第1973話
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオ」
「ゴオオオオオオオオオ」
投擲された槍が飛び込んだ空間の裂け目から、悲鳴とも雄叫びとも、怒りともとれる声が漏れる。
空間の裂け目から聞こえているからなのか、あるいは単純にそういう生態をしているのか。
その辺りの事情はレイにも分からなかったが、聞こえてくる悲鳴は一つではなく、幾重にも重なっての悲鳴だ。
「……取りあえず、物理攻撃は効果あり、と。それも触手のような、しなやかな頑丈さの類もないらしいな」
呟くレイの横に、ようやく空間の裂け目の前から避難してきたヴィヘラが到着し、どこか呆れたような視線をレイに向ける。
「あの悲鳴を聞いて、出る言葉がそれ? もっと何かこう、別の反応を示してもいいと思うんだけど」
「そうか? まぁ、向こうの悲鳴を俺が聞いても、特に何か動きが鈍くなるとかはなかったし……それに、この鳴き声はセトのスキルとは違うみたいだぞ。多分、単純に痛いって悲鳴なんだろうな」
レイの言葉に、ヴィヘラは周囲を……正確には、この地下空間に散らばっていた冒険者や警備兵といった面々を見回す。
するとレイの言う通り、そこにいる面々の中には現在動けるようになっている者もおり、何とかこの場から離れて上に向かおうとしている者が多い。
レイが何か言うよりも前に自分達の状況に気が付き、それですぐに避難を始める。
この辺りの判断は、冒険者や警備兵として優れている者達だからこそなのだろう。
実際には、先程ヴィヘラがここから避難をするようにと叫んだからなのだろうが。
あの雄叫びを聞いても、そのことを忘れなかったというのは賞賛に値した。
少なくても先程叫んだヴィヘラは、そのような冒険者や警備兵達を見て感心したように頷く。
「どうやらそうらしいわね。……それで、どうするの? もっと今の攻撃を続ける?」
レイの言葉を認めつつ、同じような攻撃で効果があるとはとても思えないと、そう言外にヴィヘラは告げる。
黄昏の槍と違って触手を貫けず多少の傷を付けるのが精一杯だったことを考えれば、レイにもヴィヘラの言葉は納得出来るものだった。
「取りあえず、向こうの知能がどのくらいのものかは分からないし、もしかしたらもう一回や二回は攻撃が通用する可能性があるし、試してみるか」
ヴィヘラに言葉を返し、再度ミスティリングの中から使い捨て用の槍を取り出す。
そうして再び投擲しようと構えた、その瞬間。空間の裂け目から聞こえてきた悲鳴が突然消え、その空間の裂け目を守るかのように触手が折り重なっていく。
それも丁寧なことに、レイの前だけに。
「……どうやら、それなりの知能はあったみたいだな」
触手が幾重にも重なって、それこそ触手の盾とでも呼ぶべき存在としてレイの視線の先にあった。
触手の盾が生み出された状況であっても、レイは投擲の構えを止めることはせず……
「どれくらいの強度なのか、見せてみろ!」
鋭い叫びと共に、レイは持っていた槍を投擲する。
素早く放たれたその槍は、空気を斬り裂きながら突き進み……
「やっぱり無理か」
折り重なっていた触手の隙間を貫いた槍だったが、槍の半分程が埋まったところで動きが止まる。
そして、触手の圧力に耐えきれなくなったのか、柄の中程でへし折られた。
「どうするの?」
「……そうだな」
呟きつつ、レイは今までいた場所から移動する。
触手がレイの方だけに向かって盾を作っているのであれば、今いる場所から移動すれば盾は無視出来るのではないかと、そう思ったのだが……そんなレイの考えは向こうも予想していたのか、空間の裂け目から新たな触手が大量に伸びてきて、自分を中心にして周囲全体を触手の盾で覆う。
「どうやって俺を認識してるのかは分からないけど、それでも知能があればこっちが移動するのに対応するのも当然か」
人間と契約し、コボルトを無数に生み出したり、それをある程度ではあっても操ったりといった真似が出来るのだ。
当然のように高い知能を持っているのは予想してしかるべきだったのだが、それでもピンク色の触手、それも何らかの粘液に塗れている触手を見て、高い知能を持っていると思うのは難しかった。
「で、どうするの?」
側までやって来て尋ねるヴィヘラの言葉に、レイは少し考えてから口を開く。
「さっきヴィヘラを助けた時のことを思えば、黄昏の槍でなら、ある程度あの触手の盾も貫けると思うんだが……」
「黄昏の槍は、手元に戻るように念じれば戻ってくるんでしょ? なら、黄昏の槍を投擲して、それで触手の盾をある程度壊して動きが止まったところで手元に戻して、それからまた投擲すればいいんじゃない?」
それは、半ば力づくで強引に攻めてみては? というヴィヘラの提案だったが、今回の一件に関して言えばそこまで間違っている訳でもない。
「そうすれば倒せる……かどうかは分からないけど、相手に傷を負わせることは出来るだろうな。……けど、倒してもいいと、本当に思うか? ここで下手に倒した場合、向こうとの間で結ばれている契約とかそういうのは、どうなると思う?」
「それを今更言うの? もう十分向こうに攻撃したじゃない。……助けられた私がこう言うのもなんだけど」
「あー……うん。それはそうだけど。ただ、こうして考えるとやっぱりな。……それに、この地下空間にいる他の連中を助ける必要もあったし」
言いながら地下空間を確認すると、既に冒険者も警備兵も残ってはいない。
レイがあの触手と……いや、触手の主と戦っている間に、全員が避難したのだろう。
触手の注意を自分に向けるという意味では、レイの選択は決して間違っていた訳ではなかった。
本人がそれを狙っていたのかどうかはともかくとして。
「ふーん。……じゃあ、それでこれからどうするの? 戦わないにしても、向こうがこっちを大人しく見逃してくれると思う?」
ヴィヘラの言葉に、改めてレイは触手に……今や触手のドームや要塞といった形になった方に視線を向ける。
こうして見る限りでは、触手達が自分を襲ってくるような様子はない。
であれば、ここで放っておいても良さそうな気もするが、先程までの戦いで触手に……正確には触手の主に攻撃をして怒らせたのも事実。
だとすれば、もしここで自分達がいなくなった場合、今はいいが後々面倒なことになるという可能性は非常に高かった。
「やっぱり倒してしまった方がいいか。……けど、こういう場合は下手に倒した方が色々と面倒なことになりそうな予感がするんだけどな。どう思う?」
「それを私に聞かれても困るわよ。ただ、ああいう風になったってことは、かなり厄介な状況なんじゃない? それこそ、倒すにしてもかなりの手間が掛かると思うけど」
ヴィヘラの言葉に、どうしたらいいのか悩む。
そもそも、先程この地下空間を通った時は触手は存在しなかったのに、何故今になって突然こうして触手がいるのかといった疑問も、レイの中にはあった。
(触手を呼び出すのに、何らかの鍵が必要なんじゃなくて一定の時間になれば自動的にこの触手が姿を現す……って感じなのか?)
それは、今日この地下空間に入った時に触手が現れなかったことから、レイが予想したうちの一つ。
可能性としてはそこまで強くなかったのだが、それでも現在の状況を考えるとそれが一番腑に落ちるのも、また事実だった。
(もしその考えが正しいとして、何だって警備兵や冒険者があんなに纏まって地下空間にいたんだ? それも、別に一ヶ所の屋敷からやってきた訳じゃなくて、何ヶ所もから)
地下空間に転々と倒れている、骨と皮だけの死体。
その死体が着ている制服や鎧、武器といったものから考えて、それは間違いなく警備兵や護衛の冒険者達の死体で間違いなかった。
それを疑問に思いつつ……取りあえず一当てして向こうの反応を見てみるか。
そう判断し、使い捨ての槍ではなく黄昏の槍をミスティリングから取り出して構え……だが、投擲しようとした動きは、その瞬間止まる。
「レイさん! ちょっと待って下さい! ランガさんが呼んでます! その触手には、取りあえず手を出さないようにと!」
離れた場所にある階段から姿を現した女の警備兵が、今にも黄昏の槍を投擲しようとしていたレイに向かって、そう叫ぶ。
もう数秒声を掛けるのが遅れていれば、レイの手の中にある黄昏の槍は、間違いなく触手の塊に向かって放たれていただろう。
そんな、本当にギリギリでのタイミング。
レイは投擲の動きを無理矢理止め、その勢いによって数歩たたらを踏む。
「っと……ふぅ」
「ここで動きが止まったのは、良かったのか悪かったのか……正直、微妙なところね」
レイの動きを見ていたヴィヘラの言葉の中には、どこか面白がる色がある。
自分が触手と戦える機会がまだあるかもしれないと、そう思っているだろう。
実際にそれは間違いではない以上、レイとしてはそんなヴィヘラに向かって呆れの視線を送るくらいしか出来なかったが。
そんなヴィヘラから視線を外し、レイは黄昏の槍を手にしたまま、触手に襲われる危険を少しでも少なくしようとしているのか、地下空間の壁の側を移動してくる警備兵に声を掛ける。
「で、この触手はこのままにしておけってことか? それだと、後々面倒なことになる可能性があるけど?」
現在のような状況を作り出したのは、実際には空間の裂け目に槍を投擲したレイだったのだが、取りあえずそれは横に置いておいて、警備兵の女にそう尋ねた。
尋ねられた警備兵の女は、そんなレイに対して申し訳なさそうに口を開く。
「それはランガさんも分かっています。ですが、今の状況でこの相手を倒すのは色々と不味いらしく……」
「不味い? それはつまり、こいつについての何らかの情報をランガが入手したのか?」
そう言いながら、レイは視線を自分の出てきた階段の方に向ける。
今いる場所からは見えないが、そこには気絶しているジャビスがいる筈だった。
元々レイが気絶したジャビスをここまで連れてきたのは、色々と情報を聞き出す為だ。
その情報の中には、当然のようにこの触手や主に対してのものもある。
だが、もし既にランガがこの一件についての情報を得ているのであれば……と考え、すぐに首を横に振る。
今回の一件の黒幕だっただけに、ジャビスが知っている情報は触手に対するものだけではないのは確実だった。
そうである以上、やはりジャビスの価値は大きい。
「それで、どうするの? このままあの触手と戦う? それならそれで、私は構わないけど」
次は上手くやってみせる。
そんな思いと共に視線を向けてくるヴィヘラ。
女の警備兵はそんなヴィヘラの態度に少し慌てたが……その警備兵が再び口を開くよりも前に、レイは首を横に振る。
「いや、止めておく。今回の強制捜査では、ランガが最高責任者だ。そのランガが何らかの情報を得たというのなら、ここでわざわざあの触手と戦わなくてもいいだろう」
「あら」
レイの言葉に、ヴィヘラは残念そうに呟く。
だが、それでも無理に触手と戦おうとしないのは、レイの言う、ランガが今回の一件で最高責任者で、何らかの重要な情報を得たのだろうということに納得したからか。
「ヴィヘラも納得したところで、ここから出るとするか。今のままだと、あの触手がまたこちらに攻撃をしてくる可能性もあるしな」
大量の触手がいる場所に視線を向けて呟くレイに、女の警備兵とヴィヘラの二人もそれに頷く。
それを確認してから、レイは触手に対する警戒を緩めず、女の警備兵に尋ねる。
「ランガがいるのは、お前が出てきた階段がある屋敷か?」
「はい。ランガさんが待ってますので……」
出来れば一緒に来て欲しい。
そう告げる女の警備兵に、レイは頷きを返す。
「分かった。俺の方は問題ない。……ヴィヘラ?」
「分かってるわよ。あの触手と戦えないんじゃ、ここで待ってる意味はないしね。……じゃあ、向こうが動くよりも前に行きましょ。ここで無駄に時間を使えば、またあの触手が動く可能性があるわ」
ヴィヘラの言葉に一番強く反応したのは、やはり女の警備兵だった。
自分の強さは警備兵としても平均的なものであり、一般人や酔っ払っている冒険者程度であれば対処出来るが、現在視線の先にあるピンクの触手は話が別だった。
色もそうだが、何らかの粘液を纏っているその様子も、嫌悪感を抱くには十分な相手だろう。
あのような触手に襲われるというのは、絶対にごめんだと……そう思い、レイとヴィヘラを引き連れ、素早く地下空間から脱出する。
なお。一瞬ジャビスが忘れ去られそうになったが、しっかりとレイが担いで持って行くことを忘れなかった。
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