第2011話

 レイからの指示により、トレントの森に移動する時に使っていた馬車を牽く馬に乗り、その冒険者の男……ドラインは必死になってギルムに向かっていた。

 この春にギルムにやって来たばかりで、以前いた村ではそれなりに腕に自信があったが、それもギルムに来てみれば自分が決して優れた冒険者ではないと思い知らされ、長く伸びていた鼻をこれでもかと言わんばかりにへし折られた。

 そんな状況であっても、すぐに立ち直り……そうして樵の護衛という仕事を行い、それなりに信頼されていたところで起きたのが、今回の一件だった。

 突然どこからともなく現れた亜人達。

 何がなんだか分からなかったが、それでも色々な意味で大きな事件だというのは、ドラインにも理解出来た。

 だからこそ必死に馬に乗り、ギルムを目指す。

 村にいるときに、馬に乗る訓練をしておいてよかったと、しみじみそう思う。

 もっとも、それは今ドラインが乗っているようなしっかりとした馬ではなく、もっと小さく年老いた馬だったが。

 ともあれ、必死に馬を走らせていたドラインはやがて草原を抜け、街道に到着する。

 春になったばかりの街道ともなれば、当然のように多くの者がギルムに向かって移動していた。

 そんな中を全速力で馬を走らせるなどといった真似をすれば、下手をすると危険な行為をしたということで、警備兵に捕らえられる可能性もあった。

 だが、ドラインにしてみれば、トレントの森で見た光景を一刻も早く知らせるようにとレイに命じられていたし、ドライン本人にとっても、先程見た光景はとてもではないが尋常なものではないという思いがあった。

 その為、街道を進む旅人や冒険者、商人、商隊……それらを無視するかのように、かなり強引な速度で馬を走らせる。

 当然ながらそんなドラインの行動に怒声を浴びせる者もいたが、多くの者はドラインの様子に切羽詰まったものを感じて、もしくは構うと不味いと判断して、大人しく道を空ける。

 そうしてドラインがギルムに到着した時は、当然ながら警備兵達もそんなドラインの姿を確認していた。

 それでも警備兵が即座にドラインを捕らえるといったことをしなかったのは、ドラインが短い間ではあるが、樵の護衛として真面目に仕事をしていたことが知られていたからだろう。

 伸びていた鼻をへし折られたドラインは、その反動という訳でもないのだろうが、今はかなり真面目に仕事をしていた。

 それが功を奏した形だろう。

 ……また、ドラインの働いているのが、トレントの森であるということも、この場合は関係している。

 今でこそ、ギルムの増築工事をする為の建築資材収集場所とでも呼ぶべきトレントの森だったが、そのトレントの森が出来た時の騒動は、ギルムにいる者であれば誰でも知っている。

 何より、冬の間はそのトレントの森から出て来たギガント・タートルの解体をギルムの側でやっていたのだから、その危険さは考えるまでもなく明らかだった。


「おい、どうした! トレントの森で何かあったのか!」

「あった!」


 馬に乗っているだけであっても、体力は相応に消耗する。

 ましてや、トレントの森からここまで少しでも早く到着するようにとやってきただけに、ドラインだけではなく、馬も相当に疲れていた。

 馬から下りたドラインは、周囲でギルムに入る手続きをしている者達から注目を集めているのを知ると、そちらに聞こえないように小声で警備兵に話し掛ける。


「トレントの森でとんでもないことが起きた。レイからダスカー様に報告するように言われて、俺がやって来たんだ」

「……何?」


 ドラインの言葉に、警備兵は怪しげな視線を向ける。

 当然だろう。ドラインが真面目に仕事をしているのは知っているが、それでも今の言葉は正直に受け止めるようなことは出来なかったのだから。

 これが、警備兵に知らせるというのであれば、まだ納得も出来ただろう。

 だが、ギルムの領主たるダスカーに直接知らせなければならないと言われれば、警備兵としては素直にはいそうですかと頷く訳にもいかない。


「レイからの指示だと言ってたな? なら、何で直接レイが来ないんだ? セトに乗って来れば、お前が馬で来るよりも速いだろ」


 それは、レイという人物のことを知っていれば当然のように出て来る疑問だった。

 グリフォンのセトを従魔にしているレイであれば。それこそトレントの森からギルムまでは数分と掛からずに到着するのは間違いない。

 なのに、何故わざわざ馬で移動させるなどといったような真似をしたのか。

 警備兵の問いに、ドラインは若干の悔しさを表情に浮かべながら言葉を続ける。


「レイがいないと、向こうでいざという時に対処出来ないからだよ」

「……何?」


 レイでなければ対処出来ない。

 そんな何かがトレントの森で起きていると言われれば、警備兵達も表情を厳しくせざるをえない。


「とにかく、レイからはダスカー様に事情を説明して、どう対処すればいいのかというのを、すぐに聞いてくるようにと言われてるんだよ」

「……どう思う?」

「そう言われてもな」


 警備兵がドラインの言葉に戸惑ったように近くで話を聞いていた別の警備兵に尋ねる。

 だが、尋ねられた警備兵も、どうすればいいのかというのに迷う。

 これは、ある意味でレイのミスでもあった。

 実際にドラインがレイからの伝言を持ってきたということを証明出来る何か……そう、例えばレイのギルドカードか何かを持たせれば、ドラインの言葉にも強い説得力があったのだから。

 とはいえ、ドラインの様子を見れば出鱈目を言ってるようには思えない。

 こうしてギルムに入る者達の手続きを任されている以上、ここにいる警備兵達は相手の嘘を見抜く目には自信があった。

 そんな警備兵の中の二人が、ドラインの言葉に嘘はないと感じている以上、その理由はともあれ恐らく嘘を吐いていないのは間違いない。

 二人の警備兵はお互いに視線を交わし……やがて無言のうちに意思疎通を終えたのか、口を開く。


「分かった。すぐにダスカー様に……という訳にはいかないが、俺達の上司に話を通す。その上司がお前の話を聞いて、相応の理由があるとなれば即座にダスカー様に報告が行くだろう。俺達に出来るのはそれが精一杯だが、それで構わないか?」


 警備兵の言葉に若干の不満を抱いたドラインだったが、それでもここで足を止められているよりはいいだろうと、頷きを返す。


「分かった、それでいい。ただ、出来るだけ速くしてくれると助かる。今もレイや他の冒険者が、何が起きるのか分からないトレントの森にいるんだ」

「……分かった。なら、一緒に来てくれ」


 ドラインと話していた警備兵がそう言うと、街に入る手続きをする時間も惜しいと、素早く手続きを終えてギルムの中にある詰め所に向かうのだった。





「で? そんなに急ぐってのは、何があったんだ?」


 正門の近くにある詰め所の一室で、ドラインは向かいに座っている小隊長にそう尋ねられる。

 小隊長は部下からの報告で、一応念の為ということで領主の館に使いをやり、今はこうしてドラインから事情を聞こうとしていた。

 ドラインとしては一刻も早くダスカーに事情を知らせたいのだが、今は特に何もやるべきことはないと分かっているので、目の前にいる警備兵の小隊長と話をするのを避けるつもりはない。

 ……もっとも、ダスカーに言う前に小隊長に話してもいいのかどうかという、そんな不安は若干あったのだが。

 それでも、今回の一件がどれだけの大きい出来事なのかを知らせる為には、誰かに話しておいた方がいいと判断し、口を開く。


「その、トレントの森で樵達が木を伐採するといういつもの仕事をしていて、俺達もそれを守っていたら、レイと一緒に来ていたセトが急に周囲を警戒するように唸り声を上げたんです」

「セトが、警戒を?」


 小隊長も、セトのことは当然知っている。

 ギルムではマスコットキャラとして人気のセトだが、その能力はグリフォンの希少種ということもあり、非常に高いのだと。


「そうです。けど、どこか一方を警戒するんじゃなくて、警戒すべき相手がどこにいるのか分からないといった様子で」

「……それで?」


 セトが警戒すべき敵を見つけることが出来なかった。

 そのことに厳しい表情を浮かべる小隊長に、ドラインは話を続ける。


「そうしたら、何て言うか……そう、いきなり空間に波紋のようなものが出来て、そこから緑色の肌をした亜人が三十人くらい、いきなり姿を現したんです」

「空間転移か?」

「多分。ただ、俺は肌が緑色の……それも血までもが緑の亜人なんて、見たことがありません」


 血が緑という言葉を聞いた小隊長の表情が厳しくなる。


「待て。何で血が緑だと分かる? もしかして、戦いになったのか?」

「いえ、その亜人達は怪我をしたまま転移してきたので。で、怪我をしている亜人にレイがポーションを渡そうとしたんですが、言葉が通じなくて」

「……言葉が通じない?」

「はい。緑色の肌や血といい、言葉が通じないことといい、ちょっと信じられなかったです」


 そうドラインが告げるが、小隊長の表情は厳しくなる一方だ。

 同時に、何故レイが自分で報告に来ないで、乗馬の技術を持っているドラインを寄越したのか、ということも理解する。

 もっとも、この時点で小隊長が考えていたのは、ドラインと同様にどこかの少数民族が転移してきたのかということだったが。

 まさか、異世界からやって来た……などというのは、小隊長も想像すら出来なかった。


「言葉が通じないか。……うん? けど、レイはポーションを使ったんだろう? なら、どうやって意思疎通をしたんだ?」

「身振り手振りで、ですね。幸いにも向こうはこっちに敵対的じゃなかったですし、こっちもレイの指示で武器を構えるのを止めてたので、向こうもこっちが話し合い出来る相手だと思ったみたいです」

「……なるほど」


 身振り手振りだけでそこまで意思疎通が出来るのか? といった疑問は小隊長にもあったが、『レイだから』と考えれば不思議な程に納得してしまう自分がいた。


「で、ポーションで回復したところで、取りあえずレイは自分では手に負えない事態になっていると判断して、馬に乗れる奴をギルムに向かわせるということになって、俺が選ばれた訳です」

「つまり、レイが向こうに残ったのは、その緑の亜人達に対して攻撃をした奴がまた転移してくるかもしれないから、ということなのか?」

「多分そんな感じかと」


 転移そのものは、それなりに珍しいが空前絶後……といった程ではない。

 そもそも、多少の準備が必要ではあるが、ベスティア帝国が既にマジックアイテムを使って転移するという方法を実用化しているのだから。

 勿論、それには色々と制約があり、今回トレントの森に転移してきた亜人達が使った転移とは明らかに別物なのだろうというのは、小隊長にも理解出来た。

 また、同時に現状トレントの森は色々な意味で危ない場所になっているだろうといのも、理解出来る。


「取りあえずレイの判断は正しい」


 小隊長がそう言い、ドラインは今更ながら安堵する。

 もしこれで、実はレイの対応が間違っていて、ドラインの行動もやりすぎだった。

 そう言われたりしたら、どうしようもなかった、と思ってしまったから。


「ともあれ、詳しいことに関してはダスカー様の判断待ちだが、トレントの森で騒動が起こったのは間違いない。そうなると、人を派遣した方がいいか。ダスカー様の判断次第では、すぐに撤収するかもしれないが」

「え、本当ですか? それは助かります。その、出来れば強い人がいいかと。亜人達を攻撃した相手が追ってくる可能性がありますし、何より俺が来ることになったのは、レイがあの場所にいる中で一番強かったからですから」

「うむ、それは分かった。……だが、レイに匹敵する程の腕の持ち主なんてのはいないから、そこそこ強い奴を送るという形になるな」

「それでもいいと思いますので、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるドラインに、小隊長は誰を派遣するべきなのかを考える。

 攻撃してくる何者かが転移してくるかもしれない以上、相応の腕の持ち主を派遣する必要があった。


(難しいな。現状動ける中で、腕の立つ奴というのは……さて、誰がいたか。ともあれ、ドラインの言ってることが事実であれば、少しでも早く人数を揃える必要があるか)


 そうして考えていると、不意に扉がノックされる音が聞こえてきた。


「小隊長、領主の館から人が来ました。ドラインを至急領主の館まで連れてくるように、とのことです」


 その言葉に小隊長は頷き、ドラインを領主の館に向かわせると同時に、自分もまた行動を開始するのだった。

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