第1972話
まずヴィヘラが真っ先に向かったのは、当然と言うべきか触手に襲われている冒険者達の場所だった。
とはいえ、現在の地下空間では何人もが少人数ずつで行動しており、空間の割れ目から伸びているピンクの触手がそれぞれに襲い掛かっている。
もしレイがこの光景を見れば、恐らく少しだけではあるが驚いただろう。
昨日レイがこの触手と戦った時には、触手がそれぞれ別の方向に向かうといった真似はせず、真っ直ぐ一ヶ所だけを全ての触手で狙っていたのだ。
……もっとも、レイが見たのはあくまでも自我を失った赤布と、触手から逃げようとしていた男のうち、真っ直ぐ男に触手が襲い掛かったという光景だったので、もしかしたら……本当にもしかしたら、偶然そのようなことになっただけなのかもしれなかったが。
ともあれ、ヴィヘラにとっては折角の敵が分散しているというのは、あまり面白い話ではない。
また、こうして分散していると助ける為にもそれぞれの場所まで行く必要があり、無駄に時間が掛かるというのも難点だった。
それでもヴィヘラは足を止めず、まずは一番近くにいた触手に向かって攻撃を仕掛ける。
「はぁっ!」
まずは小手調べということで、特に何かするのではなく真っ正直に拳を振るう。
魔力による爪も生み出さずに放たれた拳の一撃は、槍を持った冒険者に襲い掛かろうとしていた触手の中程に命中し、そうなると当然のように触手の狙いは逸れ、床に触手の先端が触れる。
(あら、触れただけで相手を骨と皮にするって話だったけど、床なら特に何も起きたりはしないのね)
目にした光景に一瞬だけ驚きつつ、身体を揺らして移動する。
すると次の瞬間、放たれた矢の如く真っ直ぐに触手の先端がヴィヘラに向かって突っ込んでくる。
無理矢理狙いを逸らした触手……ではなく、それとはまた別の触手による攻撃。
そんな触手の一撃を、ヴィヘラは身体を軽く揺らすだけで回避する。
……触れただけで、相手の肉や体液といったものを奪う触手に対して、大胆な……いや、寧ろ大胆すぎると評してもいいような行動。
一体、どれだけの度胸があればそのような真似が出来るのか。
助けられた冒険者は、そんなヴィヘラの動きにただ感嘆するだけだ。
そうして紙一重といったところで触手の攻撃を回避したヴィヘラは、そのまま自分の横にある触手……それも先端部分ではない、蛇で言えば胴体とでも呼ぶべき場所に対して右手を振るう。
先程の拳での一撃ではなく、手甲に魔力の爪を生み出し、それを使っての一撃。
本来ならかなりの鋭さを持っている魔力の爪だったが、かなりの抵抗を感じつつ、それでも何とか途中で切断することに成功する。
切断された触手は、これもまたレイから聞いていたとおり、すぐに塵となって消えていく。
「なるほどね」
一瞬だけ魔力の爪を見るが、次の瞬間には再び身体を動かして触手の攻撃を回避し、再び魔力の爪を振るう。
二度目ということで力の掛け具合が先程よりも上達した為か、先程よりもあっさりと触手を切断することに成功する。……それでも、デスサイズを使って切断したレイよりも強い抵抗を感じてはいたのだが。
「慣れれば結構楽に戦えそうね」
そう呟くヴィヘラだったが、それを聞いていた冒険者は無言で首を横に振っていた。
そんな真似が容易に出来るのは、ヴィヘラを含めて少数だけだと、そう言いたげに。
それでも実際口に出さなかったのは、ヴィヘラが自分達を助けてくれているのが分かり、戦いの邪魔をしたくないという思いが強かった為だ。
冒険者が口も出せずに見ている間に、ヴィヘラの戦いは新たな場面に入る。
魔力の爪による攻撃の効果は見たので、次はヴィヘラ特有のスキルたる、浸魔掌。
ヌメった液体に塗れ、それによって刃物の鋭さを減じさせるといった効果を持つ触手だったが、ならば外側から破壊するのではなく、内側から破壊したらどうなるのか。
そんな思いで、触手の攻撃を回避しつつ、そっと手を伸ばす。
表面の液体に触れるのは、ヴィヘラも嫌だったのだが、浸魔掌の効果を確認する為には仕方がない。
この戦いが終わったら絶対に手を洗おう。
そう思いつつ、体内の魔力を集めて浸魔掌を発動する。
「はぁっ!」
鋭い叫びと共に放たれた浸魔掌は、ヴィヘラの予想通り……否、予想以上の効果を発揮した。
触手の内部が破裂し、周囲に肉片を巻き散らかした……だけではなく、その衝撃が何故か破裂しなかった触手を伝うようにして空間の裂け目の方まで移動していき……
「ギョオオオオオオオオオオオオォオオオオォオオオオォオオオオォオオオオォッ!」
その空間の裂け目から、ヴィヘラも初めて聞くような、奇妙な鳴き声、いや悲鳴が聞こえて地下空間に響き渡る。
空間の裂け目から伸びて、それぞれに冒険者や警備兵達を襲っていた触手もその悲鳴によって動きを止め……だが、触手の動きが止まっても、戦っていた冒険者や守られていた警備兵が地下空間から逃げ出すといったことは出来なかった。
本来なら、今この時が逃げるのに絶好のタイミングなのは間違いない。
なのに、何故逃げないのか……それは、逃げないのではなく逃げられないというのが正しい。
冒険者や警備兵達も、必死に身体を動かそうとしているのに、動かすことが出来ない。
先程の鳴き声……いや雄叫びとも言うべき声を聞いた瞬間から、身体が動かなくなってしまったのだ。
そんな中で唯一動くことが出来るのが、ヴィヘラ。
当然いつものように動ける訳ではないのだが、それでもまだ動くことが出来るだけ、他の者より恵まれていただろう。
(セトにもこういうスキルがあったけど……あれと、同じようなものなのかしら)
まるで大量の重りを背負っているかのような動きで、ヴィヘラが動く。
向かう先は、先程の鳴き声を発した空間の裂け目。
空間の裂け目から聞こえてきた雄叫びが皆の動きを止めたのであれば、その根元を絶った方がいいと判断しての行動。
また、浸魔掌が予想以上に触手に対して効果的だったが故に、触手……相手の末端とも呼べる部位ではなく、触手の根元たる場所に直接浸魔掌を使えば……という思いもあったのだろう。
だが、それはヴィヘラにとっても迂闊としか言いようがない行動なのは間違いなかった。
万全の状態であれば、それこそ空間の裂け目から何本もの触手を放たれても、対応は出来たかもしれない。
しかし、今は触手の主の雄叫びによってその動きは明らかに鈍っており、とてもではないがいつも通りの動きではないのだ。
だからこそ、空間の裂け目から一斉に飛び出してきた触手への対処が一瞬遅れる。
いつもであれば、全く問題のない速度で迫ってきた触手を拳で捌こうとしたのだが、それでも動きが遅れたのだ。
……ヴィヘラにとって不運だったのは最初に聞いた雄叫びよりも空間の裂け目に近づいたことにより、先程までよりも雄叫び効果が強く出ていた、ということだろう。
あるいは、最初に雄叫びを聞いた時の状況のままであれば、もしかしたら触手への対処も上手くいったかもしれない。
「っ!?」
身体の動きが自分で思っていた以上に鈍く、それでも何とか触手の一撃を手甲で弾くことには成功する。
だが、それはヴィヘラが自分で考えていたような余裕を持った動きという訳ではなく、何とか間一髪で間に合ったという、そんな動き。
触手の先端が肌に触れればその時点で致命傷となってもおかしくないような、そんな触手の群れを相手に、今のヴィヘラの状態で……そしてこの距離でやり合うというのは、自殺行為以外の何物でもない。
そして、大量の触手が空間の裂け目から伸び、それが真っ直ぐにヴィヘラに殺到し……そのような状況でもヴィヘラは諦めるといった選択はせず、現状の動きで触手とどうにかやり合おうとし……
「退け、ヴィヘラ!」
地下空間に響いた鋭い叫び、それこそ空間の裂け目から未だに聞こえ続けている叫びの中でも聞き逃すことがないその叫び声に、ヴィヘラは半ば反射的に反応する。
本来なら前に出て触手に対処していたヴィヘラの足が、床を蹴って後ろに跳ぶ。
そうして生まれたヴィヘラと触手の空間の隙間とも呼ぶべき場所に、次の瞬間何かが飛んできてヴィヘラに襲い掛かろうとしていた触手を纏めて切断していく。
レイのデスサイズでも若干の抵抗を感じさせる触手だというのに、数十本の触手を纏めて消滅させたその武器は、次の瞬間には姿を消していた。
触手……正確には空間の裂け目にいる触手の主も、まさかいきなり自分の触手が纏めて破壊されるとは思わなかったのだろう。
それ以上ヴィヘラを追うといった真似をせず、それどころか地下空間にいる者の動きを止めていた雄叫びすら止まっていた。
「さて、来てみれば予想以上に厄介な状況になっていた訳だが」
先程投げた黄昏の槍の特殊能力である、念じれば自分の手元に戻ってくる能力。
その能力を使って手元に戻した黄昏の槍を握りつつ、レイは地下空間を見て呟く。
担いできたジャビスの姿がどこにもないのは、階段の方に置いてきたからだろう。
「そもそも、何でここにこんなに警備兵達がいるんだ? 本来なら、出来るだけ地下空間に入らないようにと言われていたと思うんだが」
レイの問いに答える者はいない。
そもそも、地下空間の広さを考えれば、それぞれ別個に散らばっている冒険者や警備兵達にレイの呟きが聞こえなかったとしても、おかしくはないのだが。
また、レイも別に誰かから明確に答えを貰おうとして呟いた訳ではない。
「ともあれ……現状をどうにかする必要があるか」
「気をつけて! この空間の裂け目に近づけば、近づいただけ動きが鈍くなるわ!」
黄昏の槍によって間一髪のところを救われたヴィヘラが、レイの方に近づきながら叫ぶ。
もっとも、近づくといってもレイの方に走って移動する訳ではない。
そのような真似をすれば、後ろから狙われるというのが、間違いなく理解出来ているからだろう。
そのため、空間の裂け目を見ながら少しずつ後退していくといった形だ。
その警戒が功を奏したのか、それとも単純に先程の黄昏の槍によって受けた一撃の威力が痛かったからなのかは分からないが、空間の裂け目からヴィヘラに向かって新たに触手が放たれるといったことはなかった。
「分かった。なら、被害を受けないように気をつけてこっちに下がってきてくれ」
レイは、特に動揺した様子もなくヴィヘラに答える。
遠距離攻撃の手段のあるレイにとって、近づけばそれだけ動けなくなるような効果が強くなるというのは、そこまで脅威という訳ではない。
「……ただ、黄昏の槍は少し勿体ないか」
丁度レイが手に持っていたということや、ヴィヘラが危険だと判断したからこそ黄昏の槍を投擲したのだが、相手が空間の裂け目の向こう側にいるような存在が相手だ。
黄昏の槍にはレイの意思によって手元に戻ってくる能力があるが、それが空間の裂け目の向こう……つまり、現在レイがいる世界とは別の次元にいる存在に攻撃した時も、レイの手元に戻ってくるかどうかというのは分からない。
であれば、黄昏の槍以外の槍を使うのは当然だった。
ミスティリングの中には、黄昏の槍を手に入れるまでに……いや、手に入れてからも補充していた、壊れかけの槍が大量に収納されている。
そちらであれば、元々使い捨て用にと入手してあった槍である以上、空間の裂け目に投擲したことによってなくなっても問題はない。
そう判断し、黄昏の槍をミスティリングに収納すると、代わりに使い捨ての槍を取り出す。
レイが動いたことに反応したのか、空間の裂け目から伸びる触手がすぐにでも動けるように集まってくる。
そして……最初に動いたのは、一体どちらだったのか。
レイが槍を投擲したのが先だったのか、それとも触手が一斉にレイの方に向かって殺到した方が先立ったのか。
恐らくはほぼ同時に行われたその行動の結果は、空間の裂け目とレイの間に現れる。
触手の移動速度も速いが、レイの投擲する槍の速度はそれよりも更に速い。
位置としてはかなり空間の裂け目に近い場所で槍と触手が衝突するが、元々槍は壊れかけの槍であって、黄昏の槍……どころか、名槍とはとても呼べない槍だ。
触手に多少の傷は付けたものの、その衝撃で槍の穂先が完全に折れる。
……それでいて、触手にぶつかった衝撃でどこか遠くに飛んでいくのではなく、触手の隙間を強引にこじ開けるようにして進み……その速度が完全に止まって床に落ちたところで、再度レイの放った次の槍が投擲され、前の槍が空けた隙間を通り、空間の裂け目に飛び込んでいくのだった。
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