第1839話
「ふぅ……微妙に緊張するな」
「ふふっ、そうか? レイのことだから、このようなことには慣れていてもおかしくはないと思うのだが」
レイの口から出た呟きを聞いたエレーナが、その腕を取りながら笑みを浮かべて告げる。
既に時刻は夜。
ケレベル公爵が主催する、新年のパーティーに参加する為に、多くの参加者達が既にパーティー会場の大ホールに集まっている筈だった。
ケレベル公爵夫妻やエレーナがまだパーティーに参加していないので、実際にはまだパーティーは始まっていない。
だが、それでも多くの者が集まっている以上は、当然のように様々な話がされているはずだった。
そんな中で、レイはエレーナをエスコートをする役目を持っているので、こうして控え室にいる。
日中は結局ブルーイットと話をしてすごし、そうして夕方近くになり、ブルーイットも色々とやるべきことをやらなければならないと、非常に面倒臭そうにしながらも去り、残ったのはレイ。
ミランダから薦められた図書館で少し暇を潰し、そうしてそろそろ時間になったので、こうしてエレーナのいる控え室にやって来たのだ。
なお、エレーナの両親たるリベルテとアルカディアの二人の控え室は、エレーナと違う部屋となっている。
この辺りは、アルカディアが気を利かせたのだろう。
エレーナとレイのいる場所に、その両親がいればゆっくり出来ないだろうと。
もっとも、夕食を一緒に食べているのだから、レイの中にはもうそこまで緊張の類は存在しないのだが。
寧ろこの場合、レイはエレーナをエスコートするという役目で緊張していた。
「そう言われてもな。まず確実にエレーナは会場の視線を独り占めにするだろ? で、そこに俺がいるとなれば……間違いなく俺も注目される訳だ」
そう言い、レイは改めて自分と腕を組んでいるエレーナに視線を向ける。
密着している状態から横を見ているので、当然のようにエレーナの全体を見ることは出来ない。
だが、パーティードレスを着ていても……いや着ているからこそ分かる、豊かな双丘。
それは、間近にあるからこそ圧倒的な迫力を持ってレイに自己主張をしてくる。
エレーナを見慣れているレイでもこれなのだから、もし滅多にエレーナと接する機会のない者であれば、一体どうなるのか。
それは、考える必要すらないだろう。
「レイにそう言って貰えるとは、嬉しいな」
レイの褒め言葉に、エレーナは本当に……それこそ心の底から嬉しそうな笑みを浮かべ……その笑みを遮るかのように、部屋にノックの音が響く。
「失礼します。お嬢様、レイ様。そろそろ時間ですのでパーティー会場の方へどうぞ」
そう言ってきたのは、メイドだった。
ただし、レイの担当たるミランダではなく、レイも初めて見る相手だ。
四十代から五十代の、いかにもベテランといった様子のメイド。
そんなメイドの姿に、エレーナはレイに褒められた時とはまた違う種類の、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ジャラナ、戻ってきていたのか。てっきり、今日は忙しいから来ないかと思っていたぞ」
「ほほほ。お嬢様のお披露目ですもの。少し無理をして戻ってきましたよ」
お嬢様のお披露目という言葉で、エレーナの白い頬が薄らと赤く染まる。
ジャラナというメイドの言ってる意味を理解した為だ。
基本的には滅多にパーティーに出ないエレーナだったが、それでも全てのパーティーに参加していないという訳ではない。
今日行われる新年のパーティーもそうだが、どうしても幾つか出なければならないパーティーはある。
だからこそ、本来ならお披露目という言葉は相応しくないのだが……そこに、レイが一緒にいるとなると、話は変わってくる。
それはつまり、エレーナの相手としてレイという存在がいると、知らしめるということなのだから。
暗にレイとの関係について言われたからこそ、エレーナの頬は赤く染まったのだ。
まだパーティー会場に行く前、それどころか控え室で腕を組んでいる時点で、言い訳のしようもなかったのだが。
「さ、お嬢様。そろそろ出番ですからどうぞ。……レイ様、お嬢様をお願いします」
「ああ、分かってる」
真っ直ぐに自分を……異名持ちの自分を見てくるジャラナに、レイは頷く。
レイについての噂の数々を知らず、その異名についてもしらない者であれば、そうした真似をしても珍しくはない。
だが、ケレベル公爵邸で働いているジャラナが、その辺りの事情を知らない筈もなかった。
それでも真っ直ぐに、恐れることなくレイの目を見てくるのだから、その度胸はその辺の冒険者よりも明らかに上だった。
「じゃあ……行くか」
「うむ」
腕を組んだ状態でレイが尋ねると、エレーナは短く、だが自分に気合いを入れるようにして小さく頷く。
そうして、レイとエレーナは部屋を出て歩き出す。
向かうのは、当然パーティー会場。
お互いにパーティーに相応しい服装をしており、見る者が見れば、最高の組み合わせだと思えるような、そんな姿。
……もっとも、レイとエレーナではエレーナの方が背が高いので、見栄えという点では誰にとっても理想の恋人同士とはいかないのだが。
それでも二人は、お互いの背の高さといったものは特に気にした様子もなく、腕を組みながら廊下を歩く。
最初は周囲に全く人がいなかったが、パーティー会場となる場所に近づくにつれ、廊下で話している貴族も増えてくる。
そのような貴族達は、当然のようにエレーナの姿を目にすると目を奪われて動けなくなり、そして我に返ってから初めてその隣にレイの姿があることに気がつく。
当然のように、ここにいる貴族達はレイが誰なのかというのを知ってはいるのだが……その者達が知っているのは、あくまでもドラゴンローブを着ている、冒険者のレイだ。
それだけに、最初はエレーナと一緒にいるのがレイであるとは思わなかった。
「な、なぁ。おい。エレーナ様と一緒にいた男……誰なのか分かるか? 俺はちょっと見たことがない奴だったんだけど」
「あ、ああ。俺もはあんな奴は初めて見た。一体、誰なんだ?」
「多分……本当に多分だけど、あれって深紅のレイだと思う」
「え? あの、異名持ちの冒険者か? あ、でも言われてみれば背の高さは同じくらいだったような気がするし、顔つきも……」
近くでその様子を見ていた者達がそんな風に口にするが、レイとエレーナは特に気にした様子もなく、廊下を進む。
もっとも……
「何だよあれ。エレーナ様との釣り合いってのを考えられないのかね。これだから下賤の者は」
「見ろよ、あれ。エレーナ様の方が背が高いんだぜ? 普通なら、恥ずかしくてエレーナ様とこういう場所に出てこられる筈がないだろうに。一体、何を考えてるんだ?」
「さてな。大体、ああいう連中は身の程知らずの夢を見るのが一般的だからな」
最初にレイ達を見て、純粋に驚きを感じた……という者だけではなく、悪意を感じさせる言葉を交わす者も多いのだが。
その上、微かにレイに聞こえるような大きさで言ってるのが、尚更質が悪い。
実際にはレイは五感が鋭いので、そのような真似をしなくても普通に聞こえているのだが。
それが醜い嫉妬だというのは、レイも分かっている。
自分ではどうしても辿り着けない場所にいるレイが妬ましく、恨めしいのだと。
それが分かっていても、そのような相手からの嫉妬は面白くなく……
「気にするな、レイ。あのような者共は、人を妬むことしか出来ん。自分では何の努力もしておらず、それでいて嫉妬心だけは旺盛な、哀れな無能なのだから」
レイに向かって、エレーナがそう告げる。
それも、レイだけに聞こえるような声……ではなく、レイに向かって悪意を振りまいていた男達に聞こえるような、そんな大きさで。
当然のように、レイに向かって嫌味を言っていた貴族達にもその声は聞こえ、不満は抱くが今の状況では何も言えなくなる。
実際、この貴族達は特に何かに秀でて優秀といった訳ではないのだから。
何人か廊下にいた、他の貴族達に視線を向けられ、その貴族達はその場にいられなくなって、去っていく。
「全く」
そう言いながらも、エレーナの口元には満足そうな笑みが浮かぶ。
自分の想い人が悪く言われれば腹が立つのは当然で、そんな相手を言い負かしたのだから、気分が良くなるのは当然だろう。
「では、行こうか。パーティー会場では、私達を大勢の人が待ってるだろうからな」
「そうだといいんだけどな。今の様子を見る限りでは、待ってるのは俺じゃなくてエレーナだけって感じがしないでもないけど」
「私はレイと一緒に今日のパーティーに参加するのを、楽しみにしていたぞ?」
そう言い、レイの腕を抱いている手に力を込める。
そうなれば、当然のようにエレーナの豊かな双丘がレイの腕で歪むことになり、もし誰かが今の光景を見ていれば、間違いなく目を大きく見開いたことだろう。
それこそ、男女関係なく今の光景に目を奪われるのは確実だった筈だ。
とはいえ、幸い――もしくは不幸なことに――今の光景を見ている者は、レイとエレーナの二人だけでしかない。
他の者は、先程のエレーナの口撃の的にはなりたくないと……そしてエレーナが来た以上、本格的にパーティーが始まると判断して、既にパーティー会場へ足早に去っている。
結果として、それは誰にとっても最善だったのだろう。
もし今の光景を見ていれば、パーティーの開始に間に合わなかった可能性が高いのだから。
「ん、こほん」
エレーナも、自分の行動に薄らと頬を赤く染めながら、それでもレイの腕を放すような真似はせずに廊下を進む。
そうしてパーティー会場が近くなってくれば、当然のようにそこに集まっている貴族の姿も多くなってくる。
何人もから好奇心、嫉妬、好意……色々な視線を向けられながら、レイとエレーナはようやくパーティー会場に到着する。
そうしてパーティー会場に入ると、瞬間的にそこにいる貴族達がざわめく。
レイとエレーナよりも先にパーティー会場にやって来た貴族達から、話は聞いていた。聞いていたのだが……多くの者が、やはりレイとエレーナを見て驚く。
エレーナが他に類を見ない美女であるというのは、貴族派の者であれば当然のように知っている。
だがそれを知った上で、こうしてエレーナを見た者は、目を奪われてしまう。
エレーナを知っている者であっても、改めてエレーナを見ればその美貌がいつもと違うというのが理解出来た。
そして、決定的なまでにいつもと違う最大の理由は……
「あれが、深紅のレイか。……こうして見る限りでは、噂されているような奴には見えないな」
「いやいや、今はそうは見えませんが、この前の模擬戦ではもの凄かったですよ。たった一人で、何十人もの相手を倒したのですから。それこそ、深紅の異名に偽りなしといったところです」
貴族の一人が、レイの様子を見てその姿に疑問を抱くが、その近くにいた貴族は自分が見た模擬戦についての話をする。
珍しいことに……それこそ本当に珍しいことに、その貴族はレイに対してかなり好意的な様子で説明していた。
レイに好意的な貴族というのは珍しく、周囲で話を聞いていた何人もがそんな貴族の説明に耳を傾ける。
レイに思うところのある者は、そんな貴族の話を忌々しげな表情で聞いていたが。
とはいえ、レイがどれだけの力を持っているのかを模擬戦で示した以上、迂闊に手出しをすることは出来ない。
ましてや、そんなのは関係ないと迂闊に手出しをした場合、貴族派から除名されたカセレス伯爵の二の舞になってしまうのだから。
(うわ、見られてる)
エレーナと共にパーティー会場に入ったレイは、しみじみとそう思う。
元々、他人に見られるというのはそう珍しい話ではないし、慣れてもいる。
だが……ここは貴族派の本拠地たるアネシスで、このパーティーに集まっている者の多くも貴族派の貴族だ。
そうである以上、当然のようにレイが見られるのはいつもと違うことになる。
いつもであれば、それこそレイを見る者は多いが、今日は言ってみればエレーナの添え物とでも呼ぶべき感じで見られている。
そのことが微妙に慣れず、何とも言いがたい気分になってしまう。
「行くぞ、レイ。父上と母上が待っている」
「ん? ああ、分かった」
エレーナの視線を追うと、その先では貴族と話している様子がレイにも見えた。
このパーティーの主催者たるリベルテとアルカディアだけに、貴族と話をすることも多いのだろう。
レイとエレーナは、そんな二人に向かって近づいていく。
すると当然のように周囲の視線もそんな二人を追い、貴族と話しているリベルテとアルカディアもまた、レイとエレーナの存在に気がつく。
そんな二人の前に到着すると、エレーナは笑みを浮かべて口を開く。
「父上、母上、遅くなりました」
「こういうパーティーには慣れなくて、少しエレーナと話をしていたら遅れてしまいました」
エレーナとレイの二人は、リベルテとアルカディアにそう声を掛けるのだった。
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