第2007話

「じゃあ、セトのことは頼むな」

「うむ。イエロもセトと一緒に遊ぶのは好きだからな。その辺は気にする必要はない。レイも十分に楽しんできてくれ」


 エレーナは、レイにそう言葉を返す。

 本来なら、自分の愛する男が他の女と食事に行くというのは、あまり好ましいことではない。

 だが、今回の相手はケニーだ。

 エレーナも、以前ケニーに会ったことはあり、その存在については認めている。

 もっとも、エレーナやマリーナ、ヴィヘラに比べるとケニーはレイの相手としては少し難しいだろうという思いもあったが。

 エレーナ達三人は、レイと共に長い寿命を持っている。

 それに比べると、獣人のケニーは普通の人間と寿命的には大きな差はない。


「セト、じゃあイエロと遊んでいてくれよ」

「グルゥ!」


 エレーナに続けて、セトに話し掛けるレイ。

 声を掛けられたセトは、分かったと喉を鳴らす。

 セトにしてみれば、レイと一緒にいられないのは残念ではあったが、イエロと遊ぶことが出来るのも嬉しい。

 だからこそ、レイの言葉にも素直に従ったのだ。

 ……これで、夕暮れの小麦亭の宿舎に預けるということにしていれば、勿論セトの性格から考えてそれに抵抗するようなことはしなかっただろうが、それでもかなり寂しい思いはしていた筈だ。


「キュ! キュウ!」

「グルルゥ!」


 セトの側まで飛んできたイエロは、早速遊ぼうと鳴き声を上げる。

 セトも、そんなイエロの言葉に嬉しそうに喉を鳴らし、二匹はマリーナの家の庭をそれぞれに走り始めた。

 そんな追いかけっこを眺めていたレイだったが、エレーナの声で我に返る。


「レイ、ケニーを待たせる訳にはいかないだろう? 早めに行った方がいい」

「ん? ああ、そうだな。じゃあ、セトを頼むな」

「うむ、任せておけ」


 短く言葉をやり取りし、レイはマリーナの家を出る。

 そうして貴族街を歩くのだが……


(やっぱり、見回りをしている連中は増えたな)


 貴族に雇われている兵士、もしくは臨時で雇われている冒険者といった者達が、貴族街の中を歩き回っているのを見て、そう考える。

 とはいえ、これは仕方のないことだろう。

 現在のギルムは、仕事を求めて多くの者がやって来ていた。

 そうやって集まっている者の中には、当然のようにある程度は不心得者もおり、貴族の屋敷に忍び込んで盗みを働く……といった者も混ざっている。

 だからこそ、貴族達はそれぞれ自分の屋敷に、そして貴族街に怪しい者が入らないように、こうして見回っているのだ。

 とはいえ、冒険者を雇うには当然のように金が掛かる。

 増築工事ではなく、このような仕事を任せられるような信用出来る冒険者を雇うとなると、多くの報酬も必要となるのも当然だった。

 その辺も同じ派閥の貴族同士、もしくは派閥が違っても友好的な関係を築いている貴族同士で色々と交渉やら何やらをし、現在のような状況になったのだろう。

 ここを見回っている冒険者は、当然のように怪しい者が貴族街にいれば警戒し、場合によっては話を聞くといったことをしたりもするのだが……


「おお、レイ。一人でいるのは珍しいな。セトはどうしたんだ?」


 見回りを行っていた冒険者が、レイを見つけるとそう声を掛けてくる。

 セトがいない状況でドラゴンローブを着ているレイを見抜くのは、一定以上の腕を持ち、そして何よりレイのことを知っている人物だからだろう。

 当然のように、貴族街の貴族に信用されて雇われる冒険者というのは、以前からギルムにいる……つまり、以前からレイのことを知っている者達だ。

 ……もっとも、ギルムに来る上である程度情報収集している者であれば、当然のようにレイの存在については知っているだろうが。


「ちょっと約束があって街中に行くところだよ」

「そうか。最近はまた人が増えて不審者が多くなっているから、気をつけろよ。……なんて、ランクC冒険者の俺が異名持ちのレイに言うことじゃないか」


 照れた笑いを浮かべる冒険者に、周囲にいた他の冒険者達も揃って笑い声を上げていた。


「不審者には気をつけるよ。じゃあな」


 そうして短く言葉を交わし、見回りの冒険者達と別れて貴族街を出る。

 貴族街から出てしまえば、そこは既にレイにとっても馴染み深い街中だ。

 もっとも、人が増えた影響でかなり賑やかになってはいたが。

 その上、そろそろ仕事が終わる時間帯に近づいてきているということもあり、少し早めに仕事を終えた者達で更に街中の人数は増えていた。

 そんな街中を歩いていると……


「ちょっと、私は人を待ってるの! だから、貴方達に付き合ってはいられないのよ! 分かった!?」


 待ち合わせをしていた小物屋に近づくと、そんな声が聞こえてくる。

 その声は明らかにレイにとっても聞き覚えのある声で……そして何より、ここで待ち合わせをしていた人物の声でもあった。


「そう言ってもよ、誰もいないじゃん。お友達が来たら一緒に連れていくからさ、どう?」

「あのねぇ……いい加減にしないと、怒るわよ」

「きゃー、怖い。こんな美人のお姉様に怒られたら、僕は泣いちゃうよ」

「ぎゃはははは。似合わねえこと言ってんなよ」


 そんな会話を聞きながら、レイは更に小物屋に近づいていく。

 すると、そこでは予想通りの光景が広がっていた。

 三人の若い男達が、私服に着替えたケニーをナンパしていたのだ。


(取り合えず、助けるか。このまま時間が経過しても面白くないし)


 そう思いつつ、レイが一歩踏み出そうとした瞬間……


「あのねぇ、私はこれからデートなの。それもあんた達みたいなしょうもない人じゃなくて、もっと凄い人とね。変な勘違いされたりしたら困るから、さっさと帰ってくれる?」

「んだとこらぁっ!」


 半ば挑発するような言葉を発したケニーも迂闊だったが、そのケニーにしてもまさか今の言葉でいきなり殴りかかってくるとは思わなかったのだろう。

 一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが……次の瞬間には、猫科特有のしなやかな動きで男の拳を回避すると、そのまま腕を掴んで力の流れをコントロールし、投げる。

 合気道のように敵の攻撃を利用しての投げ。

 殴りかかった男は、それこそ自分がどうされたのかも分からないまま、自分の力で地面に叩きつけられる。


「ぐっ!」

「なっ!? ……この女ぁっ!」


 仲間が地面に叩きつけられるのを見て、残る二人のうちの一人が、こちらも反射的にケニーに殴り掛かるが……当然のように最初の男と同様の結果となる。


「あのね、このくらいの護身術は、冒険者ギルドの受付嬢として必須よ? 場合によっては、冒険者と戦うこともあるんだから」


 その一言に、地面に倒れている二人とまだ無事だった一人が唖然とした表情を向ける。


「ギルドの……受付嬢?」

「そ。冒険者の相手をするんだから、ある程度の強さはなくちゃね。少なくても、あんた達程度ではどうにも出来ないわよ。分かった、僕?」


 からかうようにそう告げるケニーだったが、その強さをたった今見せつけられたばかりである以上、男達は何も反論出来ない。

 強引な態度を取れるのは、あくまでも相手が自分達よりも弱いからなのだ。

 ……ここがギルムでなければ、男達もある程度は大きな顔を出来たかもしれないのだが。


「まぁ、これに懲りたら遊んでいないで、しっかりと働きなさい。……あ、レイ君」


 男達に言い終わったところでレイの姿に気が付いたのか、ケニーは嬉しそうな顔でレイの名前を呼ぶ。

 そこには、数秒前に男達に説教をしていたことを思わせるものは一切なく、まさに恋する乙女という表情が相応しい様子だった。

 一瞬にして変わったケニーの様子は、あっさりと倒されてしまった男達にしてみればとてもではないが現実とは思えない光景であり……出来るのは、ただケニーとレイに視線を向けるだけだ。


「取り込み中だったか?」

「いいのよ、別に。特に何かがあった訳じゃないし。……さ、それよりもそろそろ行きましょう。この時間になったし、レイ君もお腹が減ってるでしょ」

「そうだな。……じゃあ、そうするか。けど、その前に。……うん、私服のケニーも別に初めて見る訳じゃないけど、ギルドの制服以外を着ているケニーを見るのも久しぶりな気がする」


 それはお世辞でも何でもなく、ただ純粋にレイがそう思ったから口にした言葉だった。

 ……正確には、こうして女と待ち合わせをした時であれば、服装を褒めた方がいいと、日本にいた時にゲームや漫画、アニメといったもので見たことが多かったから、というべきだろう。

 そして、実際に私服姿のケニーを見るのが非常に珍しいというのも、大きい。

 そんなレイの言葉に、ケニーは嬉しそうに……それこそ、本当に心の底から嬉しそうに笑みを浮かべる。

 久しぶりのレイとのデートということで、ケニーも当然のように服装には気を遣っていた。

 ギルドでレイと別れた後、残っていた仕事を大急ぎで終えると、自分の代わりに来た受付嬢と引き継ぎを済ませ、家に帰ってから着替えてきたのだ。

 レイにはそこまでは分からなかったが、それでもケニーがいつもと違うというのは理解出来た。


「ふふ、レイ君に喜んで貰えて嬉しいわ。この服、ちょっと前に買ったけど着る機会がなかったのよね」


 そう言い、笑みを浮かべるケニーの視界の中では、既に先程の三人の姿は完全に消え去っている。

 いや、正確にはまだ二人が地面に倒れているし、一人は仲間がそんな状態なのでこの場から逃げるに逃げられないというのが正確なのだが。

 だが、ケニーにしてみれば既にそんな三人より、レイとのデートの方が何十倍、何百倍も大事だった。


「そうなのか。なら、無事にお披露目出来てよかったな」


 春らしく、緑を主体としたワンピースに似た服装。

 生憎とレイは女の服装に詳しい訳ではない為、それが本当にワンピースと呼ばれる種類の服なのかどうかは分からなかったが、ギルドの制服では胸元が見えるよう挑発的に開けているケニーが着るにしては大分大人しいように見えた。

 とはいえ、その意外性がレイには新鮮に映ったのだが。


(良し)


 レイの視線に驚きが交じっているのを感じたケニーは、言葉にも表情にも出さないが、心の中ではガッツポーズを取る。

 この服、実は以前レノラと一緒に買い物に行った時に購入した服なのだが、何だかんだと今まで着るようなことがなかったのだ。

 勿論、それはケニーが仕事一筋で街中に出るようなことがなかった……といった訳ではなく、純粋にレイとのデートの時に着ようと思っていた服だというのが唯一にして最大の理由だったのだが。


「ええ、そうね。それより、これから行くお店は基本的には見つかりにくい場所にあるから、この時間になっても混むようなことはないわ。せっかくレイ君と一緒に出かけるんだし、色々なお店に寄っていかない?」


 嬉しそうに、そして期待の込められた視線を向けられてそう言われれば、レイも断ったりは出来ない。

 あるいは何らかの用事があれば話は別だったのだが、今は特に急いで何かをするような用事はなかった。

 だからこそ、ケニーの言葉にレイはあっさりと頷く。


「分かった。それで、どういう店に寄るんだ? 少し急がないと、仕事が終わって帰ってくる連中が多くなってしまうぞ。……まぁ、仕事帰りで疲れていれば、色々な店に寄る余裕があるような者も少ないだろうけど」

「うーん、そうね。取りあえず、そこの小物屋にちょっと寄ってみない? ……その、今の一件でちょっと迷惑を掛けてしまったし」


 少し照れ臭そうに言いながら、ケニーは改めて地面で寝転がっている二人と、その二人の仲間で唯一立ったままの男に視線を向ける。

 ケニーが外見に似合わぬ力を持っているのを実際に体験した為か、三人の男達はケニーの視線を向けられ言葉も出なくなってしまう。

 レイはそんな男達に呆れの視線を向けつつ、ケニーの後を追う。


(冒険者ならまだしも、普通に仕事を欲しくてやって来たなら、素直に仕事をしていればよかったものを。……ああ、こういう連中が集まって、去年の赤布のような感じになったのか)


 そんなことを考えながら小物屋に入ると……


「うおっ!」

 

 店の中……いや、中央にセトの木彫り人形があったのを見て、驚きの声を上げる。

 この店でセトの木彫り人形を売っているのは分かっていたが、それはあくまでも掌サイズ程の大きさの木彫り人形だ。

 レイが見て驚いたのは、全長一mくらいもあるような、巨大な木彫り人形だった。

 ここまで来ると、木彫り人形ではなく木像と呼んだ方が相応しいような気さえしてくる。


「……また、でかいな」

「ああ、それ? ふふっ、驚いたみたいね」


 そんなレイに対し、ケニーは悪戯が成功したといった笑みを浮かべるのだった。

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