増築工事の春

第1996話

 巨大な目玉との戦いから、数週間……冬の中でも最も寒い時期がすぎると、当然のように寒さは次第に緩み、春に向かって時は流れる。

 もっとも、寒さが次第に緩むといっても、日中はまだまだ寒く、雪が降ることも珍しくはないのだが。

 それでも曇天ではなく太陽が出て来ることが増え、前夜に降った雪が解けるということも珍しくなくなっていた。

 日中が氷点下になるような寒さであればまだしも、雪が降るとはいえ大分暖かくなってきたとなると、当然のようにギガント・タートルの解体にも影響が出て来る。

 いや、正確には解体作業に影響が出て来るのではなく、純粋にギガント・タートルの死体に影響が出て来るというのが正しい。

 普段は時間の流れが止まっているミスティリングの中に入っているので腐るといったことはないのだが、解体作業をしている時は当然のようにミスティリングから取り出すことになる。

 つまり、その間は普通に時間が流れているのだ。

 そうなると、少しずつではあっても暖かくなってくると、時間が経過すると共に腐り始めてしまう。

 元々その辺の事情を考えて、レイもギガント・タートルの解体は冬の間の仕事と決めていたのだが。


「そんな訳で、ギガント・タートルの解体は今日で終わりとなりました。解体に参加して下さった皆さん、ありがとうございます」


 解体を仕切っていたギルド職員が、今日までギガント・タートルの解体に参加していた冒険者、そしてそれ以外にも解体の技能を持った者達や、スラム街の住人達に向かって頭を下げる。

 ギガント・タートルの解体の報酬は、基本的にギルドから出ているということもあってか、この依頼はギルドにとっても非常に大きなものだ。

 それこそ、ギルムの増築工事をやっている間の冬の恒例依頼として使おうとすら思っている。

 だからこそ、本来ならまだ新鮮なまま……それこそ、ギガント・タートルの魔力の関係もあってか、かなりの日数解体をしていたにも関わらず、全くその影響がなく新鮮なままと言ってもいいギガント・タートルの解体を、今日で終わることにしたのだ。

 今でも新鮮なままだとは分かっているが、その新鮮さを少しでも長く保つ為に。

 解体に参加していた面々も、今日でギガント・タートルの解体が終わるということに若干の不満はあったが、それよりも満足感の方が強いのか、素直にギルド職員の言葉に従っていた。

 ……当然だろう。毎日のようにギガント・タートルの肉を貰い、極上と呼ぶべき肉を食い続け……あるいは、売って相応の金額を手にしたのだから。

 本当の意味での不満としては、次の冬までギガント・タートルの肉を食べられないということか。


「これから、春になるまではまだ少しの時間があります。その間に、毎日のようにギガント・タートルの解体をやって疲れた身体を癒やし、増築工事が再開した後はそちらに集中して貰えれば助かります。では、これにて解散とします。報酬については、いつも通りに支払いますから係の者に貰って下さい」


 ギルド職員のその言葉に、集まっていた者達は歓声を上げながら、報酬を配っている係の者達に向かう。

 そんな光景を眺めつつ、レイはこの解体を仕切ってきたギルド職員に話し掛ける。


「お疲れさん」

「いえ、そんな。元々ギガント・タートルの解体はギルドで報酬を持つという契約でしたし。それに、このような大きな依頼を取り仕切ったということは、ギルドにとっても大きな意味を持ちますから」


 ギルド職員はレイにそう告げると、満面の笑みを……それこそ、心の底からの笑みを浮かべる。

 それは今の言葉が決してお世辞でも何でもないということの証のように、レイには思えた。

 もっとも、レイから見てギルド職員というのは、非常にやり手の人物のように見えるので、実際には心の底で何を考えているのかというのは、分からないのだが。


「そう言って貰えると、こっちとしても助かるよ。さっき解体をしにきていた連中にも言ってたけど、次の冬……またギガント・タートルの解体を始める時はよろしく頼む」

「ええ、勿論です。……もっとも、次の解体の時にも私が仕切ることになるかどうかは、分かりませんけど」

「あー……そういうものなのか?」

「ええ。今回はある程度手が空いていた私が仕切りましたけど、来年には私が仕事で忙しいという可能性もありますし」


 そう告げるギルド職員だったが、実際にはギルドとしてこの冬は非常に忙しかったのを、レイは知っている。

 ギルドに顔を出すと、ケニーやレノラといった顔見知りの面々がその辺の事情を話してくれたからだ。

 もっとも、その忙しさの理由はギルムに出て来るコボルトの一件が原因だった訳で、数週間前にレイ達が目玉を倒した後は、コボルトやそれ以外のモンスターがレイの作った土壁を跳び越えて入って来るようなことはなかったが。

 とはいえ、毎朝のようにギガント・タートルの解体をやっている場所に血の臭いや肉の破片を求めて多くのモンスターが来る……といったことは、止めることが出来なかったが。

 レイにとって残念だったのは、その中に未知のモンスターがいなかったことか。

 そして嬉しかったのは、何度かだがオークの姿があったことだろう。

 基本的にモンスターの肉というのは高ランクモンスターになれば、その味も上がる。

 だが、オークはランクDモンスターであるにも関わらず、その味はランクC、場合によってはランクBにも匹敵する味を持つ。

 それでいて繁殖力も高いのだが、その繁殖に使われる相手に人間やエルフ、獣人といった種族の女がいることから、養殖の類は考えられたことのないモンスターだ。

 そのような事情はあるが、レイにしてみれば文字通りの意味で美味しいモンスターであるのは間違いない。

 特にセトはかなりの大食らいである以上、美味い肉の量は多ければ多い程いいのも事実だった。


「来年か。一体、来年にはギルムの増築はどこまで進んでるんだろうな。地上船の研究施設や製造施設も作るって話だったし」

「そうですね。取りあえず数年……いえ、十年近くは忙しい時間が続くのではないでしょうか」

「十年、か。……一体その頃のギルムはどうなっているのやら。是非それは見てみたいな」

「レイ殿の実力があるのであれば、間違いなく十年後まで生き残っているかと」


 客観的な目で見て、レイの実力というのは非常に高い。

 また、レイの従魔たるセトや、マリーナ、ヴィヘラといった面々もいる以上、紅蓮の翼というパーティの実力は並外れていると言ってもいい。

 それだけに、ギルド職員としては十年後であってもレイ達はギルムで元気に活動している姿を想像することは難しくはなかった。


「そうだな。俺もそう思うよ」


 レイもまた、自分が十年後もこのギルムを拠点としていればいいのに、と、しみじみとそう思う。

 それだけ、レイにとってギルムという場所は思い出深い場所になっていた。


「ギルドとしても、異名持ちの冒険者は多ければ多い程にいいですしね。特にここは辺境である以上、どうしても厄介なモンスターとかも多いですし」


 ギルド職員は、しみじみと告げる。

 実際、辺境と辺境以外の場所では、生息するモンスターの種類や数が……つまり、その場で暮らす安全度が大きく違う。

 とはいえ、辺境云々というのはあくまでも人間達が決めた話であって、辺境以外の場所で強力なモンスターが現れないかといえば、それは全く別の話なのだが。

 モンスターにとって、辺境云々というのは全く関係のない話なのだから。


「ギルドの気持ちは分かるよ」


 そう言い、レイは視線を冒険者達に……この冬の最後の解体の報酬を貰っている冒険者達――それ以外の者もいるが――に向ける。


「あの連中の中からも、異名持ちの冒険者が現れるといいんだけどな」

「そうね。そうなってくれると、私も嬉しいわ」


 レイの言葉にそう返したのは、ギルド職員……ではなく、ヴィヘラ。

 何故ヴィヘラがここにいるのかは、レイにとっては考えるまでもなく明らかだった。

 報酬を貰っている冒険者の中には、ビューネの姿もあるのだから。

 そんなビューネの付き添いとしてヴィヘラがこの場にいるのは、そう珍しい話ではない。

 ……もっとも、ヴィヘラとしてはビューネの付き添い以上に、朝にギガント・タートルの肉片や残っている血の臭いに集まってきたモンスターと戦うのが希望だったようだが。

 とはいえ、どのようなモンスターが集まっているのかは、基本的にランダムだ。

 そうである以上、強力なモンスターがいれば、雑魚と呼ぶべきモンスターもいる。

 そしてここ数週間は、ヴィヘラが希望するような強力なモンスターが姿を現すといったことはなかった。


(あるいは、あの目玉の影響か?)


 ふとそう思うも、その考えが必ずしも外れではないことに思い至る。

 数週間前に戦ったあの巨大な目玉は、それこそかなり強力な相手だった。

 レイ以外にもエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、セトといった仲間がいたのでそこまで危険な目に遭うことなく倒すことが出来たが、それはあくまでも仲間が揃っていたお陰だ。

 そうである以上、そのような強力な存在が出現し、そして消えた――実際には殺されたのだが――ギルムの周辺に好んでやって来る強力なモンスターはそう多くはない筈だった。

 強力なモンスターであれば、当然のように高い知性や鋭い勘を持っている者が多いのだから。

 ……もっとも、中にはゴブリン達と同じく、全く頭が良くなく勘も働かないようなモンスターもいるのだが。


「言っておくけど、もし異名持ちの冒険者が現れたからって、すぐに戦いを挑んだりといった真似はしないようにな」

「あら、失礼ね。私がそんな真似をすると思う?」


 澄ました様子でそう言ってくるヴィヘラだったが、レイは溜息と共に言葉を吐き出す。


「ヴィヘラだからこそ、そういう真似をしそうに思うんだよ。今までの実績を考えれば、とてもじゃないけど安心は出来ないぞ。なぁ?」


 レイはそう言ってギルド職員に同意を求めるが、同意を求められた方としては困ってしまう。

 ここで頷けば、間違いなくヴィヘラの印象が悪くなると、そう思ってしまったからだ。

 実際、それは決して間違っている訳ではない。

 ヴィヘラの性格を考えれば、後々までその一件を引きずるといったことはないだろうが、それでもヴィヘラの覚えを良くしたいと思うのは、ギルド職員として当然だろう。

 異名こそまだ持っていないが、ヴィヘラの能力は異名持ちとするのに全く不足はないのだから。


「ほら、レイ。あまりギルド職員に絡まないの。……それより、これからどうするの? 今日は早く終わったし、また焼きうどんでも食べていく? ビューネも食べたいって言ってたし」


 この場合の焼きうどんというのは、その辺の屋台で売っている焼きうどん……ではなく、巨大な目玉を倒した日にマリーナの家に呼んだ屋台の店主が作っている焼きうどんだ。

 麺だけを焼いて軽く焦げ目を付け、酒で蒸し焼きにし、具材ではなく麺だけに味付けをしてから肉や野菜と絡めるというその焼きうどんは、ビューネ……だけではなく、レイ達も全員が気に入っている焼きうどんだ。

 出来上がった焼きうどんそのものは、普通の焼きうどんとそう違いはない。

 だが、一口食べれば、その味は明らかに普通の焼きうどんと違い、一段、あるいは二段は上の味と言ってもいい。

 美味い料理を食べるのが好きで、屋台や食堂からは上客として喜ばれているレイだけに、何度となくその焼きうどんの屋台に寄っているのを見れば、興味を持つ者も多い。

 ……実際には、レイがその屋台に寄る前から行列が出来るくらいには繁盛していたのだが。

 ともあれ、レイがそこまで気に入るとは、と多くの屋台の店主……特に焼きうどんを扱っている屋台の店主もその店の焼きうどんを食べ、あまりの美味さに弟子入りを志願する者もいたという噂を、レイは聞いたことがあった。

 そんな焼きうどんを食べたいのは、レイもまた同様だった。


「そうだな。なら、あの屋台にでも寄っていくか」


 そう言いながらも、実はレイのミスティリングの中には以前の打ち上げでマリーナの家に屋台ごと来て貰った時、作って貰った焼きうどんがまだ大量に残っていたりする。

 ギガント・タートルの肉や、それ以外にも様々な食材を使って作られたその焼きうどんは、ミスティリングに入っている以上、当然のように出来たての代物だ。

 それを出せば、それこそいつでも焼きうどんを……食材の関係から、現在屋台で売られているよりも美味い焼きうどんを食べることが出来るのだが、やはりこういう場合は屋台で焼きうどんを食べたいと、そう思ってもおかしくはないのだろう。

 そんな訳で、レイはヴィヘラとビューネ、それと雪の上で寝転んで遊んでいるセトを連れて、焼きうどんを売っている屋台に向かうのだった。

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