第1845話

「グルゥ、グルルルルルゥ!」

 

 厩舎の中に入ってきたレイを見て、当然のようにセトは鳴き声を上げる。

 その鳴き声は、レイが自分に会いに来てくれたことがどれだけ嬉しかったのを示していた。


「ほう……これがグリフォンのセトなのかぞい?」


 レムリアは、レイに顔を擦りつけているセトを見て、驚きを滲ませながらそう尋ねる。

 グリフォンというモンスターについては、当然のようにレムリアも知っていた。

 そもそも、グリフォンの羽根を集める必要があったのだから、その情報を集めるのは当然だろう。

 だが……情報として、知識として知っているのと、直接こうして自分の目でセトを見るのは大きく違った。

 特に驚いたのは、その大きさだろう。

 体長三m以上のその体躯は、それこそどれだけの力を秘めているのか、想像するのも難しくはない。

 セトの為にだろう、厩舎の中にはそこまで明るくはないがそれなりの光を放っているマジックアイテムもある。

 その薄明かりに照らし出されるセトの姿は、レムリアの中に出来ればこの場から素早く逃げ出したいという思いすら浮かび上がらせる。

 それでもその場から逃げ出すような真似をしなかったのは、セトの羽根が自分にとっては非常に大事な物だと理解していたからだろう。そして……


「キュウ? キュウキュウ!」


 セトの頭の上に、イエロが乗っていたというのも大きい。

 ミレアーナ王国全土を見回しても、公爵という爵位の貴族は多くない。

 そんな中で貴族派に属しているフールンダル公爵家は、当然のようにケレベル公爵家とも親しく付き合いをしている。

 そして親しく付き合っている以上、当然ながらそこにはエレーナとの付き合いがあり、エレーナの使い魔たるイエロのことも知っていた。

 だからこそ、イエロがセトの頭の上に乗っているのを見たレムリアは、逃げ出しそうにはなっても逃げ出そうとはせずにすんだのだ。


「ああ。……セト、ブルーイットについては別に紹介する必要はないよな? で、こっちがレムリア。レムリア・フールンダル」

「グルゥ? グルルゥ!」


 レイの紹介にセトは小首を傾げるが、それでもすぐにレムリアの方を見て、よろしく! と喉を鳴らす。

 そんなセトの態度を見て、レムリアもようやく安心したのか、落ち着いた様子を見せて口を開く。


「よろしくぞい、セト」

「グルルルルゥ?」


 ぞい、というレムリアの語尾が気になるのか、セトは喉を鳴らす。

 もっとも、イエロの方はそんなレムリアの語尾にも慣れているのか、特に何か反応した様子はなく、セトの頭から飛び立ってエレーナに抱きかかえられ、撫でられている。


「セト、レムリアはお前の羽根が欲しいらしい。それも新鮮な……抜き立ての奴をな」

「グルゥ」


 レイの言葉にセトが微妙に嫌そうに喉を鳴らしたのは、地面に落ちているような羽根ではなく、現在自分の身体から生えている羽根を抜かれると知ったからだろう。

 セトにしてみれば、羽根を抜かれるのはそこまで痛いことではない。ないのだが……それでもやはり、あまり良い気分がしないのも間違いないのだ。


「ひっ!」


 若干不機嫌に鳴いたセトの声に、レムリアの雇っている魔法使いが小さく悲鳴を上げる。

 レムリアは自分の家族のことでセトを怖がるといった真似は出来なかったが、その魔法使いにしてみれば、そういう決意の類はない。

 こうしていきなり間近でセトを見てしまったのだから、驚くのも当然だった。

 幸いセトはそんな魔法使いの方を一瞥しただけで、再びレムリアに円らな瞳を向ける。

 当然のように、セトも痛いのは好きではない。

 それだけに少し迷ったのだが……レムリアをじっと見て、やがて短く喉を鳴らす。

 その音に再びレムリアに雇われている魔法使いが小さく悲鳴を上げたのだが、セトはもうそちらに視線を向けるようなことはせず、代わりにレムリアに身体を向ける。


「……レイ殿?」


 レムリアはそんなセトの行動に、戸惑ったような声をレイに向ける。

 身体を自分の方に向けてきたのだから、羽根を抜いてもいいと態度で示しているのではないか。

 そう思わないでもなかったが、羽根を抜いてもし違ったら、セトを怒らせることにもなりかねない。

 だからこそ、念の為にといったことで尋ねたのだが……そんなレムリアに、レイは頷いて口を開く。


「羽根を抜いてもいいらしい。もっとも、あまり痛くしないでやって欲しいとは思うけど」

「勿論ぞい」


 レイの言葉に頷き、レムリアはそっとセトの身体に手を伸ばし……やがて数本の羽根を引き抜く。

 羽根を引き抜く際に若干セトが痛そうな様子を見せていたが、それでも暴れるようなことはなかった。

 もっとも、痛みという点ではセトはモンスターだけあって、幾らかの耐性はある。

 それこそ、モンスターを含めて敵と戦っている時に攻撃を受けることはそれなりにあることなのだから。


「グルゥ……」

「ありがとうぞい、セト」


 羽根を抜かれたことにセトが喉を鳴らすと、そんなセトにレムリアが感謝の言葉を述べる。

 公爵家当主として、今のこの姿は相応しくないのかもしれない。

 だが、セトの羽根のおかげで自分の家族の病気が治るかもしれないと考えれば、感謝の言葉が自然と口から出てきたのだ。

 そんなレムリアに、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 これなら、痛いのを我慢して羽根を抜かれた甲斐があったと、そう言いたいのだろう。


「ふふっ、セトは相変わらず人懐っこいな」


 そう言ったのは、イエロを撫でていたエレーナだ。

 ……もっとも、レイにしてみればそうしてエレーナに撫でられて喜んでいるイエロを見れば、人懐っこいと言われても素直に頷けないものがあったのだが。

 ともあれ、そんなレイとエレーナの態度をよそに、レムリアは懐から取り出した容器にセトの羽根を入れ、召喚魔法を使う魔法使いを引っ張って厩舎の外に出る。

 新鮮なグリフォンの羽根を必要とするだけあって、少しでも早く自分の領地にセトの羽根を送りたいのだろう。

 セトと共にそんなレムリアを追いながら、レイはふと疑問を抱く。


(そう言えば、アネシスには当然空からのモンスターを含めた侵入者の対策で結界が張られていた筈だけど……どうするんだ?)


 このアネシスはミレアーナ王国第二の都市と言われているだけあって、当然その防衛も厳しい。

 辺境にあるギルムでは夜に空からやってくるモンスターの対策として結界を張っている――増築中の今は例外だ――が、このアネシスにおいてはモンスター以外にも竜騎士のように空を飛ぶ者はいる。

 もしくは、空を飛ばなくても何らかの手段で違法に壁を上り、アネシスに不法に侵入しようとする者も多い。

 そうである為にアネシスには結界が張られている。

 空を飛ぶ動物なりモンスターなりを召喚しても、その結界に遮られて出て行くのは不可能な筈だった。

 前もってアネシスの領主たるリベルテから許可を得ていれば話は別だが、一時的とはいえ結界の解除をそう簡単に許可する筈もない。

 では、どうするのか。

 そんなレイの予想は……レムリアが馬車に乗ってケレベル公爵邸から去っていくのを見れば、すぐに理解した。


「ああ、なるほど。アネシスの外に出て召喚魔法を使えば、結界とかは関係ないか。……それでも、かなりの特別扱いだけど」


 基本的には夕方に閉じられた街の外に続く門は、余程の例外がない限りは開けられることはない。

 だが、レムリアがリベルテに頼めば、その例外な待遇は受けられるということなのだろう。

 リベルテにとっても、門を開くのは結界の解除程に大きな話ではないので、ある程度の対価を貰えばそれを許可するのは当然だった。


「……あ」


 去っていく馬車を見送っていた、レイ、エレーナ、ブルーイット、セト、イエロの三人と二匹だったが、ふとそんな中でブルーイットが声を上げる。


「どうした?」

「いや、レイ。お前レムリアの婆さんから宝石を貰うって言ってたけど、貰ってないだろ」


 その言葉に、レイもそう言われれば……と思い出すが、その話を聞いていたエレーナがすぐにそれを否定する。


「フールンダル公爵ともあろう者が、そのような真似をする筈がないだろう。出来るだけ早くセトの羽根を自分の領地に届けたいから、今はこうして急いで去ったが……それが終われば、それこそ今夜か、遅くても明日にはまた面会に来て、報酬を渡す筈だ」


 ブルーイットも、本気でレムリアが報酬を支払わないのではないかと思っている訳でもなく、エレーナの言葉に異論を返すような真似はしない。

 レイもレムリアの性格を考えればそのような真似はしないだろうと判断し、その言葉に口を挟むようなことはしなかった。

 代わりに、ケレベル公爵邸を見ながら口を開く。


「さて、予想外に時間を取ったけど、そろそろパーティーに戻った方がいいか」

「そうだな。私はこのままセトやイエロと一緒に遊んでいても構わないのだが……」


 エレーナの言葉にセトとイエロがそれぞれ嬉しそうにするのだが……エレーナの立場を考えれば、そのような真似をしている訳にもいかない。


「そういう訳にもいかない。……だろ?」

「うむ」


 レイの言葉に、エレーナは残念そうに頷きを返す。

 本来であれば、それこそエレーナは今の時点でもパーティー会場にいるべきなのだ。

 レムリアという、ケレベル公爵家と同等の爵位を持っている人物からの要望だったからこそ、こうしてパーティー会場の外……どころか、ケレベル公爵邸の外に出るようなことが出来ているのだが、それはあくまでも例外でしかない。

 エレーナもそれを理解しているからこそ、レイの言葉に残念ながらも同意したのだ。

 ……実際には、レイもまたエレーナやブルーイットと一緒にセトやイエロと遊びたいと思っていたのだが。

 ともあれ、ここで遊ぶといった真似をすれば、当然パーティー用の服も汚れてしまう。

 それを考えれば、やはりここでゆっくりしていられるような暇はなかった。


「戻るか」


 エレーナのその言葉にレイとブルーイットは頷き、セトとイエロは残念そうに鳴き声を上げるのだった。






「おや、エレーナ様。いないと思っていたのですが……どうやら、男の方と逢い引きでもしていたみたいですわね」


 パーティー会場に戻ってくると、不意にそんな声がエレーナに掛けられる。

 その口調は明らかに挑戦的なもので、一緒にいたレイは、最初本気か? と素直に疑問を抱く。

 当然だろう。姫将軍の異名を持ち、ケレベル公爵令嬢のエレーナは、言ってみれば貴族派の象徴に等しい。……本人は、そのことをあまり好んではいないようだったが。

 そんな人物に喧嘩を売るかのような挑発的な言葉を投げ掛けたのだから、明らかにそれは不躾と言ってもいい行動なのは間違いなかった。


(本気か、この女?)


 そう思いつつ、レイはエレーナの前に立つ女を見る。

 美形。そう評してもいいくらいに顔立ちは整っているが、それでも今のその女に目を奪われることはない。

 何故なら、エレーナを見るその目には強烈な嫉妬の感情が宿っていたのだから。

 少なくても、レイは目の前の女と楽しい時間をすごせるかと言われれば、頷くことは出来ないだろう。


「リーリンか。久しいな」

「ええ。そうですわね。エレーナ様はパーティーに参加することが多くないですから、どうしても久しぶりになりますわ。……もっとも、エレーナ様にとっては優雅なパーティーの場よりも野蛮な戦場の方がお似合いなのでしょうが」

「そうだな。正直なところ、私はこのようなパーティーを好まない。……とはいえ、今日は新年のパーティーだからこそ、参加しない訳にはいかないのだが」


 皮肉をあっさりとそう返されたリーリンという女は、一瞬だけだが悔しげな表情を浮かべる。

 だが、すぐにその視線がレイに向けられ……先程の表情は何だったのかと言いたげな程に満面の笑みを浮かべてレイに話し掛ける。


「貴方がレイさんですわね? 色々と噂は聞いていましたが……てっきり、もっと野蛮そうな方だと思ってましたけど」


 そう言いながらリーリンの視線が向けられたのは、レイの側で面白そうな様子でやり取りを眺めていたブルーイット。

 本来なら、そんなリーリンの態度にブルーイットは怒ってもいいのだが、本人は怒るよりも目の前で行われているやり取りを見る方が楽しいのだろう。特に何かを言う様子はない。


「それはどうも、とでも言えばいいのか?」

「……まぁ」


 レイの言葉遣いが気にくわなかったのか、リーリンはいかにも自分は不愉快ですといった表情で眉を顰める。

 エレーナと話していた時は不愉快そうな表情も一瞬で消えたのだが、レイに対してはそのような様子はない。

 これはエレーナがケレベル公爵の娘であるのに対して、レイは一介の冒険者でしかないからだろう。


「さすが、下賤な冒険者ですわね。貴方のような方がこのような貴族の社交場に姿を現すのは身分違いですわよ。それに……」


 更に何かを言い募ろうとしたリーリンだったが……


「リーリン」


 そんなエレーナの言葉が、周囲に響くのだった。

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