第1843話
頼みがあると視線を向けてきたレムリア。
それがどのような頼みかは、レイにも分からなかったが、こうしてレムリアが……フールンダル公爵が自分に話し掛けてきた以上、それが簡単な頼みではないというのは、明らかだった。
その頼みとは何か。
そうレイが尋ねようとしたが、それよりも前にアズエルが口を開く。
「レムリア様、申し訳ありませんが、私達はそのお話を聞かない方がいいと思いますので、これで失礼します」
「おや、そうかい? そこまで気にする必要はないぞい?」
「いえ、他に挨拶をすべき人もいるので、そちらにも顔を出す必要がありますから」
「ふむ、そうなのかい。それだと無理に引き留めるわけにもいかんぞい」
「では、失礼します」
「失礼します」
耳に残るその語尾だったが、アズエルはそれを気にした様子もなく挨拶をし、同じく頭を下げたファンライル伯爵を連れてその場から立ち去る。
……ブルーイットは、レムリアの頼みというのが気になるのか、そのまま残っていたが。
「で? ブルーイットはいいのか? ここに残っていれば、場合によっては面倒に巻き込まれる可能性もあるぞ?」
「そうだな。けど、ちょっと興味深いしな」
「そこまで気にするような大事ではないぞい?」
レイとブルーイットの言葉にそう告げるレムリアだったが、そんなレムリアにエレーナが笑みを浮かべて言葉を掛ける。
「フールンダル公爵、この手の者は幾ら言ってもこちらの話を聞きません。ここはもう、いてもしょうがないと判断して頼みを聞かせて貰えると」
「……そういうあんただって、残ってるじゃねえか」
「私はレイのパートナーだ。そのレイに頼みがあるとフールンダル公爵が言ったのだから、レイのパートナーとしても、ケレベル公爵家の者としても、ここを動く訳にはいかん」
あっさりとそう告げるエレーナの口元には、笑みが浮かんでいる。
ケレベル公爵家の人間……ではなく、レイのパートナーであると大々的に言うことが出来たのが嬉しかったのだろう。
「ふぉふぉふぉ。若い者は元気でいいぞい」
そんなエレーナの様子を、レムリアは微笑ましそうに見守っていた。
それこそ、昔を思い出しているかのように。
だが、そんな惚気を聞かされたブルーイットにしてみれば、まともに聞いていられる筈もない。
面倒臭いと言いたげな表情で髪を掻き、その視線をレムリアに向ける。
「それで、結局頼みってのは一体何なんだ?」
「ふぉ? そう言えばそうじゃったな。その為に来たのだから、頼みについて話さない訳にはいかないぞい」
嬉しそうな様子を見せていたレムリアだったが、その視線が不意にレイに向けられる。
その視線の中にあるのは、間違いなく真摯な……それでいて、心の底から何かを求めている強烈な感情だった。
それこそ、レムリアのような老婆が浮かべるには相応しくない、それ程の強さの感情。
「それで? 具体的に頼みというのは?」
「うむ。……レイ殿、儂がお主に頼みたいのは、お主の従魔のグリフォンについてじゃぞい」
「……セトの?」
まさか、ここでセトの名前が出てくるとは思っていなかったのか、レイの表情には予想外のことを言われた驚きがあった。
それは話を聞いていたエレーナやブルーイットも同様だ。
いや、それどころかレイ達から少し離れた場所で様子を窺っていた貴族達の中にも、グリフォンという言葉を聞いて動きを止めた者もいる。
貴族派において、現在この屋敷内――正確には厩舎だが――にいるセトというのは、一種の触れてはならない話題だ。
そのセトを手に入れようとしてか、もしくは危害を加えようとしてか、ともあれ浅はかに考えたカセレス伯爵は、貴族派からの除名という重い処分を負った。
そうである以上、現状で迂闊にセトに手を出すような真似をすれば、それは自分にとって……いや、自分だけではなく自らの家にとっても最悪の結果をもたらす可能性があるのだ。
にも関わらず、このようなパーティーの場で堂々とそのことに触れるとは、と。そのように話が聞こえていた者が思っても仕方がない。
(そういう意味では、アズエル達は賢かったんだろうな。自分からわざわざ聞きに来た訳じゃないにしろ、こうして俺達の話を聞いた連中の様子を見る限りでは)
レイ達の周囲にいた貴族は、レイやエレーナ、レムリアといった面々に話し掛けるタイミングを窺っていたのだろう。
最初にタイミングを窺っていた中で話し掛けたファンライル伯爵は既にここにはおらず、だからこそ次は自分が……そう思っていた者も多かったのだろう。
しかし、今回はそれが貴族達にとっては悪い結果をもたらす。
フールンダル公爵家当主のレムリアがレイに相談があるといった時点で、その場を離れなかった勘の悪さが災いした形だ。
そういう意味では、アズエルの判断は正しかったのだろう。
そのように思いつつ、レイはレムリアに視線を向ける。
そこにある色は、薄い警戒。
もしレムリアが無理にでもセトを手に入れようというのであれば、それこそレイは相手が老婆であっても相応の態度で対処するつもりだった。
だが、そんなレイの視線を向けられたレムリアは、全く動じた様子もない。
もしレイが本気になれば、レムリアの命はそれこそ一瞬で消えてしまうにも関わらず、だ。
静かな、それでいて強い意志を感じさせる視線を自分に向けてくるレムリアに、レイは少しだけ視線を緩める。
少なくても、カセレス伯爵の手の者とは違って問答無用でセトをどうこうしようとしている訳ではないと、そう理解した為だ。
「で? セトに何の用件があるって?」
態度は緩めたレイだったが、それでも最初のように曲がりなりにも敬語の類を使っての会話ではない。
ある意味で対等の立場だと判断したからこその態度。
「ああ、実はグリフォン……セトかい? そのセトの羽根、それも抜きたての……こう言ってもいいのかどうかは分からないけど、新鮮な羽根が欲しいのだぞい」
「羽根を?」
てっきりセトを譲渡しろとか、そのようなことを言われるのかと警戒していたレイだったが、まさか羽根を欲しがるとは思わなかった。
いや、錬金術師がセトの羽根を欲しがっているというのは、ギルムにいて十分に理解している。
だが、まさか貴族が……それも公爵家の当主が欲しがるというのは、完全に予想外だったのだ。
最初はレムリアの言葉に疑問を感じたが、レムリアが自分を見てくる視線にあるのは、決して冗談でも何でもなく、真剣な色だ。
「事情は、ここで話せるか?」
「いや……その辺まではさすがにここで話すのは無理じゃぞい。エレーナ殿、部屋を用意して貰えないかぞい?」
「分かりました。すぐに用意させましょう」
レムリアの言葉に、エレーナはあっさりとそう告げる。
だが、それはおかしな話ではない。
このような大規模なパーティーの場合、休憩室を兼ねた個室というのは幾つも用意されるのが当然なのだから。
パーティーというのは、貴族達の政治の場でもある。
それだけに、他人に聞かれたくないような話をする場所を用意するという意味もあるし、体調を崩した場合に休む為であったり、場合によっては恋人同士が親密な時をすごす場所という意味もある。
様々な用途に使う為に、個室を用意しておくのはパーティーを主催した者として当然のことだった。
ましてや、ここは貴族派を率いるケレベル公爵の屋敷なのだから、部屋の数に困るということはない。
よって、エレーナはレムリアの言葉にあっさりと頷き、パーティー会場を出ていく。
……もっとも、このパーティー最大の華とも呼べるエレーナが会場から姿を消したのは、パーティーの参加者達に多少なりとも残念な思いを抱かせたのだが。
パーティー会場から少し離れた場所にある個室。
その部屋のソファに座り、レイはレムリアと向かい合っていた。
尚、ブルーイットはその身体の大きさ故に、レイの隣ではなく別のソファに座っている。
レイの隣にはエレーナが座り、紅茶を口に運ぶ。
……尚、この紅茶はエレーナが淹れたものだ。
最初にエレーナが紅茶を淹れると言った時はレムリアもブルーイットも驚いたが、エレーナのお茶をそれなりに飲み慣れているレイは、特に驚くようなこともなく、その行動を受け入れた。
そんな紅茶を一口飲み、レイは口を開く。
「それで、セトの羽根を欲しいという理由は?」
「儂の血縁者に、病気の者がいるのだぞい」
もうレイはレムリアの語尾は気にした様子もなく、その言葉に首を傾げる。
「病気?」
「うむ。かなり珍しい病気で、すぐに命が危険だという訳ではないが、それでも日常生活を送るのにかなり不便なのだぞい」
「それは……厄介だな」
命に別状がある病気であれば、それこそ非常に厄介なのは間違いない。
だが、命に別状がなくても、日常生活を送るのに不便だというのは、レイが口にした通りかなり厄介なのは間違いなかった。
(花粉症とかか)
レイが最初に思いつくのは、それだった。
幸いレイの家族に花粉症を患っている者はいなかったが、それはあくまでもレイの家族だけだ。
レイの知り合いでも、花粉症の者が数人いた。
そのような者達は、毎年春になるとマスクをして少しでも花粉を吸い込まないようにし、ボックスティッシュを持ち歩き、中には専用のゴーグルをしている者すらいた。
しかも、それが一度花粉症になってしまえば毎年なのだ。
花粉症は命に別状はないが、それでも日常生活を送るのに支障があるのは間違いない。
それを見て、多少なりとも知っているからこそレイはレムリアの言葉に同意したのだ。
「分かってるかぞい?」
「ああ。……ただ、それで大体の話は分かった。つまり、セトの羽根を使えば、その病気を治療するなり、軽くするなり出来る訳だ。違うか?」
「違わないぞい」
レイの言葉に、レムリアは即座に頷く。
それを見て、レイはその気持ちが分からないでもなかったが……だからといって、無償でセトの羽根を譲る訳にもいかない。
もしここで無償で譲るような真似をしてしまえば、それを知った者達が、自分も欲しいと言ってくるのは間違いないのだから。
そうである以上、もしセトの羽根を譲るとしても相応の対価を貰う必要があった。
(まぁ、ギルムの厩舎にはセトの羽根ならかなり落ちていてもおかしくはないけど。……ああ、でも新鮮なとか言ってたからそれは無理なのか。具体的にどれくらいのが新鮮なのかが分からないけど。ケレベル公爵邸の厩舎にある羽根とか?)
現在のセトが住居としている厩舎には、当然のように羽根が落ちている筈だった。
それこそ錬金術師がその辺りを知れば、どうにか入手出来ないかと考えてもおかしくはない程に。
「けど、セトの羽根にそういう効果があるというのは、俺にも分からなかったな」
「特殊な病気だからじゃな。グリフォンの羽根じゃから、他にも利用方法は幾らでもあると思うぞい」
「話は分かった。セトが、グリフォンが受け入れるのなら、羽根を渡すのは構わない。ただ、何の代価もなくという風にはいかないけど……どうする?」
レイの言葉に、レムリアは同意するように頷く。
レムリアにしてみれば、レイがこんなに簡単に頷くとは思っていなかったのだ。
それだけに、レイの迷惑になるようなことはしたくない。
「ふむ、そうじゃな。儂に借りを一つ作れるというのはあるが、それ以外には……おう、そうじゃ。宝石はどうじゃぞい?」
「宝石? いや、別に俺は……」
「宝石!?」
宝石を集めるような趣味はない。
そうレイが言おうとした時、それを遮るようにエレーナが叫ぶ。
普段冷静沈着なエレーナが、ここまで驚きを露わにすることは滅多にない。
それだけに、レイは何故? という疑問を抱く。
公爵家令嬢のエレーナにしてみれば、それこそ宝石などというものは今まで幾らでも見てきた筈だし、手に入れようと思えば国宝級といった特別な物ではない限り、どうとでも出来るだろう。
だが、そんなエレーナが、何故ここまで驚いているのか。それが、レイには理解出来なかった。
しかしレイが自分を見ていることに気がついたエレーナは、寧ろ驚いた様子を見せる。
「知らないのか? ……いや、知らなくてもおかしくはないか。レイ、以前エグジルに行った時のことを覚えているか?」
いきなり変わった話題に疑問を抱いたレイだったが、それでもすぐにとあることを思い出す。
それは、エグジルで起こった騒動の中で戦った相手が使っていたマジックアイテム。
いや、正確にはマジックアイテムと呼ぶには、あまりに外道なその品物。
「そうだ。プリが使っていた、宝石に魔法を封じて任意にそれを使うという方法。その技術をフールンダル公爵家は手に入れ、独自に発展させたのだ。当然、生け贄の類を必要としないように、な」
そう、エレーナは告げるのだった。
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