第1857話
「うおおおおおおおおっ!」
気合いの叫び声を上げ、兵士の持つ槍がレイに向かって突き出される。
模擬戦用に穂先を潰してある槍ではあるが、それでも兵士のように訓練した者が全速力で向かってくるようなことになれば、当然のようにその一撃は重い。
それこそ、一般人であれば例え穂先が潰された槍であっても致命傷になってもおかしくはないくらいには。
だが……それはあくまでも一般人であればの話であって、その相手がレイとなれば話は変わる。
「甘い。そっちも、隙を突くのならもっと気配を殺せ」
そう言いながら、レイは右半身を一歩後ろに下げることによって槍の一撃を回避し、穂先のすぐ側にある柄の部分を掴み……そのまま、槍を振り回す。
本来であれば、相手が槍を捕まえて振り回すような真似をしても武器を奪われるだけで済んだだろう。
だが、槍を持っていた兵士は、レイに槍を奪われまいとして柄を握る手に力を込める。
それはとっさの判断。
兵士として優秀なのは間違いなかったが、同時に自分の力に対する強い過信もあった。
相手がレイだと知ってはいたが、それでもどうしても外見で侮ってしまったというのもあるだろう。
だからこそ、槍から手を離さず……結果として、男の身体そのものが武器として使われ、レイの背後から同じく槍で襲い掛かった別の相手に身体をぶつけられる。
「ちょっ、おい馬鹿!」
仲間の身体をぶつけられた兵士は、完全に予想外だったのだろう。そのまま仲間を見捨てるようなことも出来ず、文句を言いながらも受け止め……だが、レイを前にしてそのような行動は自殺行為以外のなにものでもない。
次の瞬間には、レイが最初に投げた兵士から奪った槍を突きつけ、それで勝負あった。
「そこまで!」
そんな声が響き、周囲には残念そうな声が響く。
兵士達がレイと模擬戦を始めてから一時間程が経つが、誰もレイに勝つことは出来ていない。
いや、それどころかろくに本気を出させることも出来ていなかった。
レイが深紅の異名を持っているのは知っている。知っているのだが……それでもケレベル公爵家に兵士として雇われている以上、幾らかは戦えるというのが兵士達の正直な思いだった。
模擬戦を見た者も結構な人数がいたのだが、それでも自分達なら何とかなると、そう思っていたのだが……兵士の中でも腕の立つ者として知られていた二人があっさりと負けるのを見てしまえば、そんな思いもすぐに消えてしまう。
「いいか、見ての通りレイ殿のような桁外れの人物を相手にする場合は、まともに正面から戦おうなどとは思うな。今はグレインが間抜けだったから意味はなかったが、背後から攻撃をするというのは間違っていない」
その言葉に、槍から手を離さずに投げられてしまったグレインという男が、起き上がりながらそっと視線を逸らす。
自分でも馬鹿なミスをしてしまったというのは分かっているのだろう。
こうして落ち着いている状況で分かることであっても、いざという時……それこそ戦いの時になってみれば、何故自分がそのような行動をしたのかと、後になって疑問に思う行動をすることは少なくない。
言ってみれば半ば反射的な行動なのだが、それが反射的な行動だからこそ、戦闘センスが問われることになる。
そういう意味では、グレインという兵士のセンスはとっさの判断としては落第点だった。
その後も、今日行われた模擬戦で良かった場所、悪かった場所を説明した男は、最後にレイに視線を向けてくる。
「レイ殿、他に何かありますか? もしあれば、是非。異名持ちの方と模擬戦を出来る機会は滅多にありませんし」
その言葉は、事実だった。
レイがアネシスに来て模擬戦を行っているのは、専らケレベル公爵騎士団の面々とで、兵士達との模擬戦はやってない訳ではないが、どうしても回数は少なくなる。
これは、レイが贔屓をしているとかそういうことではなく、単純に騎士団との模擬戦の方がレイの為にもなるというのが大きい。
騎士団の面々であっても、レイと正面から戦えば勝つことは出来ない。
だが、個々の能力が兵士よりも優れている騎士達は、レイの行動に何とか対応しようとして動いてくるのだ。
その一点に限っては、明らかに兵士よりも騎士の方が上だった。
また、何よりもレイが騎士との模擬戦を行うのは、フィルマという騎士団長の存在がある。
例えレイであっても、侮るような真似をすれば負けてしまう相手。
そのような人物との模擬戦を行えるというのは、レイにとっても大きな利益だった。
本来ならエレーナと模擬戦をやればいいのだろうが、今のエレーナは忙しい。
新年のパーティーが終わり、貴族派を率いるリベルテとの挨拶を終えて自分の領地に戻っていく者も多く、そのような者の中にはエレーナとの面会を希望する者も多い。
……エレーナにとって幸運だったのは、パーティーにおいてレイとの関係を見せつけたことにより、言い寄ってくる相手が以前よりも減ったことだろう。
もっとも、そのような状況であっても言い寄ってくる相手がいるのは、それだけエレーナの持つ魅力が男を惹き寄せるということなのだろうが。
貴族派を率いる公爵家の令嬢で、本人は美の女神と呼ばれてもおかしくないだけの美貌を持ち、それでいながら異名持ちでもある。
貴族の男にとって、これだけの優良物件はそうはいない。
それこそ、レイという人物に目をつけられる覚悟があっても、エレーナに言い寄る相手がいるのは当然だった。
それでもレイがいる前ではエレーナを口説こうとしないのは、何だかんだとレイが怖いからだろう。
「そうだな。全体的によく鍛えられているとは思う。ケレベル公爵家の兵士としては、問題ない筈だ」
レイの口から出た言葉に、兵士達は意外そうな表情を浮かべた。
自分達は、どう考えてもまともに戦えないまま一方的に負けたのだ。
そうである以上、駄目だったところを言われることはあっても、褒められるようなことはないと、そう思っていた為だ。
だが、そんな予想とは裏腹にレイの口から出てきたのは褒め言葉。
予想とは違ったからこそ、こうして驚いたのだろう。
……もっとも。それはあくまでも一般の兵士達が感じたものであって、模擬戦を仕切っていた人物……この兵士達の上官の男は違う。
レイの口から出たのは、間違いなく褒め言葉と言ってもいい。それは事実だ。
しかし、それはあくまでも普通の兵士としてという言葉が前提となっており、ケレベル公爵家の率いる兵士としての練度という意味には届いていないと、そう暗に告げているのを理解したからだった。
(へぇ)
そんな兵士達の上官の顔を見て、レイは少しだけ感心した様子を見せる。
悔しそうな表情を見る限り、自分の言葉の裏の意味までしっかりと理解していると、そう判断したからだ。
(ケレベル公爵家に仕えているだけあって、間抜けって訳じゃないんだな。……もっとも、部下を鍛えるという点では平均ではあっても、それ以上ではないけど)
平均的な強さまで鍛え上げたのだから、男は決して無能ではない。
だが、それでも今の時点では兵士の強さは大したことがないのも事実であり、ケレベル公爵家の兵士として見た場合は物足りないと思われるのも事実だった。
「レイ殿、今回は模擬戦を引き受けて下さり、ありがとうございました。今回の一件は必ず後々まで役に立ててみせます」
悔しさを感じつつ、それでもきちんと感謝の言葉を口にするのは、潔いと言ってもいい。
それがレイにも分かったのだろう。笑みを浮かべて口を開く。
「ああ、俺との模擬戦が役に立ったのなら、それでいい。……言っておくけど、本来なら俺を冒険者として雇うとなれば、高いんだぞ?」
冗談っぽく言うレイだったが、それは事実でもある。
異名持ちのランクB冒険者。
ランクこそBだが、異名持ちのレイはそれでも十分に高ランク冒険者と……いや、トップクラスの冒険者と呼ばれるのに相応しいだけの実力を持っている。
そんなレイを雇うとなれば、当然のように依頼料はかなり高額になるのは当然のことだった。
それでもレイがこうして、騎士団との模擬戦のように自分の糧にならないにも関わらず兵士達の模擬戦に付き合っているのは、ケレベル公爵家で客人として世話になっているという自覚があるからだ。
……もしくは、エレーナという人物の家だから、というのも関係しているのは間違いないだろうが。
そういう意味では、間違いなくこの兵士達は恵まれていると言えるだろう。
「ははは。そうですね、今度はもっとしっかりと戦いになるように鍛えてから挑ませて貰います」
「そうしてくれ。……ま、それはいつになるか分からないけどな」
実際、今回はこうしてエレーナの実家……ケレベル公爵邸で新年を迎えたが、次にいつまた来るのかは分からない。
であれば、これが上官の男にとって生涯最後のレイとの会話という可能性も、否定は出来ないのだ。
そのことに気が付いたのか、上官は少しだけ残念そうな表情を浮かべる。
自分はレイとの模擬戦を行うことは出来なかったが、それでも部下達がレイと模擬戦をやっている光景というのは、十分刺激になった。
それだけに、レイの戦いを見ることが出来なくなるのは非常に惜しい。
「そう、ですね。……残念ですがそれは仕方がないです」
「どうしても俺の力が必要になったら、それこそギルムまで来てくれれば依頼を引き受けることが出来るかもな。もしくは、本当に至急ならアネシスにあるギルドから直接ギルムのギルドに連絡をするという手段もあるし」
ギルド同士は、対のオーブと呼ばれているマジックアイテムによってネットワークが形成されている。
今までにも、ギルムのギルドには何度かその手の連絡が入り、レイはそれによって依頼を受けた経験があった。
(まぁ、今はギルドマスターがマリーナじゃなくてワーカーになってるから、交渉するにしてもかなり厳しいものになるだろうけど)
これは、マリーナよりもワーカーの方が優秀……という訳ではない。
ギルドマスターを任された以上、当然のようにワーカーが優秀なのは間違いないのだが、単純に個人としての資質によるものだろう。
そういう意味では、依頼する方としてはマリーナの方が依頼しやすかったのは間違いない。
ともあれ、兵士達と短く言葉を交わしたレイは、そのまま図書館に向かう。
「お疲れ様でした。……って言ってもいいんでしょうか?」
そんなレイの側を、ミランダが歩く。
レイの担当という形になったミランダにしてみれば、兵士達と行われたレイの模擬戦は、レイが一方的に勝利しているようにしか思えなかった。
また、冬だというのも関係しているのかもしれないが、汗を掻いているようにも思えない。
レイの着ているドラゴンローブは簡易エアコンのような機能があるので、もし今が夏であってもそう簡単に汗を掻いたりといった真似はしないのだが。
「そうだな。一応それなりに疲れたから、言ってもいいんじゃないか?」
「では、お疲れ様でした、と。……こちらを歩いているということは、次は図書館に?」
「ああ。借りていた本を返そうと思って。……それに、また何か面白そうな本があれば、借りてもいいし」
もしかしたら、その本を読んでいればまた黒狼が現れるのではないか。
そう思ったのも間違いのない事実ではあったが、それでも次に黒狼と遭遇した時にどうすればいいのかというのは、レイにもまだ決めることは出来ていなかった。
黒狼が敵で、自分を狙っているのは確実だ。
だが、それでも……今まで何度か接してきた為か、半ば情のようなものを感じているのも、事実なのだ。
(どうしたもんかね)
困った様子で空を見上げるレイ。
そこに広がっているのは、冬らしい澄んだ空気の青空。
レイにとって冬といえば、どうしても日本にいる時のことを思い出してしまう。
一日中曇天に覆われ、雪が降り続け、家の前の雪掻きをするという行為を。
……もっとも、家が農家だからこそ冬の間は休みなのだが。
育てる作物によっては、それこそ冬でもビニールハウスの中で収穫をしたりといった真似をするのだが、レイの家ではビニールハウスで何かを育てるという真似はしていなかった。
いや、正確に自分の家で食べる分くらいの少しの野菜は小さなビニールハウスの中で育てていたが、出荷するような野菜は育てていなかった、と言うべきか。
「レイさん?」
「ん? ああ、いや。何でもない。次はどんな本を借りようかと考えていただけだよ。出来れば、俺が知らないモンスターが載ってる本とか、マジックアイテムについての本とか、そういうのがあればいいんだけど」
そう誤魔化しながら、レイはミランダと共に図書館に向かうのだった。
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