第1835話
「出来たわ!」
「あー……そうか」
レイの化粧をしていた女が嬉しそうに叫ぶのを聞き、レイは短くそう返す。
化粧とはいっても、そこまで大袈裟なものではなく、顔に軽く化粧品を塗るだけだ。
……その、塗るだけという行為に何故一時間以上も掛かるのか、正直レイは理解出来ない。出来ないが、それでも取りあえずプロの仕事なのだろうかと不満は口にしない。
「ほら、見てちょうだい。素晴らしい出来でしょう?」
そう言って女は鏡をレイに見せる。
鏡というのは酷く高価な代物なのだが、ここはミレアーナ王国の中でも三大派閥の一つ、貴族派を率いるケレベル公爵の屋敷だ。
当然のように、普通なら高価で買うことが出来ないような鏡も、きちんと存在している。
そんな鏡に映し出された自分の顔を見たレイだったが……
「うーん……どこか変わったか?」
「変わったわよ!」
レイの口から出た言葉に、女は反射的に叫ぶ。
本来なら、異名持ちの相手にこのように叫ぶような真似は出来ない。
それが出来たのは、自分の苦心の作品を馬鹿にされたからだろう。
正確には、レイは馬鹿にした訳ではなく、理解出来ないといったように呟いただけなのだが。
実際、鏡に映っている自分の顔を見ても、一時間前とそこまで変わっているようには思えない。
そんなレイの表情を見て、女は憂鬱そうな表情を浮かべる。
「まぁ、そう言いたくなる気持ちも分からないではないけどね。実際、皮膚の状態はかなり綺麗で、化粧とかはしなくても特に問題もなかっただろうし。……けど、ほら。こうして少し光を当ててみれば、分からない?」
そう言われ、窓の近くまで移動したレイは光に当たった自分の顔を鏡で見て、若干……本当に若干ではあるが、先程鏡で見た時とは少し違ったように見えた。
元々レイの顔は女顔で、猛々しいというよりも凜々しいと呼ぶべき顔立ちだ。
微妙なニュアンスの違いといった程度だったが、とにかくレイは自分の顔をそんな風に思っていた。
だが、現在光が当たっている自分の顔を鏡で見ると、どことなくいつもより男らしいように見える。
目に見えてという訳ではないのだが、そのように見えるのは間違いなかった。
もっとも、レイの目から見てもそれは誤差の範囲内なのかもしれないという思いもある。
化粧をした相手がそう言っているのだから……と。
(病は気からって言うし……いや、この場合はちょっと違うのか?)
そんな風に思いつつ、取りあえず自分の顔はいつもより男らしくなっているのだと思い込むことにして、自分の世話係として付けられているミランダに視線を向ける。
「それで、これからどうするんだ? 取りあえず化粧は終わったけど」
若干……本当に若干ではあったが、その口調に満足そうな色があったことにレイは気がついていなかったが、部屋にいる他の者達は当然のように気がついていた。
それでもレイに何かを言ったりしないのは、優しさというのもあるが、化粧によって精神状態が変わるということをプロとして知っていたからだろう。
「そうですね。パーティー用の服に着替えるのは……まだ少し早いと思うので、パーティーにおける作法について……は、あまり好みじゃなさそうですね」
作法という言葉に、レイの表情が微妙に嫌そうになったのに気がついたのだろう。ミランダはどうするべきか考えるも、結局作法についての勉強を諦める。
元々勉強をするにしても、付け焼き刃でしかない以上、下手にそのようなことをさせず、冒険者らしい振る舞いをした方がレイの為になるのだと、そう思ったのも、理由の一つだろう。
本来なら、ミランダがそこまでレイのことを考える必要もないのだが。
それでもレイの担当ということになっており、何だかんだとレイと行動することの多いミランダは、多少なりともレイに対して情が移っていた。
……模擬戦で大金を貰ったという恩を感じていたのも、間違いではないが。
もっとも、ミランダがレイに感じているのはあくまでも友人としての感情であって、男女間のそれではない。
(レオダニスも、それは分かってる筈なんだけど)
ミランダがレイと接する態度に嫉妬をするレオダニスのことを思い出したミランダだったが、すぐにその考えは収まる。
今は、それよりもレイのことを考える方が先だと、そう判断した為だ。
「では、今日のパーティーにどのような方が来るのかということを教えましょうか?」
「あー……それはやっぱり知っておいた方がいいのか? 出来れば、そういうのも遠慮したんだけど」
「レイさんが嫌がるのも分かりますが、今日のパーティーには貴族派の貴族……以外にも、中立派や国王派といった貴族の方々も多少ながら参加します」
「そうなのか?」
その言葉はレイにとっても驚きだったのか、本当に? といった視線が向けられる。
貴族派を率いるリベルテの開くパーティーである以上、当然のようにそれに参加するのは全員が貴族派の貴族だとばかり思っていたのだ。
「はい。もっとも、貴族派がどのような活動をしているのかといった様子見の意味が強いので、そこまで活発にパーティーで動くといったことはないようですが」
「中立派からも来るのか。となると、国王派はともかく、中立派の貴族には顔を見せて挨拶をしておいた方がいいだろうな」
「そうですね。最近は貴族派と中立派は友好関係を結びつつありますし」
意味ありげにレイの方を見ながら、ミランダが言う。
口では何も言わないが、その友好的な雰囲気を作ったのがレイだと、その視線は如実に表していた。
そんな視線を向けられれば、レイもその言葉に頷かざるを得なくなる。
折角貴族派と中立派が上手くいってるのだから、それを自分の判断で妙な方向に持っていきたくはないと、そう思っている為だ。
とはいえ、貴族派の中にも中立派と上手くやっていけばいいという者もいるし、それとは逆に中立派などとは絶対に組みたくないと思っている者もいる。
それは中立派の中でも同様で、国王派にいたっては自分達と敵対する派閥が友好関係にあるのは、とてもではないが許容出来ないだろう。
……もっとも、今日のパーティーはあくまでも貴族派の為のパーティーである以上、国王派として露骨に動くような真似は、まず出来ないだろうが。
「分かった。取りあえずパーティーが始まるまではやることがないからな。そっちの指示に従うよ」
レイにしてみれば、現状では何かするべきことはない。
こうして化粧をして髪を整えられた以上、まさかそのような状況で走り回ったり、ましてや戦闘訓練をしたりなんてことは言語道断だろう。
なので、貴族について知るのも良い機会だろうと判断して、ミランダの言葉を承諾する。
もっとも、マナーやら何やらの勉強を自分がするのは面倒なので、そちらで妥協したという表現でもおかしくはないのだが。
「ふふっ、もう少し二人のやり取りを見ていたかったけど、残念ながらそうもいかないみたい」
レイに化粧をした女が、扉の方を見てそう呟く。
そこには、レイにも見覚えのない男がいたが、その男が何をしにこの部屋にやって来たのかは、それこそこの部屋がどのような部屋なのかを理解していれば、考えるまでもなく明らかだ。
そしてレイの化粧をした女がプロである以上、当然のようにこのような状況でレイだけに構っている訳にはいかない。
いや、他にも化粧をする者は大勢いるのだが、それでもしっかりと手を抜かないのは、それだけプロだからだろう。
レイとミランダも、化粧が終わった以上はもうここに自分がいる必要はないだろうと判断し、そのまま部屋を出る。
……その際、部屋にやってきたばかりの男がレイとすれ違ったことに驚きを露わにしていたのだが、レイとミランダは特に気にする様子はなかった。
(厨房に顔を出してみたい気はするけど、それこそパーティーの料理を作るのに、忙しいだろうしな)
ラーメンについての進捗具合をちょっと聞いてみたいと思わなくもなかったが、今日は一年で最も忙しい日に入る一日だ。
ゲオルギマやその部下達も、今頃は料理を作るのに忙しい筈だった。
(エレーナやアーラも、当然忙しいだろうし)
エレーナは姫将軍として、そしてケレベル公爵令嬢として、パーティーの準備や早めに挨拶に来た来賓と会ったりといったことが必要となる。
アーラはエレーナの護衛騎士団団長として、エレーナの側に控えておく必要がある。
両方とも忙しく、とてもではないがレイの相手はしていられないだろう。
いや、正確にはレイが会いに行けば相手をしてくれるのは間違いないが、それはエレーナやアーラにとって負担になるのは間違いなかった。
であれば、レイもわざわざ二人の邪魔をしたくはない。
(考えてみれば、こうして忙しくないのって、俺がケレベル公爵家の人間じゃなくて、あくまでも客人だからなんだよな。まぁ、俺に貴族の相手をしろとか、パーティーの飾り付けをしろとか、そういう風に言われても無理だけど)
そんな風に考えながら廊下を歩いていると、何人かの貴族と思しき者達とすれ違う。
その貴族達は、レイを見た瞬間に大きく目を見開く。
貴族達の様子に若干の疑問を抱いたものの、レイはその貴族達の顔を知っている訳ではない。
(いや、どこかで見たことがある……か?)
はっきりと名前を知っている訳ではないが、それでもどこかで顔を見たことがあるような気がしたレイは、すぐに思い出す。
模擬戦の時に貴族席にいた貴族達か、と。
だが、何故それでここまで自分を見て驚くのか……いや、もっと正確には、自分を見て恐怖の表情を浮かべるのかが、レイには理解出来ない。
……それも当然だろう。レイは直接この貴族達と何らかの関係があった訳ではないのだから。
レイと視線があった貴族達は、そそくさとその場から去っていく。
「何だ、あれ?」
「さぁ?」
レイの言葉に、ミランダも不思議そうに首を傾げる。
レイは全く知らなかったが、今の貴族達は模擬戦でセトを見て、どうにかしてセトを自分達で確保出来ないかと考えていた者達だ。
だが、実際にはその貴族が何か行動に出る前に、カセレス伯爵が先に行動に出て、その結果として貴族派の除名という処分が下ってしまった。
それを理解しているからこそ、貴族達はレイの前からそそくさと去ったのだ。
カセレス伯爵の除名というのは、それだけ不穏なことを考えていた者にとって、大きな衝撃を与えていた。
もしカセレス伯爵が動かず、自分達が動いていれば。
その場合、貴族派を除名されていたのは間違いなく自分達だったと、どうしてもそう思ってしまうのだろう。
もし貴族派を除名されてしまえば、自分達にとっては身の破滅しか待っていない。
ケレベル公爵が貴族派の自分達と、客人として迎えていて、異名持ちとはいえ所詮は冒険者のどちらを重視するのか。
この貴族達は無条件で自分達を重視すると思っていたのだが……自分達より地位も実力も上のカセレス伯爵があっさりと切り捨てられたのを見てしまえば、自分達がケレベル公爵に切り捨てられないという保証は一切なかった。
いや、寧ろカセレス伯爵より貴族派の中では下位にいる自分達であれば、当然のように切り捨てられるだろうと判断してしまう。
……実際には、カセレス伯爵が貴族派に与える悪影響が強かったからこそ、セトの件を良い機会として切り捨てたのだが。
その辺りの事情を知らないレイやミランダにとっては、急ぎ足で去っていく貴族達を何とも言えない表情で見送るだけだ。
「多分、レイさんに何か後ろ暗いことがあったとかじゃないですか?」
理由は分からずとも、貴族達のレイを見る目から、ミランダにもそのくらいの事情は予想出来る。
これでもケレベル公爵家に仕えてから、それなりに経つ。
それだけに、貴族達がどのような感情を抱いているのかを読み取ることは、そう難しい話ではなかった。
「後ろ暗いこと、か。……色々と思い当たることはあるけど」
黒狼の一件や、セトの一件。それ以外にもレイがエレーナと親しい関係にあるというのを面白く思っていない者が多いというのは理解している。
また、レイは理解出来ていないような理由で恨みを抱かれたとしてもおかしくはない。
そんなレイの態度に、ミランダは若干……いや、かなり強い呆れの感情が込められた視線を向ける。
ミランダにしてみれば、わざわざ貴族に後ろ暗いことを思われるような真似をしたいとは、到底思えない。……もっとも、一応とはいえミランダも貴族の一員ではあるのだが。
「とりあえず、行きましょうか。幸い、今は特に何かある訳でもなさそうですし」
そんなミランダの言葉に頷き、レイは話す為に止まっていた足を再び動かすのだった。
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