第1880話

「……え……」


 レイが深炎を肉の繭に使った瞬間、ほとんど反射的に肉の繭から距離を取っていたセレスタンの口から、間の抜けた声が漏れ出る。

 だが、その声はレイやエレーナにも聞こえていなかっただろう。

 人よりも鋭い五感を持つレイとエレーナだったが、それでも今は肉の繭が轟々と音を立てて燃えており、その音によってセレスタンの口から出たたった一言は完全にかき消されていた。

 ……セレスタンの口からそのような声が出るのも、当然だろう。

 今まで必死になって復活させようとしていた肉の繭が、長年の部下を時間稼ぎに使い捨てるような真似をして、それでようやく封印が解除したと思った瞬間に、燃やされたのだから。

 レイのスキル炎帝の紅鎧によって、レイが思った通りの性質を与える炎、深炎。

 その深炎により、現在肉の繭は完全に燃やされていた。

 そんな炎を、満足そうに見るレイ。

 レイにしてみれば、封印が解けそうになっていたのだから、わざわざそれを待つようなことをしようとは思わない。

 それこそ、敵の封印が完全に解除される前に、一気に倒してしまえばいいという考えからの行動だった。

 あるいは、ミスティリングを自由に使えるような状態であれば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、封印が解除されるのを待っていた可能性もあったのだが。

 ともあれ、それはあくまでももしかしたらの話であって、こうして燃やされてしまってはどうしようもない。

 セレスタンは何らかの救い……実は、深炎を使われても肉の繭が炎に耐えているといったことを期待してそちらに視線を向けるが、そんなセレスタンの目に入ってきたのは、端の方から炭となって地面に崩れ落ちていく肉の繭の姿。

 明らかにその肉の繭は、深炎によって燃やされ、大きなダメージを受けていた。


「……おお、まさかこんなに上手くいくとは思わなかったな」


 炎帝の紅鎧の大部分を使って放たれた深炎によって燃やされていく肉の繭を見ながら、レイは小さく呟く。

 本人も口にした通り、封印が解ける寸前……いや、半ば解けていたとはいえ、そこに深炎を使った攻撃を叩き込んだ時に、ここまで上手く燃やすことが出来るとは思ってもいなかったのだろう。

 それを一番実感しているのは、恐らく実際にそれをやったレイだ。

 そして、レイの口から出たその一言がセレスタンの意識を元に戻させる。


「あ……ああ……あああああああああああああああああああああああ」


 セレスタンの口から出たのは、悲鳴とでも呼ぶべき声。

 悲痛な声を上げるセレスタンは、未だに深炎の効果で燃え続けている肉の繭に向かって一歩、二歩と近づいていく。

 だが、一定以上の場所からは近づけなくなる。

 深炎の効果によって、肉の繭の一定範囲内には強烈な熱が籠もっている為だ。

 それこそ、迂闊に近寄ればセレスタンの身体が燃えてしまいかねないような、それ程の熱が。

 もしセレスタンがその熱の中に突っ込んでいくようなことがあれば、止める必要がある。

 そう考え、準備をしていたレイだったが、幸いにもセレスタンに自殺願望はなかったらしく、その一定以上の距離から近寄るようなことはなく、ただそこに立っているだけだ。

 

「さて、そんな訳でセレスタンが企んでいた……封印されていた何かの復活は失敗に終わった訳だけど、これからどうするんだ? 大人しく降伏してくれるのなら、こっちとしても色々と優遇出来たりするんだけどな」

「……」


 レイがそう声を掛けるが、セレスタンは口を開く様子はない。

 いや、寧ろ呆然としており、意識が飛んでいるようにすら思えた。


(どういうことだ? 少なくても、さっきまでのセレスタンの様子を考えると、そこまで……それこそ、命を懸けてでも封印を解こうとしているようには思えなかった。取りあえず興味深いし、封印が解けそうだからいいかって、そんな感じだった筈だ)


 レイの目から見た限りではそのような感じだった筈が、何故か……そう、何故か今のセレスタンは、まるで肉の繭の封印を解くことが失敗した結果、この世の全てに絶望したかのような表情を浮かべていた。

 どう思う? と、レイはエレーナに視線を向けて尋ねてみる。

 だが、レイにそのような視線を向けられても、エレーナも何故セレスタンが急にそのようなことになったのか、分かる筈もない。

 無言で首を横に振るエレーナを見ながら、レイは炎帝の紅鎧を解除する。

 既に肉の繭は原型を留めない程に炭の塊と化しており、それこそすぐにでも完全に崩れるのが明らかだった為だ。

 レイが炎帝の紅鎧を解除すると、同時に深炎も解除される。

 唐突に深炎の効果がなくなったからだろう。肉の繭はその衝撃で炭のまま地上に落ちて破壊され、天井に繋がっていた部分も途中から炭となって地上に落ち、肉の繭そのものも地面に落ちて砕け散る。

 炭の塊が砕け散るその様子は、一瞬レイの目にガラスが地面に落ちて割れたかのような……そんな錯覚をもたらす。


「あ……」


 我知らず、レイの口から出る小さな言葉。

 だが、結局それ以上は何もせず、ただ黙って炭の塊と化した存在に目を向けた。


「そう言えば、これってモンスターだったら、もしかした魔石とか持ってるのか? だとしたら手に入れたいけど」


 次の瞬間、レイの口から出た言葉はそのようなもの。

 それを聞いていたエレーナは、一瞬意表を突かれた表情を浮かべたものの、次の瞬間には思わず吹き出す。


「ぷっ……全く、いつになく真面目な顔をしているから、何を考えているのかと思えば……」

「いや、けどエレーナだって知ってるだろ? 俺が魔石を必要……集める趣味をしているのは」


 必要としていると言い掛けたレイだったが、茫然自失の状況になっているとはいえ、セレスタンの前でそのようなことは言わない方がいいだろうと判断して慌てて言い換える。

 そんなレイの様子に、エレーナは再び笑みを浮かべていた。


「そうだな。その封じられていた存在が本当にモンスターなのかどうかは分からないが、それでもモンスターである可能性は高い。であれば、魔石を持っている可能性はあるだろうし、調べてみてはどうだ? セレスタンは私が見張っているから」

「そうだな。なら、ちょっと調べてみるか」


 エレーナに答えつつ、レイは炭と化した肉の繭……元、肉の繭に向かって近づいていく。

 だが、完全に炭と化した肉の塊は、その大きさが大きさだけに、レイは自分の手で直接触れるのを忌避した。

 いや、炭と化しておらず、肉の繭のままであっても、レイはそれに直接自分の手で触れることを忌避しただろう。

 様々な色の血管が脈動している光景をその目にしている以上、レイのその判断は当然のものであった。


(けど、まさか黄昏の槍とかをこういうのに使う訳にもいかないし……こういう時は、使い捨ての槍を買っておいてよかったよな)


 デスサイズと並んでレイのメインウェポンたる、黄昏の槍。

 その黄昏の槍を、まさか炭の塊をどうにかする為に使う訳にもいかず、どうせならということで、レイは投擲用の槍をミスティリングから取り出そうとし……


「え?」


 だが、レイの口から出てきたのは、間の抜けた声。

 何故なら、ミスティリングの中から使い捨ての槍を取り出そうとしても、取り出すことが出来なかったからだ。

 ミスティリングの使用を封じていた肉の繭は、現在レイの目の前で炭の塊と化している。

 そうである以上、既にミスティリングを使えるようになっていてもおかしくはなかった。

 にも関わらず、こうしてミスティリングを使おうとしても、使うことが出来ない。

 ミスティリングを実際に使おうとして使えないと気がつき、ここまで一秒にも満たない一瞬。

 それが何を意味しているのかを理解したレイは、咄嗟にその場から後方に跳躍して炭の塊と距離を取る。


「気をつけろ、エレーナ! こいつ、まだ生きてるぞ!」


 レイが叫んだ瞬間、エレーナは驚きの表情を浮かべる。

 当然だろう。深炎に包まれ、身体全体が炭と化した今の状態で、肉の繭がまだ生きているとは到底思えないのだから。

 それでも一瞬後にミラージュを手に、レイが距離を取った炭の塊に構えたのはさすがだろう。

 ……レイもエレーナも、先程まで戦っていたデオトレスやミラレスの尋常ではない回復力をその目にしているというのが、こうして即座に反応出来た理由の一つでもあるのだろうが。

 すると、そんなレイとエレーナの警戒に反応したかのように炭の塊が動き……次の瞬間、その炭の塊を突き破るようにして、一本の触手が飛び出してくる。

 当然のように、その触手も無傷とはいかず……いや、それこそ何ヶ所もが部分的に炭と化しており、まだ触手として使えるというのが、見ていたレイやエレーナにとっても驚く程の姿となっている。

 だが、そのような状態であっても、触手は素早く空中を伸び……やがて次の瞬間、茫然自失の状態で地面に座っていたセレスタンの胸を貫く。


「……え?」


 再度疑問の声を上げたのは、今回もレイ。

 当然だろう。封印が解除した瞬間に自分を攻撃して即座に炭にされた最大の原因たるレイや、そのレイの仲間で肉の繭に操られていたミラレスと戦っていたエレーナ。

 その二人に攻撃をしたのであれば、納得も出来ただろう。

 だが……今こうして触手が貫いたのは、レイでもエレーナでもなく、セレスタンだった。

 何故、と。そう二人が疑問に思ってしまってもおかしくはない。

 ましてや、セレスタン曰く、あの封印されている存在は枷によってセレスタンの命令を聞くように出来ていたと。そう自慢げに言っていたではないか。


「げ……が……」


 そんなセレスタンの口からは、声にならない声が漏れ出る。

 そして、何故だという驚愕の視線が炭の塊に向けられ……その炭の塊の中から、一筋だけ見えた光……身体の大部分が炭と化した状態であるにも関わらず、憎悪の視線を自分にむけている存在に気がつく。

 それは、肉の繭に身体を埋め込まれていたガイスカの頭。

 既にその面影は全くないが、それでも目に映る憎悪だけは覆しようがない程に、ガイスカのものだった。

 何故、つい先程までは自我が喪失したと言ってもいいガイスカの意識が、こうして戻ったのかは分からない。

 もしかしたら、それこそレイの使った深炎の効果によって意識を取り戻したという可能性もあるが、それは謎のままでしかなく、はっきりとは分からない。

 何より、それ以前にセレスタンはそのようなことを考えらえるような余裕は既になく、胴体を貫かれ体内にある血、肉、骨、内臓といったものが胴体を貫いた触手にとって、それこそストローでジュースを飲むかの如く吸い取られていく。

 見る間に皮だけになり……その時点で、セレスタンの意識というものは完全に消滅していた。


「エレーナ!」

「分かっている」


 当然レイとエレーナも、肉の繭が……否、炭の塊が……否、ガイスカがセレスタンを殺している光景をじっと見ていた訳ではない。

 だが、ガイスカがまだ生きており、ミスティリングが使えない状況でレイに使える攻撃手段は多くはない。

 ましてや、奥の手とも呼ぶべき炎帝の紅鎧は既に使用し、魔力の多くを深炎として肉の繭を焼滅するのに使ってしまった。

 勿論ある程度時間が経てば消耗した魔力も回復するが、今すぐに再び炎帝の紅鎧を使う……といった真似は、とてもではないが出来ない。

 そうなると、この場で一番有効なのはエレーナであり……エレーナもそれを知っているからこそ、即座に自分の奥の手たる竜言語魔法の詠唱を始めていた。

 そして、ガイスカの放った触手がセレスタンのあらゆる存在……それこそ、唯一残っていた皮ですら吸収したその瞬間、エレーナの竜言語魔法が発動する。

 エレーナの背後から、巨大なドラゴンの頭が姿を現す。

 ドラゴンそのものが姿を現したのではなく、ドラゴンの頭の部分だけが姿を現したのだが。

 この辺り、竜言語魔法の面目躍如といったところか。

 そのようにして姿を現したドラゴンの頭は、まるで胴体があるようにしっかりと上体を反らすかのような行動を取り……やがて次の瞬間、一気に頭を前に出す。

 その速度は、セレスタンという存在そのものを吸収したガイスカであっても、とてもではないが反応出来る速度ではない。

 気がつけば、炭の塊が徐々にではあっても復活しようとしていたガイスカの身体が、ドラゴンの顎に咥えられ、それこそ牙の一本だけでレイの身長よりも高いそれが、次の瞬間にはガイスカを噛み砕き、呑み込む。

 そうしてガイスカを噛み殺した……いや、喰い殺したドラゴンの頭部は、次の瞬間にはまるでそこにあったのが嘘であるのかように、姿を消す。

 ……当然ながら、ドラゴンの頭が消えた後に、ガイスカの死体はどこにも残っていなかった。

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