第1993話

 動かなくなった目玉だったが、レイ達はそれを見ても油断するようなことはない。

 もしかしたら、死んだと見せ掛けて逆襲の機会を、もしくは逃げ出す機会を待っているのかもしれないと、そう思った為だ。

 一応、念のためにレイは槍……黄昏の槍ではなく、使い捨ての槍で動かなくなった目玉を刺してみたのだが、それでも動く様子はない。

 これは恐らく本当に死んだのだろう。

 そう判断しつつ……それでも、やはり目玉から完全に注意を逸らすといったような真似は出来なかった。


「グリム、いるんだろ! 出て来てくれ!」


 もし目玉が実は生きていても、グリムに引き渡した後でその本領を発揮するのであれば、レイにとっては全く問題ない。

 だからこそ、炎帝の紅鎧を解除してからグリムに呼びかけたのだが……


『ふむ、どうやら無事に倒したようじゃの』


 不意に、周囲にそんな声が響く。

 その場にいた者は、レイを含めて全員が周囲を見回すが、どこにもグリムの姿はない。


『儂はそこにはおらんよ。……少し、待て。すぐにそちらに行く』


 再び声が響き、数十秒が経ち……やがて、目玉の近くの空間が波打ったかと思えば、次の瞬間にはそこにグリムの姿があった。


「ふむ、どうじゃな? お主等には問題ないようにしたのじゃが……」


 リッチロードと呼ぶに相応しい威厳を見せつつ、それでいて言葉遣いは意外に気安いものだ。

 そして、言葉通りグリムの姿を見ても、その場にいる誰もが特に気圧されたりするといった様子はなかった。

 そんなレイ達を一瞥すると、グリムは満足そうに頷く。


(恐らく、俺の新月の指輪と同じ……いや、それ以上の効果を持つマジックアイテムなんだろうな。元々グリムがそれを持っていたのか、新月の指輪を見てそういうマジックアイテムを作ったのか。それは分からないけど、助かるのは間違いないな)


 今でこそ、レイは結構気軽にグリムと話しているが、本来ならグリムという存在はアンデッド……いや、全てのモンスターの中でも、頂点にいてもおかしくはない程の圧倒的な存在なのだ。

 そんなグリムとレイが気楽に話すことが出来るのは、やはり生前のグリムがゼパイルに憧れていたから、というのは大きいのだろう。


「それで、見ての通りこの目玉は倒した訳だけど。この死体はグリムが貰うってことでいいんだよな?」


 そう尋ねるレイの声には、若干だが惜しいと思う気持ちがある。

 この場にいるグリム以外の面々で攻撃し、ようやく倒すことが出来た相手だ。

 それだけ強力な存在だった以上、マジックアイテムの素材としては、間違いなく一級品だろう。

 マジックアイテムの収集という趣味のあるレイとしては、この目玉はまさしくお宝なのだ。

 もっとも、レイにとってお宝であるというのは、当然のようにグリムにとってもお宝であるということを意味している。

 長年に渡って魔法の研究を続けているグリムにとって、それこそこの世界の存在ではない目玉の身体は、非常に貴重な物なのは間違いない。


「うむ。そうさせて貰おうかの。報酬は報酬じゃ。それに……ほれ」


 グリムが軽く持っていた杖を振るうと、触手の一本が目玉から引き抜かれ、レイの前まで移動してくる。

 本来なら、触手はすぐに塵になってもおかしくはないし、実際にレイが見た限りはそうなっていたのだが、目玉から生えている触手を引き抜いたという形になると違うのか、塵になるようなことはない。


(いや、それともグリムが何かをしたのか?)


 普通に考えれば有り得ないことではあるのだが、グリムなら何をしても不思議ではないという思いがレイにはあった。

 だが、それを聞いても恐らく答えてくれないだろうし、目玉の件にしても、元から約束をしていた以上、ここで我が儘を言うのは……そう思っていたレイだったが、そんなレイの前でグリムが再度杖を振るう。

 何故? そんな疑問が、レイを含めてこの場にいるグリム以外の全員が抱いたが、そんな疑問を無視するかのように、先程レイの黄昏の槍に貫かれ、あらぬ方向に飛んでいった視神経の尻尾が空を飛んで戻ってくる。

 そうしてレイの目の前に戻ってきた尻尾は、再びグリムが杖を振るうことで一部……それこそ一m程が切断され、レイの前に落ちる。

 こちらもまた、先程の触手と同じように毒を周囲にまき散らかすようなことはない。

 それでいながら、尻尾についていた毒が消失した訳ではなく、尻尾に粘液はついたままだ。


「これは……?」


 何故自分の前にこのような尻尾の一部を置くのか。

 そう尋ねるレイに、グリムは呵々とした笑い声を上げる。


「世の中には、お年玉という風習がある。……レイなら知っておるじゃろう?」

「っ!?」


 お年玉。

 当然、レイはそれを知っていた。

 正月に子供が大人から貰うお金のことだ。

 だが、それはあくまでも日本であった風習、または行事であり、当然のようにこのエルジィンにおいてはほとんど知られていない。

 実際にレイがエレーナ達の方に視線を向けても、グリムが突然何を言うのかと、戸惑ったような表情をを浮かべているだけだ。

 そんなレイの驚きの表情が面白かったのだろう。

 グリムは再び笑い声を上げる。


「元々この風習は儂が生きていた頃に一時……それこそほんの十数年くらいだけ存在した風習じゃ」


 そう言われれば、レイも何故グリムがお年玉という言葉や風習を知っているのかを理解出来た。

 グリムが生きていた時……それは、ゼパイル一門が存在していたということであり、そのゼパイル一門にはレイと同郷のタクム・スズノセが存在していたのだ。

 その名前から、明らかにレイと同じく日本出身であり、そうであればお年玉を知っているのはおかしくはないし、どのような理由からかは分からないが、タクムがお年玉をこのエルジィンに広めたとしても、納得は出来る。


「丁度新しい年を迎えたばかりだと考えれば、お年玉を渡しても不思議ではないじゃろう?」

「……まぁ、くれると言うなら、喜んで貰うけど」


 これで、グリムが敵対している相手であれば、レイもここまで素直に尻尾の一部を譲って貰うような真似はしなかっただろう。

 だが、レイにとってグリムというのは、親しみすら感じている相手だ。

 そうである以上、お年玉をくれるという行為を断るつもりはなかった。


「さて、では儂も早くこの巨大な目玉を調べてみたいから、これで失礼させて貰うとしよう。……今回は、レイやその仲間達の戦う光景を見れて、十分満足したわい」


 そう告げると、グリムは三度杖を一振りし……その瞬間、地面に横たわっていた巨大な目玉の死体は、一瞬にして消える。

 その光景にレイ達が驚いていると、いつの間にかグリムの姿も消えていたのだった。

 巨大だった目玉が消えると、周囲は何も存在しない空間となる。

 いや、目玉との激戦の跡というのはあるのだが。

 荒れ果てた大地や、視神経の尻尾の毒によって溶けている大地、それ以外にも戦いの痕跡が多く残っている。


「消えた、な」

「そうね。……あれだけ巨大な存在を一緒に転移するのは凄いと思うけど」

「あら、でもそういう意味ならレイの持っているアイテムボックスだって、死体ならあの目玉くらい大きいのを収納出来るんでしょ? なら、十分に凄いと思うけど?」


 マリーナとヴィヘラの会話を聞きながら、レイはそうか? と疑問を抱く。

 勿論ミスティリングが凄いというのは否定しない。

 だが、それはあくまでもミスティリングが凄いのであって、レイ自身の能力という訳ではない。

 そういう意味では、苦もなく……それこそ、呪文の詠唱すらなく、あれだけの大きさの目玉の死体と共に転移出来るというグリムは、やはり規格外の存在なのだろう。


(まぁ、もしかしたら何らかのマジックアイテムの効果かもしれないけど)


 ともあれ、と。

 改めて周囲を見回してから、レイは口を開く。


「あの目玉は無事……とは言えないけど、取りあえず片付いたんだ。周囲で待機している戦力の面々にも、そろそろ知らせた方がいいだろうな」

「そうね。今回の一件を仕切っているのは、ここに来る途中に会ったグラダラスだから、そちらに報告をすればいいと思うわ」

「この……尻尾の一部はグリムから俺が貰った奴だけど、この件も一応知らせた方がいいのか? こっちの残っている触手は提出するつもりだけど」

「その方がいいでしょうね。ここで下手に隠すような真似をした場合、後でその尻尾の件が問題になった時、面倒なことになるでしょうし」

「……一応聞くけど、持って行かれるってことはないよな?」

「どうかしら。ある程度は調べさせて欲しいと言ってくるかもしれないけど」


 この尻尾がこの世界以外の存在、それこそ異世界と呼ぶべきものの存在であるとすれば、錬金術師だけではなく学者を始めとして興味を持つ者は多いだろう。

 それこそ、マジックアイテムの素材にするなんてとんでもない、と主張するような者がいてもおかしくはない。

 だが、レイとしてはあくまでもマジックアイテムの素材としてグリムから尻尾の一部を貰った以上、それを使わないという選択肢は……


(いや、待てよ? 異世界の存在の一部であるこの尻尾を研究すれば、いずれ異世界に……それこそ、場合によっては地球に行ける……何て可能性も、あったりするのか?)


 一瞬そう思うが、地球に帰るではなく地球に行くと表現していることから、レイはこの世界が自分の居場所だと考えているのだろう。

 とはいえ、それで地球に行ってみたいと思わない訳でもない。

 エルジィンには存在しない大量の食材や、自分が高校生をやっていた時の友人達に会いたいという思いもある。


(宮本とかはロボット好きだったけど、何でか俺と話が合ったんだよな)


 友人達の中でも、特に仲の良かった相手のことを思い出す。

 だが、すぐに今はそんなことを考えている場合ではないと、懐かしい思い出を振り払うようにして、口を開く。


「取りあえず、尻尾を向こうに渡すかどうかはさておき、目玉を倒したってのは知らせる必要があるか。……もっとも、目玉がいなくなった時点でもう大丈夫だと判断してるだろうけど」


 空中に浮かぶ、十m以上の大きさの目玉。

 当然それだけの大きさであれば、何かあった時の為の戦力として用意してあった騎士や兵士といった者達からも、見ることが出来た筈だ。

 空中に浮かんでいたその目玉が消えた以上、もう安心だと判断してもおかしくはなかった。


(もしかしたら、俺達が負けて目玉が空間の裂け目に戻っていった……と、そう考える可能性もあるけど)


 実際、目玉はその不気味な外見に相応しいような強敵だったのは間違いない。

 もしレイとセトだけで戦うようなことになっていれば、負ける……とまではいかずとも、相当に苦戦していたのは間違いない。


(そう考えると、やっぱりアーラとビューネの二人を置いてきたのは正解だったな)


 アーラはその膂力とパワー・アクスによる一撃で、地面に落ちた後であれば、目玉に大きなダメージを与えることが出来ただろうが、空中にいられては手も足もでない。

 ビューネにいたっては、完全に実力不足だった。

 いや、実力不足という点では、アーラもまた同様だろう。

 目玉にダメージを与えることは出来ても、アーラの実力で無数の触手に対処が出来たとは思えないのだから。


「そうね、このままずっとここにいても、向こうを心配させるだけだし、さっさと行きましょうか」


 マリーナのその言葉に、レイを含めた全員が頷く。

 正直なところ、レイとしては出来ればもう少し休んでからにしたかったのだが、グラダラス率いる予備戦力がいつでも動けるように待機しているのを知っている以上、出来るだけ早く結末を話した方がいいのは事実だった。


「グルルゥ」


 そんな中、セトはレイの近くにやってくると、喉を鳴らしながら顔を擦りつける。

 目玉の使った電撃によって身体を痺れさせていたセトだったが、それもある程度時間が経ったことにより、ある程度は回復したのだろう。

 最後の攻撃でも目玉に攻撃をしていたのを思えば、それは明らかだった。


「ありがとな、セト。あの目玉に勝てたのは、お前のお陰でもあるよ」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 セトにとっては、誰に褒められるよりもレイに褒められることが非常に嬉しいのだろう。


「そうだな。まさか、あんな攻撃手段があるとは思わなかった。……イエロを連れてこなくてよかった」


 レイとセトの会話を聞いていたエレーナが、しみじみと呟く。

 強固な防御力を持つイエロだったが、それでも雷を食らえばどうなるかは分からなかった。

 あるいは、もっと成長したイエロであれば問題はなかったのかもしれないが……

 そんな会話をしつつ、やがてレイ達はグラダラスのいる場所に向かって歩き始めるのだった。

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