第1833話
案の定……と言うべきか、リベルテは自分の屋敷に侵入し、ましてや客人として扱っているレイの従魔たるセトを襲おうとした者がいると聞き、激怒した。
客人のレイの従魔を襲うということは、それは即ちケレベル公爵家を侮っていると判断したからだろう。
結果として、捕らえられた者達にはマジックアイテムすら使って厳しく取り調べをし……
「馬鹿な! 何故このような真似を! ……冗談にしても笑えないぞ」
リベルテからの使者を前に、その男……貴族派においてもそれなりに強い影響力を持つ、カセレス伯爵は引き攣った笑みを浮かべながら、そう告げる。
使者が持ってきた手紙の中には、カセレス伯爵を貴族派から追放し、今後は貴族派と名乗ることは許されないと、そう書かれていた。
「私に言われましても、分かりかねます。私は、あくまでもリベルテ様からの手紙を持ってきただけの者ですから」
「……ならば、私が直接ケレベル公爵にお会いして、この誤解を解く!」
このまま貴族派を追放されるなどということになれば、自分は破滅だ。
貴族派に所属する貴族達からは侮りの視線で見られ、残る手段は国王派に所属するか、三大派閥のどこにも所属しないかの選択しかない。
中立派に関しては、それを率いるダスカーの懐刀たるレイの従魔のセトを襲った以上、受け入れられるということはないだろう。
もっとも、カセレス伯爵には亡命という手段も残されているのだが、そのような真似をすれば貴族としてやっていけるかどうかも怪しく、何より外国に対して伝手がない。
そのような立場である以上、何としても貴族派からの除名という決断はどうにかする必要があった。
(ええいっ、ケレベル公爵も……あのような中立派の小僧よりも、儂を重視すべきだろうに!)
強い苛立ちがカセレス伯爵の中にあるが、ケレベル公爵の使者が目の前にいる以上、それを口に出す訳にはいかない。
そもそも、今回の一件で誰が悪いのかと聞かれれば、カセレス伯爵は即座にレイだと断言するだろう。
模擬戦において、グリフォンなどというものを、これでもかと見せつけるような真似をしたのだ。
ただの冒険者風情が、そのような希少なモンスターを自分の物にしてるというのは、許されない。
そうであれば、あのグリフォンは自分の物になった方が幸せな筈だった。
……セトを物として認識している辺り、それをレイに知られなかったのはカセレス伯爵にしてみれば幸運だったのだろう。
ともあれ、模擬戦でセトを見た時から色々と手を打ち、今夜使用人達の慰労パーティーをするという話を聞き、計画を実行に移したのだが……それが、全て裏目に出た形となってしまった。
カセレス伯爵も、絶対に自分の行動がケレベル公爵側に知られないとは思っていなかったが、それでもここまで強引に事態を動かすというのは、予想外だ。
そして何より致命的なまでに勘違いをしていたのは……ケレベル公爵が、カセレス伯爵よりも一冒険者という立場でしかないレイの方を優先したということだ。
もし明らかにカセレス伯爵を優先していれば、当然のように貴族派からの追放といった手段を取ることはなかっただろう。
そこまでいかなくても、多少なりとも気に掛けているのであれば、ある程度時間をおいてから……それこそ、証拠の類をカセレス伯爵がもみ消すのを待ってから、連絡を送ってきた筈だ。勿論、その連絡は貴族派からの追放ではなく、心当たりがないかといったような疑問を口にする感じで。
「くそっ!」
「……何でしょう?」
自分の中にある苛立ちを、思わずといった様子で出してしまったカセレス伯爵に、リベルテの使いの者が首を傾げる。
もっとも、それはあくまでもポーズだけだ。
実際にカセレス伯爵が何を言いたいのかというのは、それこそ使いに来た男は知っている。
自分の見通しの甘さ故に、致命的なミスをしてしまったのだと。
もしこれがカセレス伯爵本人でなく、その血縁者といった者達がやったのであれば、まだ何とか挽回も出来ただろう。
だが、それを行ったのがカセレス伯爵家当主本人となれば、弁解のしようがない。
使いの男にしてみれば、何故その当主本人が馬鹿な真似をしたのかといった疑問がある。
どうしてもやるのであれば、切り捨てるべき相手を間に挟めばよかったものを、と。
だが、結局男はあくまでもリベルテの使いであり、差し出がましい口を利く必要はない。
カセレス伯爵もそれは分かっているのか、弛んだ頬の肉を不機嫌そうに揺らしながらも、それ以上は何も言わない。……いや、言えない。
もしこの場で何かを言おうものなら、それは全て自分にとって最悪の結末となる可能性もあるのだから当然だろう。
「何でもない。だが……この手紙の内容は些か大袈裟すぎはしないか? 出来れば、ケレベル公爵にはもう少し冷静になって欲しいのだが」
「旦那様は冷静です。いえ、寧ろ優しすぎる程に優しいと言ってもいいかと」
「何だと?」
自分の主人を馬鹿にされたと思ったのか、男は気分を害しながらもそう告げる。
それに対して不機嫌そうに言葉を返すカセレス伯爵だったが、実際にもしリベルテが本気でカセレス伯爵を許せない相手だと理解しているのであれば、こうして手紙ではなく、直接部下を率いてやって来ている筈だ。
だが、カセレスはその辺りのことに考えが及んでいないらしい。
使いの男に対し、不愉快そうな視線を向ける。
使いの男はそんなカセレス伯爵とはこれ以上話をしたくないと思ったのか、それ以上は会話をしようとせず、頭を下げる。
「では、私はこの辺で失礼します」
「おい、待て! この手紙に書いてあることは本当だというのか!? ケレベル公爵に弁明の言葉を!」
「申し訳ありませんが、私はただ手紙を届けにきただけで、そのような権限はありませんので」
そう言い、使いの男は一礼すると部屋を出ていく。
そんな男の後ろ姿を、カセレス伯爵は忌々しげに睨み付けていた。
「くそがっ! この儂を誰だと思っている!? 今まで散々貴族派の為に苦労して手を貸してきたというのに……それを、この程度のことであっさり切り捨てるだと!?」
喋っているうちに、苛立ちが増してきたのだろう。カセレス伯爵は、苛立ち混じりに拳を執務机に叩き付ける。
……もっとも、次の瞬間には机を殴った痛みに呻くことになるのだが。
だが、カセレス伯爵にとって、その痛みは怒りと動揺でまともに考えることも出来なくなっていた心が落ち着き、幾らかは冷静に考えることが出来る切っ掛けとなる。
「どうする? この状況で貴族派を追放されるようなことになれば、絶望的な未来しかない。国王派に鞍替えするか? だが……向こうにはヘルケナ伯爵がいる。あの男の下につくのは、絶対にごめんだ」
カセレス伯爵と隣り合った領地を治めている、ヘルケナ伯爵。
カセレス伯爵家とは先祖代々仲が悪く、今も水の利権で色々とやり合っている間柄だ。
そのような人物の下につくというのは、それこそカセレス伯爵にとっては決して耐えられるようなものではない。
「だとすれば……派閥に所属しないで動く? 儂にそんな負け犬になれってのか」
ミレアーナ王国の貴族の中には、三大派閥に所属していない者もある程度の人数がいる。
実際には自分の考えでそのような行動を取っている者も多いのだが、カセレス伯爵の目から見ればそのような者達は貴族の中でも負け犬でしかない。
誇りあるカセレス伯爵家の当主たる自分が、そのような負け犬になるというのは、絶対にごめんだった。
だが、当然セトに手を出したことが知られている以上、中立派にも所属出来ず……
「どうしろってんだよぉっ!」
再びカセレス伯爵は、苛立ち混じりに拳を執務机に叩き付けるのだった。
……カセレス伯爵は知らない。
貴族派の中でも特に重い税金を領民に掛けているというのを、リベルテが憂慮していたことを。
近い将来カセレス伯爵領で暴動が起きる可能性が高く、このままカセレス伯爵を貴族派に入れておけば、それが貴族派にとって小さくないダメージになるだろうと冷徹に判断し、カセレス伯爵を貴族派から切り捨てたことを。
もし今回のセトの襲撃を企んだのが、カセレス伯爵ではなく別の人物……貴族派に所属していながら、貴族派に被害を与えるような人物でなければ、リベルテもここまでの処罰はしなかっただろう。
レイが納得するだけの処罰はしただろうが、貴族派からの除名とまではならなかった筈だ。
カセレス伯爵はそのことに気がつかず、ただひたすらに苛立ちを露わにし……翌日、妻や息子達に今回の一件を話し、最終的には妻から離縁を言い渡され、妻の実家からも見捨てられるのだった。
「……どうかな? レイにも満足して貰えたと思うが」
もうそろそろ日付が変わってもおかしくない時間、それこそ普段であれば真夜中と呼ぶべき時間に、レイはリベルテの執務室でそう言われた。
パーティーが終わった後で、まだ仕事をしているのかといったことを驚くと同時に、レイはどう答えるべきか迷う。
それでも現在の状況を考え……
「ケレベル公爵がその処分でいいと判断したなら、俺はそれで構いません。セトも特に何か怪我をした訳じゃなかったですし。ただ、貴族派からの除名というだけでは、また同じようなことを考えるような奴が出てくるのでは?」
レイにしてみれば、派閥から追い出された程度のことが罰になるのかという疑問がある。
今はパーティーを組んでいるが、元々ソロで活動しているというのが大きく、その程度の罰ではまた同じような奴が来るのでは? という疑問。
「ふむ、独立独歩でやっていけるレイには分からないかもしれないが、貴族にとって……特にカセレス伯爵のような人物にとって、今回の一件はかなり大きな処罰だ。それこそ、恐らくレイがアネシスにいる間は、セトを狙うような者がでないと断言出来るくらいには」
「そんなにですか?」
「そうだ。場合によっては、今回の件でアネシスからレイが出ても、ちょっかいを出す者が減ってもおかしくはないくらいにだ」
そこまで言われれば、レイもひとまずは納得せざるを得ない。
もしこれで、また同じようなことがあれば、リベルテの判断に不満も言えるのだろうが……それは、実際にまた同じようなことがあってからの話だ。
「分かりました。では、これ以上は何も言いません。ただ……そこまでやっても、また同じように手を出してくる相手がいた場合……」
それ以上は何も言わないレイだったが、リベルテにとってはそれで十分だった。
「うむ。その場合は好きにしてくれて構わない。もっとも先程も言ったが、今回の件でカセレス伯爵がどのような処分をされたのかを見て、迂闊に手を出すような者はまずいないと思うが」
それでも全くいないと言い切れないのは、貴族派の中には自分は何をやっても上手くいくと判断しているような者がいるからだろう。
それこそ、カセレス伯爵の件を知っても、自分ならもっと上手くやれたのに……と、そう思ってもおかしくないような、そんな貴族が。
実際にカセレス伯爵は色々と失態もあったが、同時にかなり上手くやったという部分もある。
その中には、借金をネタに脅迫されて、忍び込んだ三人の手引きをした者もいた。
その辺りの事情については、セトによって撃退された三人から既に聞き出しており、その警備兵も既に確保されている。
もしも男達の襲う相手がセトではなく、もっと普通の……大人しい相手であれば、それこそカセレス伯爵の作戦が成功した可能性は十分にある。
また、他の者達に先んじて動いたというのも、評価に値する。
(能力的に、決して無能ではないのだがな。……無能ではないからこそ、貴族派にもたらす被害が多くなると判断して、切り捨てることになったのだが)
有能な能力を持っていても、その能力が民衆を締め付けることに使われてしまっては意味がない。
ましてや、貴族派の中でも色々と動いており、このままで近い将来確実に面倒なことになったのは間違いないのだ。
だからこそ、このような結果になったのだが。
「取りあえずカセレス伯爵の件はそれでいいとして。……こうしてレイと男二人だけで話をする機会は今までなかったし、少し話をしても構わないかな?」
「え? あ、はい。俺は別に構いませんけど」
そう言いながらも、レイは隣の部屋に護衛が控えていることも理解していたし、天井や床下に何人か潜んでいるのも理解している。
この状況を思えば、とてもではないが男二人とは呼べないのだが……リベルテにとって、護衛はこの場合数に入らないのだろう。
ギルムにいる時、エレーナがどのようにしてすごしていたのか。それをレイから聞けると、嬉しげに笑みを浮かべるのだった。
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