第1926話
「こりゃ、便利だな……」
そう言ったのは、ギガント・タートルの解体の護衛を任されている冒険者の一人。
レイが最初に土壁を作った時は、一体何をどうやればこんな代物が出来るのかといった風に驚いていたが、それはあくまでも土壁を作り出したレイの土魔法の凄さ――実際には地形操作のスキルだが――に驚いただけだった。
だが、実際にコボルトがやって来て、その土壁で多少なりとも足を止めるようになると、本当の意味でその土壁がどれだけ便利なのかを実感する。
コボルトは弱いモンスターで、それこそ今回解体をしている者達の護衛の依頼を受けている冒険者であれば、余裕で倒せる相手だ。
それでも、大量のコボルトに襲われるということになれば、面倒なことになるのは明らかだった。
しかし、土壁があるというだけで、コボルトはどうしてもそれぞれが個々で動くようになる。
それは、冒険者にとって非常に楽だというのは間違いなかった。
「それはそうだろ。あれは深紅のレイだぞ? 異名付きの冒険者がやることに、そんなに無駄がある筈がないって」
「あー……まぁ、それは。実際、朝に戦った時も凄かったしな」
朝に戦ったモンスターは、スノウ・サイクロプスというランクBモンスターだ。
コボルト程度であれば余裕で倒せる冒険者であっても、ランクBの高ランクモンスターとなれば話は違ってくる。
そんな高ランクモンスターを、レイはあっさりと……それこそ一切苦戦することなく倒した。
ギルムで冒険者をやっている以上、当然レイがどれだけの実力の持ち主なのかということは知っているが……それでも、モンスターを相手に圧倒している光景というのは、初めて見た者だった。
「あんなモンスターを一人……いや、セトと一緒にではあっても、あっさり倒すとか。正直信じられないって気持ちの方が強いぞ」
「それは否定出来ないが。……っと、こうして話している間に、またコボルトがやって来たぞ」
そう言い、話していた数人の男達は新たにやって来たコボルトに向かって武器を手に走り出す。
そんな護衛の冒険者達の後ろ姿を見ながら、ギガント・タートルの解体をしている者達は手を休めずに言葉を交わす。
「凄いよな、本当に。……この巨大な亀、ギガント・タートルだっけ? これもそのレイって人が倒したんだろ? スーチーのおかげで、今年は最初からついてるな」
「あはは。本当にガラダおじさんの言う通りね。スーチーには感謝しなきゃ。夜も隙間風とかがない場所で眠れるし」
スーチーの知り合いということで面識のある二人が、ギガント・タートルの足の部位から皮を剥ぎつつそう告げ、周囲にいるスラム街出身者達がそれに頷く。
実際、コボルトの死体を貰えるだけでも随分と助かるというのに、この解体作業ではきちんと報酬を貰え、ギガント・タートルの肉も貰え、その上で真面目に仕事をすれば春以降はギルドに雇って貰える可能性もあるのだ。
それを知ったスラム街の住人達に頑張るなという方が無理だった。
「それにしても……僕もあっちの解体がやりたかったな」
ふと、スラム街の住人の一人が、スノウ・サイクロプスを解体している方を見て呟く。
別にギガント・タートルの解体が嫌だという訳ではないのだが、それでもこれだけの巨大なモンスターの解体をやり続けるとなると、出来れば別のモンスターの解体もやりたいと、そう思うこともあるのだろう。
だが、スノウ・サイクロプスは身長五mで幾ら巨大とはいえ、ギガント・タートルとは比べものにならない程に小さい。
であれば、当然のようにギガント・タートルの解体に人が多く回されるのは当然だろう。
ましてや、スノウ・サイクロプスはギガント・タートルと違ってどこにどのような素材があるのかというのは分かっている以上、冒険者として解体に慣れている者に任されるのは当然だった。
「無理言わないの。ちょっと話を聞いてみたんだけど、あのモンスターはかなり強いモンスターらしいわよ? それこそ、私達が解体していたコボルトなんかよりもよっぽど」
「そりゃそうだろ。だって、朝にあいつがコボルトを喰い殺していたのを見ただろ?」
そんな風に話しながらも……それでも全く手が止まらないのは、皆が解体に慣れてきた証と言えるのだろう。
「何ですって!?」
と、不意に聞こえてきた声に、その場にいた者達全員が視線を向ける。
声のした方にいるのは、ここ数日この解体現場にやって来ている、とてつもない美女。
その美女が、現在は見るからに怒っているといった様子でギルド職員に何かを言っていた。
最初の叫び声以外はそこまで大きくない声なので聞こえてこないが、それでも女が怒っているのは明らかだ。
「何かあったのかしら」
「……え?」
女の一人が呟くが、ギルド職員と話している女……ヴィヘラの美貌に目を奪われていた男は、その美貌に目を奪われており、すぐに声に気が付くことが出来なかった。
「はぁ」
そんな男の姿を見て、大きく息を吐く女。
男って、これだから……そう思いつつ、再度先程と同じことを口に出す。
「何かあったのかしらって、そう言ったのよ」
「あー……えっと、そう。確かあの人は強い相手との戦いがどうこうって誰かが聞いてたらしいから、それを考えれば、多分スノウ・サイクロプスの件じゃないのか? ……勿体ないよな」
男にしてみれば、ヴィヘラのような美人が何故そこまで戦いにのめり込むのかが分からなかったのだろう。
それこそ、本人がその気になれば幾らでも楽に生活出来ると、そう思えたのだから。
「兄ちゃん、姉ちゃん。口だけじゃなくてしっかり手も動かしてよね!」
会話をしていた男女は、近くで切り分けられたギガント・タートルの足から皮を剥いでいる子供にそう言われ、慌てて自分の仕事に戻る。
……そんな中、噂をされていたヴィヘラは……
「全く。レイばかり羨ましいわね。……それで、明日の早朝にもあのスノウ・サイクロプスというモンスターが来る可能性はあるのね?」
「え、ええ。スノウ・サイクロプスが一匹だけしかいなかったとすれば、コボルトの数が色々と疑問ですから、勿論、偶然昨夜はコボルトが少なかった……と、そういう可能性もありますけど」
ギルド職員と話をしていた。
レイが予想した通り、午前十時くらいにこの場にやって来たヴィヘラは、その場に存在する頭部のないスノウ・サイクロプスの死体を見て、心の底から悔しがる。
早朝にギガント・タートルの解体現場では、その血の臭いや微かな肉片を求めてモンスターが集まっているという話は、しっかりレイから聞いていたのだ。
にも関わらず、いるのはコボルト程度だということで全く気にしていなかったのだが……このような強敵と戦えるのであれば、自分も早起きする価値はあったと、非常に残念に思う。
そんなヴィヘラにとって唯一の救いは、ギルド職員が言っているように、スノウ・サイクロプスがレイに倒された一匹だけではなく、他にももっといるかもしれないということか。
「明日は早起きする必要があるわね」
そう言うヴィヘラの目は、既に明日の戦いについて思いを馳せているのだろう。
獰猛な闘争心を宿した視線で、ギルド職員に視線を向ける。
そのような視線を向けられたギルド職員は、我知らず数歩後退る。
ギルドで働いていれば、血の気の多い冒険者というのは幾らでも見る機会があったのだが……ヴィヘラはそのような者達と似ているようで、明らかにどこかが違う。
それを半ば理解したからこその行動だろう。
(早く戻ってきてください……)
ちょっと土壁の方を見てくる。
そう言ってこの場を立ち去ったレイが可能な限り早く戻ってくるように、ギルド職員はただ祈ることしか出来なかった。
「ん?」
ふと、誰かに呼ばれたような気がして、レイは周囲を見る。
だが、周囲に存在するのは春が来てから行われる増築工事で使われる資材の類で、誰も自分を呼んでいる様子はない。
「グルゥ?」
そんなレイの様子に、どうしたの? と首を傾げて尋ねるセト。
レイはそんなセトを撫でながら、口を開く。
「いや、誰かに呼ばれたような気がしたんだけどな。どうやら気のせいだったみたいだ」
レイの言葉に、そうなの? と小さく喉を鳴らしたセトは、改めて周囲を見る。
レイもそんなセトに続けて周囲の様子を眺めた。
セトの方が、レイよりも鋭い五感を持っている以上、もし本当に誰かにレイが呼ばれたのであれば、レイよりもセトの方が先にそれに気が付いてもおかしくはない。
だが、セトがそのようなことに気が付いた様子がない以上、やはり先程の一件は自分の気のせいだったのだろうと判断し、改めて周囲を見回す。
そこに広がっているのは、増築工事の物資。
それは昨日までと変わらないのだが、唯一昨日と大きく違うのは……そこに冒険者の姿が見えなくなっていることだろう。
いや、全くいないという訳ではない。
何人かの冒険者の姿があるのは、遠くからでも多少見ている。
昨日までと比べて明らかに冒険者の数が減っている理由は、やはりレイが作った土壁だろう。
土壁により、コボルトはギルムに入ってこられないようになってしまったのだ。
……もっとも、それも完全ではなく、どうやって入ったのかはレイにも分からなかったが、数ヶ所で戦いの気配があったが。
ギルドの方でも、土壁を調べてコボルトが入ってくる可能性は少ないだろうと認識し、結果として今日からはコボルトの討伐の依頼を受ける者は激減していた。
とはいえ、現在も幾つか戦いが起こっているように、コボルトの侵入は一切なくなったという訳ではない以上、どうしてもある程度の冒険者は必要としていたのだが。
(ああ、でもそうなると、コボルト討伐の依頼の報酬ってどうなってるんだろうな。今までは解体の方を安くしてバランスを取ってたらしいけど……)
そんな風に考えている間にも土壁を目指して進み……コボルトと遭遇するようなこともなく、レイとセトは壁の前に到着する。
だが、遠くに土壁が見えたレイは、その土壁の前に何人かの冒険者と思しき者の姿があることに気が付き、疑問を抱く。
とはいえ、土壁に異常がないかどうかを見に来た以上、このまま遠くで見ているという訳にもいかず、そのまま進む。
すると、土壁の前にいる冒険者達も近づいてくるレイの存在に気が付いたのだろう。視線を向けてくる。
(ん?)
土壁の前にいる冒険者と思しき者は、男女合わせて十人程。
その中の何人かの視線の中に殺意……とまではいかないが、敵意が込められていることに気が付き、レイは疑問を抱く。
レイもこれまで色々とやってきたので、自分が誰からも恨まれていないなどと思うつもりはないし、それどころか自分を殺したいと思っている者が百人単位、もしくは千人単位でいてもおかしくはないというのは理解している。
だからこそ、そのような敵意の視線を向けられても、特に気にした様子もなく土壁に……そして集まっている冒険者に近づいていく。
見知った顔がいる訳でもなかったので、レイは冒険者達の視線を気にした様子もなく、その横を通りすぎ……
「ちょっと待てよ!」
不意に、土壁の前にいた一人の男がレイにそう呼び掛ける。
その声の持ち主は、レイに敵意の視線を向けていた者の一人だ。
それでも武器を構えるなどといった真似はしていなかった為、レイは構えたりせずに視線を向け、口を開く。
「どうした?」
「どうしたじゃねえよ! この土の壁、あんたが作ったんだろ?」
「そうだな。ギルムにコボルトが入ってくるのは困るから、そうさせて貰った。それが何か?」
正確にはギガント・タートルの解体にもっと人手が欲しかったからというのが最大の理由なのだが、自分に敵意を向けている相手にそんなことまで話す必要はないだろうと判断しての言葉。
「何かじゃねえよ。俺は今までここでコボルトを倒して稼いでたんだ。なのに、これのせいでコボルトが入ってこなくなったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」
「つまり、自分が稼ぐ為には、ギルムの中にコボルトが入って、街中で被害を出してもいい、と?」
「んなことは言ってねえだろ。実際、今までは街中に行く前にコボルトを全部倒してたんだ。なら、問題はなかった筈だろ」
そう告げる男の言葉には、自信がある。
自分がコボルト程度に負けるようなことはないという、強烈な自信が。
もっとも、ギルムの冒険者の多くは、コボルト程度は楽に倒せる実力を持っているので、それは当然のことなのかもしれないが。
「いつまでもずっと同じようになるとは、思わない方がいいぞ。希少種や上位種が出てきたら……そしてそのようなモンスターが街に行ったらどうするつもりだ? そもそも、コボルトと戦いたいだけなら、ギガント・タートルの解体の護衛に回れば、コボルトと戦えるんだが、何でそっちの依頼を受けないんだ?」
そう告げるレイの言葉に、男は黙り込むのだった。
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