりそうな気はするが、それでも殺すといったことに頷く訳にはいかない。
もしここでリザードマンを殺してしまえば、緑の亜人達の友好的な態度さえ失われてしまう可能性があった。
であれば、やはりこのまま目覚めてから何とかリザードマンを従えるといったことをする必要がある。
とはいえ、ゾゾのように自分に従うようにするかと言われれば、レイとしても頷く訳にはいかない。
ゾゾだけならともかく、ゾゾと同じような存在をこれ以上増やすつもりはないのだから。
このままだと、将来的にはゾゾのようにレイに従おうとするリザードマンがかなり増える可能性がある。
それは、レイとしても絶対にごめんだった。
そもそも、今もゾゾがいる為に夕暮れの小麦亭ではなく、マリーナの家で寝泊まりをしているのだ。
本来なら、ゾゾは夕暮れの小麦亭の厩舎で休むのが当然なのだが、レイに仕えているという自覚のあるゾゾは、それを許容出来ない。
結果として、マリーナの家で中庭に面した部屋でレイは寝泊まりし、ゾゾはその部屋のすぐ外にある中庭だったり、廊下だったりで待機するという生活をしている。
そうなると、ゾゾは眠れるのか? という疑問がレイにはあったのだが、少なくても今こうしている限りでは、ゾゾが寝不足だといった様子はない。
「それは止めておいた方がいい。取りあえずゾゾに負けたということは、多分……本当に多分だけど、ゾゾに従うようにはなると思うから、その辺りの様子を見てからの方がいいだろ」
レイが倒したらゾゾが従ったというのを考えると、恐らく……本当に恐らくではあるが、ゾゾに倒されたリザードマンもゾゾに従うようになると思えた。
(まぁ、そういう性格……性質? を持っているのがゾゾ個人じゃなければ、の話だけど)
そんな風に思いつつ、レイは言葉を続ける。
「ゾゾに従うのなら、わざわざ殺す必要もないだろ。もしゾゾに従わないようなら……他にも誰かがそのリザードマンと戦って勝って、それで試してみる必要があるかもしれないけど。そういうのを繰り返して、それでも駄目なようなら……俺もまた、それ以上は止めたりしない」
レイの言葉に説得力があったのか、それともここで殺すのは本当に面倒になるだけだと判断したのか、その辺は分からなかったが、騎士もそれ以上は気絶しているリザードマンを殺した方がいいのではないかとは、言わなくなる。
「レイがそう言うのなら、その意見に従ってもいい。……冒険者のレイの方が、こういうことには詳しいだろうし」
騎士としては、モンスターの相手をすることもあるが、やはり戦う相手は人間を想定して訓練されている。
……もっとも、辺境にあるギルムの騎士である以上、モンスターのスタンピードの類が発生すれば、冒険者と共にモンスターと戦うといったこともする必要があるのは間違いなかったが。
「取りあえず、これだけ数がいると馬車が何台も必要になるな。ギルムに馬車を用意させるようには?」
「もう冒険者を馬で走らせてある。後は、ギルムの方で判断して馬車を送ってくる筈だから、今は待つしかないな」
騎士の言葉に、レイは頷く。
素早い行動だが、転移が何日も連続して起こっているのであれば、それは当然のように慣れはするだろう。
とはいえ、そのようなことであっても出来ないような者もいたりするのだが。
「そうなると、今まで通りにリザードマン達を武装解除するか」
ゾゾが来た時も、そしてゾゾの後に来た者達も、血の気の多いリザードマン達からは装備品を没収してある。
ゾゾのみは、レイに従うという態度を示しており、更にはリザードマンの中でも明らかに格上であるということもあって、武装することを許されている。
いや、一番重要なのは、ゾゾがレイのテイムモンスターということになっているからなのかもしれないが。
ゾゾがテイムモンスターである以上、もしゾゾが街中で自分から何らかの騒動を起こした場合、その責任はレイが取らなければならなくなる。
つまり、レイはもしゾゾが何らかの問題を起こそうとした場合、それを止める義務があった。
(あれ? もしかして、さっきの戦いも実は結構不味かったりするのか? でも、ここはギルムの中じゃないしな。多分大丈夫だろ、多分)
若干無理矢理ではあったが、自分に向かってそう言い聞かせる。
「レイ? どうした? リザードマン達の武装解除をするんじゃないのか?」
ゾゾの戦いが問題なかったのかどうかということで迷っていたレイだったが、騎士の言葉で我に返って頷く。
「そうだな。……ゾゾ、ちょっと向こうのリザードマンに、武器とか防具を地面に置くように言ってくれないか?」
そう言いながら、何度か身振り手振りすることにより、レイは自分の言いたいことを伝える。
すると、ゾゾもレイが何をしたいのかを理解し、リザードマン達に命令をする。
普通ならゾゾの命令よりも、気絶しているリザードマンの命令を優先するのだろうが、生憎と今は気絶して命令出来る状態ではない。
結果として、ゾゾの命令に従ってリザードマン達はそれぞれ武装解除する。
レイは当然のようにその武器や防具を拾っては、次々とミスティリングに収納していく。
「さて、取りあえずこれでリザードマン達も危険はないだろ。そうなると、後は馬車が来るまで待ってるだけになる訳だけど……樵達はもう呼んで、仕事をさせてもよくないか? 今は、とにかく一本でも多くの木を伐採して欲しいって言われてるし」
その言葉に、騎士は少しだけ考える。
こうして見ている限りでは、リザードマン達は特に逆らうといったことをする様子はない。
武装解除もされているので、もし何らかの理由で暴れても取り押さえるのはそう難しくはないだろう。
であれば、レイの言葉には納得出来るものがあった。
実際に出来るだけ多くの木を伐採するようにと、上司から言われているのは、レイが言った通りだ。
なら、ここで樵達に仕事をさせるのは、決して間違った選択ではないだろう。
「そうだな。ただし、転移してきたリザードマンが、ここにいるだけとは限らない。護衛は厳重にする必要があるぞ」
「ああ。元々昨日の件もあって、護衛はたっぷりと連れて来たからな。普通のリザードマンが相手なら、問題ないと思う」
昨日、レイとセトがギルムに行っている間に、新たに転移してきたリザードマン達がいた。
幸いにもそのリザードマン達と最初に接触した樵達が悲鳴を上げたので、レイは駆けつけることが出来たのだが。
もしレイがいなければ、樵の護衛を任されていた冒険者達とリザードマンが戦っていたのは間違いない。
実際、レイが駆けつけた時は一触即発の状況だったのだから。
今のところ、転移の前兆を察することが出来るのは、セトだけだ。
レイも若干の違和感を抱くことは出来るが、それが転移かどうかというのは、はっきりとしない。
だからこそ、もし何かあった時にも十分に樵達を守れるようにと、今日は腕利きの護衛が多かった。
(出来れば、リザードマンと戦いにならないのが一番なんだけど)
もし一度でもリザードマンと戦いになってしまえば、相手を敵だと認識する者は必ず出て来る。
また、リザードマン側の方でも、ギルムに住んでいる者を敵として認識してしまう可能性は十分にあった。
であれば、後々に禍根を残さない為にも戦いそのものが起こらないのが最善の選択なのは間違いない。
とはいえ、まさかリザードマンに襲われても反撃をするな、などということを言える筈もない。
レイの不利にならないようにしているゾゾがいれば、そのようなことにはならないのだが。
「おい、樵達を連れて来てくれ! ここにリザードマンがいるというのは、忘れずに言っておくようにな!」
「はい!」
兵士の一人が、騎士の言葉に従ってその場から走り去る。
その後ろ姿を見送りながら、さて次はどうするべきかとレイは悩む。
ゾゾがいる以上、リザードマン達が暴れるといったことはないだろう。
だが、リザードマンはあくまでもゾゾに従っているのであって、レイに従っている訳ではない。
それこそ、不測の事態が起こった時、場合によってはリザードマンがレイに襲い掛かってくるという可能性は十分以上にあった。
(セトがいれば、そんな馬鹿なことを考えたりはしないかもしれないけど)
リザードマンも、当然のようにセトの強さは本能的に理解出来るだろう。
それだけ強さに差があると分かっているのに、むざむざセトに攻撃をするといったような真似をするとは思えなかった。
とはいえ、それも絶対ではない。
このリザードマンは、国の兵士の可能性が高い。
そうである以上、強敵を相手にしたからといって本能のまま逃げるといったことをしない可能性があった。
実際にギルム……いや、ミレアーナ王国の兵士も、上からの命令があれば強敵を相手にしても逃げずに戦う者が多いのだから。
中には、圧倒的な力の差に逃げ出す者もいるのだろうが。
「取りあえず、このリザードマン達はゾゾの指示には従うだろうし、ゾゾが倒したリザードマンの件もある。それを考えると、俺もこの連中を連れてギルムに戻るしかないだろうな」
「そうなるだろう。悪いが、頼む」
ゾゾを行かせる以上、当然ながらレイもまた一緒に行く必要があった。
もしレイがゾゾだけに行けと言えば……レイの命令には基本的に絶対服従のゾゾだったが、それでもレイから離れるといったことは許容出来なかっただろう。
また、ゾゾと身振り手振りで意思疎通をするにしても、ある程度慣れている人物がいた方がいいのは間違いない。
そう考えると、やはりレイがギルムに戻らないといった選択肢は存在しないのだ。
レイとしては、つい先程出てきたばかりのギルムに、再び戻るといったことをするのはあまり気が進まなかったが。
また、今の時間はまだ正門前がそれなりに混んでいる筈であり、あまり人目につきたくないというのもあった。
「まぁ、俺がやるしかないのも事実だけどな。……エレーナを連れてくればよかったな」
ゾゾはレイに従っているが、同時にエレーナやイエロにも強い畏怖を抱いている。
それこそ、レイがいなくてもゾゾに指示出来るくらいには。
とはいえ、今ここにいない相手のことを考えても意味がない以上、レイは若干不承不承ではあったが、ギルムに戻ることにするのだった。
……馬車がやってきてからの話だが。
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