第1871話
夜、レイは扉をノックされる音で目を覚ました。
今夜は黒狼の仲介役をしていた組織に……いや、正確にはその組織を率いている者の家を襲撃するということで、少し早めの夕食を食べた後は眠っていたのだ。
いつもであれば、レイの寝起きは悪い。
それこそ、ノックで起きてもすぐに頭が働くといったことはないのだが、今は違う。
戦いの前ということもあってレイの精神が戦闘に傾いており、ノックの音で起きた時は既にいつも通りの様子となっていた。
「ミランダか?」
「あ、はい。その……もう起きてたんですね」
レイの寝起きを何度も見ているミランダだからこそ、ノックして即座に返事がくるとは思っていなかったのだろう。
少し驚いた様子で、そう告げてくる。
実際にはノックの音で目を覚ましたのだが、今はその辺りのことを言っても無駄に時間を使うだけだろうと判断したレイは、ミランダの言葉を否定するようなことはしなかった。
中に入るように促し、レイも身支度を済ませる。
「まぁ、そんなところだ。それで、要件は?」
「はい。エレーナ様から、もうそろそろ時間なので、部屋に来るようにと」
「分かった。エレーナの部屋でいいのか?」
「はい」
そうして短く言葉を交わすと、レイはすぐに部屋を出る。
いつもの……それこそミランダが知っているレイとの違いに、少しだけ戸惑った様子を見せるミランダだったが、今はそれ以上は何を言うでもなく、レイをエレーナの部屋に案内する。
レイはエレーナの部屋を知っているのだが、その辺りはメイドとしての仕事なのだろう。
少し早めの食事を済ませてから眠りについた以上、当然ながら既に外は暗くなっている。
明かりのマジックアイテムや、蝋燭の類を使った明かり。
複数の光源が存在する廊下は、何も知らない者が歩けば幻想的と思ってしまうだろう。
実際、この屋敷に来てから何度も夜に廊下を歩いているレイですら、未だにそのように思うのだから。
やがて、レイを案内してきたミランダは、レイにとっても覚えのある部屋に近づいていき……
「あら、レイ?」
不意に部屋の前にいた人物に、そう声を掛けられる。
その人物が誰なのかは、レイにもすぐに分かった。
レイにとっても、何度か顔を合わせたことがある人物達だった為だ。
そう、人物達。
エレーナの部屋の前には、テレスとラニグス、そしてブルーイットという三人の姿があった。
その誰もがレイにとって知ってる顔ではあったが、同時に珍しい組み合わせであるとも思ってしまう。
「また、随分と珍しい組み合わせだな。一体。何がどうなってこうなったんだ?」
テレスはエレーナの友人で、一緒にお茶を楽しむくらいには親しい。
ラニグスは、レイやエレーナがテレスと一緒にお茶を楽しんでいる時にガイスカと共にやって来た人物だ。
そしてブルーイットは、これまで何度もレイと絡んできたということもあって、それこそレイにとっては説明するまでもない相手だった。
「ああ、ちょっと気になる情報があってな。その情報を探っていたら、この二人と一緒になったんだよ」
ブルーイットの言葉に、テレスとラニグスの二人は特に表情を変えたりしないまま、頷きを返す。
「ええ。私の方でもちょっと情報を手に入れて、それでエレーナ様にお話をしに来たところ」
「こっちも同様だな」
「……情報を得たのはいいけど、なんだってそれをエレーナに持ってくるんだ?」
本当に重要な情報であれば、それこそエレーナではなく、その父親のリベルテ……ケレベル公爵に直接伝えればいい。
そうしないということは、恐らくそこまで重要な情報ではない……もしくは、確証がない情報なのだろうということは、レイにも何となく想像出来た。
ともあれ、いつまでもこうしてエレーナの部屋の前で話をしていても埒が明かないということで、レイはエレーナの部屋の扉をノックする。
何かエレーナに用事があるのなら、それこそ手っ取り早く済ませてしまった方がいいだろうと。
『あ』
そんなレイの行動に、テレスとラニグスの二人が声を合わせる。
「どうしたんだ? エレーナに用事があったんだろ? それに……エレーナのことだから、多分お前達の気配はもう察してると思うぞ」
姫将軍の異名を持つエレーナだけに、気配を察するくらいのことは容易に出来る。
そうレイに言われ、テレスとラニグスは何とも言いがたい表情を浮かべていた。
ブルーイットは、エレーナが気配を察知する能力があるというのは知っていたのか、もしくは予想していたのか、レイの言葉に特に動揺した様子は見せなかったが。
そんなレイの言葉を聞いていたかのように、扉が開かれ……
「全員入るといい。あまり長い間、相手は出来ぬがな」
エレーナがそう言い、全員を部屋の中に招き入れる。
恐らくレイと同じく少し前までは眠っていたと思われるエレーナだったが、少なくてもレイの目から見た限りではそのように見えない。
態度そのものが、とてもではないが寝起きには見えないのだ。
レイも今日に限っては戦闘モードとでも呼ぶべき状態になっているので、普段とは違って寝起きの悪さを見せたりといったことはしないのだが、エレーナのその態度はレイよりも遙かに上に……それこそ普段通りで、今まで起きていたように思える。
(ああ、でもエレーナはケレベル公爵令嬢だったり、姫将軍だったりの仕事があるから、実は寝てなくて起きていたとしててもおかしくはないのか?)
あくまでもケレベル公爵家の客人でしかないレイとエレーナでは、当然のように立場が違う。
ましてや、レイがギルムに帰る時には、エレーナもまたレイと一緒にギルムに行くのだ。
アネシスでの滞在日数がもうそこまで長くない……それこそ、恐らく十日もない状況であるというのを考えると、エレーナがやるべき仕事は多い筈だった。
もしエレーナが普通の人間であれば、そこまで忙しい仕事をして、それから裏の組織を率いている者の家を強襲するといった真似は出来ない……ことはないだろうが、仕事で疲れている状況でそのような真似をすれば、当然のように力を最大限に発揮するようなことは出来ない。
だが、エンシェントドラゴンの魔石を継承しているエレーナは、当然普通の人間ではない。
その程度の疲れなど……いや、そもそも疲れてすらいないだろう。
それはレイにとっても同じことではあったが、それでも休めるのなら休んでおいた方がいいということで、レイは昼寝――と呼ぶには遅すぎたが――をしたのだ。
エレーナに疲れがないことに安堵しつつ、レイは他の面々と一緒に部屋の中に入る。
部屋の中では、アーラがいつでも強襲出来るように鎧を身につけている。
(ああ、エレーナもか)
ふと、エレーナを見た時の違和感の正体を理解し、レイは一人で納得する。
エレーナにしろアーラにしろ、この屋敷ですごしている間はレイにとっても見慣れた鎧ではなく、普通の服を着ていた。
それらを見続けていた為に、レイの中にはこの短期間であっても、何となく慣れのようなものが出来てしまったのだろう。
「え? その格好……」
「うわ、アーラが武装してる」
テレスとラニグスの二人も、そんなアーラの姿に気がついたのか、どこか驚きの声を上げていた。
普段から戦いにあまり関わらない二人だけに、そんなアーラの様子は意外に思えたのだろう。
……実際には、アーラはエレーナの護衛騎士団で、武装しているのはそこまで珍しいことでもないのだが。
そんな二人と比べると、一人で街中を出歩き、喧嘩沙汰にも自分から首を突っ込むようなブルーイットはそこまで驚いた様子はない。
「それで? 今日は一体何の要件で? さっきも言ったが、私達はこれから少し忙しい。緊急の用事でなければ、明日以降にして貰いたいのだが」
現在の時間は、午後九時程。
庶民であれば既に眠っている者も多い時間なのは間違いないし、貴族であっても、パーティーを開いているといったことを除けば、この時間に訪ねてくるのは若干非常識な行為だと言ってもいい。
そんな非常識な行為を、三人もの貴族が行っている以上、何か相応の理由があるのは確実だった。
だが、それを理解した上でも、エレーナはこれからの行動を考えるとそちらに時間を取られる訳にいかないのは事実だった。
しかし、そんなエレーナの考えは次にテレスの口から出た言葉で変わる。
「エレーナ様、それってもしかして、セイソール侯爵家の一件が関わってますか?」
「……何?」
その言葉は、エレーナの注目を集めるのに十分な威力を持っていた。
黒狼を雇ったのが恐らくガイスカである以上、ここでセイソール侯爵家の名前を出されれば、エレーナの……そして今日行動を共にするレイやアーラの注意を集めないということは有り得ない。
「何を知っている?」
エレーナの口から出たのは、鋭い視線と言葉。
普段のエレーナを知っているテレスではあったが、こうして姫将軍としての……そして半ば臨戦態勢に入っているエレーナを見るのは初めてだったのか、そのような視線を向けられて一瞬息を止める。
そんなテレスの横で、こちらはそこまで大規模ではないとはいえ、実戦に参加したことのあるラニグスが口を開く。
「俺の方でもちょっと情報が入ってきたんだけど、実はセイソール侯爵家の方で色々と動いてるってのは知ってるか?」
「うむ。その辺りは知っている。新年のパーティーが終わった日からという話だな」
「そうそう。で、そのセイソール侯爵家の中でも、兵士や騎士といった戦闘を得意としている者が色々と動いてるらしい」
「……何だと?」
その情報については知らなかったのか、エレーナの口から少しだけ驚きの声が漏れる。
もっとも、実際にはケレベル公爵家ではその情報を入手していたのだが。
そもそも、このアネシスで大規模に人を動かす以上、もしケレベル公爵家に無断で動かすような真似をしていれば、それこそケレベル公爵家率いる軍に鎮圧されてもおかしくはない。
それがされていない時点で、今回の一件についてはある程度ケレベル公爵家側に知らされていて当然と判断するべきだった。
一瞬驚いたエレーナだったが、その辺りに考えが及び、すぐに納得したように口を開く。
「恐らく、その件は父上も承知のことの筈だ。だが……セイソール侯爵家が動いているのなら、それこそ私に情報が降りてきてもおかしくなかった筈だが」
呟くエレーナだったが、すぐに視線をレイに向ける。
「どう思う?」
「さて……考えられる可能性としては、黒狼の一件をガイスカが知って、それで逃げ出したとか? ……まぁ、ガイスカにそこまでの情報収集能力があるとは思えないけど」
「いや、違うな。言っただろう? セイソール侯爵家が動いたのは、パーティーのあった日からだ」
エレーナの言葉に、レイはそう言えばそうか、と思い直す。
レイが黒狼を倒したのが今日で、しかも黒狼の死体も未だにレイのミスティリングの中だ。
レイと黒狼の戦いを見ていた者はいなかった筈だし、少なくてもレイやエレーナはそのような者は発見出来なかった。
そうである以上、黒狼が死んだと知っているのは、それこそレイとエレーナ、そしてエレーナが事情を説明したケレベル公爵家の諜報部隊や、そこから報告が上げられたのだろうケレベル公爵たるリベルテくらいの筈だ。
セイソール侯爵家は貴族派の中でも大きな影響力を持っているが、それでもケレベル公爵家の本拠地たるこのアネシスで、そこまでの情報収集能力を発揮出来る筈がない。
「となると、今回の一件に黒狼は関係ないのか?」
自分でも信じられないといった様子で呟くレイの言葉に、エレーナはどうだろうなと首を傾げる。
セイソール侯爵家が、ケレベル公爵家に借りを作ってまで人を動かす理由として、エレーナが最初に思いつくのはやはりガイスカのことだった。
そして黒狼を雇ったのがガイスカであるとほぼ確信している今、この状況でセイソール侯爵家が大きな動きを見せたことに黒狼が関わっていないとは到底思えない。
「結局のところは直接行ってみなければ、その辺の事情は分からない。……三人とも、情報を持ってきてくれて感謝している」
エレーナの言葉に、テレスとラニグス、ブルーイットの三人はそれぞれの表情を浮かべる。
テレスはエレーナが喜んでくれたので純粋に嬉しいといった風に。
ラニグスは、国王派の自分が貴族派の象徴たるエレーナに貸しを作ったことで満足そうな笑みを。
……ブルーイットは、これから戦いがあるというのに自分はそれに参加出来ないと知り、残念そうな表情をそれぞれ浮かべている。
そんな三人の様子を見ながら、エレーナは窓の外を見て、そろそろ時間だなと小さく呟くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます