第1994話

「これは……なるほど」


 グラダラスは、レイが渡した触手を手に取り納得したように頷く。

 本人は目玉の触手を直接見たことはなかったが、それを直接経験した警備兵からの報告書は読んでおり、その報告書に書かれていた内容と、レイが渡した触手がほぼ同じ物だと確信出来た為だ。

 勿論、実はこの触手が偽物……と、そういう可能性もないではない。

 だが、空中に浮かんでいた目玉は、グラダラスがいた場所からもきちんと見えていたし、何よりその目玉との戦闘も詳細にではないが、離れた場所からもしっかりと確認出来た。

 であれば、わざわざ触手の偽物を用意して自分を騙すような真似はしないだろうと判断するのは当然だった。


「それと、こちらですが……本当に預かっても?」

「ああ、構わない。正直なところ、マジックアイテムの素材として使えそうではあるけど、それよりも今回の一件について少しでも情報はあった方がいいだろうし」


 レイはグラダラスにそう言葉を返す。

 実際、レイが渡した物……目玉の尻尾の一部は、見る者が見れば間違いなく非常に貴重な素材と考える筈だった。

 何しろ、この世界の外の存在の尻尾なのだから。

 とはいえ、レイは勿論それを預けるだけであって、その尻尾を調べるという行為が終わったら返して貰うつもりなのだが。

 そんなレイの様子から、その思いを理解したのだろう。グラダラスはしっかりと頷く。


「調べ終わったら、必ず返そう」

「そうしてくれ。それと、死体は前もって言ってあった通り、俺の師匠が貰っていった。戦闘場所には一応肉片とかそういうのはあるかもしれないけど、それ以上に焼け野原になっていたり、毒がまだ残っていたりするかもしれないから、気をつけてくれ」


 特に毒に注意するようにと、レイは念を押す。

 何しろ、あの目玉が使った毒は尻尾の部分を毒の液体で覆っており、それを蒸発させれば毒の気体になるという、非常に厄介なものだった。

 相性というのもあるのだろうが、レイにとっては燃やせる雷よりもあの毒液の方が厄介だと感じられたのだ。


「うむ。……色々と感謝する」


 そう言い、頭を下げるグラダラス。

 レイは気にするなと言ってから、天幕を出る。

 その天幕の外では、どこか気の抜けた空気が漂っていた。

 場合によっては、ここからでも見えた空飛ぶ巨大な目玉を相手に戦わなければならなかったのが、レイ達が倒したおかげで戦わなくてもよくなったのだから、それも当然だろう。

 また、それとは別に、エレーナはアーラやイエロと、ヴィヘラはビューネとそれぞれ再会を喜んでおり、その二人のすぐ側にはマリーナやセトの姿もある。

 希に見る美女が勢揃いしている状況だけに、自然と緊張感もなくなった……といったところか。

 そんな光景を一瞥してから、レイはその場の多くの者が視線を向けている方に向かって歩き出す。

 当然そうなればレイにも視線は集まるのだが、この場にいる者達である以上、レイがどのような人物か知っているので、そのことで特に何かを言うような者はいない。


「取りあえず、報告は終わったぞ。後は、帰ってもいいらしい」

「そう。……けど、あれだけの大きさの相手だったことを考えると、ギルムからでも見えたんじゃないかしら。そうなると、ギルムでも騒動になってると思うけど……どう思う?」


 エレーナとヴィヘラを眺めていたマリーナが、そう疑問を口にする。

 実際、あれだけの大きさの敵がかなり高い場所に飛んでいたのだ。

 この場にいる者達が見たのは当然のことながら、ギルムから見えていても不思議ではない。

 だが……


「見えたのは間違いないだろうけど、ダスカー様が何とかするだろ。警備兵や冒険者もいるし」


 そんなレイの言葉に、マリーナは納得して笑みを浮かべる。

 マリーナにとって、ダスカーは小さい頃から知っている相手であり、ギルドはマリーナが長い間ギルドマスターとして動かしてきた組織だ。

 警備兵の方にはマリーナは特に関わっていないが、それでもギルムの治安を精一杯守ってきた実力は知っている。

 そうである以上、レイがギルムを全面的に信じているといった態度をとったことは、それだけで嬉しかったのだろう。


「それじゃあ、レイの予想が当たってるかどうか……ギルムに戻って確かめましょ。それに、今夜は打ち上げとして豪華な料理を作って……というのはちょっと面倒だから、色々なお店から買っていきましょうか」

「そうだな。あの目玉を倒した以上、いつまでもここにいても意味はないし。……帰りも、馬車を用意して貰えるのか?」

「ここまで私達を送ってきたんだし、当然帰りも馬車を用意してくれるんじゃない? それに、もし駄目なようなら、セト籠で移動すればいいし」

「……寧ろ、馬車で移動するよりもセト籠で移動した方が、早くギルムに到着しそうだけどな」

「いえ、きちんと馬車を用意させて貰いますので」


 レイとマリーナの話に割り込んできたのは、レイ達がギルムからここまで来る時に案内役となった騎士だった。

 来る時にも案内役になったのだから、帰る時も案内役になると、そういうことなのだろう。


「そうか? なら、頼む」


 この騎士が近づいてきているのはレイも知っていたので、特に驚いた様子もなくそう言葉を返す。

 騎士の方も、自分が近づいているのは当然のように知られていると判断していたので、すぐに頷く。


「分かりました。では、すぐに馬車を回します」


 去っていく騎士を見送り、レイはまだ話を続けているエレーナ達に声を掛ける。


「おーい、エレーナ。そろそろギルムに戻るぞ。いつまでも話してないで、準備をしてくれ」

「うむ、分かった! ……もっとも、特に準備らしい準備はないのだが」


 敢えて準備をすると言われれば、思いつくのは自分の武器を忘れずにしっかりと持っているかどうかというだけだ。

 ヴィヘラにいたっては、その武器すら手甲や足甲といった形で装備しているので、忘れようがない。

 こうして、レイ達は全員が無事に揃ってギルムに戻ることになる。

 ……なお、当然の話ではあったが馬車はそう多く用意出来ず、殆どの者は再び雪が降り始めた中、ギルムまで歩いて帰ることになるのだった。


 




「思ったよりも騒ぎになってないな」


 それが、ギルムに戻ってきたレイが最初に口にした言葉だった。

 実際、レイの言葉通り、街中を歩いている者達は微妙にざわついてはいるが、それでもレイが心配したように恐慌状態になったり……といった様子はない。

 普通なら、空中に浮かぶ巨大な目玉を見れば……しかも、その目玉の周囲で戦いが起こっていると知り、その上でその戦いがギルムからそう離れていない場所であるとなれば、色々と騒動になってもおかしくはない。

 ましてや、現在ギルムにいるのが生粋のギルムの住人ではなく、増築工事の一件で残っている者……つまり、辺境の流儀に慣れていない者も多いとなれば、尚更だろう。

 元からギルムに住んでいる者達であれば、それこそ少しくらい騒ぎになっても、そこまで気にするようなことはない。……もっとも、今日起きた目玉との戦いが少しの騒ぎと表現してもいいかどうかは、話は別だったが。

 それに比べると、増築工事の一件でギルムに留まっている者……自分達の故郷がかなり遠い者や、帰るような余裕のない者にしてみれば、それこそ毎日のようにギルムにコボルトが出るというだけでも、一大事と言っても良かった。


「騒ぎになっていないのであれば、それでいいのではないか?」

「そうね。もしくはある程度ギルムに長くいたから、それに慣れたとか」


 エレーナの言葉に同意するように、ヴィヘラが呟く。

 そういうものか? とレイは思わないでもなかったが、考えてみれば周辺にいる者達が特に驚いていないのに、自分だけが驚いているのを見せるのは、みっともないとか、恥ずかしいとか、そのように思ってもおかしくはない。

 ましてや、ギルムに直接危機が迫ってる訳ではない以上、よりその辺りの感覚は違ってきてもおかしくはない。


「ともあれ、騒ぎになっていないようならいいじゃない。それよりも、さっきも言った通り今日はあの目玉の件が片付いたということで、打ち上げとして豪華な夕食にするんだから、その準備をしましょう」


 マリーナの言葉に、それを聞いていた全員……特に食べ物については貪欲なビューネが、珍しく表情を変えて素早く頷く。

 ビューネにしてみれば、打ち上げの豪華な料理というのは、それ程に心惹かれるものがあったのだろう。

 もっとも、レイ達が普段から食べている料理の数々も、普通に暮らしている者の目線で見た場合、豪華な……とまではいかなくても、平均以上の料理になるのは間違いないのだが。

 マジックアイテムの窯を使って、それこそ出来たて、作りたての料理を食べているのだから。

 それも、食材の多くはレイが用意した高ランクモンスターの肉や、この辺りでは入手が難しい海鮮類等。

 もっとも、海鮮類の類は夏にレイを含めたこのメンバーで海に行って獲ったものなので、レイは保存しているだけというのが正しいのだが。


「ん!」


 ビューネがセトとイエロを連れて、街中を進んで行く。

 レイ達はそんな一人と二匹の後を追う。

 そうして到着したのは、既にギルムにとっては珍しくもない焼きうどんの屋台なのだが……


「妙に人が並んでるな」


 レイもあまり来たことがない場所にあったその屋台では、十人以上が並んでいる。

 冬のこの季節で、少しではあるが雪も降っている中で、だ。

 また、同時に普通よりも五感が鋭いレイは、その屋台から漂ってくる香ばしい匂いにも当然気が付く。


「グルゥ!」

「ん!」


 セトとビューネが、それぞれあの屋台の焼きうどんを食べたい! と、そう告げてくる。

 レイも周囲に漂う香ばしい香りに、並ぶのを面倒臭がって屋台で食べないとは言わない。

 それは他の面々にしても同様で、レイ達は大人しく屋台の行列に並ぶ。

 ……当然のように、レイ達が行列に並んでいる光景は目立つらしく視線を集める。

 そんな中、ちょうどレイの前に立っていた人物が、ヴィヘラに話し掛けられたことを嬉しく思いながら、この屋台が何故ここまで繁盛しているのかを話す。


「まず、第一にうどんを焼いた時の香ばしさですね。普通なら茹で上がったうどんをそのまま鉄板に乗せて肉や野菜と炒めるんだが、ここは一手間加えてるんです」

「一手間?」

「はい、まずうどんを茹でたらしっかりと水を切って、それから鉄板に投入するんですが……最初はうどんだけをそのまま鉄板の上に乗せて、じっくりとうどんを焼きます。で、うどんを鉄板に押しつけながらうどんに少し焦げ目が付いてきたところで、うどんを引っ繰り返して、また焼く」


 そう言い、説明を続ける。

 最初から炒めていた肉や野菜にうどんをそのまま投入するのではなく、うどんはうどんでしっかりと焼いて、その後でエールを振りかけて蓋をし、うどんを焼いた後で蒸す。

 その後、うどんに専用のソースを掛けて、うどんだけで味付けをし、その後で肉や野菜と混ぜて炒める。

 こうすることによって、うどんの外側はしっかりと焼けてカリッとした食感を楽しむことが出来て、うどんの中心部分はもっちりとした食感を楽しむことが出来る。

 また、うどんを前もってしっかりと焼いてあるので、ソースもよく絡む。

 それを聞いた時、レイは肉や野菜に味付けをしてないのなら、味のバランスが悪くなるのでは? と思いもしたが、その男の説明によると、そういうこともないらしい。

 ともあれ、他の焼きうどんの屋台とは一味違うから是非食べてみて欲しい。

 執拗にそう告げてくる男の言葉に、こうして並んでいる以上は食べるのだからと考えつつ、自分達の番になるのを待つ。

 とはいえ、屋台はあくまでも屋台だ。

 当然のように、一度に作れる料理はそこまで多くはなく……ましてや、普通の焼きうどんよりも一手間も二手間も掛けている以上、どうしても一食分作るのに時間が掛かるのだ。

 どうしても普通の焼きうどんを作るより時間が掛かる訳で、レイ達の番になるまで相応の時間が掛かる。

 何より厳しかったのは、そうして待っている間もずっと焼きうどんを作っている香ばしいソースの匂いが周囲に漂っていることだろう。

 嫌がおうにも、その香りに対する期待は上がる。

 そうして数十分後……ようやく、レイ達の番になる。

 購入した焼きうどんを、その場で食べる。

 一応持ち帰りも出来るのだが、その場合は自分で容器を用意する必要があった。

 だからこそ、こうしてその場で食べ……


「うん、美味い。普通の焼きうどんよりも香ばしい」

「それに、最初に焼いている分、うどんの茹で時間は普通よりも短くしてるのね」


 そう言いながら、全員が満足する焼きうどんに……今日の打ち上げでこの焼きうどんの屋台に、マリーナの家に来て貰うように交渉するのだった。

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