第1928話
土壁の様子を確認したレイとセトは、コボルトと戦っている冒険者の様子を確認して回っていた。
もしかして、戦っているコボルトの多くが希少種や上位種ではないかという期待からだ。
もっとも、既に冒険者が戦っている以上、もしコボルトが希少種や上位種であっても、横取りするような真似は出来なかったが。
もしくは、冒険者の数が少なくなったということもあり、もしかしたら……本当にもしかしたら、その辺を適当に歩いている希少種や上位種のコボルトがいるかもしれないと思っていたのだが……
「結局、戦っていたのは通常のコボルトか」
「グルゥ」
レイの呟きに、セトが残念そうに喉を鳴らす。
そんなセトを励ますように撫でながら、レイは言葉を続ける。
「恐らく、運良く仲間のコボルトを踏んだりして土壁を越えることが出来たんだろうな。もしくは……昨日倒されないで、建築資材に隠れていたのが見つかったとか」
コボルトが一晩大人しくしてるのかどうかは分からなかったが、可能性としては否定出来ないことではあった。
だが、レイが予想していたよりも多くのコボルトが土壁を乗り越えているということを考えると、可能性はない訳でもない。
「こうなると、あの土壁の前にいた連中にとっても、悪い訳じゃないのか」
倒すべきコボルトの数が減ったということで、レイに不満を口にした男がいた。
その男にとっては、今の状況は決して悪いことではない……と、そう思ってもいいのだろう。
もっとも、土壁がなかった時に比べると、間違いなくコボルトの数は減るのだろうが。
そんな風に考えながら、セトと共にギガント・タートルの解体現場に戻ろうとしていると……不意にセトが足を止め、前方に視線を向ける。
セトが足を止めてから数秒もしないうちに、レイも前方から聞こえてくる怒鳴り声……そして何より、剣呑な気配に気が付く。
(何だ? この様子だと、コボルトとの戦いって訳じゃないし……もしかして、コボルトを巡って冒険者同士で争いを? いや、けど気配は……)
一瞬、数の少なくなったコボルトを取り合っての争いかとも思ったのだが、それにしては明らかに人数が多い。
いや、多すぎた。
何が起きているのかが分からなかったレイだったが、それでも先の方で殺気染みた気配が漂ってくるのを感じれば、さすがにそれを放っておく訳にもいかない。
いや、冒険者である以上は基本的に自己責任なのだが、それでもこのまま放っておけば自己責任云々といったことよりも前に、何人もが死ぬという事態になりかねず、それを見捨てるといった真似は後味が悪い。
何より、ここで面倒なことが起これば、ギガント・タートルの解体に関しても悪影響が出てくる可能性があるというのが大きい。
「行くぞ、セト。面倒なことはさっさと終わらせて……あー、でもこのままギガント・タートルの解体をしている場所に戻れば、多分ヴィヘラが怒ってるんだよな。そうなると、もう少し時間を潰していった方がいいのか? ともあれ、面倒なことはさっさと終わらせてしまうことにするか」
「グルゥ!」
レイの言葉に喉を鳴らし、そのまま一人と一匹は地面を走って声のする方に……そして物騒な雰囲気を発している方に向かう。
そうして目に入ってきたのは……予想していたよりも大勢の者達。
十人程と三十人程の集団がそれぞれ向かい合っている光景だった。
何よりもレイが驚いたのは、その十人の方が先程土壁の前にいた者達だったことだろう。
それと向かい合っている三十人程の集団と、見るからに険悪な様子のその者達。
次にレイの視線が向けられたのは、三十人程の集団。
そちらの集団は、全員が十代から二十代程の若い男だけで、おまけに全員が手に斧を持っている。
コボルトと戦うにしては、明らかに向いていない武器だ。
基本的にコボルトは動きが素早く、だからこそ斧や棍棒といったような重い武器で戦うのは向いていない。
相応の実力がある者であれば話は別だが、レイが見た感じでは、三十人程の男はどれもが弱いのは間違いなかった。
(数の有利さを活かして、誰かがコボルトに一撃でも与えられればいいって戦法か? いや、けどコボルトだぞ? ただでさえ土壁で数が減ってるんだし、とてもじゃないけどあの人数で倒しても、ろくな儲けにならない筈だ)
そう考えつつも、もしかしたら連携を確認する為にやって来たのかもしれないと思いつつ、対峙している二つの集団に声を掛ける。
「随分と物騒な雰囲気を発してるけど、一体何があったんだ?」
その瞬間、半ば反射的に邪魔をするなといったように二つの集団から視線が向けられ……両方の集団が共に声を掛けてきたのがレイだと知り、驚愕の表情を浮かべる。
十人程の集団は、何故自分達よりも前に土壁の前を立ち去った筈のレイがここにいるのかという驚きを……そして、三十人程の集団は、もしかして自分達のやることを見破って先回りされたのではないかという表情を。
「なっ、何でお前がまだここにいるんだよ!」
最初に我に返ってそう叫んだのは、土壁の前でレイに向かって不満を口にした男だった。
レイはそんな男の言葉に、隣のセトを撫でながら口を開く。
「何でって言ってもな。ちょっと増築工事の現場をやってるここで、どのくらいのコボルトがいるのかどうかを調べていただけだ」
正確には、コボルトの希少種や上位種がいるかもしれないという小さな期待と共に見て回っていたのだが、ここでわざわざそれを口にするつもりはなかった。
「それで? さっきの質問を繰り返すようだけど、お前達は何を物騒な雰囲気を周囲にまき散らしてるんだ?」
「そ、それは……」
レイと話していた男は一瞬口籠もるも、斧を持っている男達を見ながら何かを言おうとし……
「う、う、う、うるせえなっ! お前には関係ねえだろ! さっさと行けよ!」
レイと話していた男が口を開くよりも前に、斧を持っている男の一人が叫ぶ。
斧を持っている者達……現在はその特徴的な赤布を付けてはいない、元赤布とも呼ぶべき者達は、当然のようにレイが誰なのか知っている。
いや、それどころか、赤布として暴れていた時に、レイによって捕まえられた者すらいた。……特に重要な人物とも思われていなかったし、似たような者が何人もいたので、レイは元赤布の者達の中に自分が捕まえた者がいることに全く気が付いてはいなかったが。
だからこそ、ここでレイが自分達の正体に気が付くようなことにでもなれば、絶対に面倒なことになると判断しての行動。
焦りから苛立ちに繋がり、レイという自分達では到底倒せないような相手を前にしているのを忘れたかのように、叫ぶ。
……自分達の人数が多いというのも、この場合は影響しているのだろうが。
だが、男のその態度がレイに不信を与えた。
自分のことを知っていれば、ここで揉めて乱闘になっても勝ち目がないので、さっさといなくなって欲しいと思うのは理解出来る。
出来るのだが……こうして見ていると、明らかにそれ以外の何か別の感情があるように思えた。
「何でそんなに早く俺にいなくなって欲しいんだ?」
「それはそうだろ」
と、レイの疑問に答えたのは、土壁の前でレイに不満を口にした男の方。
その男は、斧を持った男達の集団が黙れと口にして睨み付けるのも気にせず、言葉を続ける。
「レイは気が付いてないようだけど、そいつら……雪が降る前にギルムで暴れていた赤布の連中だぞ」
「……何?」
ピクリ、と。
男のその言葉に、レイの動きが止まる。
それは、レイがコボルトの一件でマジックアイテムか何かを使ってコボルトを引き寄せているのではないかと、半ば勘ではあったが、そのように思っていた相手だ。
男の言葉に、レイは斧を持った男達……赤布の男達を見て……ふと、気が付く。
(待て。こいつらは、何でここにいる?)
最初にここにいる二つの集団を見た時は、斧を持っている方の集団は、戦いにおける連携を確認するなりなんなりする為に、ここにやって来たのだと思った。
だが、赤布ということになれば、大きく話が変わってくる。
赤布、斧、コボルトを引き寄せるマジックアイテム、コボルトの侵入を防ぐ土壁。
それらが組み合わさり……出てきた結論に、レイは笑みを浮かベながら赤布の者達に視線を向ける。
ただし、その笑みは普通の笑みではなく、獰猛なと評するのが相応しい笑み。
その笑みを向けられた赤布の者達は……いや、赤布の者達だけではなく、先程まで赤布の者達と言い争いをしていた方の集団まで、背筋に冷たいものが走る。
それこそ、周囲にまだ幾らか積もっている雪を背中に入れられたかのように。
少しでも動けば、レイに攻撃されかねない。
そんな緊張感の中、不意にレイが口を開く。
「一応聞くけど……お前達、俺が作った土壁を壊しに来た、なんてことは言わないよな?」
尋ねつつも、自分の持っている情報や、目の前にいる斧をメインにしているという男達の様子を見れば、恐らく自分の予想が間違っていることはないだろうというのを、レイも予想している。
現に、赤布の男達はレイのその言葉に対し、何も口に出来ないでいた。
「どうした? 違うなら違う、そうならそうだと、素直に言ってくれないか? そうしないと、こっちとしても取るべき手段に困るし」
取るべき手段というのが、具体的にどのようものなのか。
それは、赤布の男達にとっては考えるまでもなく明らかだった。
そう言われ、すぐに自分達は土壁を壊すように命令されてきたと口には出来なくなったことに気が付くが、それでここで否と口にしてもレイの様子から見て絶対に信じて貰えないのは明らかだ。
「グルゥ!」
そんな赤布の男達を見てまどろっこしいと感じたのか、レイの隣で様子を窺っていてセトが、鋭く鳴き声を上げる。
「ひぃっ!」
赤布としてギルムの住人を騒がせたことのある者達だったが、それでも結局は下らない悪事を働いてそのようなことをしていたのだ。
セトのようなグリフォンが不機嫌になれば、途端に足が震えてきてもおかしくはない。
赤布の中には、何人か街中で子供と遊んでいるセトを見たことがある者もいたが、自分達の前に今こうしているセトは、とてもではないがその時の無邪気な様子は見えない。
そんな赤布の者達を見て、レイは笑みを浮かべてから口を開く。
「どうしたんだ? 素直に言った方がいいぞ? でないと、セトの機嫌がもっと悪くなるだろうしな」
「わ、分かった! 言う! 言うから止めてくれ!」
「ちょっ、おい馬鹿! そんな真似をしたら、どうなるか分かってるんだろうな!」
いつもの円らな瞳ではなく、獲物を見るような鋭い視線を向けられた男の一人が咄嗟に叫ぶと、そのすぐ近くにいた別の男が叱責するように叫ぶ。
自分達を雇っていた人物が、まともな人物ではないというのは当然知っている。
それこそ普通の人物であれば、人を雇ってまで治安を悪化させるような真似はしないだろう。
そのようなことをするのは、当然のように表沙汰に出来ないような事情があると相場は決まっている。
それを理解しているが……だからこそ、自分を雇っている相手を裏切るような真似をすれば、どのような目に遭うのかは予想出来る。
少なくても、口頭で注意されて終わりなどということは、絶対に有り得ないだろう。
だからこそ、レイに向かって言うと叫んだ男の行動に苛立ったのだが、こうして明らかに裏があるといったことを言ってしまった以上、既に手遅れ以外のなにものでもなかった。
「ほう。なら……そうだな。何をしようとしていたのか、是非聞かせて貰おうか」
言え、と。
そんな視線を向けられたのは、先程レイに向かって言うと叫んだ男だ。
真っ先に仲間を裏切ったからこそ、ここで何を言っても仲間にはもう信じて貰えないという思いもあり……周囲にいる何人かが自分を睨み付けているというのを理解しつつも、男は口を開く。
「その、あんたが作った土壁ってのを壊すように言われてきたんだ」
その一言は、レイにとってはそこまで驚くようなことではなかったが、土壁の前でレイに不満を口にした男がいる集団にとっては、信じられないといった内容だった。
「馬鹿な! 土壁を壊すってことは、またコボルトをギルムの中に入れるってことだぞ!?」
男達の言葉にそう叫んだのは、レイに不満を口にした男だ。
寧ろレイは、その男の言葉にこそ驚いた。
この男も、レイが土壁を作ったことを不満にしていた筈だったからだ。
あの時の言葉を考えれば、それこそ赤布の男達の言葉に喜ぶことはあっても、それに不満を持つとは思えない。
だが、すぐに今はそれよりも赤布の男達に聞くべきことがあると判断し……その視線を赤布の男達に向けるのだった。
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