第1832話

 使用人の慰労パーティーが行われている最中、当然ながら黒狼の侵入についてはリベルテを驚かせることになった。

 とはいえ、使用人達が一年の終わりの行事として楽しんでいるパーティーを途中で切り上げるのも忍びないということで、結局は手の空いている騎士や警備兵といった面々が黒狼を探し回ることになる。

 ……本来なら大々的に黒狼の探索を行うのが普通だったのだが、それが行われなかったのは、レイから黒狼は恐らくもう既にこの屋敷にいないというのを知らされたこともあるし、黒狼が狙っているのはあくまでもレイで、それ以外に被害が出ないとだろうという予想もあった。

 もっとも、後者の理由に関しては模擬戦の後に薬で正気を失ってレイを襲撃してきた相手がいる以上、絶対ということは出来なかったが。

 ただ、レイの感想として、恐らく黒狼が手駒のように使うのはあくまでも善良な一般人以外の者達であるという思いがある。

 事実、模擬戦の後でレイを襲った者達も、普段から薬物中毒だった者達だったのだから。

 ともあれ、黒狼の侵入によって若干の騒動にはなったが、それはあくまでも今日の護衛を任されていた騎士や警備兵にとって不運だったのだが、それ以外のパーティーに参加している者達にとっては全く問題のない、楽しいパーティーの時間をすごせることになった。

 そうして、表向きは楽しい……それでいながら裏では今日の当番になった者達が必死に走り回ったパーティーは終わり、レイはパーティーであまった料理の数々を持ってセトのいる厩舎に向かっていた。

 本来ならパーティーで残った料理は、ゲオルギマを始めとする料理人達が食べたり、使用人の明日の食事になったりするのだが、今回はリベルテがレイに残った料理をセトに持っていってもいいと、そう許可したのだ。

 一応今日のセトの食事も、パーティーということで普段よりも豪華な料理が出ていたのだが……それでも、やはり実際にパーティーに出ていた料理と比べると、若干落ちる。

 そんな訳で、パーティーに出た料理をセトに食べさせるというのは、レイにとってもリベルテがセトのことを思っているというのを知ることが出来て嬉しいことだった。


(ただ、犬とかには人間の料理をそのまま与えるのは塩気が強くて駄目だって聞いた覚えがあるけど……いやまぁ、今更か)


 セトは今まで普通にレイと同じ料理を食べていたし、何よりセトは動物ではなくモンスター……それも魔獣術で生み出された、変わり種だ。

 それなら多分普通に自分が食べている料理と同じものをやっても問題ないだろうと考え……


「っ!?」


 何らかの破壊音が聞こえ、レイは鋭い視線を音の聞こえてきた方……セトの厩舎のある方に向ける。

 そして考える間もなく走り出す。

 聞こえてきた破壊音は、明らかにセトのいる方角から聞こえてきたものだ。

 そうである以上、それを行ったのは当然のようにセトだということになる。

 だが、セトが何の意味もなくそのようなことをする筈もない以上、そこには何かそうしなければならないという事情があった筈なのだ。

 そして、今日この屋敷の中には黒狼が忍び込んでいる。

 直接顔を合わせたレイの直感としては、黒狼は自分以外に手出しをするようなことはないと思っていた。

 しかし、その相手がセトとなれば……断言は出来ない。

 セトはレイの従魔という風に認識されており、つまりはレイと一心同体の存在だと認識されてもおかしくはないのだ。

 それでも、レイの感覚からすれば黒狼がセトに手出しをするようなことはないと思っていたのだが、こうして実際に破壊音が聞こえている以上は、もしかしたら、万が一ということもある。

 月明かりの中、レイは地面を走る。

 幸いにも雪が積もるといったことはなく、足下が泥濘んで走りにくいということはない。

 そうした地面を踏み締めながら走り、やがてレイの前にセトの厩舎が見えてきた。


「……あ?」


 厩舎が見えてきたのだが……その厩舎から少し離れた場所で倒れているのは数人おり、どこからどう見ても黒狼ではない。

 それを見たレイは、セトに攻撃されたのが黒狼ではなかったことに安堵しながら、それでいて、では誰が? という思いで倒れている人物に近づいていく。

 遠くの方からも走ってくる音が聞こえてくるのは、厩舎の壁が破壊された音が響いたからだろう。

 ただでさえ、今夜は黒狼が忍び込んだとして警備が厳重になっている中で、今の破壊音を聞けば当然のように警備兵や騎士達といった者達が集まってくるのは当然だった。


「さて、取りあえず……お前達は一体誰なんだ?」


 呟き、レイはセトの一撃によって気絶している者の顔を月明かりの下に晒し出す。

 セトも、殺さないようにときちんと手加減はしていたのだろう。男達は骨折のような怪我はしているようだったが、死んでいる者は誰もいない。


「三人全員が男か。……けど、顔は見覚えがない、と」


 取りあえずこうして見た限りでは、男達の顔はレイには全く見覚えがなかった。

 当然のように黒狼でもない。


「セト、ちょっと出てきてくれ!」

「グルルルルゥ」


 レイの声に従い、セトは厩舎から出てくる。

 一応気を遣ったのか、セトが破壊した壁ではなく、きちんと扉からだ。

 それでもセトが少しだけ申し訳なさそうな顔をしているのは、やはり厩舎を壊してしまったからだろう。

 レイはそんなセトを撫でながら、気にするなと態度で示しつつ、尋ねる。


「それで? この連中が襲ってきた……そういうことで間違いないのか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、その通り! と喉を鳴らすセト。

 もっとも、レイもセトが何の意味もなくこのような真似をする訳がないと分かっている以上、この一件について問題にするつもりはなかったが。

 とはいえ、それはあくまでもレイがそう思っているだけの話で、ケレベル公爵家でどう判断するのかは分からないが。


「おい、今の音は何だ!」


 聞こえてきたそんな声は、ようやくこの場に到着した警備兵や騎士のものだ。


「遅かったな。どうやら、この連中がセトの厩舎に忍び込んで攻撃を仕掛けたらしい。で、セトがそれに反撃して……こんな感じになった訳だ」


 やってきたのが顔見知りの警備兵や騎士だったからだろう。レイはそう言いながら地面で気絶している三人の男達に視線を向ける。

 警備兵や騎士達も、多少なりとレイやセトとの付き合いがある為に、何の意味もなくセトがこのような真似をしたとは思わないので、レイの言葉に一定の理解を示す。

 とはいえ、顔見知りだからといってレイの言葉を完全に信じる訳ではない。

 しっかりと倒れている者の顔を確認し……


「誰だ、これ?」


 騎士の男が、訝しげな表情で呟く。

 それはふざけているようなものではなく、心の底からの疑問。

 そんな騎士の男の様子に、警備兵も疑問を抱いてそちらに視線を向ける。

 だが、結局抱いたのは騎士の男と同じ疑問。


「見ない顔ですね。……うちで働いている奴が何らかの間違いでセトの厩舎に入ったんだとばかり思っていたんですが……」


 警備兵にとっても見覚えのない顔。

 もしこれが、どちらか片方だけが見覚えのない顔であれば、そうおかしなことはないだろう。

 ケレベル公爵家邸は城と表現してもいいような、そんな規模の建物だ。

 当然そこで働いている者の数は多くなり、今日のパーティーに参加していない者も相応の数がいてもおかしくはないのだから。

 それでも、騎士と警備兵の二人がいて、その両方も男の……いや、三人の男達全員の顔を全く見たことがないというのは、明らかに異常以外のなにものでもなかった。つまりそれは……


「この連中は、ケレベル公爵家の使用人じゃないってことか。そして厩舎でセトに攻撃されたのを思えば……怪しすぎないか?」


 呟くレイの言葉に、騎士と警備兵は頷き、そして地面で気絶している三人の男達を見て厳しい表情になる。


「つまり、この連中は話にあった侵入者だと?」

「違う。そっちとは別口の連中だろうな。……セトの厩舎に来た辺り、セトの羽根とかのような素材が目当てだったのか、もしくはセトの身柄そのものが目的だったのか……はたまた、セトの命が目的だったのか」


 警備兵の言葉を否定しながら予想を口にしていくレイだったが、そこにあるのは冷徹と表現してもおかしくはない笑みだ。

 今回はセトがこうして迎撃したので問題はなかったが、だからといって、それでそれを許せるかどうかというのは別の話だった。

 自分の相棒に……半身と呼ぶに相応しい相手にこうして手を出されたことは、レイにとって死神の大鎌を振るってもおかしくはない。

 そういう意味では、セトの攻撃によって気絶している男達は幸運だったのだろう。

 騎士と警備兵も、レイの様子からこのままでは不味いと……特に気絶した男達がここで目を覚ますと色々な意味で不味いと判断したのか、慌てたように口を開く。


「取りあえず、この男達が今回の騒動の原因なのは間違いない。このままここで気絶させておけば、目が覚めた時に何をするか分からないから、牢にでも放り込んでおこう。……幸い、人も来たし」


 そう告げる騎士の視線の先には、レイ達のいる場所に向かってくる警備兵や騎士達の姿が月明かりや建物の明かりによってはっきりと見ることが出来た。

 ……もっとも、顔まではっきりと見分けることが出来たのは、夜目の利くレイやセトだったからこそだろうが。


「そうだな」


 若干不承不承ながら、レイもここで無理に自分が何かを言っても意味はないと判断したのだろう。気絶している三人の男達を牢に連れて行くという言葉に同意を示す。

 ただ、当然のように黙って男達を引き渡すような真似はせず……


「この連中が何を考えてセトの厩舎に侵入したのか、分かったらその情報はこっちにも流して貰えるんだよな?」

「あー……そうだな。一応上の人に聞いてみる必要があるけど、多分大丈夫だと思う」

「そうか。まぁ、そこで駄目と言われても、ケレベル公爵に聞けば教えてくれそうな気がするけど」

「それは……」


 レイの言葉に、騎士は言葉に詰まる。

 実際、ケレベル公爵家の客人という扱いたるレイの従魔が、誰とも知らぬ相手に襲撃されたのだ。

 その情報をレイが知りたいと言えば、リベルテもケレベル公爵家当主という立場から、話さない訳にもいかないだろう。

 結局のところ、情報がレイに流れるのであれば、それこそリベルテの手を煩わせるような真似をせずに自分達の口からその情報を告げた方が間違いなく得策だった。

 最悪の場合、情報を教えずリベルテの手を煩わせたということで、上から叱られる可能性もある。

 レイが自分に何の関係もない騒動の情報を流せと言われれば、騎士や兵士達もそれは断っただろう。

 だが、今回はレイの従魔のセトが襲われたのだから、その情報を話すには何の問題もなかった。

 唯一の難点としては、セトにやられて気絶している男が誰なのか……いや、ケレベル公爵家の者ではない可能性が非常に高い以上、どこの手の者なのか不明だという点が大きいが。


「分かった。この連中がどこの誰なのか分かったら、レイにも知らせる。ただ……一つだけ約束してくれ。もしこの連中がどこの誰なのかが分かっても、レイだけでその連中の本拠地なりどこなりに殴り込むような真似はしないと」

「……それは、俺にやられっぱなしでいろということなのか?」


 そう告げるレイの視線には、不満の色がある。

 とはいえ、やられっぱなしのままでいるというのは、レイやセトを襲う側にとっては一種の線引きをしてしまう。

 セトを襲うくらいならレイは反撃をしてこないだろうと、そう判断して襲撃が増える可能性が高かった。

 勿論レイが不満を露わにしたのは、やられっぱなしが面白くないという理由があるのも事実だろうが、割合としてはそちらの方が大きい。

 騎士や警備兵もそんなレイの思いを理解したのか、落ち着かせるように口を開く。


「この連中は、ケレベル公爵邸に無断で侵入したんだ。そうである以上、このままでは済まされない。それは当然この連中の後ろで糸を引いている奴も同様にな」


 その言葉に、レイは少しだけどうするか迷い……やがて頷く。

 とはいえ、それは自分が何かをするよりもリベルテに任せた方が、今回の一件を企んだ相手にとって最悪の結末が待っていると判断したからの同意だ。


「分かった。取りあえずはそっちに任せる。ただ、ケレベル公爵の判断が甘いと思ったら、俺は俺で行動を起こすぞ」


 そう、念を入れる。

 騎士や警備兵は、そんなレイの言葉に特に問題はないだろうと、こちらも同意するように頷く。

 実際、自分の客人のレイの従魔に手を出すような相手にリベルテがどのような報復をするのか……それを考えれば、レイがどうこうすることは絶対にないと騎士や警備兵には断言出来たのだから。

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