第1945話

 レイとセト、そして警備兵達は、貴族街の方に向かって歩いていた。

 目指すのは、コボルトの件の黒幕と思われる者の拠点。

 それも、グランジェが知っていたような使い捨ての拠点ではなく、本当の意味での拠点だ。

 もっとも、向こうの慎重さを考えると、これから向かう拠点以外にも別の拠点があってもおかしくはないのだが。

 ともあれ、レイ達はその拠点に向かっていたのだが、全員が一緒になって歩いている訳ではない。

 レイとセト、そして多数の警備兵が纏まって移動しているようなことになれば、当然のように目立つ。

 だからこそ、レイとセトは適当に買い食いをするような感じで歩き回り、警備兵達もそれぞれ私服姿になって、幾つもの集団に別れながらの移動だった。

 ここまで警戒しているのは、やはり今回の相手は高い情報収集能力を持っていると思われている為だ。

 特に大きいのは警備兵の中に裏切り者がいるという可能性だったが、今回は情報を得てから素早く行動に移り、その上で警備兵同士で互いを監視するように行動しているので、向こうに情報が流されている可能性は少ないと思われた。


(まぁ、向こうに繋がっているのが複数いて、その複数が協力して……ってことになれば、こっちの情報が流れている可能性は否定出来ないけど。ただ、行動の素早さから考えれば、向こうに対応する暇を与えていない……って可能性は十分にある、と思いたい)


 屋台で購入した串焼きを食べながら、レイは周囲に視線を向ける。

 職業柄なのか、警備兵は特に目立った様子はなく、一見すれば普通の通行人にしか見えない。

 その溶け込み方は、警備兵達がこの手の仕事に慣れているということを意味していた。


(そう言えば、TVの警察の特番とかでも覆面パトカーとかあったけど、ああいう感じなのか。……いや、どちらかと言えば私服警備員とかそういうのか?)


 日本にいた時のことを思い出しながら道を歩いていると、やがて貴族街が近づいてきたからだろう。屋台の類も自然と少なくなってくる。

 貴族の中には、自分達が住んでいる場所の近くに屋台のような物があるのを我慢出来ないという者もいる。

 勿論許容出来る者もいるのだが、その数は多くない。


「レイ、そろそろだ」


 近づいてきた警備兵の一人が、レイの側までやってくると短く告げる。

 警備兵とは思えないような普通の服を着ているが、その表情は一般人のものから警備兵のものへと変わっている。

 それは、レイに話し掛けて来た警備兵だけではなく、他の警備兵達も同様だった。

 貴族街に近づいて周囲に人が少なくなってきたからだろう。全員が個々に纏まるのではなく、レイの側に集まってくる。

 まだ何人かは通行人がいるのだが、その通行人もレイとセトがいるのを見れば、そういうものかと判断して特に気にせずに通りすぎていく。

 レイとセトがいるのなら、何が起きてもおかしくはない。

 そんな風に思っているのは確実だった。

 若干そのことに言いたいことがあったレイだったが、今は都合が良いということもあって、不満を口にすることはなかった。

 集まってきた警備兵達と一緒に進み、やがて目的の建物が見えてくる。

 貴族街に近いだけあって、かなり立派な屋敷。

 少なくても、一般人にはそう簡単に買えるような建物ではない、そんな屋敷が。


「あの屋敷か?」

「そうだ。……もっとも、あの赤布の男の言ってることが出鱈目じゃなければの話だがな」

「出鱈目か、自分が助かる為にそういう手段をとったという可能性はあるかもしれないけど……あの男が自分の身の危険を感じたのは、その件を俺に漏らした後でようやくだぞ? あるいは、自分が身の危険を察して、何も知らないように見せ掛けた可能性も……ないな」


 レイの言葉に同意するように、周囲にいる警備兵達は頷く。

 あの男と少しでも話せば、そのようなことにまで頭が回るような性格ではないと、すぐに分かる。

 見た目通りの短絡的な性格をしているというのは、明らかだったからだ。

 だからこそ、土壁を壊すといったような馬鹿な命令に従ったのだろう。


「とにかく、さっさと忍び込むとするか。……一応聞くけど、いいんだよな?」


 レイに尋ねられた警備兵は、静かに頷く。

 捜査令状のようなものがなくてもいいのかという意味での問いだったのだが、警備兵ならこのくらいの無茶は日常茶飯事だ。

 それこそ、多くの冒険者が集まるギルムである以上、そのようなことをしなければ解決出来ない事件も多い。

 ……もっとも、当然のようにそのような真似をして実は無関係でしたとなった場合は、相応の責任を取らされることになるが。

 特に今回は貴族街そのものではなくても、貴族街に近い場所にある屋敷での出来事だ。

 もし赤布の男が言っていたことが出鱈目だった場合、間違いなくこの場にいる警備兵は責任を取らされることになる。

 それが分かっていても……それでも、警備兵達はこの行動を止めるつもりはなかった。

 コボルト程度のモンスターとはいえ、大量に操ったりするような者がギルムにいるというのは、明らかに危険だ。

 春になって人が多くなり、増築工事が始まった時にコボルトが大量に発生した場合、大惨事になるのは明らかなのだから。

 警備兵として、そのような危険なことになる可能性が高い以上、もし何でもない場合は自分達が責任を負うくらいなら全く何も問題はなかった。

 また、警備兵達に下心の類がない訳ではない。

 リスクが高ければ、当然のようにリターンもまた大きい。

 もしここでコボルトの一件の黒幕を捕まえることが出来れば、警備兵達にとっても査定で大きな利益となる。

 それでも、レイにしてみればリスクの方が圧倒的に高いといったようにしか思えないのだが。


(何だかんだ言って、人が良いというか、警備兵としての責任感が強いというか……そんな感じなんだよな)


 頷いている警備兵達を見ながら、レイは笑みを浮かべつつ納得する。


「なら、行くか」

「ああ」


 レイの言葉に警備兵達は頷き……その中の一人が口を開く。


「ただ、気をつけた方がいい。見たところ、あの屋敷は色々と隠れるのに便利そうな場所が多い。つまり、何かあればどこかに隠れて俺達をやりすごしたり、場合によってはこちらに奇襲を仕掛けてくる可能性もある」

「あー、そうだな。外ならセトが敵が隠れているような場所を見つけてくれるだろうけど、屋敷の中とかでそんな真似をされると、ちょっと面倒だな。幸いなのは、ここに赤布の連中がいないってことか」


 警備兵達がレイの言葉にそれぞれ反応を示し……だが、いつまでもこのままでいられないというのは、当然のように全員が納得している為か、いつ奇襲されても対応出来るようにしながら、屋敷の門の前に立つ。

 ここが貴族街であったり、もっと堂々と人が住んでいるような屋敷の場合なら門番がいてもおかしくはないのだが……残念なことに、現在ここに門番の類はいない。

 そうである以上、ここで大人しく門の外から呼び掛けるといった真似はせず、そのまま門から屋敷の中に入る。

 本来なら、屋敷の敷地内に誰かが無断で入るようなことがあれば、すぐにその家の者が出てきてもおかしくはない。

 だが、現在のところそのような様子は全くなかった。


「誰も出てこないな。こっちに全く気が付いていないのか、それとも屋敷の中でこっちを待ち受けているのか。……どっちだと思う?」


 尋ねるレイだったが、警備兵達もこの屋敷に詳しい訳ではない。

 いや、寧ろレイの方がここの情報をもたらした赤布の男との付き合いが多少であっても長いだけに、予想出来るではないかといった視線を向けられる。

 だが、付き合いが長いとはいえ、それはほんの一時間程度……いや、数十分程度のことでしかない。

 その程度の付き合いの長さで、何を予想出来るのかというのがレイの正直な感想だ。

 ともあれ、セトと警備兵の中の何人かは屋敷の中に入らず、どこかの裏口や窓から逃げ出した者がいた場合にはそれに対処するように準備する。

 それ以外の面々は、屋敷の中に入るべく扉の前に到着した。


「ここまで来ても、何の反応もないとは思わなかったな。もしかして、留守の振りをしていれば誤魔化せると思ったのか?」

「どうだろうな。レイの言う通りにしている可能性も、ないとは言えない。だが……そんな真似をして俺達をやりすごせると思われるのは、どうかと思うけどな。見つかってしまえば、誤魔化しようがないし」

「誰かが来ていることに気が付かなかった、とか?」


 警備兵達の話を聞きながら、一応礼儀として扉をノックする。

 これで誰かが出てくるとはレイも考えていなかったが、それでも……と、そう思っていたのだが……


「え?」


 最初にそんな声を発したのは、ノックをしたレイ。

 てっきり誰も扉から出てくるようなことはないだろうと、そう思っていたのだが、扉の向こうから誰かが近づいてくる気配がした為だ。

 まさか、こんなに堂々と誰かが出てくるような真似はしないだろうと判断していただけに驚き、そんなレイの様子を見て警備兵達が疑問を抱く。

 だが、警備兵がレイに何故そんなに驚いているのかといったことを聞くよりも前に、扉が開いた。……レイが開けたのではなく、屋敷の中にいる人物が開けたのだ。


「はい、どちらさまでしょう?」


 そう言って姿を現したのは、初老の男。

 見るからにきっちりとした服を着ており、執事と言われれば誰もが納得するような姿をしている。


「……」


 レイはそっと視線を自分の隣にいる警備兵に向ける。

 どう思う? と視線で尋ねたのだが、その視線には戸惑いの色が強い。

 当然だろう。赤布を裏で操り、コボルトの一件の黒幕が関係しているだろう拠点だと思って来てみれば、こうして出て来たのは執事にしか見えない相手だったのだから。

 だが、視線を向けられた警備兵の方もレイの戸惑いの視線にどう返したらいいのか迷う。

 警備隊にある資料によれば、現在この屋敷は売りに出されており、誰も住んでいなかった筈なのだから。

 だからこそ、拠点として使うには丁度良い場所なのだろうと判断していたのだが……完全に予想外の結果だと言ってもよかった。


「あー、すまない。私は警備兵なのだが、この屋敷は現在空き家なのでは?」

「警備兵、ですか。その割には服装が……」


 初老の男が話し掛けた警備兵に不審そうな視線を向けるのは、私服の警備兵たちのことを考えればおかしなことではない。

 警備兵もそこを突かれるのは痛いのだが、それでも老人と相対していた警備兵の隣にいた別の警備兵が何とか言い訳をすることは出来た。


「実は、この屋敷が空き家であることをいいことに、最近不審者がいるという報告がありましてね。ただ、知っての通りここは貴族街に近く、そのような場所をこれだけの数の警備兵が纏まって移動していれば、相手がそのことに気が付いて逃げ出すかもしれません。なので、こうして私服で来たという訳です」

「はぁ。ですが、その……見ての通り、この屋敷は現在私の主人が購入して使っております。……警備隊の方にはその辺の連絡はいってないのでしょうか?」

「来てませんね。だからこそ、ここを無人の屋敷と思っていた訳ですし。考えられるとすれば、増築工事のゴタゴタや、年末年始のゴタゴタ、そしてギガント・タートルの解体のような大きな行事があって、それで連絡が遅れているのかもしれません」


 ギガント・タートルの解体をその中に入れるのか? といった視線を警備兵に向けるレイだったが、警備兵の方はそんなレイの視線を軽く受け流す。


「そうですか。ここ最近はギルムでも忙しいですしね。では、今回の一件は問題はありませんね」

「……いや」


 初老の男の言葉に、そう言ったのはレイだ。

 目の前にいる初老の男の言葉に、どこか違和感があったのだ。

 本当に何でもないやり取りのどこに違和感があったのかは、レイにも分からない。

 分からないが……それでも、違和感があったのは間違いない。

 そもそも、警備兵達ですら違和感がないやり取りではあったのだから、警備兵の方もいきなり口を開いたレイに疑問の視線を向ける。


「レイ?」


 警備兵の言葉に、レイは少し考え……ふと、何故自分が目の前の初老の男に違和感があったのかを理解する。


「何でお前から、血の臭いがするんだ?」


 それは、普通の人間なら気が付かないだろう程に、些細な血の臭い。

 レイの身体がゼパイル一門によって生み出され、普通の人間よりも鋭い五感があったからこそ、その血の臭いを感じ取ることが出来たのだろう。

 そんなレイの言葉に、初老の男は身体を強張らせるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る