第2009話

 ケニーと楽しい食事をした翌日……レイの姿は、トレントの森にあった。

 とはいえ、レイにとってはトレントの森に来るのはいつものことなので、特に驚くべきことではない。

 樵達が伐採した木をギルムまで運ぶといったことを毎日――樵を集めに行く時以外――のようにやっているし、樵達にしてみればレイが来ない場合は自分達で伐採した木を運ばなければならない以上、レイという存在は非常にありがたい。

 レイが樵を集めに行って、いなかった時は全員が体力的にかなり辛かったのだ。

 本来なら、伐採した木はある程度放置して乾燥させるという行程が必要となる。

 そうなれば、当然のように乾燥することによって水分が失われ、水分が失われた分だけ木も軽くなるのだが……トレントの森の木は、その乾燥という行程がない為に、重い状態で運ぶ必要があった。

 樵達も普段から同じような仕事をしてはいるのだが、その行程がない分だけどうしても馬車で木を運ぶのにも苦労する。

 また、冒険者に守ってもらっているが、ここがギルム……辺境であるというのも、ギルム以外からやって来ている樵にしてみれば精神的なプレッシャーがあるのだろう。

 モンスターが襲ってきた時、木を運んでいる状況では逃げるのにも手間が掛かる。

 当然その時は木を置いて逃げるのだが、モンスターによって運んでいる木が折られたり傷つけられたりといったことをした場合、錬金術師が行う魔法的な加工に影響が出て来る可能性もあった。

 だが、レイがいればその辺の心配は全くしなくてもいいのだから、レイがこの場に来るというのを反対する樵はいない……訳ではないが、かなり少ない。

 また、今年の春になってレイが連れてきた樵達は、全員がレイに好意的――少なくても表面上は――だったので、その者達もレイがトレントの森に来るのを反対することはない。

 そして護衛の冒険者達にいたっては、同じ冒険者としてレイの存在を知っていたこともあり、不満を言う者はいない。

 レイの外見だけを見て侮るような者も、レイがセトに乗って移動しているのを見れば、何か言える筈もなかった。


「っと、よし。これで伐採された木は全部だな」

「うっす。レイさんにはいつもお世話になっています。もしレイさんがいなければと思うと……」


 明らかにレイよりも年上の冒険者ではあったが、レイを格上の存在として扱う。

 冒険者の世界は、実力が全てだということの証明の一つだろう。


「まぁ、俺にとっても楽な仕事だから……セト?」


 問題はない。

 そう言おうとしたレイだったが、不意にセトが周囲を警戒した様子を見せているのに気が付き、その名前を呼ぶ。

 セトがここまで警戒することは、非常に珍しい。

 トレントの森で現れるモンスターは、基本的に弱いモンスターが大半だった。

 たまに高ランクモンスターが姿を現すこともあったが、それでもランクDやランクCが精々といったところだ。

 だが、当然ながらそのようなモンスターを相手にして、セトがここまで警戒するようなことはない。

 ……とはいえ、ここは辺境だ。

 それこそ、ランクBやランクAモンスターが姿を現しても不思議ではなかった。

 もしかして、そのような高ランクモンスターがいるのか?

 そう思い、周囲の様子を鋭く観察するレイ。

 レイと話していた冒険者が、そして周囲の様子を警戒していた他の冒険者達も、レイとセトの様子に不穏なものを感じたのか、何があってもすぐに反応出来るようにそれぞれ自分の武器に手を伸ばす。

 また、冒険者のうちの何人かは危険だと判断し、トレントの森の中で木の伐採をしている樵達を集める為に行動を始める。


「グルゥ? グルルルゥ……グルルルルルゥ」


 周囲の様子を警戒しているセトだったが、そのセトはどこを警戒すればいいのかといったことが分からないかのように、四方八方へと視線を向けながら、喉を鳴らしていた。


「セト?」


 そんなセトの様子が珍しく、レイはいつ何が起きてもいいようミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出しつつ、不思議そうにセトの名前を呟く。

 名前を呼ばれたセトは、戸惑ったように……それでいて、喉を鳴らすだけだ。


(おい、もしかして……セトに感づかれない程に隠蔽能力の高いモンスターが、近づいてきている……いや、もしかしてもういるのか?)


 嫌な、本当に嫌な予感を抱きつつ、レイは素早く周囲を見回す。

 グリフォンのセトは、圧倒的なまでに鋭い五感と、第六感……そして魔力を感じることが出来る能力をも持つ。

 にも関わらず、そんなセトが周囲を警戒しながら、それでも敵を見つけることが出来ないとなると、それは非常に厄介な事態になっていると言えた。

 周囲にいる冒険者達を見ながら、レイはどうするべきかをかを考える。

 自分だけなら、それこそどうとでも出来る自信はある。

 だが、セトから隠れることが出来る相手がいるとなると、そんなモンスターを相手にして、自分以外の者達をどうするのかといった問題が出て来てしまう。

 基本的に、樵の護衛という仕事はそこまで報酬が高くない割に結構労働環境が厳しいということもあり、腕の立つ者はあまり受けない。

 中には色々と事情があって受ける者もいるが、そのような者は少数だ。

 つまり、現状でここにいる冒険者の多くは、初心者……とまではいかないが、現在ギルムにいる冒険者の中では決して強い者達ではない。

 そのような者達を守りながら、セトにも見つけられないモンスターと戦うというのは、明らかに難易度が高い。


(いや、冒険者より樵の方が問題か)


 元々ここにいるレイ以外の冒険者は、樵達の護衛というのが主な依頼内容だ。

 そして樵の中には、血の気の多い者もいるが、街中の喧嘩はともかく、本格的な意味で命懸けの戦闘をしたことがあるかと言われれば、経験したことがある者もいるのだろうが、殆どがないだろう。

 冒険者だけではなく、そのような者達を守るというのは、レイとセトという一人と一匹では難易度が非常に高い。


(どうする?)


 考えるのは一瞬。

 この場にいる冒険者の中で最もランクが高いのはレイである以上、素早く指示をする必要があった。


(逃がすか? いや、セトにも見つからないだけの能力を持っているモンスターだ。例え冒険者達を護衛に付けてこの場から逃がしたとしても、そっちを狙われる可能性は高い)


 冒険者だけなら纏まって逃げることも可能かもしれないが、樵までもが一緒になるとパニックになり、それぞれが四方八方に逃げ出すといったことにもなりかねない。

 そうである以上、自分の側に置いておいた方がいいのは確実だった。


「どういう敵が来るのかは分からないが、敵の相手は俺がする。セトの索敵能力でも完全に察知出来ない以上、お前達が戦うのは危険だ。お前達は、樵達の護衛を頼む」


 お前達は弱い。そう決めつけるレイの言葉に何人かの冒険者が反射的に言い返しそうになるが、それよりも先に先程レイと話していた冒険者が口を開く。


「分かりました」


 それは、先程までレイと話していた冒険者。

 先にその男に言われたことにより、他の者は不満を言えなくなる。

 ……その冒険者が、今日この場にいる他の冒険者達の纏め役でもあった、というのもこの場合は大きいのだろうが。


「助かる」

「けど、敵がいる割には、襲ってくる様子がありませんね。もしかしたら、樵達の方に行ったのでは?」

「いや、それはないな」


 男の言葉を、レイはセトを見て瞬時に否定する。

 セトが未だにこうして周囲を警戒しているということは、敵がいるのは間違いなく自分達の側だと、そう確信出来た為だ。


「敵が離れたのなら、セトがそれを理解出来る筈だ。それがないということは、まだ間違いなくこの近くに敵がいる。……恐らくだが、こっちの隙を狙ってるんだろうな」

「セトが敵の位置を把握出来ないのなら、敵がいない可能性もあると思うのですが」

「その辺は大丈夫だろ。敵の姿を見失ったらセトも分かるだろうし、何より……」


 言葉を最後まで言わず、レイは視線をトレントの森の奥の方から、こちらに向かって走ってきている樵達に向ける。

 先程呼びに行った冒険者が先頭を走り、もし何者かに攻撃された時はすぐに対処出来るように周囲を警戒している。

 とはいえ、盗賊ではない以上、その探索能力は当然のようにないよりはマシ程度でしかない。

 それでも敵に襲われることなくここまで到着出来たのは、やはりまだ敵が自分達の近くにいるのだろうと、レイにはそう確信出来た。

 セトでもどこにいるのか分からない以上、レイの能力では到底見つけることが出来なかったが。


(本当に、どこにいるんだ? こうして出てこないのは、俺達を我慢させて消耗させる為か? それとも、もっと他に何らかの理由が……)


 敵の狙いを考えているレイだったが、ちょうどその時に樵達がレイの下に到着する。


「……おい、レイ! 何が起きてるんだ!」


 デスサイズと黄昏の槍という長物二本を持ったレイは、異様なまでの迫力があった。

 一瞬息を呑んだ樵だったが、それでもレイに向かって素早く尋ねたが、レイが返すのは短い言葉。


「そいつから話を聞いてないのか?」

「何かモンスターがいるって話は聞いてるけど、それだけだ。モンスターなら、レイが倒せるんだろ?」


 大体の事情は理解していると知り、レイは周囲の様子を伺いながら口を開く。


「そうだな。それがその辺にいるようなモンスターだったり、もしくは姿を見せていれば戦うことも出来るんだけどな。……セトの様子を見てみろよ」


 レイの言葉に、樵達……そして冒険者達もセトに視線を向ける。

 だが、そのセトは相変わらず周囲に視線を向け、右の方に生えている木を見たかと思えば、左の草に視線を向け、真上を見たり、地面を見たりといったことを繰り返していた。

 セト自身も、何かが近くにいるのは分かるのだが、その何かが分からずにいることに戸惑っているのは明らかだった。


「これは……」


 樵達は訳が分からないといった様子を浮かべているが、冒険者であればセトがどれだけの能力を持っているのかは、容易に理解出来る。

 そんなやり取りを横目にしていたレイだったが、再び周囲の様子を警戒し……


「グルルルルルルルルゥッ!」


 不意に、セトが鳴き声を上げる。

 それは、今までの周囲を警戒していた鳴き声ではなく、明確に敵を見つけたといった意味での鳴き声。

 だからこそ、レイはいつ何が起きても反応出来るように意識を集中しながらセトの視線の先を見て……その動きが止まる。

 何故なら、そこにはモンスターはいなかったからだ。

 代わりにという訳ではないが、そこには何とも表現のしようのないものがあった。

 ……そう、空間に波紋とも呼ぶべきものが広がっていたのだ。

 水が入っているコップの中に、一滴の水を落とした時に生まれる、輪のような波紋。

 そんな波紋が、現在幾つも……それこそ、十数個も空間に浮かんでいたのだ。

 普通なら、とてもではないが信じられないようなそんな光景。

 だが、このエルジィンという世界に生きている者にしてみれば、自分の理解出来ない光景を見るというのは、それなりにある。

 特に冒険者のような存在であれば、未知との遭遇というのはよくあること……とまではいかないが、決して皆無ではないのだから。

 とはいえ、ここに集まっている冒険者はそこまで腕が立つようなものではない以上、レイとセトの視線を追って目にした光景に動揺する者も決していない訳ではない。

 ましてや、樵達にしてみれば視線の先の光景はどう考えても有り得ないしろものであり、混乱するのは当然だった。


「おっ、おわぁっ! ちょっ、一体何だよあれ!」


 樵の一人が叫ぶと、他の面々も同じように動揺し……


「静まれ!」


 その動揺が頂点に達して混乱しながら誰かが騒ぎ出し、それぞれが好き勝手にこの場から逃げ出そうとするよりも前に、鋭いレイの叫び声が周囲に響く。

 それは、普段のレイが話している時のような言葉とは違う、圧倒的なまでに力の込められた声。

 異名持ち冒険者としての実力を感じさせるそんな声に、当然のようにその声を聞いていた者達は動きを止め……


「樵達は混乱せずに一ヶ所に固まれ。冒険者達はその護衛を! あの空間の波紋から出て来た敵は、俺とセトで受け持つ!」


 素早く指示を出す。

 その途中で空間の波紋から敵が姿を現せば、すぐにも戦いとなっていただろう。

 だが、空間に生み出されたその波紋からは、未だに何かが出て来る様子はない。

 だからこそ、レイも仲間に指示を出すような余裕があったのだが……その波紋が微かに光り始めるのを見ると、指示を出す声を止め、いつでも攻撃に移れるようにしながら待ち続け……やがて、空間に浮かんだ波紋が一際眩く光を発するのだった。

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