第1974話

 地下空間から脱出することにしたレイ達だったが、幸いにも地下空間にいる触手は追撃をしてくることはなかった。

 触手にとっても、昨日に引き続き自分に大きなダメージを与えたレイを、強敵だと判断したのだろう。

 ……もっとも、レイと一緒に行動しているヴィヘラにとっては、出来れば攻撃してきて欲しかったというのが正直なところだったのだろうが。


(あれだけダメージを与えたんだし、向こうの考え方とか、そういうのが変わっていてもおかしくはない。場合によっては、あの地下空間から触手が出てくる可能性も考えた方がいいだろうな)


 階段を上がりながら、レイは自分が担いでいるジャビスに視線を向ける。

 今回の一件の黒幕である以上、あの触手についても間違いなく何か知っている筈だった。

 また、ランガがレイ達を呼び戻すにあたって新たに得られた情報の類も、当然ながら重要な意味を持つのは間違いない。


「見えました」


 先頭を進んでいた女の警備兵が、ふと呟く。

 その声に強く嬉しそうな色があったのは、やはり地下空間が怖かったからだろう。

 触手がいなければ、ここまで怖がることもなかったのだろうが、この女の警備兵はレイがピンクの触手と戦っている光景をしっかりと目にしている。

 ……いや、防御を固めた触手の塊とでも呼ぶべき存在に槍を投擲しようとしていたレイを見た、というのが正確なところなのだろうが。

 ともあれ、モンスターを見ることが多い冒険者と違い、警備兵が向き合う相手は基本的に人間、獣人、エルフ、ドワーフといった者達だ。

 だからこそ、余計に触手の塊に対して警備兵が嫌悪感を抱いてもおかしくはなかったのだろう。


「ふーん。やっぱりこの屋敷の階段も隠されていたのか」


 階段から出たレイが周囲を見回すと、そこには壁が横に移動している光景が見えた。

 壁で隠されていたこの階段を、この屋敷を強制捜査していた警備兵や冒険者が何らかの手段で仕掛けを解除し、その結果として階段を見つけた……と、そういうことなのだろう。

 自分達が強制捜査していた屋敷のことを思い出しながら、そんな風に予想をする。


「すいません、レイさん。ここを確認するのは後でお願い出来ますか? まずは、ランガさんの所に行きたいので」

「ん? ああ、分かった。それは問題ない」


 ランガを放っておいてまで部屋の中を見たかった訳ではないレイは、女の警備兵の言葉にあっさりと頷き、そのまま部屋を出る。

 当然のようにジャビスを抱えているので、未だに部屋の中に何かないかと探している警備兵や冒険者達には奇異の目で見られるが、本人は特にその視線を気にした様子はない。

 ヴィヘラもそんなレイと同様に周囲の視線を気にせず、部屋の外に出る。

 ……唯一、レイ達を案内している女の警備兵のみがレイとヴィヘラに向けられた視線が最後に自分のところにくるのを感じて、微妙な表情を浮かべていたが。


「うう」

「……あら、どうかした?」


 女の警備兵の口から出た声に、ヴィヘラが不思議そうに尋ねる。

 ヴィヘラにしてみれば、他人から注目を浴びるのはいつものことであり、何故女の警備兵がここまで気にしているのかが理解出来ない。

 ヴィヘラが保護者をしているビューネですら、ヴィヘラと一緒に行動していても特に視線を気にすることはない。

 それだけに、女の警備兵の様子が気になるのだろう。……寧ろ、これこそが普通の反応なのだが。

 そんなやり取りをしながらも進み、やがてレイ達は一つの部屋の前に到着する。


「ここです」


 この短い時間で精神的に疲れた女の警備兵の様子を疑問に思いつつも、レイとヴィヘラは部屋の前に到着する。


「ランガさん、ヨミンです。レイさんとヴィヘラさんをお連れしました」


 ノックをして呼び掛けた女警備兵……ヨミンの言葉に、中から入るようにと声が掛かる。

 そうして扉が開くと、レイとヴィヘラに中に入るように促す。

 本人は特に中に入るようなことはなく、そのまま部屋の前から立ち去っていった。

 ん? と疑問に思わないでもなかったが、それを口にするよりも早く、部屋の中にあった執務机で何らかの書類を読んでいたランガがレイの方を見る。

 ここが強制捜査に入った屋敷である以上、当然のように本来ならここはランガの執務室という訳ではない。

 だが、それでも不思議な程にランガが執務机で書類を読んでいる光景は、違和感がなかった。


「やぁ、二人とも……うん? レイ君が持っているのは……」

「ジャビス。今回の一件の黒幕……らしい。もっとも、あくまでも自分でそう言っていただけであって、本当かどうかは分からないけどな」

「あら、でも十分に強かったわよ? 少なくても黒幕を名乗るくらいには」

「別に黒幕が強くなければならないって訳じゃないんだが」


 ヴィヘラの言葉にそう告げるレイだったが、そう言った本人も結局のところは黒幕なのだろうと、半ば確信していた。


「……君達は……」


 そんな二人の会話を聞いていたランガは、頭が痛い……いや、寧ろ頭が頭痛だと言いたげな様子で手で顔を覆う。

 当然だろう。ランガとしては、何か今回の一件の黒幕に対する手掛かりを欲し、ダスカーにも掛け合ってこの強制捜査を実施したのだ。

 だというのに、手掛かりどころか本物の黒幕を捕まえて来たのだから、ランガとしては何と言えばいいのか非常に困る。

 もっとも、それが嬉しくない訳ではないのだが。


「ん? どうした?」

「いや。正直なところを言わせて貰えば、非常に助かった。助かったのだが……何と言えばいいのか、言葉が出てこない」

「そうか? ……まぁ、それはともかくとしてだ。黒幕の件はこいつでいいけど、あの地下空間の触手だよ。そもそも、地下空間には入らないようにと言っておいた筈だが、何で俺達が見た時は冒険者や警備兵があんなに大勢地下空間にいたんだ?」


 若干レイの言葉がきつくなったのは、地下空間に到着した時、結構な数の死体があったからだろう。

 もしランガの指示通りになっていれば、死体は生まれずに済んだのだ。

 だというのに、何を思ってあのようなことになったのか。

 レイは、純粋にそれが疑問だった。


「あー……うん。実は冒険者達がね……」


 言いにくそうにしているランガだったが、その様子を見たレイは、何となく成り行きを理解出来てしまう。

 つまり、冒険者達が自分の利益の為に行動した結果だろう、と。

 勿論、今回の強制捜査をやる為に集められた冒険者達は、ギルムのことを大事に思っている者が殆どだ。

 だが同時に、純粋に冒険者として活動している者も多く、中には地下空間で何か重要な……自分達にとって利益になるような何かを見つけられると、そう思ったのだろう。

 実際にあの空間の裂け目や触手を見たレイとしては、その気持ちが分からないでもない。

 あの触手の秘密なりなんなりを入手することが出来れば、それは間違いなく冒険者として大きな……非常に大きな手柄となるのだから。

 集められた冒険者の中には、そんな機会を見逃すようなことが出来なかった者がいたのだろう。

 その結果が、あの惨劇とでも呼ぶべき光景だったのだ。

 それを聞かされて、レイはランガに何か文句を言う気分ではなくなってしまう。

 もしこれが警備兵の暴走で起きたのであれば、文句の一つも出ただろう。

 しかし、実際には今回の件が起きた理由が冒険者側にあると言われれば……それを同じ冒険者のレイが、どうにか言える訳もない。

 これが、ランガ以外の者の言葉であれば、もしかして警備兵を庇っているのではないか? と思わないでもなかったのだが、レイが知っている限り、ランガはそのようなことをしたりはしない。

 だからこそ、レイもそれ以上何かを言うようなことは避けたのだ。


「うん、聞いた俺が悪かった。まぁ、冒険者ならそういう反応をする奴がいてもおかしくはないんだよな。……未知を求めてって奴もいることはいるけど、そんなに数が多い訳じゃないし」


 実際には冒険者になる理由の一つに今まで自分が見たこともないものを自分の目で見たいという理由の者も決して少なくない。

 だが、ここは辺境だ。

 それこそ、辺境以外の場所では見たことがないようなものが大量に存在し、未知を見るという点では、ギルムにいる時点でほぼ達成出来ている。

 ……もっとも、そのような者の場合は、それでもより多くの未知を見たいと、そう思う者がいてもおかしくはないのだが。


「そう言って貰えると助かるよ」


 ランガは穏やかな様子でレイの言葉に頷いてくる。

 ランガとしても、勝手に地下空間に突入した一件については、色々と……本当に色々と思うところはあった。

 だが、それで冒険者を一方的に責めることが出来ないという点があったのも、間違いない。

 冒険者が地下空間に行くように言ったのは間違いないのだろうが、警備兵もそれに同意したのは間違いのない事実なのだから。


(言ってみれば、どっちもどっち……といったところか)


 ランガの様子からそう考えたレイは、このまま話していてもお互いに気まずくなるだけだと判断し、自分が抱えてきたジャビスに視線を向け、口を開く。


「それで、このジャビスはどうする?」


 一連の出来事の黒幕。

 当然のように、その身柄は大事だ。

 それこそ、今日行われた強制捜査の中で、一番重要な存在であると言っても間違いではない。


「よければ、こっちで預かっても? 勿論、その男を捕まえたのはレイ君である以上、所有権を主張するのならこちらもそれを認めざるを得ないんだけど」

「別にそういう真似はするつもりはないから、そっちで好きにしてくれていい。とはいえ、何か事情の類を聞いたのなら、こちらとしてもそれは知りたいが……その辺も、無理にとは言わないよ」


 レイにしてみれば、この男を捕らえたことにより得られる報酬というのは、そこまで興味がない。

 寧ろ、この一件が解決したことにより、ギガント・タートルの解体が捗ってくれた方が、よっぽど嬉しかった。

 それと、コボルトがギルムの中に入ってくるといったことが起きなければ……という思いもある。

 ギルムで何をするにしても、コボルト程度のモンスターであっても大量に出没するというのは厄介な出来事以外のなにものでもないのだ。

 そうである以上、レイとしては出来るだけ早く一連の出来事を解決したいというのが、一番の希望だった。


「そうかい。そう言って貰えると、こちらも助かるよ」

「その件はそれでいいとして、結局何であの地下空間の戦いを止めたんだ?」


 ジャビスの話題はこれで終わったと判断し、レイは改めて次の話題に……一番気になっている部分について尋ねる。

 地下空間では、これから本格的な戦いとなるというところで、レイを呼びに来たヨミンによって、その戦闘を止められた。

 何故戦闘を中断したのかといったことを気にしたのは、当然だろう。


「おや、そっちの……ジャビスだったかな。今回の黒幕のそちらに話を聞いているんじゃないかい?」

「その辺を聞くよりも前に、ヴィヘラと戦いが始まってしまったからな。何も情報を聞き出すといった真似は出来なかった。……まぁ、接してみた時の感触からすると、自分の負けをきちんと認めて、情報を提供してくれそうではあるが」

「なるほどね」


 レイの言葉に、ランガは納得したように笑みを浮かべる。

 そして気絶しているジャビスからレイとヴィヘラの二人に視線を向けると、口を開く。


「実はこちらで捕らえた者の一人に地下空間について知っている人がいてね。その人から聞き出した内容によると、地下空間で召喚されている存在はかなり高位の存在らしい」

「……高位の?」


 ランガの口から出てきた言葉に、レイは疑問を抱く。

 戦った感触では、とてもではないが高位の存在とは思えなかった。

 勿論、何らかの意思があるというのは分かっている。

 実際にレイを脅威と見て、触手を使って防御を固めるといった手段に出たのだから。

 だが、それは言ってみれば野生の獣やその辺のモンスターであっても普通に行うことだ。

 例えば、レイに対して何か話し掛けてきたりといったような、意思疎通は一切行われていない。

 そうである以上、あの存在が高位の存在と言われてもとてもではないがレイには納得出来なかった。


「少なくても、この情報を持っていた人はそう言っていたよ。実際にそれが正しいのかどうかは分からないが。……それに、契約についても強引に打ち切るような真似をした場合、どのような結果になるか分からないと、そう言っていたのは間違いない」

「……なるほど。それが理由で戦いを止めた訳か」


 不承不承ながら、レイはランガの言葉に納得して頷くのだった。

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