第1998話

 時は流れ、目玉の一件以降は特に何か大きな問題が起きることもなく、季節は春を迎えた。

 もっとも、幾ら辺境のギルムだからとはいえ、あの目玉の一件のような大きな事件がそう連続して起こるということは、まずないのだが。

 ……ないのだが、レイやその仲間達は何故かそのような事件に巻き込まれることが多かったりする。

 冬の寒さも既になく、今は多くの者達がギルムに戻ってきていた。

 ギルムの増築工事も、少し前から本格的に再開されている。

 今はまだそこまで人数が多くはないが、これから時間が経つに連れてその人数は増えていくだろう。


「おーい、そっちのトレントの森の木材はどうなってるんだ!? こっちに持ってくるように言ってくれ!」


 ドワーフの一人が叫び、その言葉にすぐ返事がされる。


「取りあえず、今そっちに持って行けるのは五本ですけど、それでもいいっすかぁっ!?」

「それで構わん! とにかく、急いで持ってこい!」


 鋭く叫ぶドワーフに、その部下は力仕事をするために雇っている者達に対して、トレントの森の木材を持っていくように告げる。

 そうして何人もがトレントの森の木材を運んでいるのを見ながら、その指示を出した男は頭を掻く。


「困ったな。この調子だとトレントの森の木材はすぐに品切れになるぞ。冬の間に錬金術師達が色々と頑張っていたって話を聞いたけど、どうやらそれでも足りなかったか」


 ふぅ、と呟く男。

 トレントの森の木材は、かなり使い勝手の良い建築資材だった。

 そもそも、本来は数年……場合によっては十数年、下手をしたら数十年も先になっていたのだろうギルムの増築工事をここまで前倒しにしたのは、トレントの森という建築資材の入手先が突然手に入ったからだ。

 だが、それだけ使いやすい建築資材は、当然のように増築工事を行っているギルムのどの場所でも必要とされている。

 結果として、色々な場所で木材を欲しており、完全に需要に供給が追いついていない形となっていた。

 ダスカーや、この増築工事に携わっている者達も、当然そのことには気が付いている。

 だからこそ、現在樵や冒険者を総動員して、少しでも多くの木を伐採するように報酬を上げているのだから。

 だが、それでも追いつかない。

 この一件を知った上層部は、冬の間にも樵に仕事を頼んでおけばよかったと、しみじみ思ったとか。

 もっとも、雪が降っているような時に樵の仕事をする者がいるかと聞かれれば……危険が圧倒的に多いだけに、恐らく引き受ける者は殆どいなかっただろうが。

 それこそ、法外なまでの報酬を用意する必要があっただろう。

 そのような状況であっても、ギガント・タートルの解体の方に流れた者の方が多かった可能性があるが。

 そんな訳で……


「お、レイとセトか。通ってくれ。少しでも早く木を必要としてるらしいからな。急いでくれよ」


 去年までと同様、トレントの森で樵が伐採した木をミスティリングに入れて持ってきたレイは、街中に入る手続きの為の行列を無視して、そのままギルムの中に入っていく。

 当然のようにそれを見て面白くないと思う者もいたし、実際にその不満を警備兵にぶつける者もいたが……警備兵は、そんな者達を相手にしない。

 そもそもの話、増築工事の一件でギルムの外に出ている者は、殆ど素通りに近い感じで中に入ることが出来るのだ。

 ……これで、レイがもし他の樵や冒険者と共に伐採した木を運んできたのであれば、そのように不満を口にする者も居なかったのだろうが。

 ミスティリングを持つレイは荷物を運ぶ馬車の類がなくても木を運ぶことが出来るので、並んで手続きを待っている者にしてみれば、卑怯だ! と、そう言いたくなってしまうのだろう。


「お前、知らないのか? グリフォンのセトを連れてるってことは、あいつはレイだぞ?」


 ギルムには今回初めてきたのだろう相手にレイとセトのことを説明している声を聞きながら、レイはセトと共に急いで街中を歩く。

 セトを見ても驚かずに不満を漏らした辺り、もしかしたら大物なのかもしれないと思いながら。

 人の数が次第に多くなってきていることもあってか、冬に比べるとかなり人の数が多くなっていた。

 だが、当然のようにギルムの住人が多く、レイとセトがいるのを見れば、話し掛けてくる者も多い。


「レイ、ちょっと串焼きを食っていかないかい?」

「セトちゃん、美味しい果物があるけど、食べてかない?」


 屋台や料理を扱っている店、あるいは食材を扱っている店の者達が、何人もレイとセトに声を掛ける。

 料理や食材を扱っている店にとって、レイは大量に購入してくれるお得意様だし、セトが食べているのを見れば、それが宣伝となって人が集まってくる。


「悪い、今はちょっと急いでるんだ。もう少し暇になったら寄らせて貰うよ」

「グルルルルゥ!」


 レイとセトがそれぞれに答え、道を進む。

 そうして伐採した木を置く場所に到着すると……


「あ、レイ。やっと来てくれたか。悪いけど、木はここじゃなくて直接錬金術師達の方に持って行ってくれ。少しでも急いで加工しないと、現場の方ではかなり木材が足りなくなっているらしい!」


 担当の男にそう言われ、レイは少しだけ驚く。

 木材が足りなくなっているというのは聞いていたが、それでもまさかここまでとは思ってもいなかったのだ。

 

「そんなにか? 一応、去年は結構木材を溜め込んでいた筈だろ?」

「ああ、それでもだよ。去年もそうだったが、今年の工事からは本格的に木材を使うようになったらしくてな。しかも、多数の場所で一斉に増築工事を進めているから、その分だけ木材は必要になる」

「あー……うん。そういう理由か。……出来れば、錬金術師にはあまり近づきたくないんだけどな」


 レイの言葉に、錬金術師の所に直接木を持っていって欲しいと口にした男は苦笑を浮かべる。

 その理由を知っている為だ。

 冬に倒した、目玉。

 レイはその目玉の尻尾の一部を、素材としてグリムから貰っている。

 それを一時的にダスカーに預けた後で返して貰ったのだが、錬金術師にとってその尻尾はかなり興味を惹く素材だったのか、譲って欲しい……そこまでいかなくても、もう少し調べさせて欲しいと、何人もの錬金術師達がレイに言い寄ってきたのだ。

 ダスカーから、錬金術師達には直接レイに頼むように言っておいたと聞かされてはいたが、あそこまで必死に言い寄られるというのはレイにとっても予想外だった。

 当然のようにレイはそれを断ったのだが、強い知識欲のある錬金術師達が、それで引き下がる筈もない。

 それからも、会うごとにレイにその素材を譲ったり、調べさせて欲しいとそう言ってくるのだが……それも、増築工事が再開したおかげでようやく治まっていたのだ。

 だというのに、この状況でレイが錬金術師達に会いに行けば、恐らくはまた以前と同じようなことになるのは確実だった。


「レイの気持ちも分かるけど、大量の木を運ぶのは時間の無駄だろ。……いや、本当は運ぶ前に色々と検査をしたりといったことをしないといけないんだが、そっちも向こうで直接やるらしいし」


 それだけ忙しいんだ。

 そう言外に告げる男の言葉に、レイはしょうがないかと息を吐き、隣でじっとしていたセトに話し掛ける。


「セト、悪いけど俺はちょっと用事があるから行ってくる。お前はこの辺で待っててくれるか?」

「グルゥ?」


 大丈夫なの? といった様子で、喉を鳴らすセト。

 セトにしてみれば、レイが微妙に嫌そうな表情を浮かべているのだから、そのまま行かせてもいいのかと、そう思ってしまうのだろう。

 そんなセトの気遣いに、レイは問題ないと笑みを浮かべる。


「まぁ、あの連中も、今は色々と忙しいらしいからな。ここで俺にあの目玉の尻尾の素材を見せてくれと言ってくるよりも前に、伐採した木を加工する必要がある」


 そう言いながらも、そのような状況でも尚、言い寄ってくるんだろうなという思いがレイの中にはあった。

 さっさとあの尻尾を使ってマジックアイテムでも作った方がいいのではないか?

 そう思わないでもなかったが、アジモフ……レイが黄昏の槍を作って貰った馴染みの錬金術師にその素材を持ち込んだが、その素材を調べて特性をしっかりと考えないとどのようなマジックアイテムになるか分からないと言われてしまう。

 適当に作るマジックアイテムなら、すぐに作ることも出来ると言われたが、レイとしてはあのような目玉の素材なのだから、当然のように強力なマジックアイテムを作って欲しい。

 だからこそ、現在のアジモフはその辺りを考えており……そういう訳で、実はレイのミスティリングの中に目玉の尻尾はなかったりする。

 とはいえ、それを言えばアジモフのいる場所に多くの錬金術師が集まってくる可能性が高いので、公にする訳にもいかないのだが。


(下手をすれば年単位の仕事になるかもしれないって話だったから、そのマジックアイテムが出来るまでは他の錬金術師達を誤魔化す必要があるんだろうな)


 面倒な。

 そう思いながらも、レイはセトと別れて錬金術師達の作業場に向かう。

 当然ながら、錬金術師というのは貴重な存在だ。

 元々のダスカーの部下の錬金術師、そして臨時で雇われている錬金術師といった者達は、いざということがない為に、しっかりと兵士によって警護されている。

 そんな兵士達と軽く挨拶をし、レイは建物の中に入っていく。

 木材を魔法的な意味で加工するような場所である以上、錬金術師達が仕事をしているのはその辺の研究所……といった訳ではなく、かなり大きな倉庫の中だ。

 勿論、錬金術師達が少しでも楽に仕事が出来るようにと、かなりすごしやすいようにマジックアイテムが用意されている。

 季節的には春になって増築工事も再開されたが、それでも朝や夜はまだ肌寒い。

 その為に暖房のマジックアイテムが倉庫の中には用意されていた。

 これが夏になれば、暖房用のマジックアイテムは冷房用のマジックアイテムに姿を変えるだろう。

 特に錬金術師達は、普段から研究ばかりをしていて身体を動かすということはあまりしない。

 だからなのかどうかはレイにも分からなかったが、寒さや暑さに対する抵抗力は強くない。

 ……もっとも、錬金術師達も簡易エアコン的な機能のあるドラゴンローブを着ているレイに、そんなことは言われたくはないだろうが。


「トレントの森の木を持ってきたぞ!」


 そんなレイの言葉に、倉庫の中にいた錬金術師達は視線を向ける。

 既に木の在庫はなくなっていたのか、それとも単純に休憩の最中だったのか。

 その辺りの理由はレイにも分からなかったが、錬金術師達の視線が自分に向けられたことは見れば分かった。

 とはいえ、それは木を持ってきたから……という訳ではなく、純粋にレイが来たからのものなのだろう。

 そう、つまりは目玉の素材を持っているレイが来たからこその視線。

 そんな視線を向けられつつも、レイはもう慣れたのか特に気にした様子もなく、近くにいる雑用を任されているのだろう人物に声を掛ける。


「それで、持ってきた木はどこに出せばいいんだ? トレントの森ではまだ樵達が必死になって伐採をしてるから、出来れば早く戻りたいんだけど」


 この場合の早く戻りたいというのは、獲物を見るような視線を向けてくる錬金術師達から離れたいという思いもあり、レイに話し掛けられた人物もそれを理解しているのか、困ったように頭を掻きつつ口を開く。


「えっと、向こうの何もない場所にお願いします。いつも、あそこに木を積んでますので」


 その男が指示した場所は、確かに平らで特に問題なく伐採された木を置くことが出来るようになっていた。


「分かった。あそこだな。……言っておくが、あの目玉の素材を売ったり貸したりするつもりはないぞ。少なくても、自分の仕事を真面目にこなさない奴には絶対にだ」


 それは、言い方によれば真面目に仕事をした者にはあの素材を貸したり売ったりするということを意味するのではないか。

 レイの言葉を聞いてそう判断した錬金術師達は、目の色を変える。

 ……実際には、レイは別に何の約束もしている訳ではないのだが、ともあれ、これで木の加工に対して真面目にやってくれるのであれば、何も文句はない。


「取りあえず、頑張ってくれ。じゃあ、俺はそろそろトレントの森に戻るぞ」

「あー……お疲れ様です」


 レイの言葉に、先程どこに木を置けばいいのかといった質問に答えた男が、少しだけ困ったようにそう告げる。

 何人もの錬金術師がレイに名残惜しげな視線を向けていたが、レイはそれを特に気にした様子もなく……いや、寧ろ意図的に無視して倉庫を出て行くのだった。

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