第1971話

「ふぅ」


 拳をジャビスの胴体に沈めて意識を奪ったヴィヘラは、艶っぽい声でそう呟く。

 レイの中で艶っぽい女と言われれば、真っ先に思いつくのは、マリーナだ。

 だが、今のヴィヘラの様子は、そんなマリーナと比べても女の艶という点で全く劣っている様子はない。

 もっとも、その艶の出所が女としての色気であるマリーナとは違い、ヴィヘラの場合は戦闘欲とでも呼ぶべきものから来ているのだが。


「満足したようだな」


 言葉通り満足そうな様子を見せているヴィヘラに対し、レイはそう尋ねる。

 実際、そんなヴィヘラの様子を見れば、誰もが満足していると表現しただろう。


「そうね。かなり満足出来る戦いだったわ」

「強さという点では、明らかにヴィヘラの方が上だったみたいだけどな。……そうなると、最後まで諦めなかった闘志が気に入ったのか?」

「正解。自分が負けそうになっても、何とか逆転する手段を探していたわ。そういう点で大きく評価出来るわね」

「まぁ、ジャビスの場合はここで負ければ、後に残っているのは最悪の未来しかないしな」

「……レイ」


 レイの言葉に、ヴィヘラは期待を込めて尋ねる。

 ヴィヘラが何を考えてそのような態度を取ったのか、レイはヴィヘラとの付き合いが長いだけに理解してしまう。


「あー、そうだな。俺が出来るのは口添えするくらいだぞ。警備隊や、その上でどういう判断をするのかってのは、俺からは何も言えない。それでもいいか?」

「ええ、お願い。……ありがとう」

「気にするな。ジャビスと戦っていたのを見た時から、大体そうなるような予感はしてたしな」


 そう言うレイだったが、実際には処刑されるかどうかは微妙なところだろうと予想していた。

 ジャビスが行ってきたことを考えれば、それこそレイの一言だけで無罪にするというのは勿論、罪を軽くすることすら難しいだろう。

 それでも、もしかしたら……本当にもしかしたらどうにかなるかもしれないという思いが、レイにはあった。


「そう言って貰えるとは思ってなかったわ。……さて、それでこれからどうするの?」

「どうするって言ってもな。取りあえず逃げ出さないように手足を縛っておくか。そっちの連中と一緒に」


 ミスティリングの中からロープを取り出し、ジャビスとレイが倒した二人の手足を縛り上げていく。

 しっかりと結び、縄抜けが出来ないようにしてから、ついでに部屋の中でヴィヘラが倒した男の手足も同様に縛り、部屋の中の探索を開始する。

 だが、この部屋の中には特に何も重要そうな物はなく、それこそこれからどうするべきかを迷う。


「やっぱり警備兵達を連れてきた方がいいんじゃないか? この屋敷を捜索しようにも、ジャビスから目を離すわけにもいかないだろ。そうなると、俺かヴィヘラのどっちか一人だけで捜索をすることになって、無駄に時間が掛かるだろうし」


 今回の一件の黒幕たるジャビスがこうしてわざわざ自分から出てきてくれたのだから、その身柄を警備兵に渡すのを最優先にするべきというのがレイの意見だった。


「うーん、でもこれでもう誰もいないってのは……ちょっと、疑問じゃない? もしかしたら、ジャビス程じゃなくても、まだ向こうの戦力が残ってるかもしれないわよ?」

「そうか? そういうのがいたら、ジャビスが直接連れてくると思うんだけどな。そっちの連中みたいに」


 レイは、ジャビスと一緒に縛られている二人に視線を向けて、そう告げる。

 ジャビスと連携をとって戦うことを前提としているような者達であるだけに、他の連中は邪魔だと思ったのかもしれないが。

 そう、言葉とは正反対のことを考えながら。

 実際に、この廊下はそれなりの広さを持つが、大勢が戦うのに向いているとはとても思えない場所だ。

 その辺りの事情を考え……もしかしたらヴィヘラの考えが正しいのかも? と、思わないでもない。

 だが、そのような場合であっても、ならば何故ここで黒幕本人が出てきたのか、ということになる。

 それこそ、少しでもレイやヴィヘラの体力を消耗し、もしくはどのような手札を持っているのかを確認する為にも捨て駒を使うべきではないのか。

 当然のように、レイにはそんな疑問があった。

 とはいえ、そのような疑問があろうがなかろうが、こうしてジャビスが出てきたのは事実なのだ。

 であれば、今更何を考えても、それは意味がない。


(いや、あるいは……)


 ふと、気絶しているジャビスを見たレイが思いついたことが一つ。それは……


「影武者?」


 そう、呟く。

 レイの言葉に、ヴィヘラは少しだけ納得した表情でジャビスに視線を向けるものの、やがて首を横に振る。


「確定ではないけど、ジャビスが今回の黒幕で間違いないと思う」

「……何でそう思う? 何か確信でもあるのか?」

「その辺は、何となくそう思うというだけだけど……」


 何となく。

 それで黒幕を決めるというのは、レイには出来ない。


(いやまぁ、その何となくが女の勘とかになると、突然信頼性が増すんだけど。それでも、俺はともかく警備兵の連中はとてもじゃないけどそれで納得させるのは難しいよな)


 取りあえず、今はヴィヘラの言葉を否定しておこうと、口を開く。


「何か明確な証拠の類もないまま、何となくとか勘でとかだと、警備兵は納得しないと思うぞ。勿論、この屋敷にいた以上は今回の件の関係者なのは確実だから、取り調べは受けるだろうけど」

「なら、その取り調べで警備兵に頑張って貰えばいいでしょ。……それより、警備兵を呼んでくるの? それとも、ジャビス達を連れていくの?」

「前者だな」


 そう断言したのは、やはりジャビスと痩せぎすの男はともかく、巨漢がいるからだろう。

 巨漢が死体であれば、ミスティリングに収納していくことも可能だろうが、それでは警備兵が相手から事情や情報を聞き出すといった真似が出来ない。

 だからこそ、レイも襲ってきた二人を殺すのではなく気絶させることで済ませたのだ。

 ……もっとも、その二人が本当に強い相手で手加減するような余裕がなければ、殺すしかなかったのだろうが……幸いにも、二人は警備兵よりは強くても、レイの手に負えないという程でもなかった。


「そう。なら……私が行ってくるから、レイはここで三人を見張っているってことでいい?」

「それは別に構わないけど……ヴィヘラが行くのか? てっきり、ここで待ってるって言うと思ったんだけどな」

「ジャビスとの戦いで満足してなければ、そう思いもしたかもしれないけど……さっきの戦いはそれなりに満足出来たもの」


 言葉通り、満足そうな笑みを浮かべるヴィヘラの言葉に、レイは納得する。

 それだけヴィヘラにとって、先程の戦いは満足だったのだろうと。


「分かった。ヴィヘラがそこまで言うのなら、任せる」


 レイとしては、正直なところ自分が警備兵を呼びに行くのでも、もしくはここで待っているのでもどちらでもいいという思いがあった。

 なので、ヴィヘラがわざわざ自分で警備兵を呼んでくるというのであれば、それに対して否と言うつもりはない。


「じゃあ、早速行ってくるわね。私達がいなくなって、あの部屋で待っている警備兵達も心配してるでしょうし」

「一応伝言を頼んだだろ? なら、そこの辺りを心配する必要はないと思うんだが」

「あのね、伝言を頼みはしたけど、私達がこの屋敷に入ってからのことは向こうに分からないんだもの。なら……」


 心配してるでしょ。

 ヴィヘラはそう言おうとしたのだろうが、その前にレイが……そして次の瞬間、ヴィヘラが一瞬にして自分達がやってきた階段の方……正確には階段と繋がっている地下空間に向けて反射的に視線を向ける。


「……おい」

「ええ。どうやら、悠長にレイと別行動を取っていられるような余裕はないみたいね」


 レイとヴィヘラの二人が感じた、その気配。

 ヴィヘラはただ驚いているだけだが、レイはそのおぞましいと呼ぶのが相応しい気配に覚えがあった。

 何しろ、昨日直接その気配の主と戦ったばかりなのだから当然だろう。

 ヴィヘラも、その気配の主が何であるのかというのは、レイに言われるまでもなく分かった。

 これ程に異質な気配の持ち主というのは、そうお目に掛かれるものではないのだから。


「あの気配が出てきたってことは、恐らく空間の裂け目から触手が出てきている筈だ。となると……警備兵や護衛の冒険者が襲われている可能性も高い」

「そうなると、急ぐ必要があるわね」


 レイの言葉の内容を半ば予想していたヴィヘラは、満面の……そして、獰猛な笑みを浮かべてそう告げる。

 そこには、先程ジャビスとの戦いで満足した様子は一切なく、次の戦いを期待している戦闘狂としてのヴィヘラの姿のみがあった

 元々ヴィヘラが戦いたかったのは……そして強制捜査に同行した理由は、触手との戦いを希望したというのが大きい。

 だからこそ、今回の本命とも呼ぶべき存在の気配を察知したことにより、ジャビスとの戦いで得た満足感は一瞬にして消え、次の戦いに対する期待にヴィヘラの身体は満たされた。

 敵を、敵を、敵を。

 強敵を、強敵を、強敵を。

 自分の中に眠るその声に、ヴィヘラはその目に好戦的な光を宿し、レイに視線を向ける。

 視線を向けはしても、何かを言う様子はない。

 それでも、ヴィヘラの視線だけで、レイはヴィヘラが何を言いたいのかを理解し、頷く。


「分かった。俺はジャビスを連れていくから、ヴィヘラは先行してくれ。もしあの地下空間で触手が現れたのなら、警備兵は勿論、冒険者の多くも手出し出来ない筈だ」


 レイの言葉に小さく頷くと、ヴィヘラはレイをこの場に残して一気に走り出す。

 強敵との戦いだけを求めてのヴィヘラの行為だったが、それはレイにとっても決して悪いものではない。

 今回の一件の黒幕と思われるジャビスをこの場に置いていけない以上、レイかヴィヘラが連れていくしかない。

 だが、戦闘欲に身体を支配されているヴィヘラにジャビスを任せようものなら、それこそ強引に引っ張っていってその途中でジャビスの首の骨なりなんなりが折れてしまいかねない。

 そうである以上、ヴィヘラには先行して貰い、レイがジャビスを連れて後を追うという選択が最善なのは、間違いのない事実だ。

 そうして、あっという間に視界から消えたヴィヘラを追い、レイは気絶したジャビスを米俵のように担ぎ、その後を追うのだった。






 レイが後ろから自分を追っている……ということすら既に頭の片隅にしか存在しないヴィヘラは、全速力で廊下を走る。

 自分の中にある闘争心が、少しでも早く強敵と戦いたいという思いをヴィヘラに訴えかけてくる。

 その勢いに乗って廊下を走っていたヴィヘラは、瞬く間に赤布達を閉じ込めていた部屋に通じる階段の前を通りすぎ、やがて視線の先に地下空間に続く階段が見えてきた。

 階段が見えてきたというのに、ヴィヘラは一切速度を落とすことなく走り続け……やがて、ふわりと跳ぶ。

 ヴィヘラの身体を覆っている薄衣がはためき、もしその光景を見ることが出来た者がいたとすれば、目を奪われてもおかしくはないような幻想的な光景。

 だが、その幻想的な光景を作り出した本人はそのようなことは一切気にせず、階段の向かいにある壁を蹴ってそのまま勢いを殆ど殺すことなく階段に突入する。

 階段では数段飛ばしに走り抜ける。

 そのような真似をしても一切バランスを崩すといった真似をしないのは、それだけヴィヘラの身体を動かす感覚が鍛えられているからだろう。

 そうして速度に乗ったまま階段を降りたヴィヘラが見たのは、先程までは存在していなかった、骨と皮だけになった死体。

 それもざっと見た感じでは十人以上が犠牲になっているのは確実だった。


「うっ、うおおおおおおおおおおおおおっ!」


 自分に向かって飛んでくるピンク色の触手に対して、冒険者の一人は長剣を振るう。

 回避ではなく迎撃を選んだのは、背後に自分が守るべき警備兵がいたからだろう。

 ここで自分が回避しようものなら、この触手は間違いなく警備兵達を襲う。

 護衛として雇われた冒険者としては、ここで逃げ出す訳にはいかなかった。


「俺が防いでいる間に、上に戻れ! 情報が正しければ、この触手はこの地下空間から出られない筈だ!」


 叫ぶ冒険者の男に、警備兵達はお互いに頷くと素早くその場から逃げ出し、階段に向かう。


「そっちも気をつけろよ! 触手はこっちの予想外の場所から攻撃してくるぞ!」


 続いて冒険者が叫んだのは、この地下空間で戦っている他の冒険者達。

 現在この地下空間には、二十人近い冒険者や警備兵がいる。

 既に十人以上が触手に殺されたことを考えると、最初は三十人以上がいた計算だ。

 そんな光景に、ヴィヘラは獰猛な笑みを浮かべると階段から一気に地下空間の中へと飛び出すのだった。

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