第1879話
レイの放つ濃密な魔力は極限まで凝縮されたことにより、本来なら魔力を見るということが出来ない者であっても、見ることが出来るようになる。
そうして半ば物質化した魔力は、レイの属性とも言える炎によって赤く染まる。
レイの周囲に漂う、赤い魔力。
それは、レイにとって切り札と呼ぶべきスキル……炎帝の紅鎧だった。
「ぐ、が……」
発動した炎帝の紅鎧を見たデオトレスは、無意識のうちにだろう。呻き声を発しながら数歩後退る。
強大な肉体を得て、胴体を上下二つに切断されてもすぐに再生出来るだけの再生能力を得て……それでも、デオトレスは自分の前にいるレイが圧倒的な存在だと、それこそ自分には勝ち目がないと悟ったのだろう。
当然のように、炎帝の紅鎧を発動させたレイに脅威を抱いたのは、デオトレスだけではない。
いや、寧ろ今回の一件を起こした張本人たるセレスタンの方が、まともな思考能力を残していた分、炎帝の紅鎧を発動させたレイに脅威を抱いたのだろう。
……もっとも、嫡子ではないとはいえ貴族の子供を連れ去り、その血を使って封印されている何かを蘇らせようとしている時点でまともな思考回路をしていると言うのはちょっと難しいだろうが。
そしてミラレスもまた同様に、異形の存在と化してはいたが赤い魔力を纏ったレイを見て、動きを止めた。
そんな中で最初に動いたのは、レイと一番付き合いの長いエレーナ。
当然のようにエレーナは炎帝の紅鎧について知っていたし、今のレイの状況を考えれば限られた攻撃手段でどのように攻撃するのかというのは容易に想像出来た。
だからこそ、エレーナはミラレスの動きを止めた隙を見逃さずに地面を蹴り、スレイプニルの靴を発動させて空中を蹴ると、長剣にしたミラージュをミラレスの頭部目掛けて振り下ろす。
先程は胴体を上下真っ二つにされたミラレスだったが、今回は頭部から綺麗に左右真っ二つにされてしまった。
だが、普通なら即死の一撃であっても、エレーナは動きを止めず、地面に着地した瞬間に再度素早くミラージュを振るい、ミラレスの胴体を横から数度、別々の場所に向かって振るう。
一度だけではなく、二度、三度、四度と繰り返し振るわれるミラージュは、ミラレスの腕と首を吹き飛ばし、胴体を何等分にもして地面に落ちる。
にも関わらず、地面に落ちたミラレスの肉体は、次の瞬間には肉体同士がくっつこうとして泡を吹き出し始め……
「レイ!」
エレーナはそれを見た瞬間、鋭く叫ぶ。
レイも当然エレーナの動きには気がついていたので、即座に反応する。
炎帝の紅鎧の中でも特筆すべき能力の一つ、深炎。
レイの周囲に存在する、炎帝の紅鎧の一部を飛ばし、それをレイがイメージした通りの性質を持つ炎にするという、そのようなスキル。
レイが手を動かす様子もなく放たれた深炎は、エレーナの側に存在するミラレスの肉片……そう呼ぶに相応しい場所に着弾すると、即座に灼熱の炎と化し、肉片の全てを炭と化す。
炎帝の紅鎧が発動してから、ここまで数秒。
そんな数秒で、ミラレスの肉片は全て消滅……いや、焼滅してしまった。
「な……」
レイやエレーナという存在を知っていたセレスタンにとっても、この展開は完全に予想外だったのだろう。
そもそも、レイの場合はセトや大鎌、炎の魔法……それと最近では二槍流も有名になってきてはいるが、炎帝の紅鎧というのは知っている者は少ない。
いや、実際にその姿を見たことがある者はそれなりにいるのだが、それでもやはり他の噂に比べると知ってる者が少ないこともあり、結果として知っている者は少なかったというのが正しいのだろう。
だからこそ、セレスタンもレイがデスサイズがなくても炎帝の紅鎧という奥の手を持っているということを知らなかった。
「次っ!」
炭と化した敵にはそれ以上興味を示した様子もなく、レイは地面を蹴る。
デオトレスが微かな熱気を感じたと思った瞬間、レイの拳はデオトレスの胴体を貫いていた。
強靱な筋肉を有するデオトレスだったが、それでも炎帝の紅鎧を使って強化されているレイの一撃を防ぐことは出来なかった。
最初にレイに殴られた時は肋骨は折られたが、それでも皮膚を、そして肉を貫かれるようなことはなかったのを考えれば、今のレイの一撃がどれだけ凶悪なものだったのかを如実に示しているだろう。
そして、当然のようにレイも胴体を貫いた程度で攻撃を終えるつもりはない。
デオトレスの胴体の中で深炎を発動させ、強烈な炎を生み出す。
異形と化したデオトレスの目、鼻、口、耳……そして、レイが貫いている胴体の部分からも、炎が吹き出す。
体内から焼かれるというのは、痛覚が麻痺している今のデオトレスにとっても、衝撃的だったのだろう。
レイが胴体から腕を引き抜いて距離を取ると、戸惑ったように数歩前に進んだり後ろに下がったり、場合によっては横に歩いたりしながら数十秒が経過し……やがて、轟音を立てながら地面に倒れると、それが合図だったかのように体内の炎が一際激しく燃えて、デオトレスの身体全体を炎で包み込む。
地面に倒れたデオトレスの身体は、それこそ数秒と経たず、急速に燃え広がって炭と化す。
ミラレスとデオトレスの再生力を知っているレイは、炭と化したデオトレスを見ても、すぐに視線を外したりはしない。
もしかして、この状態からでも復活するのではないか。
そんな思いを抱き、じっと警戒の視線を緩めず……自分に向かって飛んできた肉の触手を、殆ど見もせずに深炎を使って燃やし尽くす。
セレスタンにしてみれば、身体中が赤い魔力に包まれた今のレイを倒す唯一にして最後のチャンスだと思えた。
名前すら分からない封印されている存在が強化した二人を、エレーナと力を合わせていたとはいえ、あっさりと勝ったのだ。
そのような規格外の存在を前にして、その存在がデオトレスの死体に意識を向けている今こそ、最大の好機だと。
……実際には、もしここでどうにかレイを倒すことが出来たとしても、まだエレーナがいるのだが、炎帝の紅鎧を見たセレスタンには動きを見せないエレーナのことはすっかり忘れ去られていた。
もっとも、エレーナにしてみれば、レイが切り札たる炎帝の紅鎧を発動させた時点で、自分達の勝利は半ば決まっていると判断していたから、動かなかったというのが大きい。
もしレイが炎帝の紅鎧を使わなければ、エレーナもまた奥の手たる竜言語魔法を使う必要があったのだが……レイの方が先に奥の手を使ったので、そちらを使わずに済んだことは幸いだったのだろう。
何度かレイの隙を突こうとして放たれた触手の一撃は、その全てが深炎によって燃やしつくされた。
一度など、燃やされた肉の触手から燃え広がるようにして肉の繭の近くまで炎が移動したこともあり、結果としてセレスタンは……もしくは肉の繭は危険を悟り、それ以上攻撃するようなことはなくなる。
そのまま数十秒……炭と化したデオトレスが復活する様子はなく、完全に死んだと判断したレイは、炎帝の紅鎧を発動したままセレスタンに視線を向けた。
「っ!?」
特に、レイが何かを口にした訳ではない。
だが、レイとセレスタンの視線があった瞬間、セレスタンが感じたのは、圧倒的なまでの恐怖。
それこそ、この場に立っているのすらやっとの、強烈なまでの恐怖と物理的にも感じられる程のプレッシャーがその身に襲い掛かる。
並の者なら、それこそ立っていることすら出来ずに地面に膝を付けていただろう。
そのような状況で、足を震わせながら、それでも立っていることが出来たのは……アネシスの裏社会の中でも最大の勢力の組織を率いていた者だけのことはあった。
しかし、そんなセレスタンがレイに立ち向かおうとしたところで、戦力差は圧倒的だ。
それこそ、象と蟻……いや、それ以上に開いていた。
肉の繭の封印が解ければ、話はまた別だったのだろうが……ミラレスとデオトレスに稼いで貰う筈だった時間は、レイが炎帝の紅鎧を使用した瞬間、完全に消え失せてしまっている。
「さて」
呟きつつ、レイはセレスタンに……より正確には肉の繭に向かって一歩を踏み出す。
炎帝の紅鎧を使ったおかげで、周囲の気温は若干ではあるが上がっている。
以前はかなりの高温だったことを思えば、スキルを使いこなす技量はかなり上がっているのだろう。
ともあれ、レイはそんなことをセレスタンに察せられるようなこともないまま、距離を縮めていく。
「くっ、来るな! 来るなぁっ!」
追い詰められているからだろう。セレスタンの口から出る言葉は、先程までの余裕を感じさせるようなものではない。
そんなセレスタンを前にしても、レイは特に表情を動かす様子はない。
「どうした? 完全に予想外だったといった顔をしてるが。……もう他に奥の手はないのか? なら、こちらとしても、いつまでも時間を掛けてる訳にもいかないし、そろそろ終わりにさせて貰うが」
そう告げるレイも、余裕があるという訳ではない。
いや、この戦いに勝てるかどうかという意味では、十分に余裕があると言ってもいい。
だが、この場合問題なのは、戦って勝った後のことだ。
肉の繭の持つ特殊な能力によるものなのであろうが、レイの持つミスティリングの効果は現在封じられている。
それだけに、あの肉の繭を消滅させればその封印が解除されると、そう確信は抱いていたが……それはあくまでもレイの中にある確信であって、実際に本当に解除されるのかどうかというのは、まだ分からない。
レイとしても恐らく大丈夫だとは思いつつ、それでも本当の意味で安堵するような真似は出来なかった。
そのような状況である以上、ここで悠長に時間を使っていられるような暇はなく、一気に目の前の肉の繭を倒してしまおうと、そう考えてしまうのも当然だろう。
「一言だけ忠告してやる。……退け。そこにいると、俺の攻撃に巻き込まれるぞ」
レイの言葉に、セレスタンは一瞬肉の繭から手を放そうとし……だが、ふとその視線に肉の繭の一部分が目に入る。……肉の繭に埋め込まれている、ガイスカの姿が。
既にそれを見てガイスカだと判断出来る者は少ないだろう。しかし、それでもその人物がガイスカであるのは間違いのない事実であるし……何より、レイとエレーナの立場を考えれば……
そう判断し、セレスタンは口を開く。
「そこまでにしてもらおう、深紅のレイ。君が殺そうとしているこの封印には、ガイスカが埋め込まれている。そのような状況でこの封印を破壊すればどうなるか……分からない君ではあるまい?」
「そうだな。多分死ぬんだろうな」
呆気なく、レイはそう断言する。
断言しながら……それでも、レイの進む足が止まる様子はない。
レイの目から見ても、既にガイスカはとてもではないが助けることは出来ないように見える。
ましてや、もし助けられるとしても、黒狼を雇ってレイを暗殺しようとした相手である以上、そのまま助けるといった真似をする気持ちにもならない。
それこそ、封印諸共に深炎で焼却してやった方が、お互いの為だろうとすら思う。
レイの足が全く止まる様子がないのを見て、セレスタンはどうするべきか迷う。
レイが一歩ずつ近づいてくることにより、それこそ炎帝の紅鎧の熱すら感じるかのようだ。
……実際には、レイのコントロールにより、多少は熱が漏れてはいるのだが、それでも一歩レイが近づくごとに汗を掻く程に熱を感じるということはないのだが。
そのように感じてしまうのは、やはりそれだけセレスタンが焦っているからなのだろう。
「さて、もう忠告はしたし……これ以上は何も言わない。お前がそこから動かないのなら、それこそこのままその封印と一緒に死んでいけ」
「ま……」
待て。
そう言おうとしたセレスタンだったが、レイはそのような言葉は全く聞く様子がなく、自分の魔力が極限まで濃縮されて、既に物質に近い存在となった炎帝の紅鎧を操り……現在自分の周囲にある魔力を、肉の繭に向けて投擲しようとし……
ピキ、と。
微かな……だが、間違いなく周囲に何かが割れそうになっている音が聞こえた。
その音を聞いたセレスタンは、即座に肉の繭に視線を向ける。
それは、セレスタンが待ちに待っていた……腹心の部下のミラレスを捨て駒にしてまで稼いだ時間が報われた瞬間だった。
「これで!」
勝てる。
そう告げようとした瞬間、レイの放った深炎は炎帝の紅鎧の大部分を使用して周囲に莫大な熱をもたらす轟火と共に肉の繭を包み込むのだった。
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