第1947話
「うーん……何かあるのかと思ったんだけど、特に何もないな」
屋敷の中を歩きながら、レイは一人呟く。
てっきり先程の初老の男と同じくらいの強さを持つ者達が襲ってくるとばかり思っていたのだが、まさかこうして誰からも襲われないというのは完全に予想外だった。
「もしかして、屋敷には他に人がいないとか? ……いや、拠点なんだから、そんなことはないだろ。……お」
視線の先に一つの扉が見えたことにより、レイの足が少し早まる。
それなりに広い屋敷とはいえ、貴族街にある屋敷より広いということはない。
……もっとも、マリーナの家のように例外は存在するのだが。
それだけに部屋の数もそこまで多くはなく、だからこそあまり時間が掛からずに何らかの手掛かりを見つけられるかもしれないと、そうレイは思っていた。
扉の前に到着すると、そっと手を伸ばし……だが、ドアノブに触れる前にその動きを止める。
(罠とかないよな? ……拠点の中にある扉なんだし、まさかそこに罠をしかけるような真似はすると思えないけど……こういう時に、ビューネがいてくれると便利なんだけどな)
そう思いつつも、恐らく罠は仕掛けられてないだろうと判断し、そっとドアノブに手を伸ばす。
もし何かあってもすぐ対処出来るようにしながらの行為だったが、幸いなことにドアノブから針が飛び出てきたり、ドアノブに触った瞬間に電撃が流れるといったことはなく、普通に扉が開く。
そのことに安堵しながらも、部屋の中に入る……よりも前に、何か怪しいところがないかをチェックする。
ドアノブの時もそうだったが、今回に限ってここまで用心深く対応しているのは、ひとえにコボルトの一件の裏にいる者は間違いなく非常に用心深い性格をしていると思われるからだった。
でなければ、ここまで全く手掛かりが出ないということは有り得ないだろう。
正確には幾つか手掛かりはあったが、それは黒幕に辿り着くよりも前に、途中で切れてしまっている。
それだけ用心深い相手である以上、グランジェが知っていたような使い捨ての拠点ではなく、本当の意味での拠点であれば何らかの罠が仕掛けてあってもおかしくはない。
幸い今回は罠はなかったので、レイは部屋の中に入る。
「書斎……か? また、面倒な」
執務机があり、周囲には小さいながらも本棚がある。
本というのは基本的に高価な代物なので、ここにある本だけでも一財産……とまではいかないが、ある程度の金額にはなるだろう。
(少なくても、この拠点を使ってる奴は金には困ってない訳か。……いや、この拠点を用意してるって時点でそれは決まってるけど)
この屋敷を借りているのか、買い取っているのか……もしくは無断で使っているのかといったことは、レイにも分からない。
だが、このような場所にある屋敷を使うとなれば、当然のように色々と必要経費の類があるのは間違いない。
本当に短時間だけ住むのであればともかく、それなりに長い間住むとなれば、その辺りは必須なのだ。
……もっとも、だから羨ましいといった訳でもないのだが。
(マジックアイテムとかを飾って楽しむのなら、こういう場所も必要になってくるのかもしれないけど……取りあえず俺はこういう広い屋敷は必要ないな)
執務机を見ながらレイはそう考え、何か手掛かりになるような物がないかを探し始める。
だが、執務机の上は綺麗に片付けられており、一目で見て分かるような手掛かり……例えば書類のような物は、どこにもない。
執務机の引き出しの中はと思って調べてみれば、何枚かの書類を発見するも、特に重要なそうな物には見えなかった。
「場所的にこの書斎はこの屋敷の主が使うような場所なのは間違いないと思うんだが、その割に何もそれらしい証拠の類は存在していないってのは……どうなんだ? いやまぁ、ここが敵の拠点ではあっても、本拠地ではないからこそってことなのかもしれないけど」
探していたマジックアイテムの類がすぐに見つかるとは、レイも思っていなかった。
だが、それでもマジックアイテムに繋がる手掛かりのようなものはあってもおかしくはないと考えていただけに、完全に肩すかしといったところだ。
……マジックアイテムがあるというのは、レイの希望的な観測にすぎないのだが。
「マジックアイテムじゃなくても、それ以外に何かそれっぽいのがあってもいいと思うんだが。……どう思う?」
「っ!?」
レイの言葉に、部屋の外にいた何者かが自分に話し掛けられたのだと知り、息を呑む。
だが、すぐに覚悟を決めたのか、扉を蹴破るようにして中に入ってくると数秒もせずにレイがいる場所を突き止め、突進する。
レイの姿を確認するのに数秒掛かるというのが、まだその人物が未熟と評されてもおかしくない理由だろう。
一定以上の……それこそ玄関で警備兵に奇襲を仕掛け、レイにあっさりと倒された初老の男であれば、部屋の中に入ってレイの姿を確認するのに有する時間は一瞬だろう。
数秒と一瞬。
客観的に見た場合、その二つにそれ程の差があるようには見えないし、それは事実だ。
ただ、戦いという行為の中では、その差は限りなく大きいものとなる。
そして実際に、今回の戦いの中でもそのほんの少しの差が致命的な結果を招くことになった。
突進してきた相手を準備万端で待ち受けていたレイの放った一撃は、容易く相手のみぞおちに埋まり、そのまま気絶させる。
ただし、走ってきた勢いをその一撃で容易に殺せる訳もなく、相手は床に倒れた勢いそのままに派手に執務机にぶつかることになってしまったが。
「俺を襲ってきたってことは、他の連中も襲われてるってことか? その割には……」
聴覚に集中するレイだったが、戦いの音は聞こえてこない。
レイの聴覚が通常よりも優れているからといって、セト程に鋭い訳ではない。
大きな音を立てながら戦っているのなら、その音を聞くことも出来るだろう。
だが、その戦闘が静かに始まり、静かに終わる……例えば奇襲で一方的に警備兵が倒されるといったことになれば、床に倒れる音を聞き取るような真似は出来ない。
その対策として、警備兵は二人から三人で一組として動いているのだが、それで絶対に安全とも言い切れない。
これが普通の犯罪者なら問題はないのだろうが……
(取りあえず騒いでるような音が聞こえないってことは、襲撃された訳じゃないということにしておくか。そうなると、こいつは何で俺を襲ってきたかだが……)
書斎の中を見回し、何かその理由になりそうな物を探す。
この部屋に何か見られては不味い物があるからこそ、それを見つけられたくないので襲ってきたのではないか。
そう思ったのだが、この書斎はそれなりに広い。
本棚が結構な数あるからこそ、あまり広くは感じないのだが。
「本の中に何かあるとか?」
呟くレイ。
日本にいる時に見た漫画やアニメ、小説といったものでも、本棚に何らかの仕掛けがしてあるというのはよくあった。
特定の本を順番に取ると隠し扉が開くといったものは、レイの記憶に残っている。
だが、この部屋にある本棚と本の数を考えると、そのような真似は容易に出来ることではない。
そもそも、そのようなことを出来る時間はないので、もし本当に本棚に仕掛けがあるのなら警備兵に任せることしか出来ないのだが。
「となると……」
すぐに本棚を調べるのを諦め、改めて周囲の部屋を見回す。
ただ、その前に襲ってきた相手が気が付けば、すぐにまた襲ってくる可能性も否定は出来ない。
そうならない為に、ミスティリングの中から取りだしたロープで動けないように縛っていく。
……もっとも、警備兵のように本職という訳ではないので、本職の者であれば縄抜け出来る可能性もあるかもしれないのだが。
ともあれ、襲ってきた相手の手足を縛った後で改めて再度周囲を見回す。
「んー……これとか?」
ふと目に付いたのは、執務机の上に置かれていた置物。
何かの木を彫った小さな木製の像。
掌程度の大きさのその木像を手に取ってみたレイだったが、当然のようにその程度で何かが起きるといったことはない。
「どこか特定の場所に置くとか? いや、けど別にわざわざそんな鍵になるよう木像を机の上に放り出すように置いておくか?」
結局そう結論づけられ、持っていた木像を机の上に戻す。
「直接この男に聞いた方が早いような気がしてきたな。……素直にそれに答えるかどうかは、別として」
少なくても、先程戦った初老の男はレイや警備兵が情報を引き出そうとしても、それに全く応じる様子はなかった。
襲いかかってきたこの男は、あの初老の男よりは腕が落ちるのは間違いないが、口が堅いという可能性は十分すぎる程にある。
(まぁ、尋問とかそれが専門の警備兵に任せた方がいいんだろうけど)
そう思いつつ、書斎の中を改めて見回す。
レイは警備兵のように本職という訳でもないし、そんな警備兵とは別の意味で本職ともいえる盗賊でもない。
それだけに、どこからどのように書斎の中を調べればいいのかというセオリーは分からず、だからこそレイはセオリーではなく、自分の勘に従って部屋を見回す。
何か違和感のあるような場所はないか。
そう思いつつ部屋を見回し……ふと、その動きを止める。
視線の先にあるのは、一枚の絵画。
芸術の類については致命的なまでに分からないレイだったが、それでもその絵画が上手いというのは理解出来る。
ギルムの光景ではなく、砂浜と海を描いた絵画。
一見すれば上手くてもただの絵画にしか見えなかったのだが、それでもレイはその絵画にどこか違和感があった。
(何だ? 何が気になる?)
そう思いつつも、結局のところは絵画を調べてみなければその理由は分からないと判断して、そっと壁に近づいていく。
そうして絵画の前に立ち、ようやくそこでレイは自分が何に違和感を抱いたのかに気が付いた。
「これは……距離感がおかしい?」
呟きの通り、先程までレイがいた書斎の中央付近から見たよりも、一歩か二歩絵画の掛けられている壁まで遠いように思えた。
その距離はそこまで大きな訳ではないが、それでも一歩か二歩ともなれば、一m近い差異があるということになる。
だとすれば、何故そのようなことになっているのかというのが、気に掛かってしまう。
(この絵画そのものがマジックアイテムとか? ああ、でも視覚効果でそういう風に誤魔化す描き方があるとか何とか、日本にいた時にTVで見たことがあったな。そっちか?)
いわゆる、騙し絵やトリックアートと言われているようなものだ。
それはマジックアイテムといったものではなく、純粋に技量によって描かれた絵画。
その手のものなのかと感心し、それを承知した上で周囲を見回し……
「ん?」
ふと、視線の先にある物に気が付く。
絵画が掛かっていたのとは、別の壁。
その壁に、先程までは見えなかったスイッチのようなものがあったのだ。
特に目立っている訳でもなく、それこそ壁の色に紛れているようなスイッチ。
保護色のようなもので、絵画の前にいるレイの目でなければ見つけることは出来なかっただろう代物。
「これは……一体、何を考えてこんな真似を? いや、ここまで巧妙に隠してあったんだから、見つかりたくなかったということなんだろうけど」
呟きつつ、スイッチのある壁に近づいていく。
「うん、間違いなくスイッチだ」
いわゆる、ボタン型の押すタイプのスイッチ。
保護色のような形で隠していたのだから、当然のように隠しやすい形にするのは当然だろう。
例えばレバー型のスイッチであれば、このスイッチのように壁の色と同じようにして隠そうとしても、容易に見つけることが出来る。
「……で、最大の問題は、だ。このスイッチを押してもいいのかどうかってことなんだけど……どうなんだろうな。多分大丈夫だとは思うんだけど」
このような場所に、これ見よがしにある訳でもなく、隠されているスイッチだ。
それこそ、これを押せば隠し通路が開くといった仕掛けがされているのである可能性が高い。
だが同時に、ここまで用心深い相手が例え保護色で隠したとしても、このようにわざわざ隠し通路に続くスイッチを用意しておくかと言われれば……レイも素直に頷くことは出来なかった。
迂闊にスイッチを押した者に何らかの攻撃が行われるかもしれない。
もしくは、そのスイッチを押したことによってこの屋敷の秘密が何か分かるかもしれない。
どちらもありそうな状況であるが故に、どうするべきか迷い……レイは結局大人しく本職の警備兵を呼ぶことにするのだった。
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