第1842話

 周囲に、緊張した空気が走る。

 ブルーイットがアズエルの言葉に、苛立った視線を向けたのだ。

 元々、護衛も連れずに街中を歩き回るブルーイットは、貴族としては異端だと言ってもいい。

 当然のようにブルーイットのような体格の者が街中を歩いていれば、喧嘩に巻き込まれることも珍しくはない。

 本人にその気はなくても、どうしてもブルーイットの偉そうな、言い換えれば自信に満ちた態度が気にくわないという者もいるし、ブルーイットも喧嘩を売られて断るような性格をしておらず、それどころか自分からトラブルに首を突っ込むのも珍しくはない。

 それだけに、こうしてあからさまに喧嘩を売られるような真似をすれば、即座に買ってしまうのだ。

 ……その辺りも、貴族としては異端とされる理由の一つだろうが。


「なぁ? 何で俺がファンライル伯爵の領地に行くのが駄目なんだよ。別に敵対している派閥って訳じゃねえんだし、それは構わねえだろ?」

「ブルーイット。君も次期伯爵だろう? であれば、そのような人物がもし自分の領地で死ぬようなことになれば、どうなると思う? 少なくても、私なら自分の後継者を殺したかもしれない相手と、仲良くやっていくことは出来ないね」


 貴族というのは、表向きの顔と内心では考えていることが全く逆だというのも、珍しい話ではない。

 だが、それでも自分の後継者を……それも血の繋がった息子を殺した相手と友好的に接することが出来ないというのは、一般的に見て間違いはない。

 そうなる可能性が高い以上、ファンライル伯爵がブルーイットの来訪を嬉しく思わないのは当然だろう。

 いや、ブルーイットが来るのが、普通の村や街といった場所であれば、そこまで問題はない。

 だが、ブルーイットが希望しているのは、モンスターが多く棲息する森の近くにある、冒険者達の多い街。

 そのような場所では、当然普通の村や街よりもトラブルに遭う可能性は高いし、そのトラブルの質もまた普通の村や街のトラブルよりも危険なのは間違いない。

 アズエルの言葉は、そのような意味を含んでの言葉だった。

 それを聞いたブルーイットは、少しだけ考え……やがて、大きく息を吐く。


「ちっ、わーったよ。俺だって別に誰にでも喧嘩を売りたい訳じゃねえからな。俺の発言が軽率だった」


 へぇ、と。

 それを見ていたレイは、ブルーイットの評価を一段上げる。

 貴族であっても……いや、貴族だからこそか、普通であれば、自分の失敗を正直に認めるといった真似は面子も関係してなかなか出来ない。

 だが、ブルーイットはあっさりとそれを行ったのだ。

 純粋に貴族としての判断であれば問題があるのかもしれないが、少なくてもレイから見たブルーイットの態度は好意的に受け止めるに十分なものだった。

 レイのブルーイットに対する評価は元々高いのだが、そこから更に一段階評価を上げた形だ。

 アズエルも、ブルーイットの言葉には少し驚いた様子を見せたものの、やがて納得したことに笑みを浮かべて頷く。


「分かって貰えたようで嬉しいよ。貴族派の中に不要な諍いを持ち込んで欲しくはないからね」

「ああ、いつものように考えていた俺が軽率だった。……にしても、そういう意味ではエレーナ様が羨ましいよな」

「うん? 私か?」


 今のやり取りには特に口を出さずに見守っていたエレーナが、ブルーイットの言葉に首を傾げる。

 そんな動きだけで、パーティー会場を照らすマジックアイテムの光に黄金の髪が煌めいてブルーイットの、そして他の者達の視線も集める。

 それでもすぐに我に返ることが出来たのは、今まで何度かパーティーでエレーナを見たことがあったからだろう。

 もっとも、今日のエレーナはレイがいる影響もあってか、今までと比べても一際輝いているのだが。


「あ、ああ。エレーナ様は俺と同じ……いや、貴族派にとっては俺よりも重要だろ? なのに、俺と違って好きな場所にいけるんだし」

「ふむ。そう言われればそうだな。だが、それはあくまでも姫将軍などというご大層な異名があるからにすぎない。もしブルーイットが私と同じような立場に立ちたいのであれば、それこそ戦場で活躍するなりなんなりして、異名持ちにでもなる必要があるな」

「……その戦場ってのが、もうないんだけどな」


 数年前までであれば、それこそ頻繁にベスティア帝国との戦争が行われていた。

 勿論それは、小競り合いと呼ぶべき規模の戦いの方が多かったが、数年前に行われた大規模な戦争において、ベスティア帝国は大きな被害を受けた。

 その後、ベスティア帝国では内乱もあって、最終的に現在ベスティア帝国で主導権を握っているのは親ミレアーナ王国派とでも呼ぶべき者達だ。

 もっとも、それは本当にミレアーナ王国に対して親しみを感じているという訳ではなく、敬愛する自分の姉がミレアーナ王国にいるレイの下にいるから、というのが大きいのだが。


(まぁ、皇子の方はともかく、あの皇帝が大人しくミレアーナ王国と友好的に接してるってのが、ちょっと意外だけどな)


 ブルーイットの言葉に、レイは以前会ったベスティア帝国皇帝の姿を思い出す。

 覇気溢れるといった性格をしているのは、それこそ見れば理解出来た。

 そんな人物が、例え自分の後継者の意思であっても、ミレアーナ王国への戦争を控えるようになった、と。

 ベスティア帝国はミレアーナ王国に並ぶだけの大国だが、大きな弱点として海に接していないという点がある。

 だからこそ、これまでずっとミレアーナ王国が有している港を得ようとして、延々と戦争を仕掛け続けていたのだ。

 それを思えば、あの皇帝が大人しく引き下がっているのはレイにも信じがたいことだった。


「異名を得るのなら、ベスティア帝国との戦争以外にも、大規模な盗賊の討伐、モンスターの暴走に立ち向かう、もしくは強いと言われている相手に模擬戦で挑んで勝ち続ける……といった真似もあるぞい?」


 そう言い、再び誰かがレイ達の会話に割り込んでくる。

 声のした方に視線を向けると、そこには一人の老婆の姿があった。

 当然のように、レイはその老婆が誰なのかを知らない……訳ではなく、珍しいことにこの老婆が誰なのかを知っていた。

 何故なら、この老婆は貴族派の中でも大きな影響力を持っている人物の一人なのだから。

 この辺り、付け焼き刃とはいえミランダから重要な貴族の何人かについて教えられた甲斐があったのだろう。

 もっとも、写真やビデオカメラといった代物がないこの世界だ。

 いや、マジックアイテムではその手の物もあるのかもしれないが、残念ながら貧乏男爵家の、それも嫡子という訳でもないミランダにそのような物が用意出来る筈もないので、特徴的な人物――それこそ老婆という珍しい人物――でもなければ、すぐにそれが誰なのかは分からなかったが。

 セイソール侯爵家当主のザスカルについてレイが顔を合わせた時にすぐ分からなかったのも、それが理由だ。

 何より、その特徴的な語尾は間違えようもない。


「フールンダル公爵ですよね。俺は冒険者のレイです。よろしく」

「ふぉふぉふぉ。聞いていた話より、随分と礼儀正しいようじゃの。儂はフールンダル公爵家当主の、レムリアじゃ。よろしく頼むぞい」


 レムリアは、愉快そうに笑みを浮かべてそう告げてくる。

 フールンダル公爵。

 それは、貴族派の中でも特に強い影響力を持っている貴族の名だ。

 そもそも、ミレアーナ王国において貴族の中で最高の爵位が公爵であり、唯一の例外たる国王以外では誰も命令出来ない立場にある。

 ……実際にはそう簡単な話でもないのだが、それでもミレアーナ王国内の頂点付近にいるということは変わらない。

 そのような地位にいて、何よりもレムリアが特徴的なのは、七十代、もしくは八十代といった年齢にも関わらず、未だにフールンダル公爵家の当主を務めていることだ。

 当主の仕事というのはかなり忙しく、それこそ五十代……場合によってはそれよりも前に後継者に爵位を譲るというのが一般的だ。

 だが、フールンダル公爵家は老婆のレムリアが未だに当主を務めていた。


(家の方で色々と揉めて、結果として未だにこの婆さん、レムリアが当主を務めているって話だったけど……今更ながらに、一体どんな騒動があったのかちょっと気になるな)


 ミランダからその辺の事情は聞いていたのだが、具体的にどのような理由で揉めたのかといった話は聞いていない。

 他にも色々と覚えることがあり……何より、貴族に対してはあまり興味が抱けず、その辺は右から左に聞き流していた為だ。


「それにしても……ちと、血の気が多すぎやしないかい?」


 ブルーイットを見るレムリアの視線には、強い呆れの色がある。

 長年貴族として生きてきたレムリアにとっては、ブルーイットが言っていた戦いが起きることを望むような言葉には眉を顰めてしまうのだ。

 視線を向けられたブルーイットも、アズエルに言われた時のように反射的に喧嘩を売るといった訳にはいかず、頭を掻いて誤魔化す。

 レムリアという人物は、公爵家という爵位もそうだが、やはり何よりもその年齢が問題だった。

 ここでブルーイットがレムリアに掴みかかるような真似をしたら、それこそ下手をすればそれだけで死んでしまいかねない。

 基本的には血の気の多いブルーイットだったが、だからといって老婆を殺すような真似をしたいとは、到底思えなかった。


「いや、でもよ。やっぱり異名持ちとかそういうのには憧れるだろ? 貴族とかそういうのは全く関係なくよ。それに異名持ちになれば、一人で出歩いても文句は言われないだろうし」

「……そうだね。それは間違いない。けどね、その異名を得られる者がどれだけ少ないか……お主は知っておるのかぞい?」


 語尾が若干気になるレイだったが、レムリアの言っていることは決して間違っている訳ではない。

 異名持ちになりたいと希望する者は、それこそ幾らでも存在するだろう。

 特に冒険者になったばかりの者であれば、殆どの者がいずれは自分も異名持ちになりたいと考える筈だ。

 だが、そんな中で異名持ちになることが出来るのは、ほんの一握り。

 いや、一握りよりも更に少ない人数だろう。

 異名持ちを希望していた者が全員死ぬという訳ではないだろうが、それでも異名持ちになりたいが為に無理や無茶をして死んでしまうという者は、少なからず出ている。

 レムリアとしては、ブルーイットにそんな風に死んで欲しくないという思いがあったのだろう。

 だが、血気盛んな若者程、自分は大丈夫だと思い込んでしまう。

 今のブルーイットもまた、そんなレムリアの気持ちを理解出来なかった。

 もっとも、だからと言ってそれを問答無用で却下するような真似をするのは、失礼であると理解しているのだろう。

 何とか誤魔化しながら、口を開く。


「あー、その、何だ。取りあえず無理をするつもりはないから、安心してくれ。それに、俺は結構腕に自信があるしな」

「ふぉふぉふぉ。それは儂も噂で聞いておるよ。じゃが、無理をして死んでしまっては意味がないぞい?」

「そうだな、出来るだけ気をつけるよ」


 そう告げるブルーイットだったが、本当の意味で気をつけるかどうかは、微妙なところだろうとレイには思える。

 その場を誤魔化す為の、そんな言葉だろうと。

 もっとも、だからといってレイはブルーイットを責めたりするつもりはない。

 ブルーイットはいちいちレイが面倒をみなければならないような人物ではないのだから。

 既に自分の判断で行動している以上、もし何かあっても、それは自己責任ということになる。

 ……もっとも、レイが見てもブルーイットは相応の強さを持っているのは分かるので、そう何かがあるとは思えないのだが。


(それに、もし何かがあったら、恐らく俺はブルーイットを助けるだろうし)


 レイにとって、ブルーイットは貴族としては珍しく気に入っている相手だ。

 だからこそ、もしブルーイットが助けを求めてくれば、それを助けるだろう。

 もっとも、ブルーイットはプライドも高い。そう簡単にレイに助けを求めるようなことはしないだろうし、もし助けを求めるのであれば、それは本当にどうしようもない時だけになるのだろうが。


「そうじゃな、気をつけることじゃぞい?」


 ブルーイットが納得したとレムリアが判断したのかどうか、それはレイにも分からなかったが、取りあえず気をつけるとブルーイットが言ったことで、レムリアはそれ以上何か言う様子はない。


「さて、それでじゃ。儂がこうしてお主達に話し掛けたのは……そこの坊主の件もあるが、それ以上にお主に少し頼みがあるからなんじゃぞい」


 そう言って、レムリアの視線が向けられたのは……案の定、レイだった。

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