第1840話

 娘とその想い人からの挨拶に、リベルテはにこやかな笑みを浮かべる。


「うむ、気にするな。遅れたとは言っても、まだパーティーが始まる前だからな。……うむ。それにしても、エレーナもレイも二人とも似合っておるな」


 満足そうにリベルテがそう言うと、その隣でレイとエレーナ……特にエレーナの方を見ていたアルカディアも、満足そうな笑みを浮かべる。


「エレーナはこういう場にはあまり出てこないけど、やはりもっとこういうパーティーには顔を出した方がいいと思うわよ? ねぇ?」


 夫にそう尋ねるアルカディアの姿は、一見すれば普通の貴族の妻といった風にしか見えない。

 勿論エレーナを産んだだけあって、その美貌は一際目を惹くようなものではあるが。

 だが、そんなアルカディアの態度が表向き……いや、正確には裏という訳でもなく、初めてレイと会った時の態度もまたアルカディアの顔の一つなのだろうが。

 ともあれ、アルカディアがそんな性格を持っているというのを知ってる者がどれだけいるのか。

 ふと、今のアルカディアを……普通の母親のように娘の着飾った姿を喜んでいるアルカディアを見て、レイはそんなことを思う。

 そんなレイの視線に気がついたのか、一瞬、ほんの一瞬だけ、アルカディアは以前見た時と同じ視線をレイに向ける。

 その視線に背中が冷たくなったレイだったが、すぐいつものアルカディアに戻ったこともあり、特に動揺したりせずにすんだ。……もっとも、リベルテはそんな妻のお茶目に付き合わされたレイに、哀れみの視線を向けていたのだが。


「ケレベル公爵、この者が話に出ていた……?」

「うむ。お主も名前くらいは聞いたことがあるだろう。深紅のレイだ」


 リベルテと話していた男が、レイの方を見ながら納得したように頷く。

 その男は、リベルテ程ではないにしろ、どことなく迫力がある。


「そうか、君が。……セイソール侯爵家当主の、ザスカル・セイソールだ」

「……セイソール侯爵家?」


 笑みを浮かべてそう言ってきた男の顔を、レイは凝視する。

 年齢は四十代くらいと、リベルテとそう変わらないくらいだろう。

 とはいえ、リベルテは実際には外見以上の年齢なのだが。

 ともあれ、レイは今はリベルテではなく目の前の男に意識を集中する。

 セイソール侯爵家当主、ザスカル・セイソール。

 それはつまり、黒狼を雇ったと思われるガイスカの父親ということになるのだ。

 ザスカルも当然レイのことは知っているのだろうが、少なくてもレイの眼から見て何かを知っているようには思えない。


「うむ、セイソール侯爵家の当主だ。ああ、君とは息子が仲良くして貰ってるようだな。ああ見えて色々と短絡的な性格をしている。迷惑を掛けてはいないか?」

「それは……」


 黒狼のことか。

 そう言おうとしたレイだったが、それを制するように再度ザスカルが口を開く。


「とはいえ、多少やんちゃがすぎたようでね。残念だが、ガイスカは謹慎中だ」


 ガイスカが黒狼を雇ったことをザスカルが知ってるかどうかは、レイには分からなかった。

 だが、ガイスカがレイに対して何らかの良からぬことを考え、それを実行してきたのを知ってるのは間違いないと思ってもいい。

 少なくても、レイの眼からはザスカルがそのように見えた。


(これで、もし本当に黒狼を雇っていることを知った上でこういう行動を取っているのなら、図太いというか……貴族派の中で強い影響力を持っているだけのことはあるんだろうな)


 しみじみとそう思うも、向こうが惚けている状況でそれを口にする訳にもいかないだろう。

 そもそも、ガイスカが黒狼を雇ったというのはあくまでも状況証拠にすぎない。

 黒狼がガイスカに雇われたと口にした訳でもないし、ガイスカの口から黒狼を雇ったという風に聞かされた訳でもない。

 そのような状況でガイスカが黒狼を雇ったとレイがこの場で口にしても、それは難癖をつけていると思われかねなかった。

 もっとも、エレーナと腕を組んでいるレイの様子を見れば、ここでそのように騒げば姫将軍の異名を持つエレーナや、ケレベル公爵夫妻すら敵に回す可能性がある。

 セイソール侯爵家の当主たる者が、そのような真似を出来る筈もない。


「やんちゃを、ですか。……このまま、そのやんちゃが妙な方向に向かわなければ、俺としては助かるんですけどね」


 半ば挑発の意味を込めた言葉だったが、海千山千といった貴族達とやり合ってきたザスカルにしてみれば、レイのそんな態度はまともに相手をする必要もないものだ。

 ザスカルは、笑みを浮かべて頷いてみせる。


「そうだな。私は息子を多少自由にしすぎたようだ。レイに迷惑を掛けたことを思えば、これからはもう少し厳しく教育していく必要があるだろう。もうレイがガイスカと会うことはないと思うが、今回の一件はしっかりと覚えておくよ」


 へぇ、と。

 レイは少しだけ驚く。

 ザスカルの口から出た言葉は明確な表現ではないものの、ガイスカが悪かったという非を認めたのも同様だったからだ。

 ガイスカの父親であるのなら、ガイスカを庇って徹底的に自分と敵対するのではないかと、そう思っていたのだ。

 にも関わらず、こうしてあっさりとガイスカの非を認めるというのは、正直なところまさか、という思いの方が強い。

 だが、そんなレイの隣で話を聞いていたエレーナは、寧ろ納得したように頷く。

 セイソール侯爵家の当主として、ザスカルは貴族派の中でも厳然たる影響力を持っている。

 貴族派そのものを率いているリベルテには及ばないにしろ、ザスカルは貴族派の中でも五本の指に入るくらいの影響力を持っている。

 そんなザスカルが、無能な筈はない。

 ……ガイスカという子供の教育には失敗していたが、それでも侯爵家当主としては間違いなく有能なのだ。

 それだけに、今の状況でレイと敵対するのがどのような意味を持つのか、それはしっかりと知っている。

 だからこその、遠回しに手打ちを要求してきたのだ。


「レイ」


 言いながら、エレーナは抱いているレイの右腕に軽く力を入れる。

 そんなエレーナの行為でレイは驚きから覚め、口を開く。


「俺に余計な仕事がなければ、それで構いませんよ。……ただ、誰の手の者かは分かりませんが、現在進行形で妙な相手に狙われているんですが?」

「……ガイスカに聞いてみよう」


 現在進行形で狙われているとレイの口から出た瞬間、ザスカルは少しだけ驚きの表情を浮かべていた。

 ガイスカが、金を集めているのは知っていた。だが、デオトレスからの話によれば、結局暗殺者を雇う為の金はまだ完全に用意出来ていないと報告されている。

 にも関わらず、既にレイが誰かに襲われているというのは明らかにおかしい。


(デオトレスが何か見落としていたのか? もしくは、レイを狙う者がガイスカ以外にもいたのか)


 頭の中で素早くそう考え、特に後者はその可能性が高そうだと判断する。

 事実、ザスカルが集めた情報によれば、つい昨日セトを襲うなどといった馬鹿な真似をした者がいたのだから。

 グリフォンなどという高ランクモンスターを、何故三人で襲ってどうにか出来ると考えたのか。

 カセレス伯爵は領地を弾圧するといった真似をして税を搾り取っていたが、それでも決して無能という訳ではなかった。

 ……もっとも、本当に有能であれば領民を弾圧するかのような厳しい税の徴収をして、いつ反乱が起きてもおかしくないような状態にはしないだろうが。


(もしくは、従魔だからこそ決して人に危害を加えずにいると、そう勘違いしたのかもしれんがな)


 それだけでザスカルはカセレス伯爵についての考えを切り捨て、目の前にいる相手との会話に専念する。

 レイとエレーナの関係を見る限り、ケレベル公爵家とレイの関係そのものも良好だと思っていい。

 つまり、ガイスカのせいでセイソール侯爵家がレイに敵視されるのは、可能な限り避けたかった。


「それにしても、こうして見るとエレーナ殿とレイはお似合いですな」

「そう言って貰えると、私も頑張って化粧などをした甲斐があるというものだ」

「あのエレーナ殿が……なぁ。勿論、エレーナ殿がそういう思いを抱くのは悪いことではないが、それでも今まで男に興味を示さなかったエレーナ殿がこうしてレイと一緒にいるのを見ていると、新鮮な気分だ」


 しみじみと告げるその様子には、エレーナを貶すような意図はない。

 それどころか、エレーナが男に興味を持ったのを、心の底から喜んでいるように思えた。

 ……ガイスカに、以前出来ればエレーナと近づけと指示したことなど、まるでないかのように。

 そうして笑みを浮かべつつ、次にザスカルの視線はレイに向けられる。

 先程までレイと話をしていたのだが、改めてその姿を確認し……


「なるほど、深紅のレイの心を射止めるとは。エレーナ殿は男に興味がなかった訳ではなく、純粋に男を見る目が厳しかったと、そういうことなのだろうな。そしてエレーナ殿の目に適ったのがレイか」


 じっとレイを見ていたザスカルは、次の瞬間には笑みを浮かべる。


「いや、ケレベル公爵も未来が明るいですな」

「そう言って貰えると、こちらとしても助かる。これから貴族派を運営していく上で、セイソール侯爵家の力は必要不可欠なものだからな」

「こちらこそ、そう言って貰えると嬉しいですな」


 にこやかに言葉を交わすリベルテとザスカルの二人だったが、レイが見てもその言葉の裏では様々な駆け引きの類が行われているのが分かった。

 とはいえ、レイはそちらにはあまり興味がなかったのだが。

 そもそもの話、レイは別に貴族派に所属した訳でもなければ、貴族という訳でもない。

 そうである以上、多くの貴族派が集まるこのパーティーでどのような駆け引きが行われていようと、問題はなかった。

 その駆け引きの結果、自分やその仲間達が被害を受けるようなことにでもなれば、話は別だったろうが。


「旦那様、そろそろお時間です。パーティーに参加する方々も揃っていますし」


 ザスカルと話していたリベルテに、執事が近寄るとそう告げる。

 どこかで見たことがある執事なような……? と一瞬疑問に思ったレイだったが、すぐに思い出す。

 昨日行われた、使用人の為の慰労パーティーにおいて、リベルテと一緒の席について食事をしていた人物だと。


「うむ。ではそろそろ始めるとしようか。皆にグラスを」


 執事にそう指示を出すと、リベルテは近くにいたメイドから自分の分のグラスを受け取り、パーティー会場の中でも一段上になっている舞台に上がる。

 恐らく何らかの催し物がある場合に使われる舞台なのだろうことは、レイにも予想出来た。

 その舞台の上で、リベルテは周囲を一瞥する。

 特に何か大袈裟な行動をした訳ではないのだが、それだけで不思議とパーティー会場にいた者達の視線がリベルテに集まる。

 このパーティー会場にいるのは、ほぼ全てが貴族だ。

 それだけにプライドが高いのだが……それでも、リベルテの様子に不満を抱く者はいない。

 いや、もしかしたらリベルテに不満を抱いている者はいるのかもしれないが、それを表情に出すような真似をしている者はいなかった。


(こういう実力も、リベルテの持つ力の一つなんだろうな)


 ある意味、レイが持っているような直接的な武力より、リベルテが持つこの力は効果的だった。

 少なくても、今この場においては確実に。

 

「今年も、皆が集まってくれて非常に嬉しく思う。何人かは代替わりをしたのか、見慣れない顔になっているようだが……それでも、貴族派としてしっかりとした行いをして欲しい。何をやるにしても、貴族派として相応しくない行いはしないように」


 そう告げるリベルテが何について言っているのか。それは、この場にいる貴族達であれば理解しているだろう。

 ケレベル公爵家に客人として扱われているレイ。その従魔のセトを己の物にしようとしてケレベル公爵家に侵入させるような真似をした、カセレス伯爵。

 この場にいる者達は、当然のようにカセレス伯爵が貴族派を追放されたというのを知っている。

 リベルテがその件について言っているのは、間違いなかった。


「今年も一年、皆が健やかにすごし、己の領地を発展させ、貴族派として相応しい行いをすることを期待する」


 舞台に近い場所にいるレイは気がついていなかったが、リベルテの言葉はパーティー会場にいる全ての者にしっかりと聞こえていた。

 それは、リベルテが立っている舞台に仕込まれたマジックアイテムの効果だ。

 もっとも、持ち運び出来るような大きさでもない、かなり大掛かりなマジックアイテムである以上、実戦で使えるマジックアイテムを欲するレイが欲しがるかどうかは微妙なところだったが。


「乾杯!」


 そう告げ、リベルテは持っていたワイングラスを高く掲げるのだった。

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