第1997話

「うーむ……やっぱりまだ夜になると冷えるな」


 エレーナがそう言いながら、周囲を見渡す。

 既に太陽は完全に隠れ、空には月と星が輝いている。

 昼はある程度――それでも十度以下だが――暖かくなってきてはいるのだが、夜になれば当然のようにまだ寒い。

 もっとも、レイはドラゴンローブを着ているので、その辺は全く気にならないし、寒いと口にしているエレーナもエンシェントドラゴンの魔石を継承したおかげで、その身体能力は軽く人間を超えている。

 寒いと口にしているのも、半ば条件反射的なものだろう。


「そうだな。今日でギガント・タートルの解体の依頼も取りあえず終わったんだし、出来ればもう少し早く暖かくなって欲しいところだ」

「ふふっ、ダスカー殿も喜んでいたな」

「あー……うん。まぁ、そうだな」


 夜の街中をこうしてレイとエレーナの二人だけで歩いているのは、ギガント・タートルの解体の件でレイがダスカーに報告に行ったのが理由だった。

 そこで中立派と貴族派についての話をしていたエレーナと遭遇し、こうして二人でマリーナの家に帰ることになったのだ。

 ……もっとも、レイは今も夕暮れの小麦亭に泊まっているので、マリーナの家に帰るというのはエレーナだけなのだが。

 なお、セトとイエロは今頃はマリーナの家の庭で二匹揃って遊んでいる筈だった。


「ギガント・タートルの解体が終わって、これまでのように好きなだけ肉を食べることが出来なくなったというのは、残念だな」

「そうでもないぞ。ミスティリングの中には、結構な量のギガント・タートルの肉が収納されてるからな。勿論、セトが毎日腹一杯食べる……ってことをすれば、来年までは確実に保たないだろうけど、ある程度の量を定期的に食べるくらいなら問題はないと思う」

「そこまでの量があるのか?」

「まぁ、何だかんだと一ヶ月以上も解体は続いたからな。……それでいて、解体自体はそこまで進んでいないってのが、色々と恐ろしいけど」


 結局この冬の解体では、足の一本を全て解体する……といったことも出来なかった。

 まだ慣れていないということもあるのだろうが、最終的に解体したのは、六本あるうちの足の一本の、半分以下といったところだ。

 とはいえ、ギガント・タートルの解体は鱗を剥いだり、皮を剥いたり、それ以外にも色々とやるべきことがあるのだから、時間が掛かるのも当然かもしれないが。


「来年には、今年解体に参加した面々がまた参加してくれるだろうから、もっと解体の速度は上がると思う。ギガント・タートルの話を聞いて、冬にギルムに残る奴も多くなると思うし」


 金を稼ぐという意味では、ギガント・タートルの解体はかなりの稼ぎになるのは間違いない。

 もっとも、それはあくまでも依頼料ではなく、解体に参加した面々におまけとしてレイが配っているギガント・タートルの肉を売れば、の話だが。

 ただ、極上の……それこそ貴族や王族でもちょっと食べることが出来ないような肉を自分で食わずに売るという選択が出来なければ、儲けそのものは少ないだろう。

 あるいは、金を稼ぐのではなく肉を味わってみたいと思って残る者も相応の数になるかもしれない。


「ふむ。実際にギガント・タートルの解体のおかげか、冬のギルムは活気があったのは間違いないな。……もっとも、私も冬のギルムを知っている訳ではないから、あくまでもアネシスを含めた他の場所と比べての話だが」

「あー……そうだな。活気があったのは間違いない。これで、あの目玉の一件がなければもっと活気はあったんだろうけど」


 そんな風に言葉を交わしながら、二人は街中を歩く。

 普通であれば特に明かりもない暗い道だが、レイもエレーナも半ば人外の存在といってもいい存在だ。

 当然のように夜目も利き、星明かり程度の明るさでも問題なく道を歩くことが出来た。

 ……だからこそ、だろう。その存在に気が付いたのは。


「はぁ。今日は腹が減ってるし、出来れば早く帰りたかったんだけどな」

「今日はマリーナが魚を使った料理を作ってくれるらしい。早く帰らないと、ビューネに全て食べられてしまうかもしれないな」

「そこは、出来れば少しでもいいから残して欲しいというのが、正直なところなんだが」


 二人揃って小さく溜息を吐き、視線を自分達が歩いている場所に伸びている細い道に向ける。

 そこには、複数の人の気配があった。

 いや、人の気配があるだけであれば、特に何も問題はなかっただろう。

 だが、その気配が殺意……とまではいかないが、悪意を自分達に向けているとなれば、レイやエレーナとしてもそのままにしておくという訳にもいかない。


「出てこい」


 そんなレイの言葉で、自分達が隠れているのが見つかっていると理解したのだろう。

 細い通路から、十人近い男達が姿を現す。

 若いのは十代半ばから、年上は三十代近い男の姿もある。

 その誰もが手に棍棒や短剣といった武器を持っており、悪意ある視線をレイとエレーナに向けていた。

 いや、エレーナに向けられているのは、悪意というよりは下卑た欲望と言うべきか。

 その視線を向けられたエレーナは、当然のようにその視線の意味を理解していた。

 視線の意味を理解しているだけに、その美しい眉を顰める。


「お前等、相手を間違えてないのか? 俺達が、お前等程度の連中にどうにか出来るかどうか、分からない訳じゃないと思うがな」


 セトを連れてくれば良かった。

 そう思いつつ、告げたレイだったが、言われた方は本気でレイにもエレーナにも気が付いていないのか、口元に嘲弄の笑みを浮かべる。


「へっへっへ。こんな人通りの少ない道を、二人だけで……それも、そんないい女と一緒に歩くってのは、襲ってくれって言ってるようなもんだぜ? 良かったな、俺達が善良な奴で。少なくても、命は取らないから安心しろ。代わりに金目の物は貰うし、そっちの女でたっぷりと楽しませぐべぇっ!」


 リーダー格の男が最後まで口にするよりも前に、レイは一瞬にして間合いを詰め、その顔を殴り飛ばす。

 それでも最低限の手加減はしており、前歯の何本かは折られたが、命そのものは無事だった。


「お前達、一体誰に絡んでいるのか分かってるのか? 今ならこれで許してやるから、さっさとその男と一緒に消えろ」


 しん、と。

 レイの言葉があまりにも予想外で、何よりも夜であるとはいえレイの今の動きを見ることが出来なかったのか、男達は一瞬にして黙り込む。


「何度も言わないと分からないか? 消えろ、と。俺はそう言ったぞ? それとも……最後まで俺と戦うってのなら、それでも構わないが?」


 そんなレイの言葉に、男達は目の前の二人が到底自分達では勝ち目のない相手だと悟ったのだろう。

 一目散に、レイの前から逃げ出していく。

 ……それでいながら、最初にレイに殴り飛ばされた男を置いていかなかったのは、少しだけレイに意外な思いを抱かせる。

 それこそ、てっきり仲間を置いてそのまま逃げ出すのではないかと、そう思ったのだ。


「逃げ足だけは凄いな」

「レイ、もしかしてこの一件はギガント・タートルの解体を終えたから……ということはないか?」

「あー……多分ないと思うぞ。俺は毎朝解体する連中と一緒に行動してたから、向こうが俺を分からないで襲ったってことはないと思うし」


 ギガント・タートルがミスティリングに収納されている以上、レイが朝に解体要員達と一緒に行動するのは当然だった。

 勿論全ての人員の顔をレイが把握している訳ではないが、それでも今のような悪い意味で目立つ相手の顔を忘れるとは思えない。

 そうである以上、絶対にということではないが、恐らくギガント・タートルの解体に参加していなかった者だろうというのは、レイにも予想出来た。


「あの様子からすると、スラム街の住人という訳でもなさそうだしな」


 レイの言葉に、エレーナはそう告げる。

 実際、先程の男達の服装はスラム街の住人が着るものとしてはかなり綺麗なものだった。

 別にスラム街の住人全てが今にも破れそうな服を着ているといった訳ではないのだが。

 スラム街の中でも上の方……それこそ裏の組織で偉くなれば、普通の住人よりも高価な服を着ているのは、珍しくはないのだから。


「これから、春になるに連れてああいう連中も増えていくんだろうな。……警備兵にはもっと頑張って貰わないとな」


 そう言いながら、レイ達は夜道を歩いていく。

 幸いにも、それ以後は先程と同じような強盗に遭遇するようなこともなく、特に問題もなく貴族街に到着する。

 そして、当然の話だが貴族街は貴族に雇われた冒険者や貴族に仕えている兵士、騎士といった者達が見回ったりしているので、先程のようなことはない。

 ……もっとも、世の中には何を勘違いしたのか、この地区を見回っている自分達は偉い。だからこそ、怪しい奴は取り調べて何か金目の物を持っていれば奪ってもいい……などと考えるような者もいるが。

 とはいえ、当然のようにそのような者達はギルムの上層部や、場合によってはそのような振る舞いをしている者を雇った相手に話を通せば、あっさりと片付くのだが。


「そう言えば、ちょっと前に勘違いした奴が貴族街を我が物顔で歩き回っていて、それで最後は最悪といってもいい結末になったらしいな」

「中にはそのような者もいるのだろうな」


 二人揃って話しながら歩き、やがて既に馴染みの場所となったマリーナの家に到着する。

 特に声を掛けるようなこともなく、マリーナの家の庭に入っていく。

 もしマリーナと親しくない相手がこのような真似をすれば、それこそ家を守っている精霊が即座に牙を剥くだろう。

 防犯設備という点では、精霊が相手を認識して自動的に迎撃したり迎え入れたりといったことをする分、非常に優秀だった。

 当然のように、レイとエレーナはマリーナの仲間だと精霊に認識されているし、何より毎晩のようにこの家にやって来ているので、排除されるといったことはない。

 二人揃って庭に向かうと、ある一点からその空気が違う。

 外の寒い空気と違い、その場所からは非常に暖かいのだ。

 それが誰の仕業なのかは、それこそ考えるまでもなく明らかだった。

 そして空気が変わると同時に、料理の匂いも漂ってくる。

 来る途中で話していた通り、今日は魚を使った料理だというのは匂いでもしっかりと確認出来た。

 ぐぅ、と。

 その匂いを嗅いだ瞬間、レイの腹が空腹を訴える。

 とはいえ、別にレイは昼食を抜いていたといったようなことはない。

 いつも通りに昼食は食べたし、領主の館で出されたサンドイッチや紅茶もしっかりと食べている。

 それでもこうして腹が鳴るのは、それだけレイの身体の燃費が悪いからだろう。

 ……もっとも、レイとしては食事をするのに金に困るということはないので、燃費の悪い身体は色々な料理をたくさん食べることが出来るという意味で、寧ろ望むところだったのだが。


「あら、お帰りなさい。ちょうど料理が出来た頃に戻ってくるなんて、まるで狙っていたかのようね」


 魚を色々な野菜と一緒に蒸して、最後に熱々の油を上から掛ける……といった、香ばしい魚料理の乗った皿を持って庭に出て来たマリーナが、レイとエレーナの二人を見てそう告げる。


「別に狙っていた訳じゃなくて、偶然だけどな。……あの連中に絡まれなければ、もっと早くに到着していたし」


 その言葉に、マリーナは大体の成り行きを察する。

 とはいえ、セトを連れていないレイはともかく、エレーナはギルムでも間違いなく有名人だ。

 そんなエレーナに絡むような相手がいるとは、少し驚きだったが。


「大変だったみたいね。……でも、今日の夕食はその大変な状況を忘れるくらいには、上手く出来たと思うわよ。さっさと食べましょ」

「そうね。ビューネもさっきから、マリーナの持ってる皿の匂いにかなり惹かれているみたいだし」


 テーブルに座っているヴィヘラが、笑みを浮かべながらそう告げる。

 だが、そんなヴィヘラの言葉に、ビューネ本人は少しだけ不機嫌そうな表情で口を尖らせていた。

 料理を楽しみにしていたのは間違いないが、それでも自分のことを話題に出して欲しくなかった、といったところか。


「ん!」


 抗議の声を上げるビューネだったが、そんなビューネの様子にマリーナは笑みを浮かべ、料理をテーブルの中央に置く。

 その扱いから、今日のメインディッシュがこの料理だというのは、明らかだろう。

 もっとも、この料理に使われた魚は、去年の夏に海に行った時に獲った魚の中でも大きく、非常に美味いと言われる魚だ。

 だからこそ、メインディッシュに丁度いいと、そう思ったのだろう。


「エレーナ様、こちらにどうぞ」


 アーラがエレーナの為に椅子を引き、レイもまた空いている椅子に座り、庭の中で遊んでいたセトとイエロも集まってきて、こうして食事が始まるのだった。

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