第1946話

「はて、一体何のお話でしょうか?」


 血の臭いがする。

 そう言われた初老の男は、レイに向かって自分が本当に何を言われているのか分からないといった様子で不思議そうに首を傾げる。

 そんな初老の男を見た警備兵達は、一瞬どちらの言葉を信じるかで迷うも……すぐに初老の男に厳しい視線を向ける。

 警備兵達にとって、レイという人物はこれまでも色々と交流してきた相手であり、共に事件を解決する為に協力し合ったこともある。

 それこそ、戦友……というのは多少大袈裟だったが、そのように思っている者も多い。

 ましてや、レイの性格はともかく、その能力は間違いなくギルムでも最高峰の代物だ。

 そんなレイが目の前の初老の男から血の臭いがすると言うのだから、警備兵たちにそれを信じないという選択肢は存在しなかった。


「すまないが、この屋敷の中をすこし見させて欲しい」


 警備兵がそう告げるが、初老の男は首を横に振る。


「申し訳ありませんが、そのような真似は出来ません。こちらも、主から言われてこの屋敷にいるのです。そうである以上、招待した訳でもない見ず知らずの者を……それが例え警備兵であるとはいえ、屋敷に上げるといった真似は……」


 とてもとても。

 そう告げ、初老の男は絶対にこの場にいる者達を屋敷に上げないといった決意を露わにする。


「へぇ。もしかして、この屋敷の中には他人に……俺達警備兵に見られては困る物でもあるのかな?」

「まさか。そのような物はありませんよ。ですが、主の屋敷に許可もなしにそのような真似をすることは、私には出来ません」

「その辺は、警備兵だからということで納得して貰うしかないな」

「生憎と、それは出来ません。主が帰ってきたら話を聞いておきますので、今日のところはお帰り下さい」


 そう言い、頭を下げる初老の男。

 そんな相手に警備兵が何かを言おうとした瞬間、不意にその警備兵は横に吹き飛ぶ。


「なっ!?」


 いきなりのことに何が起きたのか全く理解出来ていない警備兵だったが、その警備兵の横にいるレイが手を伸ばしているのを見れば、何故そのようなことになったのかは明らかだ。

 警備兵の一人がそんなレイに向かって何かを言おうとするも、それよりも前に行動を起こした者がいた。


「はあっ!」

「甘いんだよ!」


 頭を下げていた筈の初老の男が、鋭い呼気と共に鋭く、速い蹴りを放つ。

 レイに吹き飛ばされた警備兵の横にいた警備兵の頭部を狙った、蹴り。

 それこそ、命中すれば頭部が破裂……とはいかないまでも、頭蓋骨骨折は間違いないだろう威力と鋭さを有した蹴り。

 だが、その蹴りは警備兵を庇うように前に出たレイの手により、あっさりと止められる。

 周囲に鳴り響くのは、肉を思い切りコンクリートに叩きつけた音が数倍にもなったような音。


「……足甲を装備して蹴りを攻撃に使う、か。ヴィヘラ以外ではあまり見たことはないが……随分と物騒な執事もいたものだな」


 初老の男の履いているズボンの下に装備しているのは足甲だと知ったレイは、からかうようにそう告げる。

 だが、そうしながらも足を掴んでいる手を放すようなことはない。

 初老の男は必死になってレイの手を振りほどこうとするのだが、レイの手から足が離れる様子はない。

 軽く掴んでいるだけなのだが、それはあくまでもレイにとっての軽くであって、初老の男にとっては違うということだろう。

 そのような状況になって、ようやく警備兵達も何が起きたのか理解したのだろう。

 戸惑うよりも前に、そして状況を確認するよりも前にレイに足を掴まれている男を押さえつけ、身動き出来ないように縛り上げる。

 この縛るという行為は、素人がやると本人はしっかり縛ったつもりでも、盗賊のように知識のある者であればあっさりと抜け出せることも多い。

 だが、警備兵なら関節を外しても抜け出すことが出来ないように縛ることも、難しくはない。

 本職だからか、あっという間に……それこそレイから見ても驚きの速度で初老の男を縛った警備兵達は、周囲の様子を警戒するように見回す。


「ぐ……」


 初老の男も、まさか自分がこんなにあっさり捕まるとは思っていなかったのか、その口からは驚きの声しか出ない。


「さて、これで取りあえずこの屋敷が怪しいというのははっきりした訳だが……この屋敷は誰が使っているのか、教えて欲しいんだけどな」


 縛られた初老の男に尋ねるレイだったが、男が口を開く様子はない。


(へぇ。忠誠心は高いのか。……取りあえず上に対して恐怖を抱いているって様子じゃなさそうだけど)


 レイは目の前の初老の男の様子を眺めながら、感心したように呟く。

 実際、レイが相手だったからあっさりと負けたが、この初老の男の実力はそれなりに高いものだ。

 それを証明するように、最初に放とうとした一撃はともかく、二度目の頭部を狙った蹴りは警備兵ですら反応出来なかったのだから。

 もしこの場にレイがいなければ、男の一撃は間違いなく警備兵の頭部を砕いていただろう。

 つまりそれは、場合によっては警備兵が死んでいた可能性もあるということだ。

 とはいえ、警備兵というのも命懸けの仕事だ。

 自分が命を狙われたことに拘って、仕事で中途半端な真似をしたりはしない。

 ……仕事が終わった後で、浴びるように酒を飲んで死の恐怖を紛らわせるくらいはするのだろうが。


「取りあえず、この男は見た感じ何を聞いても言う様子はない。ただ、こうして攻撃してきたってことは、多分この屋敷の中には何かが……さっきお前達が言ったように、見られると困るようなものがあるのは間違いないと思う」


 レイの言葉に異論はないのか、警備兵達がそれぞれ頷く。

 本当に何も見せられない何かがないのであれば、警備兵が粘っていても攻撃するようなことはなかった筈だから、当然だろう。

 警備兵の様子を見て、絶対に退かないと判断したからこそ、機先を制して一人でも人数を減らそうとして、あのような行動にでたのだから。


「その判断も、決して間違っていた訳じゃないのは間違いないけどな。レイがいなければ、場合によっては全員ここで倒されていたかもしれねえし」


 レイを見ながら、警備兵の一人がそう呟く。

 冒険者を相手にすることが多く、対人訓練もしっかりと積んでいる警備兵だったが、それでも相手が強ければそれに対処出来ないことはある。

 そして今回相手取ることになった初老の男は、その対処出来ない相手だったのだ。

 そんな男にとって、最悪のミスは自分の前にいるのが警備兵だけであると思い込んでしまったことだろう。

 相手の実力を察知出来るだけの実力まではなかったのか、レイを見てもドラゴンローブのおかげでレイをレイだと認識出来なかったのが痛い。

 セトが一緒にいればレイをレイだと認識出来たのかもしれないが、残念ながらセトは現在他の警備兵達と共に屋敷から抜け出す相手がいないのかの警戒中だった。


「問題なのは、屋敷の中だろうな。この男と同じくらいの強さを持つ奴が他にもいるとなると、ちょっと……いや、かなり厄介だ」


 警備兵の一人が悔しそうにしながら呟く。

 まさかいきなり奇襲を受けるとは思っていなかったというのもあるだろうが、初老の男の一撃に反応出来なかったのは間違いない。

 少なくても、ここにいる警備兵では初老の男に一対一で勝つのは不可能で、人数を揃える必要がある。

 そうなると、この屋敷を調べるのは間違いなく時間が掛かるだろう。

 屋敷という規模で、更には隠し通路や隠し階段、隠し部屋……といった物がある可能性が高い。

 それらを見つける為には、当然のように怪しい場所を見つける必要があり、その為には人数が必要となる。

 だが、初老の男という存在のおかげで、レイはともかく他の者達は一人、もしくは二人で行動するのは難しくなってしまった。


(あるいは、こいつはそれも狙っての行動だったのか? だとすれば、厄介なのは間違いないな)


 年の功という奴か、とレイは縛られている初老の男に視線を向ける。

 そんなレイの視線を感じたのか、初老の男は猿ぐつわをされた状態のままレイを見てくる。

 喋れないので、何を考えているのかは分からなかったが、レイの目から見れば自分のやるべきことをやったという満足そうな色があるように思えた。

 勿論、あくまでもレイがそのように思っただけで、実際には違うのかもしれないが。

 ともあれ、警備兵やレイにとって、この初老の男の行動が厄介なものだったのは間違いない。


「どうする? いっそ、もっと警備兵を呼んでくるか? だとすれば、人数の差でどうにか出来ると思うけど」

「それも一つの選択ではある。だが……今回の一件は出来るだけ素早く証拠を集める必要があるからな。……いっそ、セトを屋敷の中に入れることが出来ればいいのかもしれないな」


 そう告げる警備兵だったが、実際には無理だというのは言った警備兵も理解しているのだろう。

 寧ろ、それはレイを含めた全員をリラックスさせる為の冗談のようなものだったのは間違いない。


「まぁ、セトの五感は俺よりも鋭いからな。中に入れることが出来れば、有益なのは間違いない。……とはいえ、この屋敷に色々と壊れる場所とかも多くなってくるけど」


 サイズ変更を使えば、ある程度壊す場所を減らすことが出来るかもしれないが、レイはそんな真似をするつもりはなかった。

 サイズ変更というのは、ファイアブレスと比べてセトの持つスキルとしてはそこまで有名ではない。

 つまりそれは、いざという時の奥の手にもなるのだ。……もっとも、身体のサイズを変えるというのがそこまで大きな意味を持つ場面というのは、そう多くはないだろうが。


「そうか。なら、しょうがない。やっぱりここは俺達だけで調べる必要があるな。それに、屋敷から逃げ出す相手を見つけるという仕事は重要だし」


 セトの持つ五感があれば、それこそちょっとやそっとのことでセトの手から逃げ出すような真似は出来ないだろう。


「けど、じゃあ屋敷の探索はどうするんだ? そいつみたいな奴が出てきたら、俺達はどうしようもないぞ。レイなら話は別なんだろうけど」


 警備兵達の視線がレイに向けられる。

 実際に初老の男を倒したのがレイである以上、それを否定するような真似は誰にも出来ない。

 ……レイの実力を知っている者にしてみれば、そのような真似はする必要もないだろうと判断するのが当然だったが。


「あー……じゃあ、折衷案だ。レイは一人。俺達は……二人から三人に纏まって動く。全員が別々に探索するよりは時間が掛かるだろうが、もし襲われてもある程度は対処出来る筈だ。……で、耐えている間に他の連中に助けて貰う、と。それでいいよな?」


 この場合、助けるというのはレイに向けられた言葉なのだろう。

 レイもそれが分かっているので、警備兵の言葉に頷きを返す。


「分かった。なら、俺は建物の中央辺りを調べてみる。それなら、どこで誰かが襲われても極端に遅れるなんてことはないだろうし。……もっとも、屋敷の中央ってのは普通なら重要な部屋とかがあってもおかしくはない。そこを俺が調べるのは……どうかと思うけどな」


 レイも冒険者として色々な経験を積んできたのは間違いない。

 だが、当然のようにそういう本職の警備兵に比べれば、その技量は落ちてしまう。

 だからこそ、レイはそのように言ったのだが、警備兵達はそれで問題ないと頷きを返す。


「俺達はそれで構わない。何か重要な物があるということは、そこにいる奴が強いということも十分に考えられるしな。そういう意味では、やっぱりレイがそこを探すのが最善の選択の筈だ」


 警備兵の言葉に全員が頷き、結果としてレイは屋敷の中央付近を調べることになる。

 それ以外の警備兵は、それぞれ二人から三人に別れて屋敷の中に入っていく。

 なお、もしかしたら……本当にもしかしたらここから誰かが逃げ出す可能性もあるし、何よりも捕らえた初老の男を見張っておく必要もあるので、ここにも何人か残ることになる。


「レイ、何か見つかったらすぐに教えてくれ」

「大事そうな書類とか何かがあったら、ミスティリングの中に収納しておくよ。そうすれば、後でその辺を調べることも出来るだろ?」

「……そうだな。ただし、出し忘れてそのままとなると、俺達にはそれを知ることが出来ないんだから、気をつけてくれよ」


 レイの持つミスティリングは、レイ専用で、レイにしか出し入れすることが出来ない。

 それを分かっているからこそ、警備兵もレイに向かってそう告げたのだ。


「分かってる。その辺はしっかりと把握しておく」


 頷きつつ、レイは屋敷の中を進むのだった。

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