第1838話

 ブルーイットと遭遇したレイは、図書館に行くという予定を止めてブルーイットとお茶でもすることにした。

 正確には、お茶という名の軽い食事会とでも呼ぶべきものだ。

 普通であれば、もう数時間もすればパーティーが開かれるのだから、そこでの食事に備えて事前に食事はあまりしないのが一般的だ。

 だが、レイとブルーイットにはそんな常識は関係なく、ミランダに用意して貰ったサンドイッチや、レイのミスティリングの中に入っている幾つかの料理を味わっていた。


「このスープ、美味いな。アネシスで買ったやつか?」

「いや、ギルムだな」

「……そうか」


 オークの肉や野菜がたっぷりと入ったスープを食べながら、レイはブルーイットの質問を否定する。

 ブルーイットにしてみれば、もしアネシスでこのスープが食えるのなら店に行ってみたいと、そう思っていたのだろう。

 だが、生憎とそのスープはレイがギルムにある食堂で購入したものである以上、ブルーイットがそれを十分に味わうことは出来ない。


(ギルムに来れば、話は別だけど)


 そんな風に思いつつも、レイはブルーイットとの会話を続ける。


「そう言えば、今日集まってくる貴族の中には、元冒険者を仕官させて護衛にしている奴もいるんだけど、知ってるか?」

「俺に貴族のことを聞くのが、そもそも間違ってると思わないか?」

「……そうか? まぁ、言われてみればそうかもしれないな」


 少しだけレイの言葉に考えたブルーイットだったが、すぐにレイの言葉が正しいと納得する。


「ともあれ、そういう奴がいるんだよ」

「ふーん。で、それを聞いて、俺にどうしろと? 正直なところ、その冒険者と俺が知り合いでもなければ、会っても何か意味があるとは思わないけどな」

「そうなのか? 同じ冒険者なんだろ?」

「なら聞くけど、ブルーイットは全ての貴族に対して親近感を持ってるのか?」


 そう言われたブルーイットは、言葉に詰まる。

 元々ブルーイットは貴族という点だけで考えれば、規格外の存在と言ってもいい。

 それだけに、レイが言ったように他の貴族に対して親近感を覚えるのかと言われれば、素直にそれに頷くようなことは出来ない。


「俺が悪かった」


 だからこそ、こうしてブルーイットは素直に謝る。


「いや、別にそこまでしっかりと謝られるようなことでもないけどな。それに、もしかしたらその冒険者は俺の知り合いって可能性も否定は出来ないし」


 何だかんだと、レイがこのエルジィンという世界にやって来てから、随分と多くの冒険者と関わっている。

 そのような相手が、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、貴族に仕えることになっているという可能性は決して否定出来ない。

 もっとも、エルジィンにおける……いや、ミレアーナ王国における冒険者の数を考えれば、そう偶然にも顔見知りと遭遇するということはないだろうが。


「それで、他に何か話題はないのか?」

「そう言われてもな。俺も貴族とかの関係にはそんなに詳しい訳じゃないし。ああ、ただ……ガイスカの父親を見たぞ」

「……ガイスカの、か」


 ブルーイットの言葉に、レイは我知らず嫌そうな表情を浮かべる。

 レイにとって、ガイスカというのは決して自分から好んで近寄りたいような相手ではない。

 恐らく、黒狼を雇ったのはガイスカだろうと予想はしているのだが、そこには何の証拠もない。

 そんなガイスカの父親がやって来ていると言われても、レイとしては愉快な気分にはなれなかった。

 だが、ブルーイットはそんなレイの様子に笑みを浮かべながら口を開く。


「言っておくが、セイソール侯爵はガイスカとはものが違うぞ。格が違うと言ってもいい」

「……そんなにか?」

「ああ。そもそも、セイソール侯爵家ってのは貴族派の中でも影響力は高い。レイはガイスカだけを見て分かった気になってるかもしれないが、ガイスカとセイソール侯爵は同じように考えることは出来ねえ」


 そう告げるブルーイットの表情は、ふざけているものではなく、真剣なものだった。

 そのような表情を見せられれば、レイもふざけて流すような真似は出来ない。


「そんなにか?」

「ああ。セイソール侯爵家は、今の当主の代になって、かなり力を増してきたって話だ」


 例えば同じ爵位であっても、当然のようにその貴族が持つ領地の力によって、どうしても差が出てくる。

 それ以外にも、当主やその子供が実際に持つ能力であったり、様々な要因で様々な力に差がつく。

 ブルーイットが言っているのはそういう意味でのことだろうと、レイは頷く。


「そう言えば、私も聞いたことがあります。セイソール侯爵家は、数代前には侯爵領を維持出来るかどうかの瀬戸際だったと。それを代々の当主がどうにかして徐々に力を増してきたのですが、今の当主になって一気にその影響力を増したと」


 ミランダも、男爵家とはいえ貴族の娘だ。

 貴族が自分の家の力を高めるのがどれだけ大変なのか、承知している。

 だからこそ、その口調には強い尊敬と同時に畏怖が宿っている。

 たった一代でそこまで勢力を伸ばすというのは、それこそ真っ当な手段だけではそう出来るものではない。

 そうである以上、間違いなく何か後ろ暗い手段を使っているのは当然で、それが分かっているだけに畏怖を抱いてしまうのだろう。

 もっとも、それが恐怖ではなく畏怖なのは、ミランダが貴族であるという証なのかもしれないが。


「そんなに凄いのか。……そんなに凄い人物の子供なのに、何でガイスカはあんな感じになったんだ?」

「それは……」


 言葉を濁すミランダだったが、ブルーイットはそんなミランダの様子を一切考えず、口を開く。


「単純に自分を鍛えるとかいった真似をしないで、好き勝手に生きてきたからだろ。……まぁ、他の貴族達との付き合いという点では、それなりにこなしているようだけど」


 そう告げるブルーイットの表情には、若干ではあるが嫉妬の色がある。

 レイから見れば、ブルーイットがガイスカに嫉妬するような要素は全くないと思えるのだが……それでもこうして表情に出しているということは、やはり色々と思うところがあるのだろう。


(考えられる可能性としては、貴族同士の付き合いとか。少なくても、ブルーイットは一般的な貴族と気軽に付き合えるような性格じゃないし。……俺と性格が合ってるのでも、その辺は明らかだよな)


 レイも、自分が普通の貴族と相性が良くないというのは理解している。

 そんな自分とこうして友好的に話が出来るのだから、ブルーイットも当然のように普通の貴族と話が合わないだろうというのは予想出来た。


「ああ、そう言えば……」


 レイの視線に何かを感じたのか、ブルーイットは話題を変える。


「この前の模擬戦の時の一件、どうなった?」

「模擬戦の件……ああ、あの襲ってきた連中の件か。特に何か進展とかはないぞ。元々、何らかの薬物で普通の状態でもなかったから、情報を聞き出すようなことも出来なかったらしいし」


 正確には、あの件を仕組んだのだろう黒狼が昨日姿を現したのだが……黒狼の一件には、ブルーイットを巻き込みたくはなかった。

 そして、ミランダもまた巻き込みたいとは思わない。

 もっとも、ブルーイットはともかくミランダはこのケレベル公爵邸で働いている。

 だとすれば、昨夜黒狼がこの屋敷に侵入したということを知っていても、おかしくはないのだが。


(けど、こうして見る限りでは、多分知らないんだろうな)


 もしかしたら、ミランダと仲の良いレオダニスであればその辺の事情を知っているのかもしれないが……レオダニスも、ミランダをこの一件に巻き込もうとは思わないだろう。

 職業上で知った秘密を、そうほいほい人に教えるような性格でないというのは、レイにも何となく理解出来る。

 そんな風に考えていたレイだったが、ふとブルーイットは話題を変える。

 いや、正確には話題を変えた訳ではないのだが、何も知らない者にとっては同じように思えただろう。


「そう言えば、昨日この屋敷に侵入した奴が出たんだって? まさか、ケレベル公爵邸に侵入するような命知らずがいるとも思わなかったけど、それに成功したのも驚きだな」


 一瞬、ほんとうに一瞬だけ、もしかしたらブルーイットはセトを襲撃したカセレス伯爵のことを言っているのかとも思ったが、ブルーイットの目を見れば、そちらではなく別の……黒狼の件を言ってるのだと理解出来た。

 もっとも、ブルーイットはその忍び込んだ相手が黒狼だというのは気がついておらず、単純に別の存在だと思っているようだったが。


「そうだな。まぁ、ケレベル公爵家にも色々とあるんだろ。パーティーをやっていたってのもあるし」

「ああ、使用人の。……それを考えれば、しょうがないのかもしれないな。もっとも、それを考えた上でも侵入した奴は相当の腕利きだと思うけど。あんたもやっぱりそう思うだろ?」


 ブルーイットの視線が向けられたのは、ミランダ。

 レイの担当のミランダだったが、そのミランダもブルーイットの言葉には異論を唱える様子もなく、素直に頷く。

 ミランダにしてみれば、ケレベル公爵邸の警備が厳しいというのはあくまでも普通の……それこそ常識と言ってもいいような出来事だ。

 それなのに、誰とも知らぬ相手に侵入されたというのは、やはり不気味に感じてしまう。


「そうですね。出来れば早く侵入した人が捕まって欲しいとは思いますけど。……それも、簡単なことではないでしょうね」


 しみじみと呟く様子に、ブルーイットも同感だといった様子で頷きを返す。


「だろうな。普通に考えれば、こんな警戒が厳重な場所に忍び込むような奴が、そうそういると思えない。だとすれば、そいつの目的は……」


 その視線が向けられたのはレイで、最後まで言わずともブルーイットが何を言いたいのかは、レイにも、そしてミランダにも理解出来た。


「それは否定しないけど、そうなると、俺に被害はあってもケレベル公爵邸の住人には被害がないという可能性もあるか」

「……あるか? 腕と性格が一致してないなんて、そう珍しいことでもないぞ?」


 しまった、と。

 レイはブルーイットの言葉に、黒狼を直にその目で見たからこそ言えた内容だったと判断する。

 とはいえ、黒狼は薬を使った者達をレイとセト、ブルーイットに襲い掛からせるといった真似をしているのだから、標的以外に被害を与えないというのは半ばレイの思い込みに等しいのだが。

 それでも、今の状況であればまだ十分に誤魔化すことが出来た。


「勿論絶対にそうだとは言わないけど、ただ、今までの俺の経験から考えると、大体そんな感じだ」

「そういうものか」


 そう告げるブルーイットだったが、実際にその言葉に納得したのかどうかは、レイにも分からない。

 ともあれ、それでも一応誤魔化せたということで、納得しておく。


「ああ。勿論中には、腕が立つけど最悪の性格をしているような者もいるし、絶対にそうだとは言わないけどな」


 事実、その人物の持つ性格と技量には因果関係は存在しない。

 性格が悪くても非常に強い者もいれば、性格が良くても弱い者も多い。

 そもそも、こうしているレイだって決して性格が良いとは言えないのだから。

 少なくても、性格の良い人物は盗賊狩りをして盗賊が奪ったお宝を自分の物にしたりもしないし、捕らえた盗賊を奴隷として売り払ったりといった真似もしない。


「だろうな、腕の立つ奴全員の性格が良ければ、戦争やら何やらなんてのはとっくになくなっていてもいい筈だ」


 そう告げるブルーイットだったが、レイはそれに全面的に賛成は出来ない。

 今の話は、あくまでも腕の立つ者の性格が良ければということが前提となっているものだ。

 だが、軍隊のような武力に命令をするのは、基本的には国王や皇帝、もしくはそれに準ずる者といった形で、決して本人が強いという訳ではない。

 ブルーイットの考えでは、国王や皇帝といった国のトップが強くない限りは戦争が行われると言ってるに等しい。

 そうである以上、戦争は終わらないということを意味している。


(ミレアーナ王国の国王とは会ったことがないけど、ベスティア帝国の皇帝は普通に戦いを望むといった性格をしているように思えたし。……とはいえ、今はベスティア帝国が攻めてくる様子はないけど)


 レイにしてみれば、国の上の方にいる人物が妙な判断をしない限りは、特に問題はないと思える。

 しかし、それは逆に言えば妙な判断をされれば、問題があるということになってしまう。

 その辺りの事情を考えれば、強い強くないに関わらず、頭脳明晰であって欲しいとつくづく思うのだった。

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