第1858話

「ほう……黒狼が、な」


 エレーナの言葉に若干の不機嫌さを感じ取ったレイだったが、自分の屋敷の中を暗殺者が自由に出入りしていると知らされれば、不機嫌になるのも当然だった。


「落ち着け、ほら。通行人もエレーナを怖がってるぞ」


 レイの言葉に、エレーナは少しだけ落ち着きを取り戻して表情を改める。

 もしここがケレベル公爵邸であればエレーナもそこまで自分の様子を気にする必要はなかったのだろうが、現在レイ達がいるのはアネシスの街中だ。

 しかも、特に変装の類をしている訳ではないので、通行人達もエレーナをエレーナであると認識している。

 ……最初はレイも変装をしたらどうかと提案したのだが、それを却下したのはアーラとミランダ、それに他にも一緒にいたメイド達全員だった。

 エレーナが変装をしても、その美しさを隠すことは出来ないと、そう言われたのだ。

 実際に軽く変装をさせてみたのだが、そもそもエレーナの髪は太陽の光そのものが形を得たような、見事なまでの黄金色をしており、縦ロールだけあって髪の量も多い。

 帽子の類も用意してみたが、髪の全てをそこに収めるのは無理……とは言わないが、かなり厳しかったのは間違いない。

 エレーナの最大の特徴たる金髪を隠すことが出来ず、他の場所に関しても無理に変装をさせるとかえって目立つ。

 特にそれが顕著だったのが、服だ。

 豊かな双丘は服で隠すといった真似をしようとしても出来ず、下手をすれば余計に強調されて人目を惹く。

 冬の服装でそうなのだから、もしこれで薄着になる夏であれば、一体どうなっていたか。

 ともあれ、下手に変装をさせるとエレーナは余計に目立つ。

 そうである以上、どのみち目立つのであれば、変装をさせない方が妙なことを考える者も少ないだろうという判断だった。


(変装用のマジックアイテムとか、そういうのはあってもよさそうだけどな)


 そんな風に思いつつ、レイは若干不機嫌になっているエレーナを落ち着かせるべく、口を開く。


「ほら、これから土産を買うんだろ? そんな状況で土産を買っても、店員を困らせるだけだぞ」

「む、それは……」


 エレーナも、自分が不機嫌になっているというのは理解していたのか、レイの言葉に若干だが気分を切り替える。

 折角レイと二人で街に出たのだから、それを楽しむべきだと判断したというのもある。


「それで、どんな土産を買っていく? というか、具体的に誰に買っていけばいいと思う?」

「ふむ、そうだな。必須なのはマリーナ達。それとダスカー殿といったところか。後は、レイが世話になっていると思っている相手でいいのではないか?」

「俺が世話になっている相手か」


 そう言いながらレイが思い出したのは、夕暮れの小麦亭の者達や、ギルドの受付の中でも親しい二人。それ以外にも満腹亭の面々を初めとして、それなりに親しい者達。


「……何だかんだで、結構な人数になりそうだな」

「だろうな」


 レイの言葉に、エレーナは笑みを浮かべつつそう告げる。

 それだけギルムでレイが多くの者と関わっているということの証であり、それがエレーナにとっては嬉しかったのだ。

 レイの秘密を知っているエレーナとしては、レイの口から出た言葉は嬉しいものでしかない。

 ……ギルドの某受付嬢には、若干の注意が必要だったが。


「そうなると、かなりの量を買うことになりそうだけど……まぁ、余ったらミスティリングに収納しておけば問題ないか」


 賞味期限があるような料理の類であっても、ミスティリングの中に入れておけば問題はない。

 それこそ、出来たての料理を購入してミスティリングに収納し、それを土産としてギルムに持って帰るといった真似も出来るのだから。

 だからこそ、食べ物の類をお土産として大量に購入しても、ミスティリングの中に入れておけば何年経っても問題なく食べることが出来る。


「食べ物? ふむ、私は何か小物の類でもと思っていたのだが」

「あー……なるほど。ただ、お土産ってのは基本的に食べ物とか飲み物とか、消費出来る物の方がいいと思う」


 それは、レイの経験から来た言葉だった。

 日本にいる時、友人や親戚から旅行やら何やらの土産を貰ったことが何度かあった。

 だが、ペナントやらヌイグルミやらを貰っても、レイにしてみれば置く場所に困ってしまう。

 結局そのような物は段ボールに入れて押し入れなりどこなりに保管されることになり、そういう意味ではやはり多くのお菓子や料理、もしくはジュースのように飲食出来る物の方が良かったというのが、正直な思いだった。

 もっとも、折角お土産を買ってきてくれたのだから、不満を口にすることは出来なかったが。


(せめてもの救いは、木刀とかをお土産として買ってこなかったことだよな)


 実際にレイも木刀をお土産で貰ったことはなかったが、漫画の類では何度かそういうシチュエーションがあった。

 もし木刀の類を持ってこられても……


(あれ? 困らなかった?)


 東京に住んでいるのであれば、木刀を持ってこられても困るかもしれないが、田舎であれば……それこそ家の周囲が山であるような場所であれば、蛇なりなんなりを殺すなり、放り投げるなりといったことにも使えるし、猿や狸、狐といった動物を追い払うのにも有効だ。


(そう考えると、実はペナントとかよりも木刀の方が役に立ったのかもしれないな)


 そんな風に考えつつ、レイはエレーナと共にお土産となる物を探して、アネシスを歩く。


「さて、土産を買う訳だけど……具体的に、どういう土産が喜ばれると思う? 料理とかそういうのでもいいか?」


 日本にいた時の経験からエレーナにそう尋ねるレイだったが、それに返ってきたのは若干の呆れ。

 何故自分がそのような目を向けられるのかが分からなかったレイは、率直に尋ねる。


「何かおかしなことがあったか?」

「うむ。その……マリーナ達以外であれば、それでも構わないと思う。だが、マリーナ達の場合は食べ物ではなく、しっかりとした……それこそ、きちんと残る物の方が喜ばれると思う」

「そうなのか? まぁ、エレーナがそう言うのなら、そうするか」


 レイの場合は食べ物の方が嬉しいのだが、エレーナがそう言うのであれば、そうした方がいいだろうと。

 女心という点では、レイは全く詳しくないのだから。


「そうなると……装飾品? いや、でも普段から使える奴の方がいいしな」


 マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人は、レイとパーティーを組んで冒険者をしている。

 そうである以上、装飾品の類を贈られても……と、そう思っていたレイだったが、三人の仲間のうちの二人を思い出し、すぐに前言を撤回する。

 マリーナは普段からパーティードレスを着ており、それこそ戦いの場であってもそれは変わらない。

 ヴィヘラはこちらも同じく普段から娼婦や踊り子の着るような、薄衣を幾重にも重ねたような服を着ている。

 ……そんな動きにくい服装をしている二人だけに、それこそ装飾品の一つや二つ身につけていても、動きに影響があるとは思えなかった。

 唯一ビューネだけは、盗賊らしい格好をしているので宝石の類は身につけたりしないだろうが。


「あー、うん。やっぱり装飾品の類にするのが一番いいのか? どう思う?」


 そう尋ねたレイだったが、それに返ってきたのは満面の笑みのエレーナ。

 だが、笑みを浮かべてはいても目は笑っていない。

 そんなエレーナに、我知らず一歩だけ後退りながらレイは尋ねる。


「えーっと……装飾品の類は何か不味かったか?」

「いや、問題はない。ああ、問題はないとも。……ただ、ちょっとマリーナやヴィヘラ達が羨ましいと思っただけでな」


 笑みを浮かべたまま告げるエレーナに、レイはすぐに気が付く。

 女心に疎いレイであったが、それでも現在の状況でエレーナが何を羨ましがっているのかに気が付かない程ではない。


「あー……取りあえずお土産って訳じゃないけど、今日こうしてエレーナと一緒に出掛けた記念に、エレーナにも何か買うか?」

「いいのか? 私はこうしてレイと一緒に出掛けることが出来るだけで、マリーナやヴィヘラよりも恵まれているというのに」


 先程まで浮かべていた、笑っていない笑みは消えて、本当にいいのか? と尋ねてくるエレーナ。

 エレーナにしてみれば、マリーナやヴィヘラという、自分と同じ男を愛する者達に若干ではあったが後ろめたい思いを抱いているのは間違いなかった。

 レイと二人だけで――アーラ、イエロ、セトもいたが――旅行し、家族に紹介する。

 そんなことをしていたのだから。

 ……もっとも、レイはマリーナの故郷たるダークエルフの集落に行ったこともあるし、ヴィヘラの故郷たるベスティア帝国に行き、その父親や弟、姉といった家族に会ったこともある。

 そういう意味では、実はエレーナが一番出遅れていたのだが。

 それでも、エレーナにとってレイと一緒にこうしてすごせる時間が出来たというだけで、それに不満はない。


「別にいいだろ、それくらい。……とは言っても、どこに装飾品が売ってるかは分からないから、そこから探す必要があるけどな」

「う、うむ。メイドから聞いた話によれば、春から秋までなら露天商が色々な物を売ってるらしいのだが……」


 そう言い、エレーナは空を見上げる。

 そこにあるのは、いつ雪が降ってもおかしくないような雲の天井。

 とてもではないが、晴れではない。

 いや、今が冬である以上、もしこの状況で晴れていても露天商がいるということはないだろう。

 もっとも、露天商で売ってるような装飾品がエレーナやマリーナ、ヴィヘラといった絶世のという表現が相応しい美女達に似合うかどうかは話が別だったが。


「そうなると……あ、マジックアイテムとかどうだ?」


 装飾品のマジックアイテムというのは珍しいものではなく、またマジックアイテムということであれば、レイも多少の目利きは出来る。

 であれば、それを買えばいいのではないかとレイが思うのは当然だろう。

 ましてや、共にパーティーを組んでいる仲間に贈るのを思えば、やはり何らかの効果があることは望ましい。

 親しい女……実質的な恋人達に贈るにしては味気ない代物なのは間違いないが、それでも戦いに身を置く者として考えれば、決して悪い訳ではなかった。

 エレーナもそんなレイの意見に異論はなかったのか、先程までとは違って嬉しそうな……本当の意味での笑みを浮かべる。

 やはり愛しい想い人からプレゼントを、それも装飾品の類を貰えるというのは、それだけ嬉しいことなのだろう。


「私は、その……嬉しい」


 小さく、だがはっきりとそう口で告げるエレーナ。

 嬉しさと恥ずかしさから、その頬が薄らと赤くなっている。

 レイとのやり取りの内容までは分からなかったが、それでもレイとエレーナが何かを話していると、そっとそちらに視線を向けていた通行人達は、そんなエレーナの表情に目を奪われ、中には他の通行人にぶつかったり、もしくは建物にぶつかったりする者が続出する。

 それでも、ぶつかった者達は自分を不運だとは思わなかった。

 何故なら、エレーナが頬を赤く染めているという、非常に珍しい光景をその目で見ることが出来たのだから。

 それこそ、もしカメラの類があれば、今の光景が一生もののお宝になっていたのは間違いないと思える程に。

 ……建物の方はともかく、ぶつかられた通行人の方はいい迷惑でしかなかったが。

 周囲でそのようなことになっていると気が付いているのか、いないのか。

 ともあれ、レイは嬉しそうに笑みを浮かべているエレーナを見て、自分もまた満足そうに笑みを浮かべると口を開く。


「じゃあ、早速マジックアイテムを売ってる店に行くか。……場所は分かるか?」


 尋ねるレイの言葉に、エレーナは再び首を横に振る。


「何度か行ったことはあるが、その時は馬車に乗って移動していたからな。その辺りまでは詳しく分からん」

「あー……なるほど。だよな」


 ケレベル公爵令嬢にして、姫将軍の異名を持つエレーナだ。

 今日のように、自分の足でアネシスの中を歩いて見て回るということの方が珍しいのは、当然だろう。

 それこそ、普段であれば馬車で直接目的地に向かうのが、普通の行動なのだ。


「なら、色々と人に聞きながらマジックアイテム屋を探すか。あると知ってれば、そこまで気にする事もないだろうしな」


 村や小さな街といった場所では、マジックアイテム屋そのものがないこともある。

 これが点火用のマジックアイテムの類であれば話は別なのだが、レイが探しているのは、それこそ間違いなく高価な分類に入るマジックアイテムだ。

 であれば、村や小さな街で店を開いていても、とてもではないがやっていけなくなる。

 だが、ここはミレアーナ王国第二の都市たるアネシスだ。

 レイが探しているような類のマジックアイテム屋は、確実にある筈だった。

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