第1927話
土壁の前にいた十人近い冒険者のうち、レイに不満をぶつけた冒険者は、結局それ以上なにも言えなくなる。
それを確認したレイは、これ以上は関わるのも面倒だと判断し、そのままセトと共に土壁の確認を始めた。
……そんな一人と一匹に対し、その場にいた冒険者達は色々と言いたいことがあったようだったが、自分達が相手にされていないと判断したのだろう。
特に何も言えず、黙り込む。
実際には、別にレイに文句のある者だけがいた訳ではなく、寧ろ土壁を作ってくれたことに感謝をしている者もいたのだが、先程のやり取りの後では、何も言えなくなってしまう。
もしここでレイに感謝の言葉を言おうものなら、恨んでいる者達に目をつけられる可能性もあったのだから。
「んー……こうして見る限りだと、特に問題はないか。ただ、コボルトが何匹か入ってきてるってことは、多分何らかの手段でこれを乗り越えてきたんだよな」
高さ三mの壁。
普通のコボルトが、そう簡単に乗り越えられるような場所ではない以上、乗り越えてきたのは通常のコボルトではない可能性があるか、偶然仲間を踏み台にしたりといった方法か……
(昨日の冒険者が苦戦していたコボルトのことを考えると、普通のコボルトであってもベテラン……長生きをしているようなコボルトなら、頭が良くてもおかしくはない、か。そういうのだけがこっちに来るなら、それはそれで面倒だな)
そんな風に思いつつ、レイは土壁の上に立って向こう側を見る。
すると土壁の向こう側には、数匹のコボルトが何とか土壁を乗り越えようとしているものの、それが出来ずにいる。
そこにあるのが土壁だけであれば、もしかしたら爪を使って乗り越えることが出来たかもしれない。
だが、この土壁はメールとマリーナの精霊魔法によって凍らされている。
それこそ、コボルト程度の爪では引っ掻き傷を付けるのがやっと、というくらいに。
「まぁ、それでも……万が一こっちに来られても困るしな。……飛斬!」
ミスティリングからデスサイズを取り出し、飛斬のスキルを発動する。
放たれた飛ぶ斬撃は、呆気なくコボルトの胴体を切断し、そのまま続けて数度飛斬を放ち、土壁の前にいたコボルトは全てが胴体を上下に切断され、絶命した。
ギルム側の土壁の前では、集まっていた冒険者達が呆然とレイの行動を眺めているだけだ。
レイの様子から何をしたのは大体予想出来たのだろう。
そして、そのような行為が自分には決して出来ないというのも理解し、レイに向かって何も言えなくなってしまう。
圧倒的な力の差、というものを見せつけられてしまったのだ。
特に、レイに向かってこの土壁の件で不満を露わにしていた男は、自分はコボルトを倒せるが、レイという存在は絶対に倒せない……と、それを理解した為か、足すら震わせて何も言えなくなっている。
レイはそんな男達を特に気にした様子もなく、周囲を警戒していたセトと共にその場を立ち去る。
「さっきも言ったけど、金を稼ぎたいならギガント・タートルの解体に参加するといい。報酬はそれなりだけど、ギガント・タートルの肉を幾らか貰えるから、それを売れば結構な値段になるぞ。極上の肉だから、自分で食ってもいいと思うけどな」
その言葉に、土壁の前にいた何人かは半ば反射的に顔を上げるが……レイはそれに構わず、セトと共にその場を立ち去るのだった。
「はぁ? 土で出来た壁? それでコボルトがギルムに入れなくなってるって……本当か、それは」
「はい。間違いありません。そのために、コボルトはギガント・タートルの方に向かっています」
あまりに予想外の結果に、その言葉を聞いた男は苛立たしげに頭を掻く。
そんな自分の上司の様子に、報告を持ってきた男は出来るだけ相手の機嫌を損なわないよう、動く様子を見せない。
目の前にいる人物がその気になれば、それこそ自分程度であれば容易に殺せると、そう理解している為だ。
特に頭を掻くというのは、この男にとってかなり怒っているサインの一つだ。
ここで相手の怒りを買わない為には、上司が何か口を開くまでは黙っているしかない。
そのような状況のまま、一体どれくらいの時間が経ったのか。
実際にはそこまで長い時間が経っている訳ではなかったが、極度の緊張状態にある男にとっては、それこそ一時間は経ったかのように思える。
だからこそ、苛立たしげに髪を掻いていた上司がその手を止め、視線を自分に向けた時には、助かったという思いと、この報告を持ってきた自分は無事で済むのか? といったように、嬉しさ半分、不安半分だった。
「おう、赤布の連中、まだそれなりの数がギルムに残っていたよな?」
上司の口から出てきたのは、男にとっては完全に予想外の言葉。
てっきり、土壁の件に関して何かを言われるのだとばかり思っていたのだが。
あまりに予想外の言葉だったので、土壁についての報告を持ってきた男は言葉に詰まり……
次の瞬間、空気を切り裂きながら木の実が入っていた皿が飛んできて、男の頭部に命中する。
「ぎゃあっ!」
「うるせえっ! 俺が質問してるんだから、とっとと答えろ!」
「す、すいません。その……」
幸いにも皿は木で出来た皿だったために、顔にぶつかった衝撃で割れて皮膚を裂くといったことはなかった。
それでもその一撃は男に強烈な痛みを与え……顔を押さえながら、これ以上攻撃されないようにと、慌てて口を開く。
「は、はい。何人かはギルムを出て行きましたし、警備兵に捕まった奴もいますけど、生贄候補の連中以外にもそれなりに確保しています!」
「……ちっ、それなりか。生贄にちょっと使いすぎたか? だが、魂の質が劣ってる分は量で補うしかねえしな」
投げた時に皿から零れた木の実を口に運んで噛み砕きながら、これからどうするのが最善なのかを考える。
現在この件を仕切っているのは自分である以上、出来れば他の連中の手を借りたいとは思わない。
いや、本当にどうしようもないのであれば話は別だが、今はまだそのような段階ではないのだ。
(大体魂の質が低すぎてコボルト程度しか呼べないってのは何なんだ、糞がっ! しかも何でかは分からねえが、街中まで来るような個体は殆どいねえし……せめて、もう少し高ランクのモンスターなら、どうにでもしようがあったってのによ)
考えただけで苛立ちが襲ってくるが、今それを爆発させるような真似をしても意味はないと男も判断しているのだろう。
それより、土壁をどうにかする方が先だと判断し、赤布の者達をまだ手駒として使える分だけでも残していたおいた先見の明を褒めるべきだ。
「ちっ、あいつらにはいざって時に生贄になって貰うつもりだったんだがな。……まぁ、いい。深紅の能力云々を調べるにも、コボルト程度じゃ意味はないだろうしな。……しょうがねえ、せめてもの嫌がらせだ。動かせる赤布の連中を使って、その土壁を壊させろ」
いいな? と、そう強い視線を向ける上司に、報告を持ってきた男が出来るのは頷くことだけだ。
もしここで下手に何か逆らおうものなら、それこそ今度は皿ではなく短剣辺りが飛んできてもおかしくはないのだから。
「わ、分かりました! ただ、今はもう増築工事の場所に冒険者の数は少ないので、あまり大勢を向かわせると目立ってしまうと思いますが……何人送りますか?」
「ああ? ……そうだな。その土壁ってのがどれくらい頑丈なのかにもよるが……あの深紅が作り出した土壁なんだろ? なら、一人二人じゃ意味はねえだろ。……そうだな、二十人くらいおくってやれ」
「その、目立つと思いますが……」
「知るか馬鹿。あの連中は所詮生贄にもなれなかった程度のゴミでしかねえんだ。それに……こっちに繋がる証拠の類はないんだろう? なら、捕まってもゴミの処分が出来たと思えばいい」
仲間……いや、手駒と呼ぶべき相手であっても、あっさりとゴミと呼び、切り捨てるということに、報告を持ってきた男は思うところがない訳でもない。
だが、自分の身と赤布の者達。そのどちらが重要なのかと言われれば、当然のように自分の身だと答えるだろう。
そうである以上、ここで何か不満を口にするようなことは出来なかった。
……そうした場合、下手をすれば自分が土壁を破壊するようにと言われる可能性もあるのだから。
「分かりました。では、すぐにそのように。……あ、武器は適当に選んで与えるということで?」
「そうだな。武器の類がなければ、土壁を壊すことも出来ないだろうし」
こうして話す二人だったが、この二人が知らないこともある。
それは、土壁が完全にレイが作ったものだけだという認識だったことだ。
……マリーナとメールの二人が精霊魔法を使って水で濡らし、それを凍らせて土壁を補強しているということを知っている者は本当に少ないので、それは当然なのだが。
コボルトの爪で引っ掻いても殆ど傷の類が出来ないような代物を、赤布の者達が本当に壊せるのかどうか。
もしその辺りの事情を知っていれば、恐らくもう少し違った対応を取っただろう。
だが、実際に精霊魔法を使っている光景を見た者はいなかった以上、この認識の違いは仕方のないことだった。
もっとも、レイが魔法で作った土壁だという時点で、ただの土壁ではないという予想は出来るのだが。
「分かりました。では破壊力が高い斧を多く与えておきます。それと土壁を壊したら、土壁の向こう側にいたコボルトが襲ってくる可能性もありますが……破壊に向かう者達は死ぬことを前提としている、ということで構いませんか?」
「ああ。あの役立たず共はこういう時の為に飼ってるんだからな。……ったく、下らない悪事とはいえ、あそこまでやらせたってのに、あの程度の魂ってのはな。本当に、つくづく使えねえ連中だ」
自分で言っていて不愉快になってきた様子の上司に、報告を持ってきた男は慌てて口を開く。
このまま自分で勝手に怒るようなことになれば、その被害を受けるのは自分なのだ。
そんなことは絶対に避けたいが為の、言葉。
「そういう連中をコボルトが始末してくれると思えば、問題ないんじゃないですか。それに、土壁が破壊されてその連中がコボルトに殺されるようなことになれば、土壁を作った深紅の名声にも傷がつきますし」
「ふん、そうだな」
男はそれだけを言うと、扉の方を見る。
それだけで、報告を持ってきた男は上司が何を言いたいのかが分かり、頭を下げる。
「では、早速赤布の連中に土壁を破壊させます。……ちなみに、もし土壁を壊して生き残ったりしたらどうしますか?」
土壁を壊せば、ほぼ確実にコボルトの群れに襲われることになる。
だが、赤布の者達は曲がりなりにもギルムにやってくるだけの実力はあったのだ。
……実際には、増築工事で大量の人手がギルムまで移動してきたので、それに紛れれば殆どの者が無事ギルムに到着したのだが。
ともあれ、赤布の中……それも贄とならなかった者の中にも、コボルトを倒すだけの技量を持つ者は珍しくない。
だからこそ、もしコボルトを倒したらどうするのかと尋ねたのだが、上司から返ってきたのは苛立ちの視線。
「そいつらはもう用済みだ。あの手の連中は、それこそ集めようと思えば幾らでも集めることが出来る。つまり……分かるな?」
分かるな? と言われて、それで分からないと言える筈もない。
ましてや、その言葉の意味を正確に理解していた以上、男には頷くという選択肢しか存在していなかった。
「分かりました。処分します」
「そうしろ。あの連中には俺達のことは何も知られていない筈だが、それでもある程度の付き合いがある以上、何らかの情報を持っている可能性は否定出来ねえ。……ったく、次に集める時は、もっとマシな魂を持ってる奴にしろ」
そう言われても、その人物が実際にどのような魂を持っているのかというのは、それこそ実際に生贄として使ってみるまでは分からない。
現在残っている、そしてこれから殺される赤布の者達のように、明らかに贄になれないような相手なら、ある程度判断は出来るのだが。
「その、出来る限り努力します」
ここで分かりましたと答えれば、次に連れてきた者達が役立たずだった場合に、自分が目の前の上司に何をされるのか分からない。
だからといって出来ませんと言えば、それこそこの場で殺される可能性が高い。
そのような状況で男が口に出来るのは、最大限に努力する……と、そう言うことだけだ。
……ギルムに敵対する組織であっても、中間管理職の悲哀は存在するのだった。
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