第2008話

「あ、ほらレイ君。ちょっと向こうのお店に寄っていきましょ」


 店の前で騒ぎを起こした謝罪代わりに、小物屋でちょっとした買い物をした後、レイとケニーの二人は街中を歩いていた。

 楽しそうに笑いながら歩くケニーを見れば、誰もがデートだと思うだろう。

 仕事帰りの者も多くなる時間帯であり、そのような者達はケニーのような美人とデートをしているレイに嫉妬の視線を向ける者も多い。

 自分達が仕事をして疲れているのに、デートをしやがって……といった、そんな視線。

 だが、ケニーはそんな周囲の様子に全く構うことなく、レイと共に色々な店に入っては、買い物をしていく。

 冒険者のレイと、ギルドの受付嬢のケニー。

 接点は色々と多いのだが、何だかんだとレイも忙しいことが多く、ケニーがレイとデート出来ることは少ない。

 もしくは、レイが暇でもケニーが受付嬢の仕事として忙しい……といったことも多かった。

 そういう意味では、今日こうして偶然二人の暇な時間が一緒になったというのはケニーにとって嬉しい誤算だったのだろう。

 その為か、いつも以上にはしゃいだ様子を見せている。


「食事の方の店はいいのか? 隠れ家的な店だって話だったけど、それでも店が一杯になると……」

「うーん、そうね。……本当ならもう少しレイ君と一緒に色々と見て回りたかったんだけど。じゃあ、そろそろ行きましょうか」


 レイの言葉に少しだけ考えたケニーだったが、人通りの多さに少し心配になったのか、そう言葉を返す。

 そうして、レイはケニーに案内されるように街中を歩く。

 ケニーは大通りから狭い道に入る。


(こっちは何回か行ったことはあったけど、そういう店があったか? いや、見つけにくいからこそ隠れ家的な店なんだろうけど)


 周囲の様子を見ていたレイだったが、そんなレイの様子にケニーは面白そうな笑みを浮かべる。


「この辺りにそういうお店があるとは、思わなかったでしょ? ……ほら、あそこよ」


 狭い道を数分進んだところで、ケニーが一件の建物を示す。

 特にそこが食堂であるという看板がある訳でもなく、普通の家のように見える。

 だが、ケニーの視線を追うと、その建物が目的の店であるのは間違いなかった。


(隠れ家的な店ってことだったけど、こうして看板を出していないのなら、少なくても一見の客は分からないよな。この店に入るには、誰かの紹介とか、そういうのが必要ってことか? それとも、紹介とかがなくても、ここが店だと知ってれば入れるのか)


 レイも、日本にいる時は漫画やアニメの類で紹介がなければ入ることが出来ない料理店、というのは何度か見たことがあった。

 恐らくはここもその類の店なのだろうと判断し、建物の……店の中に入っていくケニーの後を追う。


「いらっしゃいませ」


 建物の中に入ると、すぐにそう声を掛けられる。

 声を掛けてきたのは、カウンターに座っている、落ち着いた感じの女。

 ケニーと同じくらい、整った顔立ちをしていた。

 もっとも、声を掛けてきた人物は静かそうな性格をしており、活発な性格をしているケニーとどちらが好みなのかと言われれば、それはその人の趣味によって違ってくるのだろうが。


「こんばんは。部屋は空いてる?」

「はい。今日はお二人でしょうか?」

「ええ」

「分かりました」


 ケニーと女が短い言葉でやり取りをするのだが、それでお互いの意思疎通は十分に出来ているようにレイには思えた。

 いや、実際特に聞き返したりといったことをしていない以上、意思疎通は問題なく行われているのだろう。

 女が手元にあった鈴を鳴らすと、メイド服を着た女が一人、建物の奥から姿を現す。


「いらっしゃいませ、ケニー様、レイ様」


 そのメイドは、レイが特に自己紹介をした訳でもないのだが、それでも特に戸惑うことなくレイの名前を呼ぶ。

 もっとも、レイはギルムでは多くの人が知っている有名人だけに、今はドラゴンローブのフードも脱いでおり、顔もしっかりと確認出来る。

 だからこそ、こうしてレイのことを見てすぐに分かったのだろう。

 ……あるいは、レイの顔を知らなくてもケニーの連れだからということで、予想したのかもしれないが。


「お部屋にご案内します」

「ありがと。行きましょ、レイ君」


 メイドとケニーに誘われるように、レイは建物の中を進む。

 外から見た時はそこまで大きな建物だとは思えなかったのだが、歩いてみてるとそれなりの広さ――あくまでも外見と比べての話だが――を持っているのが分かる。

 そして部屋はある程度の距離をおいて作られており、部屋の前を通ってもレイの耳でようやく幾らか声が聞こえてくるといったくらいに防音設備がしっかりとしていた。


(隠れ家的、ね)


 恐らく、ある程度有名な者がゆっくりと料理を食べたり、酒を飲んだり、もしくはあまり人に見られたくないような会合をする時にこの店を使うのだろうというのが、レイにも容易に理解出来た。

 レイは周囲からの注目はそこまで気にしないが、人によってはそういうのが煩わしいと思う者もいるだろう。

 そのような者達であれば、この店を重宝してもおかしくはない。


(まぁ、本当に権力とかそういうのがある人達なら、こういう店じゃなくてもっときちんとした場所があるんだろうけど)


 利用する者が落ち着けるように廊下や壁の色も塗られているが、それでも結局ここは大通りから少し離れた立地でしかない。


「こちらです、どうぞ」


 一つの部屋の前でメイドが足を止め、扉を開く。

 部屋の中は、特別な何かがある訳ではない。

 趣味の良い家具があり、テーブルの上には春の花が飾られていたりもしたが、言ってみればそれだけだ。

 それでも不思議と落ち着くものを感じるのは、レイには分からないような細かいところで色々と心配りをされているのだろう。


「お料理の方はどうしますか?」

「うーん、そうね。レイ君は軽くでいいんだよね?」

「そうだな、この後で夕食が待ってるし」


 そう告げたレイに、メイドは一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべる。

 この店は分類的には料理店ということになっているのに、この店に来た後でまた食事を? と。そう思ったのだ。

 もっとも、この店を利用する者の中には訳ありの者も決して少なくはない。

 そうである以上、メイドがレイに対して何かを言うようなことはなかった。


「じゃあ、適当に軽めの料理をお願い」

「お飲み物はどうしましょう?」

「そう、ね。美味しいお酒があったらお願い。レイ君は?」

「お茶……いや、果実水があったらそっちで」


 春ということで、次第に気温は上がってきている。

 昼には汗ばむこともあり、果実水の類も最近は売りに出されていた。

 ……もっとも、冷えた果実水を用意する為にはマジックアイテムか魔法を使う必要があるので、大抵は生温い果実水なのだが。

 そしてマジックアイテムの類は高価な物が多く、冷やす為のマジックアイテムも相応に高価な代物だった。

 それでも屋台で果実水を売っている者が少し……いや、かなり無理をすれば購入出来る程度の値段である以上、このような店ならあってもおかしくはないと、そう判断してのレイの言葉。


「かしこまりました。では、少々お待ちください」


 メイドが頭を下げ、部屋を出ていく。

 そうして、部屋で二人きりになったところで、ケニーが自慢げにレイに向かって口を開く。


「どう? 結構良いお店でしょ?」

「そうだな。この部屋も、普通の部屋とどこが違うのかは分からないけど、どこか落ち着くような感じがするし」


 レイの言葉が意外だったのか、ケニーは若干驚いた表情を浮かべる。


「え? どこが違うのか分からないって……部屋の内装とかもかなり気を遣ってるでしょ? ほら、あそこの壁紙とかも」


 そう言われて壁を見ても、そこにある壁紙は確かにあまり見たことがないものだったが、レイにしてみれば普通の壁紙とどう違うのかは正確には分からない。


「普通の壁紙と違うのは分かるけど……そんなに良い物なのか?」

「あのねぇ……レイ君はマジックアイテムとか、武器の目利きに関しては文句なしなのに、何でこういう普通の品についてはいまいちなのかしら。……いい? あの壁紙も、このテーブルや椅子、それと向こうにあるソファ。その全てが、普通の人がそう簡単に買えるような代物じゃないのよ」

「……なるほど」


 そう言われ、レイは改めて部屋の中を見回す。

 とはいえ、ケニーにそう返しながらも、レイはここに置かれている家具がそこまで特別な物には思えなかった。

 それは、レイがその手の知識がないというのもそうだが、それ以外にも普段寝泊まりしてるのが高級宿に分類される夕暮れの小麦亭であったり、夕食を食べているのが貴族街にあるマリーナの屋敷だったり、と。そのような理由の方が大きい。

 つまり、普段からレイは自分でも知らないうちに高級な家具と呼ばれる物を多く見ているのだ。


「失礼します。お料理をお持ちしました」


 ノックがされケニーが入ってもいいと許可を出すと、先程のメイドが戻ってくる。

 いや、先程のメイド以外にも、料理を持ったメイドが何人もそこにはいた。

 どのメイドが持っている皿からも、食欲を刺激する匂いが漂っている。

 また、食欲だけではなく綺麗に盛り付けられた料理は、目で楽しませるにも十分だった。

 ケニーが軽くと、そう言っていたこともあってか、料理は満腹になるというよりは少しずつ味を楽しむような、少量の料理が多い。

 もっとも、一品が少量であっても品数が多い為か、それを全部食べれば普通なら腹一杯になってもおかしくはないような量だったが。

 この辺は、レイが大食いだと知っている店の方で調整したのか、それともこれが普通なのか。

 そこはレイにも分からなかったが、目の前に料理の皿が何枚も並べられたというのは、レイにとっても歓迎すべきことなのは間違いなかった。


「さ、食べましょ。折角のお料理が冷めてしまっては勿体ないし」


 メイドが出て行ったのを確認してから、レイとケニーは食事を開始する。

 ……その前に、レイは冷えた果実水を、ケニーはワインの入ったグラスをそれぞれ持ち、乾杯することを忘れなかったが。


『乾杯』


 グラスも相応に良いものなのか、お互いに軽くぶつけ合った時には心地良い音が周囲に響く。

 まだ耳に残っているその音の名残を楽しみながら、レイは果実水で喉を潤す。

 予想していた通り、その果実水はきちんと冷えていた。

 マジックアイテムなのか、魔法使いを雇っているのか。その辺はレイにも分からなかったが、それでも喉を潤すには十分な冷たさを持っている。

 ほのかな甘みと、それなりに強い酸味。

 普通の果実水なら、酸味よりも甘みを優先させるだろう。

 だが、レイの好みとしては酸味が強いこちらの方が好みだった。


(この店の果実水は元々こういうのなのか、それとも俺の好みを知ってそっちに合わせたのか……どっちなんだろうな)


 そんな疑問を抱きつつ、レイは早速料理を楽しむ。

 まず最初に食べたのは、オーク肉を蒸した後で酸味の強い果実を使ったソースで味付けした料理。

 同じような料理は、レイもこれまで何度も食べたことがある。

 だが、一口サイズで出されたその料理は、酸味の中にも微かな辛みがあり、それがアクセントとなってもう少し食べたいと思わせる味だった。

 それでも一口サイズしか用意されていない以上、若干の物足りなさを抱いて次の料理を口に運ぶしかないのだが。


「この店の料理人って、以前はどこかの公爵家で働いていたんだって」

「……なるほど。だからこんなに美味い料理が出るのか。けど、そんな場所で働いていた料理人が街中で料理をするってのも珍しいんじゃないか?」


 公爵といえば、貴族の爵位の中では最高位で、王族に次ぐ地位を持っているのだ。

 それだけに、雇われている人間も当然のようにプライドが高い者が多く、街中の店での料理人をやるかと言われれば、素直に頷くようにはレイには思えなかった。


「うーん、普通ならそうだけど、その料理人は結構変わり者だったらしいよ? 噂だと、その貴族の子供が食べたいって料理を作ったんだけど、それを残されたんだって」

「それが嫌で料理人をやめたのか。けど、貴族が料理を残すなんてことは、珍しくも何ともないだろ?」

「ううん。その料理人が無理矢理その子供に料理を食べさせて、それで公爵を怒らせて首になったのよ」

「それは……」


 ケニーの口から出た予想外の言葉に、レイはそれだけしか言葉を返せなかった。

 貴族の子供に無理矢理料理を食べさせるという真似をして、首になるだけですんだのを喜ぶべきなのか、それとも公爵家の料理人という立場をそんなにあっさりと捨てたことに驚けばいいのか。

 ともあれ、そんな料理人の話をしながら、レイとケニーは食事を楽しむのだった。

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