第2028話
レイ達がトレントの森で仕事をしたり、ゾゾに会話を覚えさせようとしている頃、ギルムにある領主の館でも当然のようにロロルノーラ達が言葉を教わっていた。
本来なら文字も覚えて欲しいところなのだが、今はまず言葉を覚える方が先だと、そう判断してのことだ。
そして言葉を教える為に選ばれたのは、貴族や大きな商人の子供達に勉強を教える家庭教師。
そんな家庭教師の中でも、口が軽い者は外され、信用出来る者だけが選ばれての勉強会。
家庭教師の中には自分が選ばれなかったということで不満を抱く者もいたが、今回の一件は慎重に慎重を期すことが必要である以上、そんな不満が受け入れられることはなかった。
「凄いわね」
「何がだ?」
「いえ、あの緑の亜人達もそうだけど、まさかリザードマンに言葉を教えることになるとは思わなかったのよ」
長時間集中しすぎても効率が悪いということで、勉強は一時間程行うと多少の休憩の時間を設ける。
そんな休憩時間の中、家庭教師達がそれぞれに話をしていた。
「そうだな。けど、リザードマンが思ったよりも大人しかったから驚いた。モンスターに言葉を教えるってのは、正直どうかと思ったんだけどな」
その男の言葉に、近くにいた他の家庭教師達が頷く。
ギルムにいる者……いや、この世界に住んでいる者の多くにとって、リザードマンはモンスターで、とうてい言葉を理解するという思いはなかった。
勿論、鳴き声でそれぞれの意思疎通をしたりといった真似をするというのは知られているが、それと今回の一件は話が別だった。
「大人しいのはリザードマンのボスに命令されてるかららしいぞ」
「え? ボス?」
「ああ。今はここにいないけど、リザードマンの中にはボスがいるんだよ。そのボスから、暴れたりして迷惑を掛けるなと命令されてるみたいだ」
「ボス、ね。……で、そのボスは今どこにいるの?」
「レイと一緒に、トレントの森にいるよ」
その言葉に、ボスがどこにいるのかと聞いた女は驚きの表情を浮かべる。
「それ、本当なの? 何だってそんなことになってるのよ?」
「何でも、レイがリザードマンをテイムしたらしい」
「テイムって……まぁ、セトちゃんを連れているレイだから、それは分からないでもないけど。でも、リザードマンをテイム?」
女の家庭教師はセト愛好家の一人だったらしく、微妙な表情を浮かべる。
セトを愛でている立場の者にしてみれば、レイがリザードマンをテイムしたことにより、セトに何らかの悪影響が出るのではないかという心配があったのだろう。
「何だ、知らないのか? 今日、レイはそのリザードマンを連れて街中を歩いてここに来たらしいぞ?」
「ふーん。それは、また……」
それ以外にも、どうやってリザードマンに言葉を教えるのかといったことを相談したりといったことを話す。
軽くお茶を飲みながら、それぞれに話をし……やがて、授業の時間となる。
「さて、そろそろ授業の時間だし、行きますか」
一人がそう言うと、それを合図として他の者達も生徒達……緑の亜人やリザードマン達が待っている部屋に向かうのだった。
領主の館にある、ダスカーの執務室。
そこで、ダスカーは何人かの部下達とこれからのことについて話し合っていた。
「取りあえず、トレントの森は暫く今の状況でいく。……出来れば立ち入りを禁止したいところだが、増築工事の件を考えるとそんな余裕はないしな」
ダスカーの言葉に反対する者はいない。
実際、トレントの森で伐採された木材は、増築工事において非常に重要な建築資材として使われているのだ。
そうである以上、トレントの森を立ち入り禁止にするという選択はどうあっても出来ないものだった。
「ですが、その場合は転移して来た相手によっては問題が起きることもあるのでは?」
「そうだな。だからこそ、結局は現状のままというのが一番いいんだ。……それで、ロロルノーラ達の能力について何か分かったことはあるか?」
若干強引に話題を変えたダスカーの言葉に、視線を向けられた人物は首を横に振る。
「昨日の今日では、まだそこまでは……ただ、ダスカー様も見た通り、植物を生長させるという能力を持っているのは間違いありません。であれば、やはりトレントの森に……いえ、それ以外にも様々な使い道があります」
「おい」
後半、嬉しそうに話した男に対し、ダスカーは厳しい視線を向ける。
ダスカーにしてみれば、今回の一件で保護したロロルノーラ達は非常に価値がある。
それこそ、使い道といったように道具扱いするのはもっての他だと、そう言いたくなるくらいに。
だというのに、今こうして自分に説明している男は、明らかにロロルノーラ達を見下しており、自分よりも格下の存在だと認識している。
それは、ダスカーにとってはとてもではないが許容出来ないことだった。
最初にそのような認識を覚えてしまえば、以降は表情に出すようなことはなくても、間違いなくロロルノーラ達を内心で見下すようになってしまう。
ダスカーにとって、そのようなことは絶対に許容出来ることではない。
「す、すいません……」
ダスカーの様子から、その怒りの度合いを感じたのだろう。
ロロルノーラを利用しようと言った男は、即座に謝罪する。
もしここでダスカーの言葉に逆らうような真似をした場合は、間違いなく自分にとって面白くない結果が待っていると、そう理解した為だ。
そうならない為には、とにかく素早く謝り、同じミスを繰り返さないことだ。
とはいえ、一度ロロルノーラ達を下の存在と認識した男が、それに対してどうにか出来るとは限らなかったが。
「次からは気をつけろ。……ロロルノーラ達は、ギルムにとっては非常に大事な存在だ。その能力をギルムの為に使って貰う為にも、友好的に接するというのは最低条件だ。……で、彼らの能力でどのようなことが出来そうだ?」
「はい。まずトレントの森の件は長期的に見ればかなりのものかと。また、どこまでの条件で植物を生長させることが出来るか分からないので、こちらは彼らが言葉を覚えてからしっかりと意見交換をするか、同時に実際に試して貰ってから調べる必要がありますが……」
これは、男にとっても考え抜いた末の案だったのだろう。
慎重な様子を見せながらも、言葉を続ける。
「もしかしたら、本当にもしかしたらの話ですが、ロロルノーラ達がいれば、ギルムで香辛料を作ることが可能かもしれません」
ざわり、と。
執務室にいた者達が、男の言葉にざわめく。
当然だろう。香辛料というのは、非常に価値が高い。
もしそれをギルムで生産することが出来るようになれば、間違いなくギルムにとっては大きな収入となる。
ダスカーとしては、地上船を将来的にギルムの主力製品として考えていたが、砂上船を地上船として作るのが、どれくらいの時間が掛かるのか分からない。
また、もし地上船を開発しても、将来的にはともかく、最初はかなり高額となるのは避けられない。
具体的にどれくらいの値段になるのかはまだ決まっていないが、それでもその辺にいる商人が簡単に買える金額ではないのは間違いなかった。
それこそ、貴族や大商人と呼ぶべき者達でなければ購入するのは難しいだろう。
他にはトレントの森の木を伐採して魔法的な処置をした建築資材というのもあるが、トレントの森はかなりの広さであっても、ギルムの増築工事でかなりの量を使うのは間違いないし、森の木は伐採すれば当然のように減る。
そして例え加工したとしても、木を一本運ぶというのは普通の商人にしてみればかなり大変なことだ。
その辺りの事情を考えると、香辛料を売ることが出来るというのは非常に大きい。
「それと、こちらもまだ可能かどうかは分かりませんが、辺境だからこそ存在している特殊な植物の類も育てられる可能性があります」
辺境だからこその特殊な植物。
もしそれが可能だとすれば、それこそ香辛料と同等以上に大きな利益となるのは間違いない。
「本当か?」
「今も言った通り、あくまでも可能性です。実際に出来るかどうかは、色々と試してみる必要があるかと」
「そうか。だが……そうなると、ロロルノーラ達をトレントの森で暮らさせるというのは、危険か?」
トレントの森に生えている木を少しでも早く生長させる為には、やはりロロルノーラ達にトレントの森で暮らし貰うのが一番手っ取り早い。
だが、もしロロルノーラ達が香辛料や辺境故の稀少な植物を自由に生長させることが出来るのだとすれば、トレントの森に置いておくのは危険すぎた。
トレントの森は、基本的に強力なモンスターが自分から近寄ってくるといったことは滅多にない。
とはいえ、それも絶対ではないし、何より今はゾゾ達のようなリザードマンが転移してくるという可能性もある。
ダスカーに入っている情報が正しいのであれば、ゾゾ達はロロルノーラ達を襲っていたのだ。
であれば、トレントの森に住むといったことをしていて、またリザードマンが……いや、リザードマンに限らず何らかの敵対勢力が転移してくるかもしれないと考えれば、とてもではないがロロルノーラ達をトレントの森に住まわせることは出来ない。
「そうですね。護衛を置いておけば話は別ですが……」
「樵の護衛として冒険者を雇ってるんだろう? そいつらは?」
少し離れた場所にいたダスカーの部下の一人がそう口を挟むが、その意見はすぐに首を横に振って否定される。
「樵が働いている間だけの護衛だからな。それに辺境の人間として、夜にギルムから出たいと思うか?」
そう言われば、当然のように首を横に振る。
誰であれ、ギルムに住んでいる人間であれば、夜にギルムの外に出たいと思う者は……皆無という訳ではないが、間違いなく少ない。
「そうなると、樵と一緒に日中だけ派遣する……といった形になるのがいいのではないでしょうか?」
「そうした方がいいだろうな。もっとも、それもロロルノーラ達がこちらの言葉を覚えてからの話だが。……リザードマン達の方はどうなっている? ゾゾだったか。レイがテイムしたというリザードマンが、何か言い聞かせはしていたようだが」
ロロルノーラ達の話から、リザードマンのことへと話が変わる。
だが、ロロルノーラ達と違い、そこに強い興味はない。
植物を生長させる力を持つロロルノーラ達と違い、リザードマン達は特にこれといって目立ったことがない為だ。
いや、国と思われる組織を作っているという点ではかなり知能が高いのは分かるし、ゾゾのように負けた相手に従うといった性質を持っているのも気にならない訳ではないが……それでも、やはり今回の一件に関してはロロルノーラ達の方が優先される。
「その命令に従って、大人しくしているようです。上の言うことには絶対服従といった感じですね。それが、リザードマン全体の性質なのか、それとも国を作り、軍隊に所属するリザードマンだからかというのは、分かりませんが」
「命令に従って、か。こちらとしては助かるのは事実だが……」
どことなく納得出来ない様子を見せるダスカー。
ダスカーも、元は騎士だけにリザードマンと戦ったことはそれなりにある。
だが、そんなダスカーの目から見ても、やはりゾゾ率いるリザードマン達は色々とおかしなところが多いのだ。
「それで、ロロルノーラやゾゾ達が、どこからやってきたのかは分かったか?」
「……いえ」
ダスカーの言葉に、部下の一人は首を横に振る。
ロロルノーラやゾゾ達がどこから転移してきたのか。
それは、ダスカーだけではなく、多くの者が知りたいと思っていたことだった。
何しろ、ゾゾ達リザードマンはともかく、ロロルノーラ達のような亜人は今まで見たことも聞いたこともない。
外見にしても、その能力にしても、あれだけ特徴的な存在なのであれば、少しくらいはその情報が広がっていてもおかしくはない筈だった。
にも関わらず、ロロルノーラ達のことは誰も知らないのだ。
それは異様と呼ぶに相応しい。
そうなると、考えられる可能性はそう多くはない。
「別の大陸……か」
小さく、それでいて周囲にはっきりと聞こえるようにダスカーが呟く。
この世界において、ミレアーナ王国があるこの大陸以外にも、幾つかの大陸があるという話は知られているし、実際に近くにある大陸とは本当に細々とではあるが交易もしてもいる。
だが、実際に他の大陸に行ったことがある者というのは殆どおらず、伝わってくる情報も極めて限定的なものだ。
エモシオンのような港街に入ってくる船の類も、基本的にはその全てがこの大陸の港からやってきた船だ。
「面倒なことにならなければいいんだがな」
ダスカーの呟く声が執務室の中に響き渡るのだった。
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