第1878話

 執事とデオトレスの二人は、首の後ろに肉の繭から打ち込まれた血管……もしくは触手によって、急激にその姿を変化させていった。

 具体的に言えば、身体の大きさは二倍近くまで大きくなり、それに伴い筋肉も肥大化する。

 耳が伸び、牙が生え、顔には鱗や毛が生える。

 また、腰からは尻尾すら生えており……その姿は、とてもではないが先程までは人間だったとは思えないような、そんな姿になっている。

 その変化もまだ完全に終わった訳ではなく、現在進行形で未だに姿を変え続けている。

 そんな二人に……もしくは、既に二匹と呼ぶべきなのかもしれないが、レイとエレーナは襲い掛かる。

 最初に放たれたのは、レイがネブラの瞳で作り出した鏃。

 その鏃を、指で弾いて……一種の指弾のような動きで、二匹の異形目掛け、次々に放たれる。

 普通であれば、ちょっと刺さるといった程度のダメージしか与えることは出来ず、それこそ牽制程度にしか使えない攻撃。

 だが、それはあくまでも普通ならばの話であって、レイの身体能力はとても普通とは言えない。

 放たれた鏃は、まだ完全に変身を終えていない二人の身体に次々と突き刺さる。

 皮膚を裂き、肉を抉り、骨にまで衝撃を与えるような、そんな一撃が連続で放たれたのだが……二匹の異形は、変身前であれば痛みに悲鳴を上げてもおかしくないような攻撃を受けても、全く気にした様子がない。

 それどころか、痛みすら感じていないかのように黙ったままだ。


「痛覚もないのか!? エレーナ!」

「分かっている!」


 鏃をどれだけ放っても無意味だと知り、レイは自分の後ろを走っているエレーナに声を掛ける。

 声を掛けられたエレーナは、そんなレイの言葉に素早く返事をすると、鞭状にしたミラージュを振るう。

 連接剣の特性たる、長剣と鞭の二種類のうち、鞭状となってミラージュは二匹の異形に襲い掛かった。

 空気どころか、空間そのものを斬り裂くかのような鋭い一撃。

 事実、ミラージュの刀身は二匹の異形のうち執事の胴体を斬り裂いていき……やがて、そのまま胴体を上下二つに切断したかと思うと、若干威力を弱めながらもデオトレスの胴体を斬り裂いていく。

 だが、執事の胴体を切断したことにより、やはり勢いそのものは減っていたのだろう。デオトレスの胴体を三割程切断したところで、ミラージュの動きは止まる。

 とはいえ、動きが止まったからといってエレーナの攻撃が終わった訳ではない。

 ミラージュを振るった一撃のまま、エレーナは次の瞬間握っていた柄を大きく引く。

 鞭状にしたミラージュの刀身を手元に引き戻すという作業だったのだが、そのような真似をすれば当然のようにミラージュの刀身はエレーナの手元に戻っていく。……そう、デオトレスの胴体を三割程斬り裂いて動きの止まったままの状態から。

 ミラージュの刀身は、デオトレスの胴体を……骨、肉、皮膚、内臓といったものを斬り裂きながら、エレーナの手元に戻る。

 そうして手元にミラージュの刀身を戻したエレーナは長剣に戻してから一振りし、刀身についていた血や肉、内臓の破片を振るい落としながら叫ぶ。


「レイ!」


 エレーナに名前を呼ばれたレイは、先程自分がエレーナの名前を呼んだ時とは逆に、今度は自分が攻撃に移る。

 ネブラの瞳で作られた鏃は本当に牽制以上の意味はなかったが、それはあくまでも遠距離から中距離での話だ。

 近くまで……それこそレイの拳が届く距離まで近づけば、攻撃方法に自らの拳や足といった場所を選ぶことも可能になる。

 言葉を交わした訳ではなかったが、それでもレイとエレーナにとっては相手を見ることすらしなくても、連携して攻撃するようなことは容易に可能だった。

 この辺り、しっかりとお互いの間に信頼関係がある証だろう。


「おらああっ!」


 胴体を斬り裂かれ、内臓を破壊されるといった真似をしたデオトレスだったが、そこに追加でレイの拳が振るわれたのだ。

 通常の人間を超える身体能力と、戦いの中で磨かれてきた身のこなし。

 それらがレイの拳に集約され……放たれた一撃は、レイよりも遙かに巨体の、それこそ巨人と呼んでも構わないようなデオトレスを吹き飛ばすことに成功する。

 レイの拳に伝わってきたのは、まるで分厚いゴムのタイヤでも殴ったかのような、そんな感触と……肋骨を拳で破壊した感覚。

 これで、もしレイがヴィヘラのように敵の体内に直接衝撃を叩き込むといった技術なり、もしくはスキルなりを使えていれば、デオトレスにもより大きなダメージを与えることが出来たのだろう。

 だが、生憎とレイにそのような真似は出来ない。

 それでも、レイの強力な一撃はデオトレスにとって致命的とも言える一撃を与えることに成功し……だが、デオトレスは吹き飛びながらも、空中で停止する。

 それは別に、レイが持つスレイプニルの靴を使ったということではなく、ましてや超能力のようなもので強引に空中で止まったという訳でもない。

 純粋に、それはデオトレスの首の後ろに伸びていた、触手の長さが限界に達したからこそ、空中で動きが止まったのだ。

 レイの力で殴り飛ばされ、触手で強引に空中で動きを止める。

 当然ながらそれはデオトレスにかなりの衝撃を与えていたが、痛覚が麻痺している今のデオトレスには意味がない。

 触手の長さが限界に達したことで地面に叩きつけられた巨体を見ながら、レイはデオトレスに追撃を仕掛け……るのではなく、別の人物……セレスタンに向かう。

 肉の繭を……そして触手を操っているのは、明らかにセレスタンだ。

 そうである以上、執事とデオトレスをすぐに戦闘出来ない状況にした以上、ここでセレスタンに向かって攻撃をするのは当然だった。

 だが……セレスタンは肉の繭にそっと触れた状態のまま、自分に近づいてくるレイを見ても、特に怯えた様子もない。

 もしかして、まだ他にも何か奥の手があるのではないか。

 そんな思いを一瞬だけレイは抱くも、今の状況を考えるとセレスタンが奥の手を使う前に仕留めてしまえばいいと判断して拳を握りしめ……


「レイ!」


 不意に背後から聞こえてきたエレーナの声。

 同時に、空気を斬り裂きながら、何かが自分に向かって放たれているのを悟り、レイはセレスタンに対する攻撃に執着することなく、走る方向を変えてセレスタンとは距離を取る。

 一瞬後、レイがいた場所を通りすぎる何か。

 セレスタンから距離を取りながら、レイはそちらに視線を向け……珍しいことに、唖然とする。

 何故なら、そこにいたのは……正確にはレイを攻撃した何かがどこからやってきたのか、しっかりと確認することが出来たからだ。

 それは、胴体を半ば切断された状態の執事。

 その、切断された胴体から伸びた内臓……腸が、まるで鞭のように振るわれたのだ。

 自分の主人を、レイから守る為に。

 だが、そんな執事……いや、デオトレスと同様に肉体が肥大化して巨人のようになっているのを考えると、元執事と表現する方が正しいのだろうが。

 ともあれ、そんな執事の変わり果てた姿を見たレイは、セレスタンに対する攻撃を邪魔されたことを苦々しげに思いながら……次の瞬間、ふと疑問を抱く。


(胴体が、半ば繋がっている?)


 そう、それこそが疑問の正体。

 執事は肉体が巨大化している最中に、エレーナが放った鞭状になったミラージュの一撃により、胴体を上下に切断された筈だ。

 それは、レイも自分の目でしっかりと確認した事実だった。

 もし切断された胴体の位置がすぐ側にあったのであれば、もしかしたらしっかりと切断されていなかったのだと見逃していた可能性もある。

 だが、上下に切断された執事の胴体は、ミラージュの勢いによって双方が別々の方向に飛んでいったのを、レイは自分の目で確認したのだ。

 にも関わらず、執事の胴体はこうしてくっついている。

 そんな執事の姿に驚いたレイだったが、自分が相手をしているのがどのような存在なのかを考えれば、この光景はそこまで不思議に思うものではないと思い直す。


「はははは、これは凄いな。ここまで出来るとは……ミラレス、意識は残っているのか?」

「ギ……ガ……」


 セレスタンの言葉に、執事……ミラレスと呼ばれた存在が微かに言葉を返す。

 偶然そのような形になったという風に見ることも出来るが、セレスタンに頷きを返したのを見れば、それは明らかに己の意思があると示しているようなものだった。


(こんな姿にさせられても、主人の言うことを聞くか。……忠義深いというか、これは寧ろ盲信と呼ぶべきか?)


 そんな二人の様子を眺めていたレイだったが、再び聞こえてきた風を切る音に、その場から跳躍する。

 次の瞬間、レイがいた場所にはデオトレスが変じた化け物の姿があり、両手を組んだ状態で地面を殴りつけ、小さいながらもクレーターを生み出す。

 だが、その時には既にレイの姿は空中にあり、その一撃の被害を受けるといったことはなかった。

 当然そんな状況の中で、エレーナもただじっと見ていた訳ではない。

 長剣にしたミラージュを手に、エレーナはミラレスに向かう。

 エレーナにしてみれば、ミラレスは既に自分が倒した相手だと思っていた。

 にも関わらず、ミラレスは切断された胴体を繋ぎ合わせるなどといった真似をして、復活した。

 それは誰にとっても予想外のことで、エレーナの不手際という訳ではない。

 それでも、エレーナにとっては自分のミスだと思ってしまい、その為にミラレスを倒すべく行動したのだろう。

 レイはエレーナに対して特に何も言うことはなく、デオトレスと向き合う。

 エレーナのミラージュによって付けられた胴体の傷は、傷口から無数の泡が浮き出て、急速に再生していっている。

 そんな光景を見ても、レイは特に驚くことはない。

 胴体を上下二つに切断されたにも関わらず、あっさりとくっつけるなどといった光景を見たのだから、寧ろ今更その程度で驚けという方が無理だった。


「どうやら向こうの執事……ミラレスとかいう奴は意識があるようだけど、お前も意識はあるのか?」


 レイが目の前の存在に向かってそう尋ねたのは、純粋に興味があったのもあるが、どうやって殺すのかを考える時間が欲しいという理由もあった。

 デスサイズがない以上、魔石によって習得したスキルを使うことは出来ず、デスサイズは魔法発動体でもあるので、魔法を使うことも不可能だ。

 それでもその辺のモンスター程度であれば、ネブラの瞳とレイの身体能力を使った攻撃でどうとでも倒せる自信はあったが、あの馬鹿げた回復力……いや、再生力を見せられれば、今の自分の状況で倒す手段は多くはない。

 もっとも、それは多くはないだけであって方法はあるということを意味してるのだが。


(炎帝の紅鎧……使うか?)


 それは、多種多様な攻撃手段を持つレイの中でも、非常に高い攻撃力を有しているスキル。

 デスサイズのスキルと違い、魔石といったものは関係なく使用出来る……本来の意味でのスキルだ。

 幾ら高い再生能力を持っていようと、それこそ再生能力は無限という訳ではない筈で、炎帝の紅鎧を使えばどうとでもなる算段はあった。


(そうだな、このまま戦っても負けはしないけど勝つのは難しい。それに、結局のところ向こうがやってるのは時間稼ぎである以上、こっちとしても出来るだけ早くデオトレスを倒して、あの封印……肉の繭を何とかする必要がある。ただ、問題は……スキルを発動させるまで、向こうが大人しくしてくれるか、だよな)


 結局のところ、目の前に居るのはセレスタンの操り人形……いや、セレスタンが操っている肉の繭の操り人形と呼ぶべき存在だ。

 そうである以上、ここで時間を掛けるのは出来るだけ避けたかった。

 だが、炎帝の紅鎧は、使おうと思って即座に発動出来るようなスキルではなく、多少の時間を必要とする。

 その時間こそが、黒狼との戦いでも炎帝の紅鎧を使おうにも使えなかった理由なのだから。


「ご……ぎ……」


 レイの言葉に短く言葉を発するデオトレスだったが、それが本当にレイの言葉に反応してのものかというのは、尋ねたレイにも分からない。

 もしかしたら、声を発したデオトレスですらそれを分かっていないという可能性があった。

 だが、今はとにかく時間を稼ぎながら……その間に魔力を高め、炎帝の紅鎧を発動させる必要があった。

 こうしてレイがデオトレスと話している間にも、レイの発する魔力は急激に濃密になっていく。

 デオトレスに……もしくは、ミラレスやセレスタンに魔力を察知する能力があれば、もしかしたらレイの意図に気がついた可能性もあった。

 しかし、その辺りはレイにも勝算があった。

 今まで、レイの持つ魔力を見た者、感じた者の多くは驚き、動揺していた。

 だからこそ、レイの魔力を見たり感じたり出来れば、デオトレス達も同じようになるのではないかと、そう考えての行動。

 そして……対面するデオトレスが何かを感じた瞬間、炎帝の紅鎧が発動するのだった。

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